第七十六話:帷(とばり)(2)
フィヨルドが新たなる国の支配者である娘たちに件の事件を報告したのは、先の検死の翌日であった。
国家の運営に加え、様々な祭事や有力者との会談に引っ張りだこの聖女たちの時間を借りることができたのは奇跡とも言える。
とはいえこの場に現れた聖女はフェンネのみ。華葬の聖女ソアリーナは残念ながら面会が叶わなかった。
あとは……暇だからと野次馬根性が見え隠れする理由で何処からともなく現れたエラキノ位であろうか。
無論、フィヨルドはエラキノの参加も歓迎している。
彼女の未知なる力と見識は自分たち聖騎士を上回るものであるし、現に彼女の助力があってこそ数多くの不正を発見することができたのだ。
だが今回ばかりは彼女に力を借りることはできぬ。
「ええっ!? 聖騎士が殺されただって? 一体誰に?」
瞳を丸めながら驚きの表情を見せるエラキノに、フィヨルドは人知れず決意する。
「それは依然として不明です。ただ神聖なるこの街に下手人が入り込んでいるとし、騎士団の警備を厳としております。ここにおられないソアリーナさま含め、お二人に置かれましても警備の者を更に手配します。息苦しいやもしれませぬがどうかご納得の程を」
深々と頭を下げ、聖騎士団の団長としての判断を報告する。
これは窺いではなく結論だ。レネア神光国として新たな出発を果たしたこの国の、最も大事な時期に聖女たちを危険に晒すわけにはいかない。
この国は彼女たちなくしては決して成り立たない。
フィヨルドは未知の危険が彼女たちに及ぶことを恐れており、そのためには万全を期す腹積もりであった。
「警備の強化。それについては当然ね。むしろこの忙しい中で負担を更にかけてしまう貴方たちが心配だわ」
「ご心配ありませぬ。守るべきものを守るために、騎士団は存在しているのです」
顔伏せの聖女フェンネが静かに配慮の言葉を述べながらも彼の決断に賛同する。
動揺や驚きの見られないその声音にある種の頼もしさを抱きながら、フィヨルドは彼女の言葉に心配無用と断じた。
聖騎士団はそこまでやわではない。むしろ心配なのは彼女たちだ。
単体で聖騎士を超える戦闘能力を有する聖女と言えど隙というものは存在する。むしろ永遠に気を張り詰めていられる人間など何処にもいない。
だからこそ彼ら聖騎士団がその身命を賭して彼女たちをの隙を埋め、その命を守るのだ。
そんなフィヨルドの決意とは別に、フェンネの思考はまた別のところに向かっていた。
「それで……今回亡くなったのは誰かしら? 私の方からご家族に慰問文をしたためるわ。得体のしれぬ聖女でも、一時の気晴らし程度にはなるでしょう」
先の決断力溢れた態度とは裏腹に、フィヨルドは口を閉ざした。
「とんでもない。遺族は聖女さまの心優しき慈悲に触れ、その心の傷を癒やすでしょう」
そのように答えるべきだった。本来であればそれが当然の言葉である。
だが……。
「……申し訳ありませぬ。今回犠牲となった騎士はまだ分からぬのです」
フィヨルドから出た言葉は全く別のもの。
フェンネの自罰的な物言いを否定するでも咎めるでもなく、ただ謝罪の言葉のみを述べる。
聖騎士団長としてのあるまじき答えと、噛み締めた口元から聞こえるギリという小さな音が、彼の苦渋なる感情を如実に表していた。
その言葉に、フェンネはヴェールの下でわずかに眉をひそめる。
「……犯人が不明なのはまだ理解できるわ。どうして被害にあった人の素性がわからないのかしら? 遺体の状況は理解しているけど、聖騎士であるということは判明しているのでしょう?」
「おっしゃるとおりです。ですが現在の聖騎士団では各団員に様々な任務を与えておりまして、この街から国内への別の街へと派遣されている者などもおります。現在あらゆる手段を用いて連絡を取ろうとしているのですが、恥ずかしながらうまく機能していないのが実情なのです」
「そうね、死にすぎたものね」
本来聖騎士団は事務屋ではない。彼らの仕事は担当する教区内の治安維持や、都市内外に発生する問題への武力対処。要人警護、そして外界から訪れるであろう驚異への防人である。
にもかかわらずここ最近の聖騎士団はもっぱら事務仕事が主となり、領内の警備活動など本来の業務が疎かかつ場当たり的になっている嫌いがあった。
理由は分かる。果敢な決断は、同時に大きな歪みを生み出したのだ。
否……今までの歪みが大きかったからこそ、元に戻るためにもがき苦しんでいるのかもしれない。
不正を行った数多くの聖職者の粛清は、それだけ事務作業を行う人員の消失を意味し、同時に不正の検証と改善はより多くの作業を生み出す。
こと金勘定と帳簿処理に関しては確かに有能であったのだ、現在天上で審判をくだされているであろう者たちは。
それだけではない。
レネア神光国は欲張りすぎていた。最初から完璧な国家運営を目指す余り、それに伴う混乱と問題の発生を推測できなかった。
連絡の不備や手順間違い、果ては担当者の忘失まで。
本来であれば仕組みで補助するところを、様々な変更が同時に行われる改革期にあってはそれも叶わない。
だからこそ、誰がどこにいるのか? 今どの様な状況で任務を行っているのか?
そんな初歩中の初歩とも言える状況把握が満足にできずにいた。
もし……例の殺人事件の下手人がこの事実を知りながら犯行に及んだのなら。
きっとそれは恐ろしいほどに頭が回る人物なのだろう。
そんなことを考えフェンネが何か自分たちに出来ることはないかと思案していると、助け舟が思わぬところからやってきた。
「うーん! じゃあエラキノちゃんがズバッと解決してあげようか? 騎士団長くんは知ってると思うけど、実はエラキノちゃんはこういう調査が大の得意なんだよ! まるで答えを知っているかのように、ぱぱっと解決さ♪」
奇手であった。
フェンネは自分たちの陣営が持つ手札の凶悪さを思い出し薄く笑う。
そう、これがあるからこそ彼女たちレネア神光国はこの無謀な夢を叶えることができたのだ。
あらゆる事象の結果を思い通りに強制できる能力。
エラキノがゲームマスターと呼ぶその人物が扱う力はまさに神の所業と言っても差し支えないもの。
少なくとも聖女たちが束になってもその力の前には膝をつかなくてはならぬだろう。
だからこそ……彼女たちは無敵だ。
この事件も、一切の痛打をレネアにもたらすことなく解決される。
にもかかわらず。
「申し訳ございませぬ。それは辞退させていただきたいのですエラキノ殿」
「ほえっ!? な、なんで? 答え知りたくないの?」
エラキノは目をパチパチと瞬かせながら驚きの表情を浮かべている。
フェンネもその意見に同意だ。取れる手を取らぬなど愚の骨頂である。
だがフィヨルドとて何も伊達や酔狂で言っている訳ではないことはその態度から分かった。
「エラキノ殿。聖騎士団にとって仲間の団員とは神の威光の下、共に正義の誓いを行った特別な存在なのです」
真剣な表情で、フィヨルドは語りだす。
その瞳の奥には、様々な感情が混在しているように見て取れる。
「神の剣であり人々の盾。その誇りが此度の事件によって傷つけられたのです。これは我がレネア聖騎士団だけの問題ではありませぬ。我らの不徳によって、神への反逆が行われたのです」
エラキノとフェンネは押し黙った。
この国は聖神アーロスを主とする宗教による国家としてクオリア時代より脈々とその歴史を重ねてきた。
それは邪悪なる者共との戦いの歴史でもあり、神への信仰を捧げ続ける祈りの歴史でもある。
だからこそ正当な理由なき聖職者への攻撃は、すなわち神への攻撃と取られるのである。
フィヨルドの願いは単純だ。聖騎士団でこの問題を解決することだ。
そこにはこれ以上聖女たちに迷惑をかけたくないという思いと、仲間を無残にも殺された怒り。何よりも神の剣を自負しながらむざむざと邪悪なる者たちに後れを取っている事実に対する正義感の暴走があった。
神への信仰。そして聖騎士団としてのプライド。
この両方がかつて南方州にてその人ありと謳われた上級生騎士フィヨルドをもってしても、その目を曇らせることとなっていた。
「団員に何かあれば、我ら聖騎士団は神の怒りのもとにその汚名を必ずそそがねばなりません。それは仲間である我らの役目。……無論エラキノ殿が仲間ではないと言うつもりは毛頭ありませぬ。しかしながら、これは我々の戦いなのです」
深く頭が下げられる。
むやみと高位の役職にある者がこの様な行動をするべきではないが、逆に言えば今回の願いはそれほど重要であるとも言える。
フィヨルドが頭を下げたままの姿勢で「どうか我が願いを受け入れていただきたい」と告げ、そのまま押し黙る。
誇りや想いは、道理を覆す……。愛は時として愚かであり揺るぎない。
どこかで聞いた詩篇の内容が、一瞬フェンネの脳裏をよぎる。
この場で言えば、仲間への同胞愛といったところか。フェンネは静かに瞳を閉じ諦める。
「むーっ……」
だがこれに納得がいかないのはエラキノである。
せっかく自らが助け船を出してやろうとしたのに素気なく断られたのが若干気に食わないのだ。
彼らの想いはまぁなんとなく分かるし、エラキノだってソアリーナが同じ目にあったとすれば必ず自らの手で復讐を果たしたいと願うだろう。
だがそれが可能であるかどうかは別問題だ。
話しぶりを聞くに未だ相手の素性の推測すらできていない様子。果たしてそれで勇猛果敢な言葉を現実のものとすることが出来るのだろうか?
被害にあった聖騎士とやらも、もしかしたらエラキノが知っていたり話をしたりした人物である可能性だってあるのだ。
それだけでもひどく不安なのに、万が一にでも更に被害が広がれば……。
有り体に言えば、彼女は聖騎士団のことを心配していた。
「残念ねエラキノ。ここは彼に譲ってあげなさい。貴女のお気に入りなんでしょ?」
フェンネの横やりが入った。
彼女の心境がどうあるかはわからないが、さっさと会話を切り上げたいという思いだけはなんとなく感じられる。
きっと、これ以上自分が何か文句を加えたところでどうにもならないだろう。
付き合いを重ねるうちに、この聖女も聖騎士団長もとても頑固な人物であることを理解していたから……。
エラキノはもはやどうにもならないとばかりにわざとらしい仕草でため息を吐いてみせると、ぱっと手を広げておどけた態度を取る。
「しっかたないなーっ! でもダメだと思ったらすぐにエラキノちゃんに頼るんだよ♪ まだまだみんなにはお仕事してもらわないとダメなんだから。これ以上騎士団員のみんなも危ない目にあうの禁止だから! 分かった?」
「ありがとうございます。エラキノ殿」
結局のところ、しこりの様な不安だけが残る会談となってしまった。
エラキノとしてはさっさと解決すべきだと思う、そうしようと考えていた。
だがフィヨルドの願いも共感できるのだ。
その思いの間でまだ人生経験が浅い彼女は揺れ動き、なんとも言えない歯がゆさのようなものを感じていた。
「警護の仔細については後ほど。そして此度の事件、必ずや解決してみせましょうぞ。聖騎士団の誇りにかけて。……では私はこれにて失礼します」
「ええ、神の祝福が貴方にありますように」
「ばいばーい!」
やがて手本の如き恭しく丁寧な礼を見せながらフィヨルドが退室すると、エラキノはフェンネが座るソファーの前までわざわざやってきておどけて見せる。
どうにも誰かと話をしたい気分だったのだ。
なぜか得体のしれないものがすぐそこまで這い寄ってきている気分すら、感じていた。
「いやぁ、まるでミステリーだねフェンネちゃん! あっ、ミステリーっつてもわからないか。謎だね謎! 一体誰が犯人なのだ!?」
「それ、早速で悪いけど貴方のマスターに頼んで答えを聞いてくれるかしら?」
「え? ええっ!?」
絶叫が応接室に響き、慌てて口を閉ざす。
いきなりテーブルをひっくり返された。先程のやりとりは一体何だったのだろうか?
それどころかフェンネ本人がフィヨルドの言葉を受け入れてエラキノを説得したはずである。
啜りの魔女と呼ばれた少女は、ここに来て混乱の極みに達していた。
「あら? 聞こえなかったのかしら? 貴女のマスターに答えを聞いてと言ったのよ」
「いや! ちょ、ちょストップストップ! 団長くんや騎士団のみんなの想いは!? ってかさっきのやりとりはなんだったの!? めっちゃ納得感出してた感あったじゃん! 聖騎士団の誇りにかけて、事件を解決するって言ってたじゃん!」
あわあわと慌てながら煩く文句を言うエラキノにフェンネは一瞬呆れたように浅く息を吐くと、騒ぐ魔女とは反対に静かにその真意を語る。
「誇り……ね。美しく耳心地のよい言葉だわ。けれど信念や願いのために危険性の高い手段を取るわけにはいかないの。万が一彼がしくじった場合、その代償は人々の命なのかもしれないのだから」
エラキノとで理性ではその主張を理解している。当初は彼女も同じ感想を抱いていたからだ。
だが今では感情の部分では納得していなかった。あれ程の決意をこうも簡単に無碍にすることが、果たして正しいことなのだろうか?
一体どちらの言い分を受け入れるべきか?
彼女はフェンネが考える時間を与えてくれていることを良いことに、早速自らのマスターへと意見を窺う。
『ね、ねぇねぇマスター! これって一体どっちが正しいの!? ってかエラキノちゃんわかんないよ! マスターはどっち派!? ファイナルアンサーは!?』
答えは程なくして返ってくる。
だが彼もまたフェンネに同意であった。そのことがより彼女の孤独感を肥大化させ、なんとも言えない気持ちになってくる。
聖騎士たちの、フィヨルドの想いを軽視し裏切った気持ちになったからだ。
ソアリーナやフェンネと同様に、彼女にとっていまや聖騎士団の団員たちも立派な仲間である。
その仲間に対してこの様な不誠実、この様な謀りごとを行って良いものか?
決して裏切らず、最後まで見捨てず真摯でいるのが仲間というものではないのか?
この場にソアリーナがいればきっと自分の味方をしてくれるのに。そんな子どもじみた我が儘な感想を抱く中、フェンネは幼子に言い聞かせるようにエラキノへと語りかける。
「大丈夫よ。時としてこういう嘘も必要なの。私たちで答えを知って、そうして彼には黙っておきましょう。万が一があればことだもの」
「けど、あんまり気分は良くないよ……」
「純粋なのね貴女は。そうね、じゃあこうしましょう。私は好奇心な旺盛なの。今すぐにでも答えが知りたい。そこで貴女に無理を言ってお願いする。あくまで私の我が儘よ。貴女は悪くないわ」
やけに強引である。
あまり己の意見を強引に通すことのないフェンネが見せる態度としてはいささか珍しいものがある。
それだけこの問題に危機感を抱いているのだろう。
確かに何も分からないという状況は危険すぎる。
自分たちの能力が絶対的であり、すでにマイノグーラと言うプレイヤー勢力を撃破しているとは言え、未知の勢力が出現している可能性は十分にあるのだ。
そして間違いなく強力な能力を有しているであろう相手に先手を取られるのは確かに致命的だ。
ゲームマスターとしての支配力は他の追随を許さない強力無比なものである。
だからと言って気を抜いて良いという理由はどこにもなかった。
説得はフェンネだけでなく、ゲームマスターからも行われている。
彼自体はエラキノの意見も尊重したいという体であったが、その本心が答えを知ることに賛成であることは容易に分かった。
どうやら彼女の味方はここには居ないらしい。
「お願いエラキノ。貴女とマスターの力が私達には必要なの。ソアリーナがこれからも平穏に暮らすために。
それを言われては立つ瀬がない。彼女の名前を出されてはずるい。
一定の譲歩をされている点もエラキノを納得させる一因となった。
なんだかうまく丸め込まれたような気もするが、ここはうまく話に乗っておいていいだろう。
何より、皆が皆お互いの無事と平穏を願っての行動であることは明らかだったのだから。
そしてエラキノは決断する。
マスターに願い、誰も叶わぬ無双の力を行使することを。
「むぅ……仕方ないなぁ。本当に仕方ない! 仕方ないんだからね!! じゃあマスター! マイゲームマスター! ちゃちゃっとお願い! チートで裏技で完璧な答えを、ズルして最初から知っちゃうよ! サポートよろしくね♪ 《占い》!!」
=Message=============
エラキノの《占い》判定
1d100=【78】 判定:成功
―――――――――――――――――
=GM:Message===========
ゲームマスター権限行使。
ダイス判定を放棄し、確定成功とします。
判定:クリティカル
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全ては暴かれる。
騎士団員殺害の下手人も、その意図も。
どの様な謀りごとも絶大なるその能力の前には逃げること能わず。
エラキノは少しばかりの罪悪感と、自分たちが絶対者であるという興奮。
そして一体どの様な秘密がそこにはあるのか? という強い興味で答えを確認してやろうと意識を集中し――。
=Message=============
結果:騎士団員殺害の犯人は不明です
―――――――――――――――――
「……は?」
その結果に、ただ素っ頓狂な驚きの声を上げた。
「……? どうしたのエラキノ? もしかして意外な人物だったの?」
ありえない。そんなことはありえない。あってはならない。
意味が分からずぐるぐると思考が回転する。何が起こった? という疑問だけが答えなく脳裏をさまよい、もしや自分たちがミスをしたのでは? とすら疑念を抱く。
「じゃ、じゃあ誰が死んだの? それ位なら分かるでしょ!? マ、マスター!!」
叫び、その声を待たずに彼女の主が裁定を下す。
=GM:Message===========
ゲームマスター権限行使。
クエスト情報の強制開示要求。
騎士団員殺害事件に伴う被害者の名前を表示せよ。
―――――――――――――――――
=Message=============
結果:殺害された騎士団員は不明です
―――――――――――――――――
暗い暗い闇は、すぐそこまで来ていた。
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