第七十五話:帷(とばり)(1)

 聖なる者たちが日々の生活を営む都市は、神の街というその呼び名から来る印象とは違い非常に煩雑とした都市設計が為されている。

 これは何もわざとその様な設計が行われたということではなく、古い時代から様々な部分で増改築、補修、再設計が行われているために都市そのものが複雑化しているのが原因であった。

 レネア神光国の首都となった旧クオリア時代南方州最大の都市であるここもまた同じ病理を抱えている。

 大通りならまだしも、住宅街や旧商業区にでも行こうものならば曲がる路地一つ間違えるだけでまったく反対の方向に向かってしまうこともざらで、地理に明るいはずの地元の人々ですら知らぬ道が存在するといった有様である。


 その様な入りくねった路地の突き当たり。

 2階建ての住居に囲まれて陽の光があたらない薄暗く不気味さの感じる場所に、上級聖騎士であり聖騎士団の団長であるフィヨルドは近隣に住まう住人の案内のもと訪れていた。


「お待たせしました。ケイマン医療司祭」


「おお、これはフィヨルド聖騎士団長。お待ちしておりました」


 その場に何人か居た聖職者の中で最も年老いた男が返事をし、地面にあった何かから視線をこちらに向けるとゆったりとした所作で立ち上がり深々と礼を向けて来た。

 この教区を担当するケイマンという名の医療司祭である。

 ……医療司祭とは主にクオリア内で医療業務に従事する者を指し、ここレネアでも引き続き同じ業務行っている者たちだ。

 人々を苦しめる病と怪我に対して深い知識を誇る彼らは、以前は中央からの指示に従って様々な指導を行っており、現在は聖女たちの指示に従って国内の様々な医療活動に従事している。

 聖職者の中でもかなり特殊な立ち位置にいる彼らは、非常に高い知識水準を要求される専門職であるためその職務は多岐にわたっている。

 一般的な診療から助産指導。市場に流通する食料品の毒性や腐敗の検査。

 長らく平和だったこの時代にあっては前例は少ないが、戦時ともなれば軍医として従軍することもある。

 そしてもう一つ、彼らにとって重要な仕事があった。


「こちらが、例の?」


「はい、神の御許へ旅立った者となります。この者に永遠の安らぎが訪れるよう、どうかフィヨルドさまも祈りを……」


 沈痛な面持ちで視線が向けられた先にあるそれは、原形がかろうじて分かる程に炭化した焼死体。

 様々な理由で不自然な死を遂げた死体の検分もまた、彼らの仕事であった。


「無論。では失礼します」


 その言葉に合わせ、司祭たちとフィヨルドに同行していた聖騎士たちが静かに瞳を閉じる。

 死したる者への敬意と、その魂を導くことは聖神アーロスを信仰する彼らの役目だ。

 迷わず神の御許へ逝けるように、聖職者たちの祈りと聖句は厳かに流れる。

 やがてフィヨルドによる簡易的な葬送句が終わり、誰ともなく頷き儀式の終了を告げる。

 静かに瞳を開いたフィヨルドは、強い正義の意思を宿した瞳で焼死体を見つめると「それにしても」と言葉を続けた。


「……あまりにも、酷い。一体何が」


「全身の打撲による骨折、刃物による裂傷がございます。その上で生きたまま全身を凄まじい炎で焼き尽くされております。この様なやり口、おおよそ人間の所業とは思えません」


 むしろ魔物の所業に近い。フィヨルドの直感はそう告げていたが、不安を煽り立てる様な言葉は決して口に出さない。

 それはすなわち、一人の人間をここまで損壊させる程の邪悪がこの街に潜んでいることを意味するのだから。

 ふと、フィヨルドは辺りを見回す。死体以外に燃えた跡がないことに気づいたのだ。


「殺害現場は……ここではないのですかな?」


「人のみを限定的にここまで炭化させる技など、私は皆目聞いたことがありません。数多くの魔を滅ぼし、様々な邪なる者にも見識深き騎士団長はいかが見られますか?」


「申し訳ありませぬ。私とて、これほどのものは……」


 炎の魔術の使い手となればいくらか心当たりはある。炎を吐き出す魔物も知らぬわけではない。

 だがここまで強力なものはさしものフィヨルドとて知識の外であった。

 それだけではない、この死体から見られる異常にフィヨルドは戦慄を感じられずにはいられない。

 焼け焦げた跡ばかりが目につくが、彼の瞳は想像を絶する力で破壊されたであろうその体の痕跡を決して見逃しはしていなかったのだ。


「フィ、フィヨルド団長!」


 何から手を付けるべきか。おおよそ想定外の事態に問題事への対処に慣れたフィヨルドとてしばし勘案の時間を要する。

 その沈黙の間を縫って、同行してきた若い聖騎士団員の一人が血相を変えて叫ぶ。


「何かね? この光景に驚くのは分かるが、ご遺体の前だ。もう少し静かにしたまえ」


「か、彼は……、その、彼は!」


 軽く振り返って確認した先の表情はただただ驚きが浮かんでいる。

 だがフィヨルドも彼の動揺に対してむやみと注意することはない。若い時分は経験不足であるし、何より今回の事件は被害者が問題だ。

 そう……。


「その死体の聖騎士は、一体誰なのですか!?」


 死体は、聖騎士のものであった。

 炭化しその体型はおろか性別すら判別できぬほどに焼き尽くすれた遺体であったが、獄炎に晒されてなお一部原形を留めている聖騎士鎧がその者の所属を雄弁に語っている。

 邪なる者への剣であり盾である存在。聖神アーロスの信徒とその国が絶大なる信頼を置く戦いの徒。圧倒的強者であるはずの聖騎士が、その場で死体となって倒れ伏している。

 だが彼は誰なのか? 一体誰が被害にあったのか?

 この場でそれを知るには何もかも情報が足りなかった。


「判別出来るものは残されておりません。唯一残っているのが、炭化し一部が溶解した聖騎士鎧でしょう。勇猛果敢で恐れを知らぬ聖騎士がよもやこのようなことになるなんて……」


 若い聖騎士の悲鳴にも似た問いに、ケイマン医療司祭が変わり口を開く。

 だがその唇が微かに震えていることから、恐ろしい事態にどう判断を下して良いのか分からぬ様子であった。

 その後もフィヨルドは医療司祭とともにいくつかの検分を行う。

 何か遺品などが残っていないか、本人を確認できるものがないかを調べたが結局は分からずじまい。

 特に顔面は念入りに破壊されているようで、故意かどうかは分からぬが故人の判別を更に困難なものとしている。

 唯一判明した事実は、この被害者が恐らく中級~上級の聖騎士であるというより深刻さを強調する事実だけだった。


 中級の聖騎士はリッチに、上級の聖騎士ともなると下位のドラゴンに匹敵する強さを誇ると言われている。

 遺体の損傷具合から並大抵の存在による犯行とも思えず、となればこの街に何か恐ろしい化け物が入り込んだと考えるしか他はない。

 もしくは何か組織だった犯行か……。


「遺体をこの教区の教会安置所へと移送してください。難しいやもしれませぬが、引き続き検死を頼みます。その上で、何か分かればこのフィヨルドまで直接連絡いただけるようお願いしたい」


「かしこまりました。神に誓って」


 大事にならなければよいが……。

 怨恨。未知の悪鬼。他国の暗殺者。様々な可能性が考えられる。

 未だレネア神光国は不安定な立場に置かれている。

 この様な状況下で一体神はどのような試練を与えようとなさっているのか。


 フィヨルドは言いようのない不安を抱きながら、看過しがたきこの事件を聖女たちに報告するために大聖堂へと向かうのであった。

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