第八十一話:火事場泥棒(2)
「ぐわーーーっ!!」
夜も更けた頃合い、フォーンカヴンによる魔物討伐隊の野営地にて無垢にて無鉄砲な少年の叫びが木霊す。
「なんで勝手に部隊を動かすような真似をしたんだいこのお馬鹿! この状況で動くだなんて国を滅ぼしたいのかい!?」
天幕の中央で正座をさせられ、巨大なたんこぶを頭に作っているのはフォーンカヴンの指導者であり杖持ちのペペ。
対するは同じ杖持ちで彼の指導役でもあるトヌカポリだ。
牛頭の老婆は、毎度のことながら突拍子もないことをしだす眼の前の少年に怒髪天を衝く勢いで説教をおこない、その行動を咎める。
いつもより容赦がないのは、彼が行ったことの重要性と危険性を加味したがゆえだ。
「いやぁ、ちょっと新しい土地がほしいなって思ったので。このタイミングならイケるんじゃないかと僕の中の悪魔がささやきまして!」
あっけらかんと言い放たれたその言葉に二の句が継げず、思わず絶句する。
そんな適当な理由で軍を進軍させられてはたまったものではない。
子供がおもちゃを欲しがることとは違うのだ。
トヌカポリは頭を抱え、フォーンカヴンが突き落とされたこの状況をなんとか反芻し理解しようと努力する。
(土地は……確かに重要だ! ドラゴンタンを譲渡した今、フォーンカヴンの支配域は縮小している。マイノグーラから提供された兵器によって国防の見通しもたった今、北部大陸の肥沃な土地は魅力的さね。だが残念ながら理由としては弱いね)
フォーンカヴンがわざわざここで軍を進める必要性は実のところそう多くない。
土地に関しては南部大陸に手つかずのものが広大に存在しているのだ。
無論それらは荒れた土地で作物の育ちが悪い、上等とは到底言い難い粗悪なものだ。
だがマイノグーラと共同で開発している大地のマナと大地の軍事魔術を利用すれば、それらの肥沃化と開発も十分に行えるのだ。
であればわざわざ火種となる場所に手を出す必要はない。
確かに未知の魔物については懸念はあろう。かつてフォーンカヴンを苦しめた蛮族の大侵攻を彷彿とさせる現象はすぐさま調査が必要な緊急生の高い事象だ。
だからといって聖職者たちの庭先でこれ見よがしにやることではない。
それどころかすでに庭の中まで入っての軍事行動だ、問題にならないはずがなかった。
ペペは馬鹿だ。
馬鹿で考えなし、目上への礼儀はなってないし、突拍子もない事をいつもしでかす。
だが愚か者ではない。
それどころかフォーンカヴンをひきいるにあたって、重要な局面では常に最善の選択を行ってきていた。
よしんば本人がただのお気持ちで行動した結果だったとしても、結果として重大な意味が秘められていたことは枚挙にいとまがない。
今までそうだった、であれば今回もそうである可能性は高い。むしろあの行動の素早さを考慮するに無策ではないことだけは明らかだ。
その糸口を、トヌカポリはなんとか見つけ出そうと試みる。
「ペペ。何を考えているんだい? 流石にこれ以上誤魔化しは駄目さ。そろそろ企みを聞かせな」
「うーん……」
ペペは天然でありながら類い稀ない政治センスを有している。
そんな彼がここで軍を侵攻させる危険性に気づいていないはずがない。それが直感であれ……いや、直感に優れた彼であるからこそだ。
であれば必ず持っている。
この危険きわまりない決断を後押しするだけの材料を。
聞かせたくないのか、それとも聞かせられないのか。
何やらうんうんとうなり続けるペペに対して、その口が軽くなるよう慣れたものとばかりに老婆は追撃を放つ。
「今のマイノグーラはちょっと事情が事情だ。何らかの問題を抱えているだろうに、うかつに動くと相手の機嫌を損ねるよ? あんたもお友達に嫌われたくないだろう、そこはどう思っているんだい?」
「あっ、タクトくんからは相談の上で直接許可もらってるんで大丈夫ですよ」
トヌカポリは再度頭を抱える。
まったく大丈夫ではなかったからだ。
フォーンカヴンは杖持ちたちによる合議によって国家の運営方針を決める。
件の老人たちはもうすでに隠居気味で対外交渉や国家の舵取りについては後継であるペペに任せる腹積もりであることは半ば周知の事実だ。
だとしても国家の方針をこうもポンポンと決められては流石に問題が多い。
しかもだ。相手はかの破滅の王。報告ぐらいはちゃんとせよと言いたい。
(と言うかいつの間にイラ=タクト王と会談を持てた!? かの王は暗殺未遂事件以降姿を見せていない。臣下たちの拒絶もありフォーンカヴン側ではその行方を把握していない。ペペのお目付役からもそのような報告はないし、どういうことさね)
むくむくとトヌカポリの中で疑念が湧いてくる。
まず話の流れをまとめてみる。
マイノグーラとフォーンカヴンによるドラゴンタン譲渡式典にて、イラ=タクト王は何者かによって暗殺されかけた。
その後、かの王の無事は臣下であるエルフ―ル姉妹から内々に連絡を受け確認したが何故か側近であるはずのアトゥの存在とともに行方をくらませている。
時を程なくして聖王国クオリアの南方州が聖女の主導により離脱。神光国レネアと名乗り建国を宣言した。
同時に北部大陸と南部大陸を分断するかのように未知の魔物が出現する。
(マイノグーラからの対応を考えるに、全ての情報がフォーンカヴン側に伝えられている訳ではないね。暗殺未遂事件とクオリアでの政変は別個の事象かと思っていたけど、もしかして繋がっているのかい!?)
ここに至り、トヌカポリは真実に到達する。
厄介ごとが二つも同時に起こったと彼女は思っていたが、実のところそれらはすべて一つの事象だったのだ。
パズルのピースがハマるかの如く、様々な情報が一つに向かって収束していく。
と同時に、トヌカポリの心臓はより鼓動を早め、心の中で警鐘がガンガンかき鳴らされ始める。
嫌な予想に思い至ったからだ。
神光国レネアなる国家は、聖王国クオリアを元にする新興国である。
かの国がどのような性質でありどのような法理を説いているかはわからぬが、少なくとも聖神アーロスを信仰していることは確かである。
クオリアと同じ神を信仰しているのであれば容易に手を出すことははばかられる。
かの国は南部大陸の国家や民族を下に見ている部分があり、頭が固くプライドに凝り固まった聖職者たちは聖神を信仰しない他国に神より賜りし土地を切り取られるという事実に耐えられないはずだ。
それがたとえ袂を分かった別の国家だとしても。
そしてクオリアが動けば同盟国であるエル=ナー精霊契約連合も動く。
北部大陸へ手を伸ばすということは、眠れる獅子の尾を踏むことと同義。
これが先程までトヌカポリが認識していた事実だ。
だからこそトヌカポリも今回ペペがやらかしたことに血相を変えてやってきたわけだ。
いくらマイノグーラと同盟関係にあるとは言え、クオリアやエル=ナーに真正面から敵対して生きのこる術はないのだから……。
だがその前提を覆す道筋が一つだけある。
例えばそう、戦争を行う余裕すら無いほどに激しい混乱が聖なる国々にて引き起こされると言ったある種荒唐無稽なシナリオだ。
そのような状況に陥るのであれば、むしろここで動かぬことは悪手に等しい。少なくとも後手に回ってはこちらにどんな悪影響が起こるか分かったものではない。
(そうか! 狙いは北部の肥沃地帯じゃなく北部と南部の接続地域。北部に蓋をするつもりかい!?)
トヌカポリは思い出す。
かつて破滅の王たる存在に初めて出会い、言葉を交わした時の畏れを。
自らの魂が感じた、這い寄るような得体のしれない恐怖を。
そしてかの王がその瞳の内に抱く、狂気的なまでの排他性を。
同盟であるがゆえに、少し忘れていたかもしれない。
相手は世界に破滅をもたらす終末の存在。破滅の王イラ=タクトである。
彼が、自らの敵対者にどのような裁定を下すか。
考えればすぐに分かることであった。
あれは、自らの敵対者を放置して良しとするような存在では決してない。
あれは、己が敵対者のその身ひとかけらが焼き尽くされるまで止まりはしないだろう。
それこそがトヌカポリが感じた、イラ=タクトという存在であった。
「言いな。どこまで聞いてる?」
トヌカポリは、今度は静かに問うた。
その瞳はまっすぐペペを見つめ、下手な誤魔化しは決して許さぬと言外に圧力をかけている。
ペペが描く図を……いや、破滅の王イラ=タクトが描く図を。
「いやいや。僕とタクトくんは友達ですけど、流石に何でもかんでも知っているって言うわけじゃないんだよ。親しき仲にも礼儀ありってやつですよ!」
「じゃあ何を聞いているんだい?」
やがて、ペペは観念したかのように両手を軽く上げると、彼にしては珍しく少し困った様子でその言葉を口にする。
「レネア神光国だっけ? あの国って、近いうちになくなるんじゃないかな! 文字通り!」
まるでそれがすでに決定された事実であると言わんばかりの言葉に、トヌカポリは事態の深刻さが想像以上であったとめまいを覚える。
クオリアとエル=ナーが存在する北部大陸。そしてマイノグーラやフォーンカヴン、いくつかの中小都市国家が存在する南部大陸。
その両大陸の接続地点である場所のすぐ側、すなわち両大陸の中心にて、全てを巻き込み爆発せんとする破滅の火種が、今まさにくすぶっているところであった。
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