第五章 祝祭前夜の長い祈り

第九十六話:廃都

 ――聖王歴157年、緑黄の月……。


 ――第13の日、午後1時10分。

 複数の高位聖職者より強力な魔の気配に関する報告あり。


 ――同日、午後1時30分。

 三法王並びに中央在任枢機卿への通達と緊急会合の開催。

 レネア神光国にて異常事態と暫定的に認定。


 ――同日、午後2時15分。

 三法王及び依代の聖女より準聖戦状態への移行が発令。

 日記の聖女並びに上級聖騎士へと緊急招集命令。


 ――同日、午後2時40分

 日記の聖女の奇跡により、レネアにおける異常事態の原因を『破滅の王イラ=タクト』の顕現と確認。


 ――同日、午後2時45分

 依代の聖女による聖戦宣言


 ――同日、午後3時

 日記の聖女及び選抜された上級聖騎士に事態への対処を通達。

 聖騎士による決死隊の編成完了。神征の出陣。


 ――同日、午後3時10分

 観測班よりレネア都市にて大規模な都市火災を確認。


 ――同日、午後3時15分。

 世界が夜に包まれる。


 ――同日、午後3時18分

 世界に明かりが戻る。


 ――同日、午後3時20分

 観測班よりレネア方面の仔細不明なれど大規模火災が消失していると報告あり。

 時をおかずして修正報告あり。

 先の火災鎮火を訂正し、火災は依然として継続しているとの報告。

 観測班の混乱著しく報告に齟齬が見られ、以後の報告の正確性が疑問視される。


 ――同日、午後4時

 三法王により神征の中断及び聖王都への帰還並びに防衛命令が発出される。


 ――同日、午後4時20分

 日記の聖女、三法王の命令を拒否。


 ――同日、午後4時45分

 依代の聖女より帰還命令発出。


 ――同日、午後5時10分

 日記の聖女並びに決死隊、聖都へ転進。


 ――同日、午後7時

 日記の聖女並びに聖騎士団の帰還確認。

 以後厳戒態勢をひき、国家防衛に努める。


 ――翌日第14の日、午前5時30分。

 夜明けと共に斥候にて状況確認。

 レネア方面に確認されていた火災はすでに鎮火しているとのこと。

 また同行の聖職者により邪神降臨の痕跡を確認した報告あり。


 ――同日

 レネア神光国への国境地帯を封鎖指定。

 以後該当都市を廃都と認定し、第一級の禁域指定とする。





~~異世界黙示録マイノグーラ~~

 第四章:『祝祭前夜の長い祈り』




 ◇   ◇   ◇


 ――

 レネア首都。旧アムリターテ大聖堂焼失跡地……。


 小さな、とても小さな少女が、荒廃したその地に立っていた。

 いまだ大人の保護と導きが必要であると誰しもが判断するような齢にして、その身に余る重責を与えられた少女。

 少女は聖王国クオリアにおける権力を誇示するかのような豪奢な装いに身を包んでおり、随伴する者たちは一定の距離を取りつつ彼女の言葉を待つかのように控えている。


 何もかもが異質なその少女に向けられるは崇敬の念。

 自分とは隔絶した尊き存在に対して抱く、畏れと歓喜

 この幼き娘に向けられる視線は、一体何を意味するのか。

 彼女が両手に抱える巨大な書物こそが……その答えを如実に表している。


 ――聖王国クオリアにおいて知らぬ者なし。

 最も神に愛されし者。日記の聖女リトレイン=ネリム=クオーツは多くの従者を連れ、唖然とした様子でレネアの惨状を見つめていた。


「うう、酷いです……」


 ポツリとつぶやかれた言葉に、幾人かの聖騎士が無言で頷く。

 それは、かつての栄華がまるで幻であったかのような光景であった。

 クオリアの上層部によって廃都と名付けられたその地は、その僭称が正鵠を射ているとでも言わんばかりに荒れ果て、朽ち、滅びている。

 いや、表面上の荒廃などこの際どうとでもなる。

 家が焼き払われたのならまた建てれば良い。

 食う物に困るのであればクオリアから輸入すれば良い。

 人さえ残っていれば、その道は苦難に満ち溢れていようとも必ず元の日々へと戻ることができるはずだ。


 だが、『破滅の王』が残した爪痕はその人々にこそ、深い傷を刻みつけていた………。


 運命の日よりすでに数日が経過している。レネア神光国にて異常の発生が確認されたあの日。聖王国クオリアの混乱は記録に残すことも憚られるほどに情けないものであった。

 長らく戦争というものから遠ざかってきたこともあったが、それ以上にレネアで発生した事象が彼らを恐怖に陥れた。

 結果命令が二転三転することとなり初期対応に遅れが生じる。

 三法王は破滅の王の驚異が自分たちに及ぶことをおそれ、せっかく編成した軍勢を呼び戻すことに腐心し、保身のためにレネアの地を禁域指定にすることさえ行った。

 結果この地でどのような出来事が起こったのかを判断する事が困難となり、それどころかどれほどの被害が発生したのかも不明となっている。

 ただ一つ明らかなことは、レネアを守るべき聖なる者たちが敗北したという認めがたき事実だけだ……。


 そしてようやく調査隊の派遣が許可された今、ネリムはその幼い身では受け止められぬほどの悲しみと無力感に苛まれているのであった。


「――ネリムさま。被害の範囲についておおよその断定が出来ました。病魔に関してはこのレネア中央都市より脱出する人々を媒介に周辺の村落まで蔓延している模様。クオリアとの国境地帯には聖騎士団ならびに軍兵が監視にあたっているため感染はありませんが、一刻を争う状態なのは間違いありません」


 リトレインの背後に佇み、報告を読み上げるのは一人の女だった。

 無論唯の女ではない。

 纏う雰囲気は剣呑で、短く纏められた黒髪とその鋭い目つきは他者を萎縮させる。

 身につける法衣は女性にしては珍しく身動きを考えられたものであり、随所に金属製のプレートがあしらわれているとはいえ、体型があらわになる聖王国ではめったに見られないものだ。

 制限の多いクオリアにおいては、ともすればみだりに情欲を掻き立てると非難を浴びそうな服装ではあるが、そのような指摘をするものはかの国にはいない。

 否、そのような大それたこと……彼女に対して考えようなどと思う者は皆無に等しい。

 なぜなら糾弾と裁定こそが彼女の領分であり、不可侵の聖域であるから故に……。


 聖騎士の一人は、緊張気味にその名前を呼ぶ。


「イムレイス審問官」


「……はい。如何なされました?」


 聖王国クオリア。特務聖位――異端審問官クレーエ=イムレイス。


 日記の聖女とともにこの荒れ果てたレネアの地に送り込まれた断罪の刃。

 それがこの女が持つ肩書きであった。


「周辺での聞き込み調査にまわしていた者が帰還いたしましたのでご報告致します」


「……なるほど。ではお願いします」


 悪鬼を恐れず人々の盾として邪悪に立ち向かう聖騎士は、緊張の面持ちで彼女へと小声で報告を告げる。

 クオリアから派遣されたこの調査団における名目上の責任者は日記の聖女リトレインではある。

 だがリトレインがまだ幼いため代理として様々な指示を行っている実務上の責任者がこのクレーエ=イムレイスだった。

 そしてその彼女の役職は、聖騎士達をしてもなお緊張を強いられる。


 ――異端審問官。


 その名の通り、神の信徒たる者たちへの強力な調査と介入権を有する彼女の機嫌を損ねるようなことがあれば、どのような災禍が自分たちに降りかかるか分かったものではないからだ。

 異端審問官によって調査のため呼び出しを受けた人々は数え知れず。

 だがその後に咎なしと開放された者たちの数は、数えるほどしか存在していない。

 無論、いなくなってしまった人々がどうなったかは明らかにされるはずもない。

 聖女や聖騎士とはまた別の意味でクオリア内において確かな存在感を有している存在。

 それがクオリア異端審問局であり異端審問官であるのだ。


 その審問官の中でも、もっとも神と職務に忠実であると囁かれるクレーエに対して、聖騎士たちは腫れ物を扱うような態度で接していた。


「報告致します。旧大聖堂を中心とし大規模な火災跡と、聖騎士並びに未知の魔物の死体を多数発見いたしました。また周辺ではすでに確認済みの疫病とは別に住民の記憶障害が発生しており、この場所でどのような出来事が起きたか現時点では情報が不足しております」


 かつての栄華、その成れ果て。

 破滅の王によって蹂躙された地は、疫病が蔓延し人々が己を忘れ狂う都となっていた。

 正しく廃都の呼び名に相応しきその有様に、クレーエも眉を顰める。

 そればかりか、聖なる勢力にとって最も許し難き事態が続きざまに語られた。


「――加えて、華葬の聖女ソアリーナさま、及び顔伏せの聖女フェンネさま。いずれもこの地より離れたとのことです」


 突如異常事態に見舞われたレネアの地にて、何が起こったのかを詳しく知る者は乏しい。

 善なる当事者はそのことごとくが神の下に召され、僅かばかりの目撃者は記憶に混乱が見られる。

 更に調査を加えれば何かこの都市を見舞ったおぞましい出来事の糸口が見つかるかもしれない。

 ただ……何か人智を超えた異常が起きたことだけは、残された哀れな人々の様を見ることによって容易に想像がつく。

 その中で聖女生存の情報である。これには打ちひしがれる民と、レネア聖騎士たちの凄惨な屍を見て意気消沈していた調査隊にも僅かな希望が戻った。

 だが吉報こそが同時に凶報であった。


「二人の聖女さまは、生きていらっしゃったのですか?」


 何の感情も抱いていないような、まるで人形が持つガラスの瞳のように……。

 空虚な瞳を聖騎士たちに向け、クレーエは問いを投げかける。


「は、はい……情報によると」


「それは実に良くない」


「――ひっ!」


 その心の内まで見透かされてしまうかのような視線を受け、聖騎士たちは思わず寒気を感じる。

 この場に、このレネア調査団にクレーエが参加していることこそがその恐ろしき推測が容易に行えるからだ

 異端審問官は時として聖女ですら断罪する権限を有する。

 その事実が、クオリア中央が何を想定して彼女を……そして日記の聖女リトレインをこの地に送りつけたのかを雄弁に語っている。


「聖女が自らが始めたことに始末もつけずに逃げ出すとは……。それも二人も。――これは彼女たちが持つ信仰に疑問を持たざるを得ないですね。実に良くない」


 誰かが息を呑む。それは果たしてどのような意味を持つのだろうか?

 否――言わずともそれはわかる。

 クレーエは二人の聖女に対して異端認定を検討しているのだ。


 自分たちの勝手で国を興し、民を扇動し、そして滅ぼす。

 しかも自らが滅ぼしたと高らかに宣言した破滅の王の逆襲を受けて、だ。

 一体何人の人々が死んだのだろうか? 一体何人の人々が今なお苦しんでいるのだろうか?

 自分たちが始めておきながら後始末もつけずに逃げるとは、いかなる理由があっても決して許されない。

 クレーエは聖職者としての責務以前に一人の人間として、二人の聖女がしでかしたことに強い怒りを感じていた。


 破滅の王がもたらした災禍は消し去らなければいけない。

 かの邪神がいまだ健在である以上、マイノグーラと最も近い場所にあるこの南方州は依然として驚異が存在している。

 南への備えも必要であるし、先より混乱続きの北部大陸の安定をはかるにはどう考えても戦力が足りない。


 中央の聖都、その奥深くで祈りを捧げる依代の聖女が動かぬ以上、今後邪悪なる勢力との戦いには必然的に日記の聖女が駆り出される。

 エル=ナー精霊契約連合の情勢も決して座視できぬ状況の中、眼の前で所在なさげに佇む少女の肩にどれほど大きな責任がのしかかるか……。

 彼女の周りを取り巻くその状況に、クレーエが抱く焦燥感は鈍い頭痛さえ引き起こす。

 だが始めなければならない。

 出来ることから、それしか彼女には許されていないのだから……。


「――ネリム」


 クレーエは隣に居た少女に声をかける。

 顔の高さを合わせるためか、わざわざ膝を折ってまで語りかけるその表情は相変わらず感情を悟らせないものであったが、先程までの険はどこにもない。


「あっ、はい。なんでしょうかイムレイス異端審問官」


 だがその返答に、クレーエの表情が僅かに曇った。

 先ほどまで感情など存在していない人形かのような態度をとっていたクレーエが、初めて自らの内にある思いを表に出したのだ。

 そしてそれは不思議なことに、深い悲しみであった。


「まずはこの地を治めようと思います。破滅の王が残した爪痕はあまりにもむごたらしい。袂をわかったとはいえ、この地に住む人々は元はといえばクオリアの民。捨て置くことは神が決して許しません」


 悲しみのまま、何かを確認するかのようにクレーエは自らの報告を続ける。

 その瞳はじぃっと聖女ネリムへと向けられ、それはどこか相手の様子を観察するようにも見受けられる。


「華葬の聖女ソアリーナさまと、顔伏せの聖女フェンネさまの捜索は一旦保留といたします。彼女たちがどのような考えでこの地を離れたかはわかりませんが、人を割くには余裕がない」


「えっと……」


 キョロキョロと視線を周囲に這わせたネリムは、慌てたように日記を捲る。

 そして何かを探すかのようにその内容を確認し始めた。

 クレーエはその姿に静かに目をつむり、やがて何かを振り払うかのようにまた静かに瞳を開く。


「そう……またなのですねネリム。それは実に良くない」


 日記を捲る手を遮るようにそっと手を差し伸べる。


「確かにあなたの力ならこの地の人々を救うことができます。最も神に近い力と呼ばれるその日記の力なら……」


 日記を読むことを止められたことに驚いたのか、くるりとした無垢な瞳がクレーエを捉える。

 純粋で汚れを知らぬ、澄み渡ったその瞳を見つめながら……。


「でも忘れないで。その代償は途方もないもの。小職はあなたに――その日記の力だけは使って欲しくないと思っているのです」


 そうどこまでも悲しそうに。イムレイスは小さな聖女へと語りかける。


「あの……?」


「こちらの話です。――それから、小職のことはぜひクレーエとお呼びください。あまり堅苦しいのは嫌いですので」


 ぎこちない微笑みを浮かべ、クレーエは立ち上がる。

 どこか暖かさの感じるその態度に、ネリムはつい自らの内に秘めていた不安を漏らしてしまう。 


「あの、お父さ――あっ……」


 だがその途中で小さな聖女は言葉に詰まった。

 聖女になった時から自らの養父との関係性は断たれた。

 特定の誰かではなく万民の守護者たれ。聖女としてのあり方から外れ、父の安否を気遣うその態度を責められると思ったのだ。


「あう……申し訳ありません、イムレイス異端審問官――」


「クレーエです」


「うう、クレーエ……さん」


 じぃっと、無機質な瞳がネリムを射抜く。

 その視線に耐えきれず、注意や叱責を受けると思わずギュッと目を瞑った彼女の頭に、優しくのせられたのは他ならぬクレーエの手だった。

 不器用でぎこちないが、そこにはたしかな温もりがある。


「あ、あの……クレーエさん?」


「大丈夫。あなたのお父上はきっと見つかります。それだけの代償をあなたは今まで神に捧げてきたのですから……だからきっと、大丈夫ですよ」


 クレーエのその言葉は、まるで小さな聖女リトレインに言い聞かせるようで……。

 なによりクレーエ自身に言い聞かせるようであった。



=Message=============

レネア神光国が滅亡しました。


華葬の聖女ソアリーナが行方不明になりました

顔伏せの聖女フェンネ=カームエールが行方不明になりました

―――――――――――――――――

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