第六十三話:再建(2)
ドラゴンタンの所属がマイノグーラとなってからおおよそ二週間。
移譲に関する混乱は引き続き存在しているものの、ようやく担当する人員にある程度の慣れが生まれなんとか業務が軌道にのった頃合い。
引き続きこの街における最重要人物とされてしまった都市長アンテリーゼ=アンティークは、以前に比べ整理整頓された執務机で今日も仕事と格闘していた。
「都市長、書類をお持ちしました。都市住民の基礎教育に関する草案です」
「ありがとう。そこに置いといてー」
明け放たれた都市長室にノックもせずに入ってきた文官見習いの男が白く澄んだ紙の束を執務机に置く。
作業を一旦中断してそれら書類をざっくりと確認したアンテリーゼは、緊急の案件が無いことを確認すると机の片隅にある"未処理"と書かれた箱の一番下へと放り入れる。
その様を目の前で見ていた男は、早速後回しにされた哀れな案件に同情しながら疑問を挟んだ。
「良いので?」
「ん? ああ、これ住民の教育に関する草案よ。《学習施設》の建築が決定されたから将来的に基礎学力を上げる為の仕組みを作る予定なの。まぁ今急いで手を付ける案件じゃないからとりあえず保留。あっ、ちょっと他所の部署に届けてほしい書類があるから待ってて」
そう言いながら戸棚より書類の束をいくつか引っ張だし始める。
以前のような雑多な執務室から打って変わって、現在の都市長室は整理整頓が行き届いているためその動きに迷いはない。
書類を持ってきた文官。この男はいつぞや都市の見張り台の上で会話を交わした縁より都市庁舎の職員として抜擢された元衛兵だ。
おおよそらしからぬ人事ではあったが、この様な例が現在のドラゴンタンでは数多く見られている。
都市の防衛をマイノグーラの異形ユニットに任せることができている為、現在大幅な人事再編が行われているのだ。
今は何を持ってしても都市を動かす頭脳が必要だ。そのため文字を読めて書ける人材ならば片っ端から都市の事務職員として引っ張っている。
元衛兵の男もこの大改革に巻き込まれた一員だ。本人は無駄に頭を使うこの仕事を嫌がっている様子だが、いかに横暴で前例の無い人事であっても辞令が下れば首を立てに振らねばならぬのが宮仕えの辛いところでもある。
なお相方の獣人は幸か不幸か選抜のため行われた試験で満足な結果を出せなかったために衛兵続行となっている。
給料は加増が見込めるとは言え、覚えることは以前の仕事に比べて段違いだ。
今まで半ば休眠状態だった脳みそをフル回転させる必要がある現在の仕事に、思わず元同僚への恨み節すら出てしまいそうになる。
そんな内心の小さな不満を新たなる主であるマイノグーラへの忠誠で塗り潰しながら、元衛兵、現文官見習いの男はマイノグーラが強く推し進めている改革の一助にならんと全力で職務にあたっている。
とは言え慣れない仕事ではあらゆることが手探りで、今までとは正反対の業務内容もあって毎日失敗と混乱の連続だ。
今だってアンテリーゼが保留とした案件がどの程度の優先度と重要度を持っているのか推し量れず難しげな顔をしている。
「しかしまぁ……基礎学力向上に関する草案ですか。確か一般市民にもいろいろ教えるって話なんですよね? こういうのはもっとお偉いさんがするものだと思っていたんですが……」
「最低限の知識は必要よ。何より王の臣下たる国民が字も読めない有様じゃあ示しがつかないしね。アンタも王の顔に泥を塗らない程度には知識をつけておきなさいよ」
「が、がんばります……」
確かにそう言われては反論することもできない。とは言えどうにも肌に合わない部分がある。
王への忠誠と勉学への苦手意識の間で揺れ動きなんとも言えない表情を見せている男にチラリと視線を向けながら、アンテリーゼは内心で急速に変化する世界を感じ取っていた。
(将来的にどの様な産業に従事するとしても、基礎学力は必要ってことよね。最低限文字の読み書きができないと、そもそも円滑に業務を習得させることすら難しいもの)
マイノグーラ本国がドラゴンタンに対して様々なテコ入れを行っていることは都市運営に関わるものならば周知の事実だ。
その範囲は多岐にわたり、多くの金、人材、資材が使われている。
ここまでであればある程度は理解できることであったが、彼らが特に驚いたのは将来的にとはいえ住民への教育を強く推し進めている点であった。
それは今までは特に必要でないとされていた労働者層にも波及しており、旧来の考え方を持つ殆どの者からは戸惑いと困惑の声が聞かれる程だ。
知識層の増加は、すなわち新たな概念とブレイクスルーの獲得につながる。
これはマイノグーラがどれほど新技術の研究を重要視しているかを示す証拠であり、同時に教育に国力を割けるほど豊かで強大であるかの証左でもある。
無論、彼女が知るマイノグーラ本国の規模ではそのような大それた施策を行うには些か無謀にも思えた。
では何がその無謀を可能へと変貌させているのか。
答えは一つ。偉大なる破滅の王イラ=タクト。
全ては彼女たちの新たなる指導者がもたらす深淵なる叡智と力によるものであった。
(というか、マイノグーラ本国からいろんな知識を授けてもらって、改めて教育の重要さを感じるのよね。特にフォーンカヴンは北大陸の国家に比べて技術力で劣っているから、王が教育を重視するのもすごく理解できちゃう)
フォーンカヴンが技術力で大陸北部の国家に遅れを取っていたのは大陸南部における過酷な環境が原因だった。
土地はやせ細り作物は実り難く、凶悪な蛮族が命を奪い去らんと跋扈する。この地はそういう危険のある土地だったのだ。
教育とは金と時間と労働力を食う。かつての祖国、フォーンカヴン時代においては子供と言えど重要な労働力だった。
一通り言葉が喋れるようになれば、親や家庭の仕事を手伝うのが一般的であり、その中で行われる徒弟的な指導によって次代の職人や労働者を生み出すのだ。
そのため市民にとっての教育というのは一部の金持ちや特権階級だけに許された道楽的な意味合いが多分にあり、多くの人はこの過酷な土地でなんとか今を生き残るだけで精一杯というのが実情だった。
だがそれもマイノグーラという国家の庇護を受けることによって、すなわち破滅の王イラ=タクトがもたらす恩恵に与ることによって一変している。
ある意味でドラゴンタンとその住民たちは、初めて文明的な生活を送ることができているとも言えた。
「しかし、何もかもがすごい勢いで進んでいくんで、なかなかついていくのが難しいですよ」
とはいえ、その変化は急激の一言であり。毎日が衝撃の連続だ。
昨日まで見ていた街の一角が翌日にはまったく違う景色に変わっており、慣れ親しんだ手続きと仕事のやり方が明後日には別のものへと変更されている。
新たに生まれ変わるという表現がこれほどまで適切だと思わせる程に、現在のドラゴンタンは変革の渦中にあった。
「本国より供給される無限にも等しい食糧と資材。なによりあのでたらめな能力を持つ銃を配備した部隊があるからこそ、出来る施策よね」
見習い文官の言葉に半ば同意しながら、アンテリーゼはこの急激な施策を進めることが可能となっている要因の一つ。銃兵部隊について考える。
すでに選抜された精鋭によって構成される都市の銃兵は最低限の習熟訓練を完了しており、街周辺の警備と共に国内に侵入してくる蛮族の駆除にあたっている。
その威力は絶大の一言であり、以前のように田畑が荒らされる様なこともない。それどころか周辺地域に存在している蛮族の巣を根こそぎ駆逐せん勢いだ。
この調子なら街の外に大規模な農地を有する村落を作ることも可能だろう。
もっとも、現状はドラゴンタンの都市機能を再建することが先決だが。
アンテリーゼはすでに決済が終わった書類を担当部署ごとに分け付箋を貼る。
と同時に目の前の男に先日依頼しておいた重要な業務を思い出した。
「そういえば、他国の情報収集に関してはどの様な感じかしら?」
ドラゴンタンの都市は混乱と混沌のさなかにあるとは言え、鎖国の如く閉鎖されているわけではない。
当然フォーンカヴンとの交易も続いており、更には以前より行っていた北大陸の行商などとのやり取りも継続されている。
情報とは時として金以上の価値を生み出す。
アンテリーゼは人手が足りない中でも、予算と人員を割いて他国の情報を収集するよう命じていた。
無論この件についてはマイノグーラ本国、ひいてはイラ=タクト王からの直々の指令である。
彼女としても万が一にでも中途半端な仕事となって王の不興を買うようなことがあってはならないと、気軽さのある質問とは裏腹に内心では気が気でなかった。
「向こうの都市の様子や噂話程度ではありますが、順調に集まってきておりますよ」
「へぇ。意外ね。もっと難航するかと思っていたわ。情報源は行商や傭兵かしら?」
「おっしゃるとおりで。連中、金になると思ったら何処からともなくやってくるんですよ。しかもいつもよりやけに値段が高い。ありゃあ完全に足元を見てますね」
「マイノグーラ本国からの支援が厚いとはいっても、足らないものももちろんあるわ。幸い資金はあるんだし、多少割高になっても買っておいていいんじゃないかしら? その方が口も滑りやすくなるでしょう」
予想していたよりもスムーズにことが運んでいるようでアンテリーゼはホッと胸をなでおろす。
邪悪なる国家ゆえ、行商などが警戒するかと思ったがそんなことはなかったらしい。
現在ドラゴンタンはある種の移行状態にある。
将来的にはもっと悍ましい外見や雰囲気になる可能性があるらしいが、現状を見ると大規模な再建が行われているものの以前のドラゴンタンの面影を強く残している。
その様なある意味で中途半端な現在の状態が、彼ら行商の警戒心を緩めているのかもしれない。
もっとも、本国の様子を考えるに将来的に彼ら他国の者たちがどう判断するのかは未知数だが。
「了解です。じゃあ後ほど担当の者に行商より購入する物品の目録と見積もりを持って来るように伝えておくので、よろしくおねがいします」
ともあれ現状は情報の収集も物資の購入も問題なく出来る。
そしてそれは今のドラゴンタンとマイノグーラにとって重要な事項だ。
アンテリーゼは文官の言葉に頷き、優先的に処理するよう伝える。
「けど目録と見積もり……ねぇ。こういう細々した作業、本当に増えたわよね」
「言った言わないだの、誰の責任だだの、そういう面倒な話をする手間を考えたら、安い作業では?」
「確かに。徹底した管理と仕組みのもとに運営される組織って面倒ごとが少なくて素敵よね。裁可のためのサインも日々上達してるし、文句の付け所はないわ」
「というわけで、そろそろ都市長が書かれた素晴らしきサインを日夜頑張る者たちへと届けたいのですが?」
「はいはい。これよ、持っていって頂戴」
少しばかり雑談に興じてしまっていたようだ。見習い文官からの咎めるような指摘もなんのそのでアンテリーゼはすでに用意が終わっていた書類を渡す。
用が済んだとばかりにさっさと退室していく男を見送りながら、アンテリーゼは机の下から酒瓶を取り出すと堂々とその蓋を開ける。
「さてっと、お仕事お仕事。お酒飲みながらお仕事しちゃうぞ~っと」
◇ ◇ ◇
【ドラゴンタン都市開発計画及び呪われた大地に関する注意事項】
都市開発の進捗は概ね予定通り。
住民の流出で増えた所有者不明の空き家を国家にて一括で接収し、然るべき補修を行った上で住居を求む住民へと提供する。
また旧スラム街等の倒壊の危険性がある建物は破棄の予定。
将来的にマイノグーラ固有の性質"呪われた土地"の影響で土地が変質する可能性が高いため、住居の強度は高めに設定しておく。
同時に《魔法研究所》《市場》《練兵所》等固有建築物の生産も継続して行う。
龍脈穴に関してはマイノグーラ及びフォーンカヴンによる調査と検証、今後の運用方針の決定等時間がかかる為、現状では立ち入り禁止区域として区分するのみとする。
【食糧生産計画】
ドラゴンタンによる既存食糧生産力では都市の需要に対して供給が極めて乏しく、栄養及び発育状態に問題がある住民が多数存在している。
その為、当面王が生み出す栄養価の高い食糧を優先して供給することを主とする。
また同時に都市の食糧状況改善策として人肉の実の普及を目指し、市民が新たな食文化に慣れ親しめるよう市中の酒場などに人肉の実を利用した料理の採用について積極的に協力を仰ぐ。
【国家内街道敷設計画及び同盟国への流通網整備計画】
マイノグーラ首都及びドラゴンタンへ街道を施設し、物流の円滑化を図る。
起伏が激しく巨木による整備が困難な大呪界の開発が主となり、こちらは本国の整備部隊が行う。
ドラゴンタン側も担当者を派遣して協力と検討を行うが、基本は街の整備と再建が優先される。
また、同時にフォーンカヴン首都クレセントムーンへの流通経路の策定及び整備も行うものとする。
【情報収集】
街に存在する酒場及び食堂、宿の全てをマイノグーラ直轄とし情報収集の要所として運用する。
また店主や従業員に関しては簡易の専門教育を行い、より上質な情報収集を可能とする人員を育成する。
目標は仮想敵国である聖王国及び精霊契約連合の国内情報及び動向。次点としてフォーンカヴンやその他南大陸に点在する小国の情報。
情報収集に関しては本国直轄とし、ドラゴンタンは指令に基づき情報を収集する役目を負う。
◇ ◇ ◇
並行して進められている作業は多岐にわたる。
マイノグーラ本国より指示されたそれらの情報を吟味し、順次処理していく。
およそ全てが既存の都市運営とは装いを新たにした新事業であり、どれもが軽視出来るものではない重要案件だ。
これら以外にも娯楽施設の建築計画、外壁の増築等都市の防衛設備の強化計画などが議題に上がっている。
もっともこれらは優先順位として一段回下になっており、現状では教育機関の設立と共に保留となっている。
「やることいっぱいだけど、希望があるぶん気持ちは楽よね~」
かつての様な自らの将来を不安視する状況ではないことが幸いであった。
マイノグーラの王が見せたその力は彼女らドラゴンタン住民になんとも言えない安堵感のようなものを与えており、ある種の麻薬めいた幸福感さえ覚えることもあった。
これが邪悪になるということなのか? と疑問に感じつつも、目の前の仕事を進めていくことに注力する。
しばらくは忙しい日々が続く。
ドラゴンタンは未だ譲渡の途中であり、所属の面ではマイノグーラであるものの、本当の意味でその支配下となるにはまだもう少し時間がかかる。
「ええっと。あの指令書、どこいったっけ? ――あったあった」
そしてその日は、この忙しさを考えるとあっという間に訪れるだろう。
アンテリーゼは本国から受け取った指令書を確認する。
【ドラゴンタン移譲式典及び――】
「……あと一ヶ月、か。無事に準備ができるよう頑張らないとね~」
満足するだけの報酬は与えられている。ならばこの身を削ってでも達成せねばならぬだろう。
アンテリーゼは王より賜った酒の瓶を愛おしそうに撫で、その中身を勢いよく呷る
おそらく、マイノグーラはおろか世界にとっても重要な意味を持つであろうその日に向けて、アンテリーゼも今一度身を引き締め職務に邁進するのであった。
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