第七十八話:覚醒
理想とは叶わぬものなのだろうか?
あらゆるものは犠牲なくしてはなし得ないものなのだろうか?
聖女という存在はその成り立ちにおいて必ず何かを神へと差し出している。
ソアリーナがエラキノに対してある種の執着を見せている理由は、その犠牲によるものだ。
同じくしてフェンネもまた自らが聖女として神に選ばれた時に犠牲を捧げている。
ただ幸福になりたいと願うことは、それほどまでにいけないことなのだろうか?
せめて人々は苦しみや悲しみを得ること無く平穏に暮らしてほしいと願うことは、これほどの試練を与えられるに相応するだけの過ぎた願いなのだろうか。
顔伏せの聖女フェンネは、誰も知らない問いの答えを探しながら、ぼんやりと聖騎士団長フィヨルドの報告に耳を傾けていた。
「以上です。ここ数日における周辺国家の動向の中で、特に重要なものをお伝えしました」
残りは我々で処理すると語る眼の前の男は、どれほど信頼に足るのだろうか?
結局のところあれほど息巻いた騎士団員殺害事件の解決もできず、ただ問題が後から後から押し寄せてくる。
こんな時に、一体自分は何をしているのだろうか?
「ドラゴンタンで破滅の王イラ=タクトの健在が確認された……ね。それは本人なのかしら?」
「恐らく偽物でしょう。国内の混乱を平定するには一番てっとり速い手です」
思索を挟まずして答えが返ってくる。
すでに騎士団内で検討した内容だったのか、はたまたはじめから指摘を想定していたか。
人の機敏に特段鋭いというわけでは決して無いフェンネでは、真実をはかることは叶わない。
「フィヨルド。その情報源はどこからのものなの? 聖騎士団は忙しいと聞いていたのだけれど」
ヴェールの下からフェンネの視線が聖騎士団長フィヨルドを射抜く。
どこか問いただすような言い草であったが、当の本人はさして気にした様子もなく答えた。
「ドラゴンタンは以前よりクオリアとの交流が深かったですからな。マイノグーラの支配下に置かれたとは言え、未だに情報を入手する手段はいくつか残っております。今回はそちらからとなります」
「そう……」
フィヨルドはフェンネがヴェールをそっとずらし片目で直接自分を見ていることに気がつき、驚く。
今まで決して素肌を晒すことのなかった彼女の突然の行動と、その下にわずかに見える嗄れた肌に一瞬ぎょっとしたが慌てたように取り繕う。
「むっ、いかがなされたか?」
「いえ、なんでも無いわ。忙しい中、迷惑をかけるわね。引き続き調査に向かって頂戴。……特に破滅の王が本物かどうかの情報がほしいわ。できれば早いうちに」
「かしこまりました。聖騎士団以外でも有能な者が幾人かおります。それなりの報酬を求める者たちですが、声をかけてみましょう」
「ええ、よろしく頼むわね」
報告は終わったことでフィヨルドが退室する。
その後に残るは顔伏せの聖女フェンネと、あとは静寂のみ。
「確認できたかしら?」
だが不思議なことに、フェンネは誰もいないはずのその場所でまるで同席者に問いかけるかのように口を開いた。
=Message=============
偽装を解除します
―――――――――――――――――
と同時に、いないはずの同席者の気配が現れた。
=GM:Message============
GM権限による要求により以下の情報を開示します。
上級聖騎士フィヨルド=ヴァイスタークが犯人かは不明です。
上級聖騎士フィヨルド=ヴァイスタークはレネア神光国に敵対していません。
上級聖騎士フィヨルド=ヴァイスタークは精神汚染や洗脳の影響下にありません。
上級聖騎士フィヨルド=ヴァイスタークは先の会話で嘘をついていません。
―――――――――――――――――
フェンネは現れた気配に目を向ける。
彼女が座るソファーの隣、先程まで誰も居なかったはずの場所には華葬の聖女ソアリーナと啜りの魔女エラキノが忽然と現れたかのように佇んでいた。
「今、マスターに確認したよ。騎士団長くんはシロ。……つまり、誰かの手先だとかどこかに洗脳されているとか、そういう怪しい点は一切無しってことだよ!」
「そう。彼には悪いことをしたわ」
遍く全てを魅了するその声音を少しばかり震わせ、フェンネはそう後悔の言葉を漏らした。
「……つくづく惨めなものね、信頼するはずの仲間を疑うのって」
「今の状況を考えれば、仕方のないことだと思います。フェンネさま」
フェンネの苦悩を慰めるようにソアリーナが言葉をかける。
気遣いにあふれる言葉ではあるが、それは自分たちを誤魔化すものでしかない。
想いはどうあれ、行動は明らかなのだから。
彼女たちはフィヨルド個人を疑っているのではない。
聖騎士団員全てを疑ってかかっていた。
必ず解決してみせるとフィヨルドが宣言してからすでに数日。犯人は愚か被害者すら分からぬ始末。
更にはうまく握りつぶされているようだがまた一人被害者も増えている。
これが自分たちのプライドを守るための騎士団による浅はかな隠蔽なのか、それとも何らかの暗躍が行われた結果なのかは定かではない。
ただ聖女たちはすでに聖騎士団では解決することが叶わぬと、その能力をなりふりかまわず用いて犯人と被害者の特定に奔走していた。
だがその結果は先の通り。
事件に関するあらゆる情報はなぜかゲームマスターの権限をもってしても暴くことが叶わず、ならばと様々な面から行う推論と検証も全てが無為に終わっている。
フェンネは窓の外を眺める。
日は高く昇り、小鳥が愛のうたをさえずり、人々の活気良い声が聞こえてくる。
至って平和で、平穏で、何の驚異も無く、恐れなど何処にもない理想の国。
だがこの国は現在、未知の存在によって明確な攻撃を受けていた。
「エラキノ。破滅の王についてはどうなの? あの状況から復活するとは決して思えないのだけれど……」
=GM:Message============
破滅の王イラ=タクトの生死について開示要求。
結果:不明
―――――――――――――――――
「イラ=タクトについては不明だよ。一切の情報が確認できない」
はぁと大きなため息を吐いてエラキノが首を左右に振る。
ここ数日はこのように調査三昧だ。あらゆる盲点を埋め、結論を求めようとするマスターとその結果を聖女たちへ伝えるエラキノは言葉に出さずともほとほと疲れ切っていた。
「不明ということは、生きているということじゃないのですか? わからないということはすなわち相手側が何らかの偽装を行っている証拠だと思うのですが……」
「それは違うよソアリーナちゃん。ゲームシステムについてはエラキノちゃんとマスターも完全に把握している訳じゃないから、プレイヤーが死んだあとにどの様な動きをするかわからないんだ」
「そうなのですね」
「それに他ゲームのプレイヤーとそこに強く影響される配下はそもそもこちらから影響を及ぼしにくいんだよ。恐らく、別ゲームのシステムの影響力が強いからこちら側からの干渉が難しくなるんだと思う。直接会えるのなら違うけど、遠隔で何かをするのは不可能っぽいね」
エラキノとゲームマスターは自分たちの出自を二人の聖女へと告白している。
TRPGというゲームの能力を持ってこの世界にやってきたこと、恐らく似たような境遇にある者たちが複数存在していること。
そしてそれら複数の者たちで勝者を決めるゲームをしていること。
はじめは荒唐無稽とも言えるその壮大な話に驚きと疑念を抱いていた聖女たちであったが、ある時をもってその言葉を事実であると確信するに至る。
古き聖女の神託書の中に、終末の訪れと題された身の毛もよだつ恐ろしい出来事が描かれていたのだ。
この世界を舞台とした神々の争い。
半ば眉唾ものや誇大表現とされてきた神託書の予言が本物ならば、この大陸全てを巻き込む争いが起きることを示唆している。
敗者が全てを失い、勝者が全てを得る。
人々の為にも、彼女たちは決して負けるわけにはいかなかった。
すでに賽は振られ、その駒は決して後戻りできぬところまで進んでいたのだ。
「結局のところ、どの線から攻めても分からず仕舞いということなのね。十分時間と余裕はあったのに浮かれて死体を確認しなかったのは、恐らく間違いだったのでしょうね」
珍しく苛立っているのか、フェンネが両の手を握ったり開いたりしながらつぶやく。
その言葉に意気消沈したかのようにソアリーナが顔を伏せ、彼女を気遣うようにエラキノが慌ただしく席から立ち上がる。
「でもでも、ソアリーナちゃんのつよつよな攻撃はイラ=タクトにばっちり効いたんだよ。エラキノちゃんも見ていたけど、あれで生きているはずがないよ! ねっ、ソアリーナちゃん?」
「はい、間違いなく神の炎はかの破滅の王を焼き尽くしました。それは確実です。ですが……もしかしたら」
死体を確認しなかったのは落ち度と言えば落ち度である。
だがあの状況で誰がイラ=タクトの生存を疑えようか?
絶対的な殺意と暴力をもって攻撃を加え、それは寸分たがわず相手に突き刺さった。
そこに疑問を差し込むのであれば、そもそも暗殺計画は土台から崩壊する。
イラ=タクトは間違いなく死んだ。間違いなく殺した。それが彼女たちが下した判断である。
しかし、いまやその判断こそが土台から崩れ去ろうとしている。
「イラ=タクトが生きているかどうかは不明。ただ何らかの驚異が存在していることは明らか。どうして騎士団員を個別に狙うだなんて回りくどいやり方をするのか分からないけど、敵がすぐそこまでやってきているのは確かよ」
すでにゲームマスターの能力を使ってレネアにとって驚異となる勢力の調査は済んでいる。
クオリアもエル=ナーも現状では様子見の状況で、他暗黒大陸の大小様々な国家や部族でも自分たちに敵対行動をとっている存在はいない。
となると、消去法で答えは一つに絞られる。
システムによる干渉が発生し思うように情報を得られないマイノグーラのみだ。
もはや放置しても驚異になりえないと捨て置いた国が、今は不気味なまでの存在感を放っている。
「一体何が今回の事件を引き起こしているのでしょうか?」
今一番考えられる状況は……他にイラ=タクトの配下が存在していた。というものだ。
破滅の王の由来がシミュレーションゲームであることは暗殺時に確認済みの情報だ。彼女たちが手に入れた汚泥のアトゥはその中で英雄というカテゴリに押し込められていたが、もしその英雄がまだ残っているとしたら破滅の王に成り代わって国を動かしている可能性はある。
その様にエラキノがマスターより伝えられた推察を聞き、聖女たちの表情が曇る。
英雄が残っているなど、それが破滅の王に成り代わって国を動かしているなど、そんな話は聞いていないという思いが浮かぶ。だがそれを指摘したところで何かが変わるはずもない。
寧ろゲームマスターもエラキノも、そして二人の聖女も散々情報を与えられ、更には情報を得られる立場におりながらその点について注意が届かなかったのが一番の問題であった。
全てを知る能力があるからと言って。全てに最適な解を出せるとは限らない。
おぼろげだった敵の存在が、じわじわと形をつくっていく。
「エラキノちゃんたちゲームの存在は、それぞれが激ヤバで激つよな能力を持っているんだ。その中でもゲームマスターが使ってる《裁定者》としてのの権能は向かうところ敵なしなんだけど。それは他がよわよわってことにはならないんだよね……敵がまだ残っているとしたら早く対処しないと」
事実、イラ=タクト襲撃の際にエラキノは際どいところまで追い詰められた。
ダークエルフたちも銃器によって武装していたし、イラ=タクトもあの状況下で瞬時に自分たちに対応してみせた。
僅差の勝利ではあったが故に、決して楽観視はできないのだ。
エラキノの独白に、二人の聖女は危機感を募らせる。彼女たちが乗り越えるべき試練は、未だ終わること無く続いている最中であった。
「一番不味いのは今後もマイノグーラが活発に活動することだよ。えっと……破滅の王をちゃんと倒したって実績がとっても大事なんだよねフェンネちゃん」
「そのとおりよ。破滅の王が率いし国であるマイノグーラが健在となると私達の正当性が疑われるし、万が一破滅の王が生きていたとなると全ての正当性が前提から崩れ去る。そうなってしまえば私達は虚偽の報告で国を興した扇動者。破門の上に命を狙われるでしょうね」
レネア神光国は破滅の王を退け、世界を襲う脅威から未然に人々を守った功績を持って国興しを半ば黙認されている。
神話レベルの偉業である王殺しが失敗であったとなると、彼女たちの立場は途端に危うくなる。
それはマイノグーラの活性化でも同様だ。もっとも神に近しい信徒である聖女に過ちは許されない。疑いの目をかけられることですら、彼女たちにとっては手痛いダメージとなりうるのだ。
だが彼女たちの協力者は神の信徒だけではない。魔なる者もまたその仲間であり、それこそが光明とも言えた。
「まっ! どっちにしてもまだまだエラキノちゃんたちのターンは終わっていないの! なんせこちらには前とは違ってすご~い切り札が存在するんだからね!」
「切り札? それは何なのエラキノ?」
「ふふふ、あれだよあれ、あれあれ!」
「「……?」」
二人の聖女が同時に首をかしげる。その様子がどこかおかしかったエラキノはぷっと小さく吹き出すと、今までの空気を吹き飛ばすかのようにことさら大げさにおどけてみせた。
「というわけで、早速ゲストを呼んじゃいましょう! マイノグーラよりお越しの、汚泥のアトゥちゃんです!!」
ここに至り、エラキノはとっておきの切り札を切ることにしたのだ。
………
……
…
夢を見ていた。
暗い暗い、闇すら存在しない暗黒の奥底で誰かに語りかけられる夢だ。
それはとても巨大で、とても恐ろしく、ただどこか戸惑っているようで……。
それは自分に何を言ったか? なんとか思い出そうとするが、記憶がひどく曖昧で霧がかったように明瞭としない。
ただはっきりと分かることがある。
その何者かの言葉は、どこか優しい気がしたのだ。
「……ここ、は?」
アトゥの意識が覚醒する。
何か大切な夢を見ていた気がするが、一向に思い出せない。
その代わりこの状況を理解しようと辺りを見回し、ようやく自分が置かれている境遇と環境を理解した。
「――お前たちは!!」
憎悪の言葉が走る。
同時に真っ先に目の前でヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべる魔女を突き殺してやろうと触手を伸ばすが……だが刹那その攻撃性は不可思議な強制力によって霧散する。
攻撃を止められたのではない。アトゥは自らの意思で攻撃をやめた。
「あー、ダメダメ。アトゥちゃんはエラキノちゃん達の仲間になっちゃったんだから攻撃なんてできっこないよ。いわば
チラリと辺りを見回す。
周りにいる聖女が自分を油断なく見つめているのを確認し、記憶を遡る。
自らの主を手にかけてしまったという後悔と、同時に憎いはずの彼女たちが仲間だという実感。
そしてマイノグーラはもはや自分の戻る場所ではなく敵であるという確信に至り、アトゥは自らが何らかの能力を持って所属を変更させられたのだと理解した。
「反吐がでますね。……攻撃を行えないどころか攻撃の意思すらわかない。いい気分でしょうね。そうやって相手の尊厳を踏みにじるのは」
「さぁ、どうかな? ただエラキノちゃんたちだって必死だったのさ。夢を叶えるためには力と実績が必要で、手頃なところに転がっていたそれに危険を承知でベットした。結果全てを手に入れたってだけの話♪」
互いの言葉に棘はあるが、張り詰めたような緊張感はすでになかった。
強いていうのであればあまり相性の良くない仲間同士が会話を始め、周りが少し意識していると言ったところか。
システムがもたらす恩恵は絶対である。
エラキノが持つ固有の能力である《啜り》によって完全に聖女陣営の所属となったアトゥは、反抗的ではあるものの完全に彼女たちの味方となっていた。
「力と実績……トロフィーになったつもりはないですが、まぁ今の私は囚われの身。そういえば仲間だから囚われているわけでもないですね――それで、わざわざこうやって意識を呼び覚ましたのですから、何かさせたいことがあるのでしょう?」
「ふっふっふ。察しがいいねアトゥちゃん」
思わせぶりなその言葉にアトゥは嫌そうな顔をする。
碌でもないことなのは明らかで、面倒ごとの予感がしたからだ。
「実はね! 君のかつての主、破滅の王と彼が支配するマイノグーラについて教えてほしいのさ!! 君たちが持つ能力を! 破滅の王としての権能を! そしてプレイヤー、イラ=タクトの全てを!」
ギリと歯ぎしりをする。エラキノの態度がひどく癪に障った。
アトゥはそもそも拓斗の生存に疑念を抱いてはいない。彼を傷つけたという罪悪感と後悔はあったが、あの程度で死んでしまったとは到底思えなかったのだ。
彼女が持つ拓斗への信頼は絶大である。
だが同時にマイノグーラ陣営が持つ能力の全て……拓斗の能力が明らかにされることの重要性も強く理解していた。
もし彼女がいまだマイノグーラ側であったなら致命的なその状況に顔を青ざめさせたことだろう。
しかしながらいまやアトゥは聖女たちの仲間。
むしろ自分と仲間のためにその情報を洗いざらい打ち明けることに抵抗はない。
「もちろん答えてくれるよね? だってエラキノちゃんとアトゥちゃんは仲間なんだから」
ただ仲間だったとしても……エラキノが浮かべるどこか見下しているかのようなヘラヘラとした薄気味悪い笑みだけは、アトゥに強い嫌悪感を抱かせた。
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