第八十三話:怪人(2)

 騎士団の詰め所にある応接室では、少しばかり緊張した空気が漂っていた。

 一人はフィヨルド。

 誉れ高き騎士とうたわれし聖騎士団長フィヨルド=ヴァイスターク。

 対面するソファーに腰掛けるのは、齢二桁にようやく達したかと思われるような幼い少女であった。

 可愛らしく結われた三編みに、美しく煌めく法衣。

 服に着せられていると言った表現が正しいその装いは、彼女のオドオドとした態度も相まってどこか庇護欲をそそられてしまう。

 だがわざわざこの場に案内されたものだ。そんな感想を抱いて良い人物ではない。


「ようこそ、おいでくださいましたリトレインさま」


「あ、あう……はい、は、はじめまして、その……フィヨルドさま」


 目の前の少女……そう、少女と言って差し支えない娘こそが日記の聖女リトレイン=ネリム=クオーツ。イドラギィア大陸救世七大聖女の一人で、クオリアに所属する神に愛されし者の一人だ。

 少女の体躯が隠れそうなほどに巨大な書籍を大事そうに抱える彼女に対し、フィヨルドは挨拶もそこそこに主題へと切り込む。


「此度の来訪、クオリアの意向を携えてのものと思われますが、クオリア中央は如何に?」


 まずもって確認しなければならないのはクオリアの考えだ。

 水面下ではすでにクオリアとレネアは交渉を行っているが、あくまでそれは高くても枢機卿レベルでの話。

 クオリアの舵取りを行うのは彼らではない。更に上位の聖職者たちが最終的な判断を行うのだ。

 中央の司祭や枢機卿など所詮は手先でしかない。本体の判断こそ重要であった。


「よ、依代の聖女さまは、この件に関して興味がないみたい、です」


 その言葉にフィヨルドは「ほぅ!」と内心の驚きを隠さずに驚いて見せた。

 依代の聖女はクオリアにおいて最も重要な意味を持つ存在である。最初の聖女とも呼ばれる彼女は一部の高位聖職者しか謁見することを許されず、一説によると建国よりクオリアを見守っているとされる。

 クオリアの国家運営は三人の法王が主導となってその方針を決定するとされているが、何を隠そうその背後にいるのがこの依代の聖女なのだ。

 つまり彼女こそがクオリアの意志そのもの。

 その彼女が静観を選択した。まさに行幸。神の思し召しと言っても過言ではない。

 だがフィヨルドはその行動に少しばかり疑問を抱く。依代の聖女と面識はないが、いささか奇妙に感じられたからだ。


「しかし依代の聖女さまはなぜ?」


 フィヨルドの言葉にリトレインがビクッと肩を震わせる。

 特に語気を荒らげたわけでもないのにその怯えようにどのように対応して良いものかとほとほと困り果てていると、リトレインは彼女の二つ名の元ともなった大きな書籍――日記を素早くめくり出し、その内容を読み上げる。


「せ、精霊契約連合から、救援の依頼が来たんです。えと、ま、魔女ヴァギアと名乗る者と配下のサキュバスたちによる襲撃で、精霊契約連合は、あう……壊滅しました。依代の聖女さまはそのことにとても怒っていて、すぐに対応しろと」


「なんと! エル=ナー精霊契約連合が!?」


 どうやらイドラギィア大陸は自分たちが思っていた以上に混乱と混沌に見舞われているようだ。

 エル=ナーに不穏な空気が流れていたのはフィヨルドとてすでに知っている。

 それどころか市井の民はともかくそれなりの地位にいる聖職者の間では周知の事実だ。

 曰く新たな魔女による侵略を受けている……と。

 だがたかが魔女一人でどうこうなるような国ではないという信頼もまたあった。

 エル=ナーには聖騎士と同じ精霊闘士という存在がいるし、何より聖女が存在している。

 領土一面に広がる新緑萌ゆる深き森はエルフたちが最も得意とする地形であり、彼らの庭でもある。

 ありとあらゆる状況が、エル=ナーの勝利を示していた。

 だからこそクオリア中央も事態を把握すれど積極的に介入することはせずに静観の構えを見せていたのだ。

 聖なる同胞が、得難き盟友が、必ずや勝利を掴み取ると確信して。

 その願いが邪悪の前に脆くも敗れ去った。


「――なるほど、それは好都合」


「へっ? な、なにか言いましたか?」


 小さく漏らしたフィヨルドの声を、聖女が持つ超人的な聴覚で耳ざとく聞きつけたリトレインがびっくりした様子で問う。

 その反応にフィヨルドは動揺することなく、言葉を繋ぐ。


「いえ、それはとんでもない問題が起きたと申したまでです。未だ北方の魔女の行方すらわからぬ現状、さらなる魔女の出現は我々にとっても憂慮すべき事態。世界が確実に悪なるものに蝕まれつつあります。我々聖なる神の使いが世界の守り手として奮戦せねばならぬ時でしょう」


「えと……そうですね」


「さて、リトレインさま。もう少し詳しい話をお聞かせいただきたい。何分我らには情報が不足しております。ここで情報共有をし、邪悪なる存在への対策としましょう」


「は、はい……」


 若干歯切れの悪い返事にふむと頷き、フィヨルドはこのどこか気の弱そうな少女の真意を探るため話を続けた。


 ………

 ……

 …


 いくらか重要な情報を入手し、代わりに相手が求めているであろう情報を渡す。

 幼いリトレインが全て覚えられるとは思わぬし、万が一漏れがあっても問題だ。

 ただ彼女から聞いた情報は、世界が危機的状況下にあることを知らせている。

 よもやエル=ナー精霊契約連合が落ちるとはフィヨルドも思っておらず、今後の対応に関して修正を余儀なくされるだろう。

 しかしながら時間はわずかばかりだが残されているようにも思えた。

 北部大陸においてクオリアとエル=ナーの領土は隣接している。

 だが実際には間に巨大な山脈が両国を分断するかのように連なっているのだ。

 このため交流は山脈を突っ切る細く険しい道をゆくか、山脈北部もしくは南部をぐるりと迂回する形でしか行えない。

 クオリアが満足な情報収集を行わなかったのもこれが原因の一つであり、その地理的要因はそのままクオリアとエル=ナーを隔てる天然の要塞と化す。

 つまり敵に落ちたエル=ナーがこちらに手をのばすとしても自然と行軍に時間のかかる迂回ルートしか存在しないのだ。

 ただ南部大陸方面を経由して移動する南ルートを取られた場合、真っ先にぶつかるのはこのレネアになるのだが……。


(とはいえ……まず考えるべきは別だ)


 対応しなくてはならぬ問題が山積されるのはすでに周知のこと。その問題が一つ二つ増えたところで今更どうしようもない。たとえそれが生まれて間もない国家にとって致命的であってもだ。

 フィヨルドはどこかある種の冷酷さを持って、まず目の前の問題を一つ片付けることにした。


「なるほど、重要な情報感謝いたします。しかしながらリトレインさま。貴女さまほどのお方がわざわざ出向くほどのことではありますまい。よろしければ、こちらにいらっしゃった別の要件をお伺いしたい」


「あっ、えっと」


 彼女からもたらされた情報はどれも重要なことばかりであった。

 だが弱い。南方州が離脱し聖女が二人消えた中で、クオリアが保有する戦力はひどく少ない。

 依代の聖女が動けない以上、争いの全面に立つのはこの日記の聖女だ。

 精霊契約連合が敗北し、支配されたということはすなわちかつての仲間であるエルフたちがそのまま敵に回るということ。

 無論精霊契約連合に所属していた三人の聖女も含めて……だ。

 わざわざレネアに状況を知らせ協力を求める程度のことで、クオリアが保有する唯一の決戦兵器とも言える聖女を動かす理由がどこにもなかった。


 であれば本旨は別にある。

 例えばそう、目の前の少女が持つひどく個人的な事情など、だ。


「あ、あの……上級聖騎士ヴェルデルさまに会わせて……じゃなくてその、取次ぎを、お、お願いしたいのです」


 おずおずと、だがはっきりと告げられた目的にフィヨルドは内心で呟く。

 やはりか。

 どこか緊張気味の彼女を安心させるよう静かに頷く。

 そうしてフィヨルドは視線を少しだけ外し、彼女とヴェルデルの関係を思いだしながら神妙な面持ちで口を開く。


「ヴェルデル……ああ、ああ! なるほど。そう言えば彼はリトレインさまの元養父でしたな。これは失念しておりました。つまりはこの政変にてお父上がなにか面倒な出来事に巻き込まれていやしないかと、その身を案じていらっしゃるのですな」


「え、えと、あう……」


 コクリと縦に振られた首から肯定の意を受け取ったフィヨルドは、彼女が安心するようにとぎこちない仕草でなれない笑顔を無理に浮かべた。


「騎士ヴェルデルは現在この街で任務についております。無論、元気にしておりますぞ」


「あの、手紙送っても、ずっと返事なかったから……」


「なるほど。彼は最近まで独自の潜入任務についておりましたからな。おそらく職務上返信が叶わなかったのでしょう。決して貴女さまのことを蔑ろにしていたわけではありますまい」


「そう、ですか……」


 どこか安心した様子のリトレインを見つめながら、フィヨルドはこの幼い少女と聖騎士ヴェルデルの関係を更に思い出す。

 元々はなんの変哲もない貰い子と騎士の関係だったはずだ。

 敵対する派閥の司祭からの嫌がらせとして押し付けられたか、それとも父性と正義に目覚めたか、ともあれヴェルデルが孤児となった少女を引き受け父親代わりとして育てるという行為は、市民の模範としての振る舞いを求められる聖騎士にとって取り立てて珍しいことではなかった。

 問題は、彼の娘が神によって聖女として選ばれたということだ。

 その後は特に語る必要もない。

 嫉妬が原因か、政治的影響力を削ぎたい思惑が原因か、ヴェルデルとリトレインは離されることとなり、更には事実無根の醜聞まで流されるようになった。

 果ては親子関係の強制的な解消である。

 聖騎士ヴェルデルには味方が多かったが、それ以上に敵の多い人物でもあった。


 ただの娘として父を慕うリトレインと、ただの父親として娘を愛するヴェルデル。

 平凡なはずの関係とは裏腹に、取り巻く悪意は深く底知れない。

 それが……終わってしまった、とある一つの物語だった。


「えっと、それで、フィヨルドさまにお願いが……」


「ご安心くださいませリトレインさま。このフィヨルドに万事お任せを、騎士ヴェルデルに関しては貴女さまとお会いできるよう早急に手配いたしましょう」


 言われずともとばかりにフィヨルドが先に提案を持ちかける。

 この程度のことであれば今の彼にとってなんのことはなく、また目の前の哀れな少女の為にも最善と言えるであろうから。


「ほっ……本当ですか!?」


 食い気味に喜びの声を上げる少女に、フィヨルドは「ただし」と条件を付け加える。


「申し上げにくいのですが、貴女さまと騎士ヴェルデルの間にはあらぬ疑いがかけられていることもまたご理解くださいませ。無論私はそのような下劣な醜聞、悪心に惑わされた不信心者の戯言と理解しております。だが残念ながらそう思わぬ者もおります」


「その……えと?」


「迂遠に過ぎましたな。お許しを、歳を取るとどうしても話が長くなる。つまりはあまり表立ってリトレインさまに動かれると、少々良くないということでございます。こちらで万事取り計らいますので、騎士ヴェルデル――お父上に会われるのはひと目につかぬ場所でお願いしたい。よろしいですかな?」


「は、はい! そ、それくらいなら、だ、大丈夫です!」


 もはや彼女の心には父しかないのだろう。

 聖女は神から見いだされ、その祝福を受ける際に何らかの代償を払うと言われている。

 果たして彼女が払っている代償は何なのだろうか?

 唯一の肉親とは言え、これほどまで父親に執着していることにもなにか関係しているように思えた。

 ともあれ、今のフィヨルドにとってそれは些細なことであった。

 彼女にレネアに出現する怪人について知られ、巡り巡ってクオリアの介入を招くわけにはいかない。 その為には彼女の興味を父親に縛り付ける必要がある。

 幸い彼女も父親以外にさして興味はないようで、まったくもってこの提案は両得と言える内容だった。


「それは良かった。幸い我が部下は口が堅い。貴女さまがこのことを胸にしまっていただく限り、今日の事は誰にも漏れぬと断言できましょうぞ」


「は、はい……わかりました」


「奇妙な申し出に思われるやもしれませぬが、我が国も未だ改革の途上にあります。その中にあってこれ以上混乱が増すような情報はできるだけ隠しておきたいのです」


 なるべくわかりやすく説明するフィヨルドだったが、リトレインが少し困った表情を見せていることに気づき、しまったとばかりに顔に手を当てる。


「いえ、また話が長くなりましたな。では場所と時間をお伝えしますぞ」


 その言葉にぱっと表情を輝かせた少女は、何かを思い出したかのように胸元からペンを取り出し慌てた様子でそれらを書き記していく。

 それを満足気に眺めながら場所と時間を告げ、フィヨルドは今後の予定を組み立てる。


「リトレインさまが私を頼ってくださって助かりました。主張の細部は違えど同じ神を信仰する者。クオリアとことを構えることだけは避けたいでしたからな。特にエル=ナー精霊契約連合でそのような事変が発生しているのであればなおさらです」


「あ、ありがとうございます!」


「互いの国が持つ目的が同じであることを認識できてよかった。華葬の聖女さまと顔伏せの聖女さまへは私の方から伝えておきましょう。では、むさ苦しい場所で恐縮ですが騎士団員宿舎の空き部屋に案内しますゆえ、時間までそちらでお待ち下さい」


 流れるような自然な態度で、少女をエスコートし応接室の扉へと向かうフィヨルド。

 扉をゆっくりと開け、廊下の左右を確認する彼の背後から言葉がかかる。


「あ、あの……」


「いかがされましたかな? 気になることがあればどうぞなんでもおっしゃってください」


「レ、レネアの建国の際、神が降臨されたと、き、聞きました。その、神は本当にいるのでしょうか?」


 その言葉にフィヨルドは少しばかり驚きの表情を見せる。

 聖女が神の存在に疑問を呈するなどあってはならないことだからだ。

 リトレインも口に出してからまずいと思ったのか、アワアワと慌てながら誤魔化そうとしている。

 そんな彼女の様子に少しばかり表情を崩したフィヨルドは、心配ないと言葉にする代わり軽く首を左右に振り柔らかい笑みを浮かべる。


「ええ、神はおりますよ。そして我々のことをすぐ側で見守っていることでしょう」


 その言葉にどこか安心した様子でリトレインは胸を撫で下ろす。

 フィヨルドはその様子を少しだけ観察し、思い出したかのように彼女を案内するのであった。

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