第八十二話:怪人(1)

 神光国レネア聖騎士団団長、上級聖騎士フィヨルド=ヴァイスターク。

 旧クオリア南方州にて最高の名誉と権限を与えられたその騎士は、かつての威厳と覇気に満ちた表情とは裏腹に、ひどく憔悴しきった様子で配下の騎士からの報告に耳を傾けていた。


「一般信徒居住区、第3地区の4番です。連絡が途絶えている下級聖騎士ビークと、候補生のフランコかと」


 場所は騎士団本部。今回の騎士団員連続殺害事件のために用意された大広間に作られた臨時の指揮所だ。

 様々な情報が記載された書類が壁や床に貼り付けられ、鬼気迫る表情の騎士団員や聖職者たちによって情報の精査が行われている。

 南方州における聖騎士団と隷下の兵士や聖職者。彼らの威信をかけた闘いが、今まさにここで行われている。

 その最前線、全ての情報を集約せんと不寝の番人と化している男は、決死の努力にもかかわらずまた起こってしまった悲劇にギリと強く歯を鳴らす。


「そう、か……彼らの遺体に関してなにか情報は上がっているかね? ケイマン医療司祭はなんとおっしゃっている?」


「はい、相変わらず火炎によって焼き尽くされております。ただ以前に比べて顔の損壊など冒涜的行為は確認されませんでした。司祭曰く、おそらく純粋に殺害のみを目的にしている可能性が高いとのこと」


 騎士団員の殺害は終わっていない。相手は相変わらず未知なる方法で神の戦士たちの命を奪い、闇から闇へと渡り歩いている。

 聖女たちへの高らかな宣言とは裏腹に、被害だけがいたずらに増えるのが騎士団の現状であった。


「殺害を目的……我々の数を削りに来ているということか? しかし複数人で警らに当たらせてなおこうも一方的にやられるとは、目撃者に関しては?」


 問われた年若い聖騎士は静かに首を振る。その代わりに「ただ」と一言付け加え、手元の報告書に視線を落とし内容を確認する。


「周辺の住民に聞き込みをしましたところ深夜に男性の争う声を聞いたとのことです。おそらくここが殺害時間かと」


 殺害時間の特定は比較的容易に行える。それは毎回のことだ。

 だが目撃者だけがなぜか一切確認できない。それほどまでに鮮やかな手腕とも言えるが、だとしてもなんの予兆も無いのは不気味にすぎる。


「不審者の情報などでもいい、この時間帯になにかおかしい点はなかったかね?」


「残念ながら。それに人々の間でも騎士団員を害する怪人の噂は広まっております。地区担当の司祭が独自に夜間外出禁止令を出していることもあり、この件に関しては他の件にも増して情報は少ないでしょう」


 すでに名と実力のある聖騎士含め十数人がその被害にあっている。

 時として白昼堂々と行われることすらある騎士団員殺害は、本来であれば何らかの予兆があってしかるべきだ。

 その殺害の前後に一切痕跡がない。これではいくら聖騎士団と言えど相手のしっぽを掴むのは困難を極めるであろう。

 まるで人ではないかのような振る舞い、故に誰からともなく名付けられたそれは……。


「レネアの怪人……か。栄光ある聖騎士団が無様なものだな」


 行き詰まりを感じたフィヨルドは小さくため息を吐いた。

 この頃えらく老け込んだ。

 それは肉体的な面よりも、どちらかと言うと精神的な面が大きい。


 再度ため息を吐く。

 あれほどの啖呵を切った手前、今ここで聖女たちの力を借りることはできない。

 フィヨルドは清廉潔白で信仰厚き聖職者の鑑とも言える人物である。

 だがその体が石でできているわけでもなく、心が陶器でできているわけでもない。

 彼はれっきとした人間であり、名も知られぬどこかの誰かたちと同じように泣き、笑い、怒り、喜ぶ存在だ。

 だからこそ、誰しもが持つような羞恥心が拭い去れず事態がより悪い方へとずるずる引きずり落ちてゆくさまを眺めることしかできない。

 本来であれば、このような己の弱さを律することこそが聖騎士に求められる素質なのだろう。

 しかしながら過ちを犯さぬ人間などいない。

 完全完璧などという言葉や行いは、他ならぬ神の領分である。


 フィヨルド=ヴァイスタークは他人より心が強いだけの、どこまでいっても普通の人間であった。


「フィヨルドさま……」


 苦悩に満ちたフィヨルドを見て、報告を行っていた聖騎士もまた沈痛な表情を浮かべる。

 聖騎士団の団員たちもまた、同じく人間であった。

 彼らはフィヨルドの判断が間違いであると理解しつつ、彼に否をとなえることができずにいる。

 尊敬する騎士団長を支えたいという強固な仲間意識に加え、その進言を行った際の周りからの目や責任を押し付けられることへの危惧と保身があったためだ。

 だからこそお互い目を合わすばかりで何も言えず、彼らもまたズルズルとここに来てしまった。


 本来であればこのような問題を避け、軌道修正をはかるため告解や懺悔の制度があるのだが……。

 残念なことに今までそれら罪の告白を聞いていた仕事に不真面目で暇な聖職者はおらず、身内の失態をもみ消しその栄光に陰りなしと保証する蓄財が趣味の聖職者もまたいなかった。


 屍は彼らの足元に横たわっている。

 死したる者は何も言わない。故に彼らがたしかに担っていた役割を伝える者は、もはやどこにもいなかった。


 結局のところ彼らの捜査は一向に進んでいない。

 ただ当てもなく穴を掘り、落胆とともに埋め戻す。

 そんな無意味に思える苦行にも似たやり取りを何度も行い、貴重とも言える時間がただいたずらに消費されていく。

 明確に敵対者が存在すると分かっているにも関わらず。

 答えは薄暗いヴェールに包まれたまま、一向にその姿を見せはしない。

 その間に、仲間は次々と焼かれていく。


「……火か」


 鈍った頭でしばらく報告の内容を反芻していたフィヨルドは、気が付かぬうちにポツリとつぶやいた。

 騎士団員は全員が火によって殺されている。

 無論その事実は団員全員が知るところであり、魔なる火に対する聖なる防御手段なども用意している。

 加えて複数で警らに当たらせているのは安全性を高めることもあるが、何より逃げて仲間へと知らせることを想定したものだ。

 今回であれば聖騎士ビークがレネアの怪人と対し、その間に騎士候補生のビークが逃げて仲間を呼ぶ手はずになっている。

 無論そのことは全員が承知の上であり、情報の収集が第一であることに否を唱える者は誰ひとりとしていない。

 しかし現実はそれら全ての対策が不発に終わっている。


「相手は知れず、逃げることもできず。我々の監視と警戒の目を抜くように、一方的に……焼き尽くす。一体どのように」


 ただ……。

 フィヨルドには少しだけひっかかるものがあった。

 何かを見落としている。というよりもなにか違和感を覚える。

 それが何かは分からない。


 実のところ、彼は破滅の王イラ=タクトが未だこの世界に留まっているという恐ろしい可能性をエラキノより密かに教えられていた。

 この一連の事件が、それらイラ=タクトによる魔の手である可能性が高いこともまた、知らされていたのだ。

 だからこそ日に日に奇妙な違和感が強くなっていくことをフィヨルドは焦燥感を持って受け取っていた。

 もしかしたら自分たちはなにか致命的な間違いを犯しているのかもしれない。だがそれがなにか分からない。

 魔の手はすぐ目の前までやってきているのに、自分たちにそれを見る術は存在していない。

 その事実が、仲間の仇を討てない不甲斐なさが、何よりも歯がゆかった。


「少し休憩してくる。神への祈りも行うので、できれば誰も通さないでくれたまえ」


 目頭を揉みながら、フィヨルドは気分を変えるために席から立ち上がる。

 頭を整理したかった。神への祈りを行えば、この頭痛のような違和感も拭えることが出来るかもしれないと考えたためだ。

 自分が自分でないような、そんな奇妙な感覚の答えを知ることができるかもしれないと。

 フィヨルドはもう何度目かになる、そんな淡い期待を抱いた。


「わかりました偉大なる騎士フィヨルドさま。その、しばらくでしたら指揮はこちらでなんとかしますので……」


「すまない、頼む」


 年若い聖騎士のぎこちないフォローにすら満足な返しをすることができず、聖騎士団長フィヨルドは指揮所を後にした。


 ………

 ……

 …


 パタンと扉が閉じられる。

 あれほど大きいと思っていたはずの背中が小さく見え、残された聖騎士は自分の考えを振りほどくかのように頭を左右に軽く降った。


「よしっ、故人の動向を再度洗いましょう。見逃しがあるかもしれません。兵士たちにも市民への調査をもう一度行うよう通達します。今度は多少こちらの事情を打ち明けることも必要かと思いますが皆様はどうお考えか?」


 フィヨルドの穴を埋めるために聖騎士はなけなしの気力を振り絞り相談を始める。

 今回もまた仲間が減った為、そのフォローも必要なのだ。

 加えて新たな対策も必要だろう。全てをフィヨルド任せにはできない、少なくとも彼の助けになる案を今のうちにまとめておきたい。

 そう気炎を上げるが、その出鼻をくじくかのように扉が勢いよく開かれる。


「失礼します!」


 現れたのは騎士団に所属する一般兵だ。

 服装から伝令などを主任務とする者と思われたがやけに息を切らせて慌てた様子を見せている。

 その態度に何事かと視線が集まる。

 伝令の兵士は、自分よりもはるか上の身分である聖騎士たちの視線を受けギョッとした様子を見せると、小さくつぶやいた。


「その、王都より……使者が参っております」


 今度は聖騎士たちがギョッとする番であった。

 ついに来たかという思いと、まだ放っておいて欲しかったという思いが同時に交差する。

 王都、つまりは聖王国クオリアからの使者である。

 議題はもちろん此度の離脱と建国、つまりは神光国レネアに関する詰問であろう。

 ただでさえ敵対者が国内にいる現状でクオリアの対応をするには問題が多く、万が一内情を知られては内政干渉を受ける可能性するあった。

 そうなればいわゆる裏切り者である聖騎士団の団員が、神光国レネアが迎える末路は悲惨なものとなる。

 彼らはなんとしてもこの問題を隠蔽しなくてはならなかった。

 その為、もっとも重要な事柄が存在していた。

 すなわち……。


「それで、誰がお越しになられたのかね?」


 再度騎士団員たちが驚き目を見開く。

 そこにいたのは先程退室したはずの騎士団長フィヨルドであった。


「フィヨルドさま! 先程自室に向かわれたばかりですが、もうよろしいので?」


「ああ、どうやら休んでいる状況でもないようだ。そこの君、私も話を聞こう」


 思わず助かったと内心で胸をなでおろした騎士団員たちを否定することはできない。

 流石にこの場面で何らかの決断を独自に行えるほど彼らは経験が豊富でも胆力があるわけでもない。

 どちらにしろそんな権限もないわけだから、フィヨルドを呼びに行くのは確定事項だったわけだ。

 ある意味で渡りに船と言ったところだろう。


 騎士団員たちは静かに事の成り行きを見守る。

 クオリアが寄越す人物で相手がどの程度今回の問題に介入するつもりかが判断できる。

 相手によってはこちらのコネなどが通じる可能性もある。

 袖の下が通るようであれば、一番良い。

 だが騎士団員たちの興味とは裏腹に、伝令の男は何やら言い淀んでいる様子だった。


「どうしたのだ? どなたがお越しになったかでこちらも準備が必要だ。突然のことで慌てるのも分かるが、安心して冷静になりたまえ」


「――さま、です」


「ふむ、済まないがもう少し大きな声で頼む」


 小さな声である。身体能力に優れるとは言え、疲労が溜まった騎士団員たちの聴力では聞き取れないような声。

 不思議そうに首を傾げながらフィヨルドが再度尋ねると、ふるふると震えていた伝令の男はやがて意を決したように今度は大広間にいる全員がハッキリと聞き取れる声でこう叫んだ。


「に、日記の聖女リトレイン=ネリム=クオーツさまです!!」


 その言葉に、事態を見守っていた聖騎士や兵士たち全員からざわめきが起こる。

 おおよそ予想しうる限りの最悪の名前が放たれた。

 この状況下において、クオリア聖女からの接触。

 難題に藻掻く自分たちが更に泥中に引きずり込まれるであろうことが確定した。

 今後は更に難しい舵取りが必要になってくる。

 間違えれば亡国は免れぬ。それだけの相手。

 聖騎士たちが祖国が迎える新たな局面に一様に苦虫を潰したかのような表情を見せる中、南方州にこの人ありと謳われた上級聖騎士フィヨルド=ヴァイスタークもまた同じように眉間に皺を寄せ……。


 誰にも気づかれることなく、静かに嗤った。

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