第六十四話:懸念(1)
大呪界マイノグーラ首都役場
ダークエルフたちによって作り上げられた政策における実務処理を担う建物ではイラ=タクトの狙い通り文官が育っており、モルタールやエムルといった従来では内政に関わる業務を一手に引き受けていた者たちがおらずとも各種業務が円滑に進むようになっていた。
本日新たに増築された会議室にて、ダークエルフの文官数名がドラゴンタンの併合によって膨れ上がった業務を処理している。
「ドラゴンタンの再建計画は順調だな。獣人たちは力強く、こちらの指示もよく聞いてくれているので建築に関してはむしろ予定よりも早く進んでるよ」
少々疲れがあるのか、眉間を軽くマッサージしながら目の前の報告書を確認する。
机の上には大量の資料と、決裁書類。壁際には情報を整理するためのボードや地図がはられ、部屋の片隅には王より賜った「元気が出る飲み物」と称される原色の色彩が目立つ缶詰めされた飲料が山ほど積み上げられている。
一般的な感性を持つものであれば愚痴の一つでも言いたくなる状況なのだろう。
だが過去において苦難の道程を歩み、そして現在無上の喜びとともに王と国家に対して奉仕している彼らにとって、この程度苦のうちにも入らなかった。
身体的な疲労はやや見受けられるものの、それ以上に気力に満ちた瞳で彼らはドラゴンタン再建計画に関する進捗の確認と報告書や指示書の作成を進めていく。
「建物関連については問題なさそうだな。ただ、想像していたよりも住民たちの知識水準が低い。現段階では影響はないが、教育計画に関してはエムルさんに報告した方がいいだろう」
別のダークエルフが、顎先に手をやりながらふむと口に出す。
上司であるエムルより彼らに振り分けられた仕事は、主にドラゴンタンにおける内政面の采配全てにわたる。
無論大きな方針と優先順位は王であるイラ=タクトが決定しているし、その情報をもとにエムルが業務の振り分けを行っている。
最終的には上の確認が入ることは当然であったが、だからといって気を抜いて良い仕事ではない。
むしろ自分たちの直属の上司であるエムルが普段より抱える仕事量を考えるに、余計な雑事を増やしてこれ以上彼女の負担を増やすわけにはいかなかった。
「しかし、わざわざエムルさんに報告するほどひどいのか? あの人に相談するということは、つまり王にもお伺いをたてるということだぞ」
別の文官――教育関連の手配を行っていた者が疑問を口に出す。
自らの汚点をごまかそうとした訳ではない。単純にドラゴンタン住民への教育と知的水準の向上は優先順位が低く、取り立てて相談を行う必要性が感じられなかったからだ。
優先すべき事は他にも山程あり、先にそちらを片付ける方が重要であることはこの場にいる再建担当メンバー全員の共通認識だった。
だがその認識を改めるだけの事情が実は存在していた。
「いやな。先日王より賜った肥料を試験的にドラゴンタンの農業従事者に提供したことがあったんだよ」
「ああ、知っている。確か疲弊した土地の再活性化計画の一環だったな。なんだ、それだって……」
ドラゴンタンでは都市の再建に加え、イラ=タクトの指示によって様々な革新的試みが実験的に行われている。
この"神の国の肥料"を用いた改善も、そのような案件の中の一つだ。
とはいえ土地の活性化に関しては龍脈穴のマナを使用した大規模な土地改善魔法がメインの対策として検討されている。
故にこちらに関しては緊急時の代替案、及び魔術と科学を併用した場合の効果を計る為の検証実験という意味合いが強い。
つまりこちらも優先順位は低い。報告の必要性が感じられないほどに。
むろん報告は重要だ。とは言え何もかも上に投げていてはなんのために自分たちに仕事が振り分けられているのか分からなくなる。
だからこそ、この場において状況を吟味する必要があった。
優先順位を考え、多少の問題であればこちらで処理すべきなのだ。
「肥料や農薬の使用頻度についてはもちろん説明して渡したんだろ? 定期的に撒くだけの簡単なものだったはずだ。何か問題でも?」
「俺はちゃんと説明した。だがやけに威勢のいい牛族の彼は、翌日全部土地にぶちまけやがったんだよなぁ。肥料も、農薬も。一年分全部を……」
「な、なぜ? 王から賜りし神の国の物を……」
「そんなに素晴らしいものなら、一度に全部撒けばもっと素晴らしいことになるだろうと思った。だとさ」
その場にいる全員が頭を抱えた。
彼らダークエルフは元々がエルフ族お抱えの暗殺部隊を源流としている。
故に基本的な教育は全ての者に対して行われており、特にこの場で内政官として業務を任せられている者は戦士団の兵士などに比べても明確に知的水準が高い。
だからこそ彼らは見誤っていた。彼らが想像する以上に、ドラゴンタン住民の知識レベルは低いのだ。
「いわゆる、常識が通じないだ。こちらが「まぁこの辺りは常識的に分かるだろう」という点ですら彼らには覚束ない。この辺りの認識の差にはモルタール老も頭を抱えていたよ」
「王になんと報告してよいのか。問題や損失は発生するのが当然だから気にするなとはお言葉を頂いているが、流石にこれでは……」
「言うな。汚名を返上するだけの成果を出すしかない。命を断って仕事の進みを遅くするわけにはいかないしな」
予定外のトラブルは、いつだって気まぐれかつ無遠慮にやってくる。
それはこちらの事情などてんでお構いなしだ。
ダークエルフたちは実際有能だ。彼らが持つ国家と王に対する忠誠心、そして出自を元にしたその能力を用いれば都市の再建など片手間に終わるはずであった。
だが何事もそう上手くいかないのが現実であり、本質である。
この件だけでも報告書の作成、物資を無駄にしたことで発生する不足分の調整。
対象の住民への詳しい聞き取りや説明指導が必要だ。
問題の対処と対策はその後に大きく影響するため決しておろそかにも後回しにもできない。
先送りにした挙げ句またぞろ同じ問題が発生したとあっては今度こそ王の前で首を差し出す必要があるだろう。
「ただでさえ王から期待されているんだ。それにこれ以上不甲斐ない姿を見せるわけにはいかないぞ」
ダークエルフたちは一生懸命働いている。
なおこの件に関して報告書を受け取った拓斗は、先にダークエルフの文官が見せたのと同様に頭を抱えた。
そして今回の問題について担当文官たちをねぎらう言葉を直々に授けるのであった。
【大呪界マイノグーラ宮殿】
ダークエルフの文官たちが次から次へと現れるトラブルに頭を悩ませていたその頃。
彼らの上司であるエムルやモルタール老、そしてギアもまた、濁流の如く押し寄せてくる情報と問題の山の対処に追われていた。
「時間、金、資材。何をとっても到底足りぬ。理解はしていたが、都市を造るのにはやはりいろいろなものが必要じゃのう」
部下からあげられてくる報告書の束を流し見しながら、モルタール老が独りごちる。
彼の担当は魔術部門と緊急時の他部門フォローだったため直接てきにかかわることはなかったが、報告書を軽く流し読みするだけでも都市一つを手に入れ治めるということがどれほど苦労することなのかを再確認させられている。
「何分かなり強引に進めていましたからね。キャリアちゃんとメアリアちゃんにもお仕事を頼まないといけない始末ですし……」
目を回しながら慣れない書類仕事を進めていたエルフール姉妹を思いだし、エムルはあははと苦い笑いを浮かべる。
とは言えここで弱音を吐いて足を止めるわけにはいかない。
甘えがどのような結果をもたらすかは、この場にいる全員はおろかマイノグーラに住まうもの全員がよく知るところであったからだ。
「本来であればもう少し時間をかけるべきなのだろうが、世界の状況を考えるとそうも言ってられないからな」
ギアが口にする。――そう、驚異が存在するのだ。
それは虎視眈々と彼らの大切な人々を狙い、平穏を脅かそうと企んでいる。
いつその牙が自分たちに向くかはわからない。明日来るかもしれないそれに備え、彼らは今日を決して後悔しないよう全力を尽くすのだ。
その決意は、皆が口に出さずとも共有しているものだった。
「さて。内政に関しては優秀な文官たちが育っておるから良いだろう。それでギアよ。エル=ナーの情報はどうなっておるのだ?」
ドラゴンタンについての話題は早々に切り上げられ、別のものへと向けられる。
一般のダークエルフたちに決して振り分けることの出来ない重要な議題こそが、彼らが処理すべき問題であり、マイノグーラの重要人物と化した彼らがいまから行うことだ。
それは軍事に関するもの。つまり現在進行形でこの世界に起きている異常と、他国の調査分析にあった。
聖王国クオリア、エル=ナー精霊契約連合。
2つの善なる勢力は明確にこちらと敵対するであろうことが判明している国家だ。
ブレイブクエスタス魔王軍や北方の魔女のように別の驚異も存在しているが、その巨大な国土とそれに支えられた戦力を考えるに決して軽視していい相手ではない。
特にエル=ナーに関してはダークエルフたちと明確に対立していることに加え、ここ最近あまり表舞台に姿を現わさないことから彼らの中でも懸念事項となっていた。
何も問題なければそれでよし、だが何か理由があってそこまで動きがないのであれば……。
暗殺者時代に築き上げた独自の調査網を用いてエル=ナーへと調査を行っていたギアからもたらされた答え合わせは、残念ながら彼らにとって良くないものであった。
「エル=ナーへの情報はほとんど途絶している。おそらく何らかの情報封鎖が行われている可能性があるかと思うのだが……いくつか手に入れることができた情報を分析したところ、何らかの敵対勢力の侵略を受けている可能性がある」
「なんと! それは本当なのか!?」
モルタール老とエムルが驚愕に目を見開く。
驚天動地の情報とはまさにこのことだ。寝耳に水とも言える。
クオリアで発生している魔女事変とブレイブクエスタス魔王軍に類する新たな脅威の懸念だけでも手一杯なのに、更に異変が起きているとは彼らでも予想がつかなかった。
否――これこそが新たなる脅威だ。新しくマイノグーラの驚異となる存在が現れたのではなく、すでに存在していたそれが今明らかになっただけなのだ。
王であるイラ=タクトを含め、マイノグーラに住まう者全てが抱いていた焦燥感と、変質的なまでの驚異に対する備えの理由が、今ここに明らかになった気がした。
モルタール老とエムルの視線がギアに突き刺さる。
その視線が先を続けろという意味だと理解していた彼は、無言で頷いた後に顔を伏せて手元の資料をチラリと視界に入れ、また顔を上げた。
「あくまで予測だが、その可能性が高いと俺は考える。理由は皆にも言えない筋でからの情報が主だが――まぁそれはいい。集めた情報は取るに足らない些細なものが多かったが、それらをまとめて見ると少々きな臭い。クオリアとの国境の警備が増強されている形跡があり、物資の値段も急騰している。あからさまではないが氏族長の命令で臨時徴税も始まっているとのことだ」
それだけならば他国への侵攻を企てているのではないか? とも考えられるが、ギアがそこまで言うのであればその可能性は排除されていると言えよう。
おそらく――彼の言う皆にも言えない情報網にその答えがあるのだろうが、モルタール老とエムルはその点について言及することはなかった。
例え怨敵であるエルフに内通者がいたとしても、この場でそれを指摘することは意味あることではなかったからだ。
それよりも喫緊で対応協議すべき事案が沸き起こった。
これはもはや彼らの手に余り、王であるイラ=タクトや英雄アトゥの意見も交えて方針を決定するべきであろう。
そんなことを考えていると、ふとモルタール老はクオリアの現状についてまだ話が及んでいないことを思い出す。
「そう言えばクオリアはどうなっていたのだエムル? あの国も北方の魔女にかかりっきりだったと記憶しておるが……」
「引き続き同じ状況ではないのか? 王やアトゥ殿から聞いた話ではそう簡単に対処出来る存在ではないらしいし。まぁ善なる勢力は我らに敵対的であることがわかっている。魔女によってかの国の国力が低下するのであれば結果的に我が国にとって益となるのでは?」
先程見事な情報収集能力と分析能力を見せた男とは思えない悠長な言葉だ。
こういったどこかツメの甘い部分があるゆえに、モルタールも未だギアにダークエルフ族長の座を渡すことを躊躇している。
その不甲斐なさへの若干の落胆が、思わず嫌味となって出てくるのは仕方のないことなのだろう。
「はぁ……そういう短絡的な決めつけは足元を掬われるぞ。まったく、お主のそういうところはなかなか直らんな」
「くっ!! この老いぼれがっ!」
「喧嘩しないでくださいよ……。忙しいんですから」
グチグチと言い合う二人を制したのはエムルだった。
まったくもっての正論である。その瞳からは「余計なことで時間を使うな。これだから男は……」的な蔑みの視線がありありと見て取れる。
マイノグーラにおける様々な出来事が彼女を成長させたのか、それとも終わりの見えぬ書類の山が彼女の精神を疲弊させたのか、最近のエムルは以前にも増して辛辣であった。
「うぉっほん! そ、それで、実際のところどうなんだ?」
「そ、そうじゃな。今すべきことをするのが王の臣下たる我々の責務じゃ」
大抵において、男性とは怒れる女性に頭があがらないものである。
これから先の精神的な序列が決定しそうな雰囲気に冷や汗をかきながら、男性二人は情けなく言葉を濁して話題を戻す。
重要なのはクオリアの状況。その確認が先決だ。
完全にご機嫌取りの様相だった。
だが二人の態度と質問に、エムルは顔を曇らせ「それが……」と言葉を濁す。
「クオリアは……少しおかしい状況なのです」
語られた情報は、先の報告にも増して異質なものだった。
クオリアは比較的南部大陸の中立国家との交流が深い。そのため民間の行商人を通じていくらか情報が手に入る。
ドラゴンタンで集められた情報をまとめて報告するエムル。
その顔色は優れず、問題が起こっているというよりも判断がつかないと言った方が正しかった。
その後1時間に及び議論は紛糾し、提示された情報に基づく推測と懸念事項の洗い出しが行われる。
「――すぐに要点をまとめて王へと直接報告するぞ。事態が動いている可能性がある」
会議が終了した時、三人のダークエルフたちが浮かべていた表情は逼迫したものであった。
マイノグーラが大きな変革を迎えている中、他の国家もまた大きな運命のうねりの中にその身を翻弄されていた。
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