第五十九話:応対

 フォーンカヴンとマイノグーラの首脳による会談当日。

 ドラゴンタン都市長のアンテリーゼは破滅の王イラ=タクト含む来賓の出迎えの為、ドラゴンタンの入場門の前で静かに地平線の向こうを眺めていた。


(うう、帰りたい……いや、そもそも帰る場所はここだし。エル=ナーに帰る位ならどこかでのたれ死んだほうがマシだわ)


 アンテリーゼに課せられた使命はイラ=タクトらマイノグーラ一団の歓迎と今回の会談場所である市庁舎への案内。

 主たる交渉事は市庁舎で準備万全のペペとトヌカポリが行うとは言え、彼女も都市長として出席を求められておりその身にかかる重責は計り知れない。

 この時間ですらすでに苦痛で、今から起こるであろう出来事を考えると胃がキリキリと痛みだす。

 普段であれば酒でも呑んでごまかすのだが無論そんな無作法ができるわけなく、今の彼女はただひたすら無事平穏に今日という日が過ぎ去ることを精霊に願う哀れな娘と化している。


 なお祈るべき精霊たちはこれからこの地に起こるであろう出来事を予見し、いの一番に逃げ出している。

 ドラゴンタンの譲渡が大筋で決定している以上、無事平穏を願う彼女の願いが叶う可能性は無に等しかった。


(とって食われたりしないわよね? 一応アトゥさんやモルタール殿とは何度か打ち合わせしたことあるけど……まっ、レベルが違うわよね)


 アンテリーゼとてマイノグーラの住民に対して完全に免疫がないというわけではない。

 すでにモルタール老やアトゥといった要職たちと何度も交流を重ね、それなりにかの国その人々の人となりを理解しているつもりである。

 いや、だからこそ今回のイラ=タクト来訪に関して最大級の警戒と緊張を持っているのだ。

 彼らが語る王とは、それほどまでに巨大で人の想像を超えるものだったから……。


(正念場よアンテリーゼ! ここは都市長として失礼のない応対をしなきゃ! なぁに、ここを切り抜ければあとはぺぺ様やトヌカポリ様が引き継いでくれるんだし、ちょっとの我慢よ!)


 ドラゴンタンの譲渡はほぼ実現されるだろう。アンテリーゼの目をもってしてもそれほどまでに今のフォーンカヴンは余裕がない。

 この地に住む人々に対してどのような対応がなされるかは交渉によって決まるのだろうが、少なくとも現状の両国の関係を鑑みれば悪く扱われることはないだろうと予想する。

 アンテリーゼは緊張の最中ふと考える。

 ドラゴンタンがマイノグーラの所有都市となるのなら、必然的に都市長である自分はお役御免となる。

 今更エルフの国家であるエル=ナーに帰るつもりもないし、帰れるわけでもない。

 一体このあと、どうしようか。

 そんな一抹の不安と寂しさがよぎった瞬間だった。


「あ、あ、ああ……」


 薄ら寒いほどの沈黙の時間を破ったのは、見張り台から漏れた奇妙な声だった。

 ちらりとそちらへ視線を向けると、数日前に会話を交わした兵士が何やら血相を変えて地平線の向こうを指差している。


 彼らが来た。

 何事かと問わずとも、兵が見せた動揺の理由はすぐに分かった。


「あちらにお見えになられました! 大呪界の方角です!!」


 先程までの思考を切り替え、気持ちを引き締める。

 視線の向かう先は大呪界。

 マイノグーラの一団が見えるであろうその場所だ。


 ……ぽつんと。

 それは一見すると小さな集団であった。

 無論それは距離があるためそのように見えるだけで、実際の規模はまだぼんやりとしかわからない。

 少なくとも王が引き連れるにふさわしいだけの数なのだろう。

 だが数などこの瞬間においては全く無意味なものだった。

 門前でマイノグーラの一団を見つめるアンテリーゼたちは、この瞬間確かにかの一団から空へと吹き上がる巨大な闇の圧力を幻視した。


(ああこれはダメだわ……)


 沈黙すら口を閉じてしまいそうな虚無感がアンテリーゼを支配する。

 初めて抱く感情。否、大きすぎるがゆえに未知のものと錯覚してしまいそうなほどの恐怖。

 アンテリーゼが感じた思い。

 "死"。

 奇しくも、それはその場で王の一行を確認した者全員が抱いた感情であった。


 薄ら寒い恐怖が支配する緊張の中、閉じられていた門がゆっくりと開き見張り台からは巨大な旗が歓迎の意を示すため掲げられる。

 各々がすべきことを予め指示しておいたのは行幸であった。

 むしろこの状況で自らのすべきことを行動してみせたドラゴンタン兵士の胆力を褒めてやるべきか。

 皆が皆こわばった顔を隠せずただ一点を見つめる中、ゆっくりと時は進んでいく。


 やがて小さな石粒ほどだった集団が握りこぶしほどになり、相手の人となりがわかる程になった頃。

 ようやくアンテリーゼの人生における、一世一代の正念場がやってきた。


(落ち着きなさい私。時間がかかってもいい、無様な態度だけは見せないようにしないと)


 すぅと深呼吸し、相手を見る。


 マイノグーラの王が率いる一団は、アンテリーゼの前でゆっくりとその歩みを止める。

 仰々しいやり取りを相手が好まないことはすでに今までの交流の中で把握している。

 とは言え国と国のやり取りなのだ。最低限の形式めいた挨拶は必要だということだろう。

 つまり、フォーンカヴンの応対を待っているのだ。


 アンテリーゼはゆっくりと、だが素早く王に付き従う人員を確認する。


 マイノグーラの一団は想像以上に多かった。

 ダークエルフはもちろんのこと、それ以外にも初めてみる装いの者たちが複数いる。

 また何やら巨大な荷車のようなものも後ろから続いている。

 引く動物が馬ではなく奇妙な鳴き声を放つ巨大な虫である点は流石破滅の王が率いる者たちと言ったところだろうか。

 ともあれこの程度はまだ予想のうちだ。

 問題はどのような人物が来ているか、だ。


 まず目につくのはかつてのダークエルフ氏族の長、モルタール老。

 現在マイノグーラにおいていわゆる参謀や宰相といった立場におり、もっとも政に精通している人物である。

 と同時にかの国における魔術組織の統括も任せられ、自分たちでは想像もつかないような闇の秘術を日夜研究している魔術師としての側面も存在している。

 かつてダークエルフの暗殺組織で名を馳せていた時の二つ名は呪賢者。

 目の前で朗らかに笑顔を浮かべる好々爺とした態度とは裏腹に、そのうちに秘める危険は計り知れない。


 次いで軍事部門の長、いわゆる将軍的な役割を担っている戦士ギア。

 その苛烈で慈悲のない性格はアンテリーゼが故郷にいたときから有名で、彼の手にかかった者はもはや数えることも馬鹿らしくなるほどだと言われている。

 二つ名は暗殺者。その技術と忠誠心は今や破滅の王のみに捧げられている。


 王の両側でまるでメイドが侍るように控える二人はエルフール姉妹。

 時期マイノグーラの重鎮として王自ら英才教育を施されていると噂される曰く付きの少女たちだ。

 マイノグーラとの物品取り引きにおけるやり取りにおいて何度か手紙を交わしたことがあるが、文面から感じるはつらつさに比べやけに暗い濁った瞳をたたえておりそれが不気味さを感じさせる。


 最後に、王が誇る腹心アトゥ。

 ダークエルフとは由来もあり方も根本から違う彼女は、静かに王の横にいる。

 彼女について語るべきことは殆どない。

 人智を超える力を持つ彼女がマイノグーラ王に対して絶対の信頼を寄せており、また王からも等しく信頼を置かれていることは今までの交流で嫌というほど理解させられた。

 このパッと見れば美しさが際立つだけの少女がマイノグーラが誇る強大な戦力であるとはおおよそ理解できない。

 だが彼女が本気を出せばこの場にいるフォーンカヴンの人員はすべて一瞬のうちに惨殺されるのであろうことは明らかな事実だ。

 先の戦争における情報でフォーンカヴン側が有しているすべてを聞き及んだアンテリーゼは、目の前の存在が確かに闇の存在であるのだと息を呑む。


 そして、何より。

 ああ、だとしたら、彼女が付き従うように侍るその存在は……相手は……。

 アンテリーゼは震える体を無理やり動かし、視線をソレに向ける。



 破滅の王。イラ=タクト。



 ソレは、まるで近所まで散歩に来た友人のように。

 静かにそこに佇んでいた。


(これが……破滅の王)


 王の出で立ちは少しばかり奇妙であった。

 特に寒いというわけでもないのに頭からすっぽりと豪華な意匠が施されたローブのようなものをかぶり、まるでその姿を隠すかのようにしている。

 これでは顔色や機嫌を窺うこともできない。

 そう思い、失礼にならない程度に顔を凝視する。

 ……ローブの奥に潜む虚無と目があった。


「ひぃっ!」


 思わず声が漏れ出て、慌てて口を手で閉じる。

 体中から冷や汗が滝のように溢れ出し、鼓動が面白い位に高鳴っていく。

 まるで自分のすべてを見透かされるような、この世の理の外から見つめられるような、そんな名状しがたい視線だ。

 それは一瞬でアンテリーゼの心を恐怖で縛り上げ、地獄の奥底へと引きずり込もうとしてくる。

 このまま心の臓がショックで止まってしまうのかと感じたその瞬間、ふっと王の視線がアンテリーゼの瞳から外れた。


「はぁっ……はぁっ……」


 命拾いした。アンテリーゼは息を切らせながらそう確信する。

 王の視線は瞳から少しばかり下に逸れ、相変わらず生命を感じさせない虚無で自分を見つめている。

 隣にいるアトゥがなにやら不機嫌そうな表情で王に耳打ちしているのはどういう理由か分からぬが、少なくとも自分に不快感を抱いていないであろうことはなんとなくわかった。


 むしろ王の態度は彼女の予想とは真逆のものだった。

 賢しい彼女だからこそ先の態度を理解する。

 破滅の王は、こちらに配慮しことさらに自分を恐怖で萎縮させないよう配慮したのだ。

 先の悲鳴が聞こえていただろうに指摘することなく、加えて王自ら視線を外してアンテリーゼの胸元を見つめているのもその為だろう。

 ローブを着込んでいるのも、自らをことさら衆目に晒して恐怖を煽らぬためか。

 その行動はただ破滅だけを望む災害のようなものではなく、少なくとも同盟国に配慮する理性を有している。


 ――アンテリーゼはマイノグーラという国家が曲がりなりにもフォーンカヴンの同盟国であることに感謝した。

 同時に、マイノグーラという国家がフォーンカヴンの同盟国であるという事実に、心の底から怨嗟の念を上げる。


(ペペくんとトヌカポリ様は本当に理解してこのバケモノと同盟結んだっての!? 人が対等に付き合える相手じゃないでしょ! マジでどうなっても知らないわよ私は!!)


 こちらの動揺を内心で見透かされているかのような気持ちに、アンテリーゼも思わず心の中で罵声を放つ。

 もしかしたら本当に心の声を聞かれているかもしれないという危惧もあったが、それよりも圧倒的な理不尽さに今にも爆発しそうな気持ちだった。


 それほどまでに、王との接触は彼女の心に衝撃を与えた。

 だが巨象が蟻に配慮しその住処へと訪問することが荒唐無稽な話であるように、破滅の根源たる存在が矮小なる人の住処へ無事平穏に訪問することなど土台不可能なのだ。


 彼女の動揺と混乱は、決して避けられないものだったと言えよう。


(落ち着きなさいアンテリーゼ。相手はこちらに配慮してくれている。大丈夫、問題ないわ。まだ失敗は犯していないはずよ)


 幸いなのは、この時点で数多くの住民がこの街から退去していた事であろう。

 現在ドラゴンタンの街では都市長命令として外出の禁止が言い渡されている。

 本来であれば市民を持って相手国の来訪を歓迎すべきなのだが、その余裕が何処にもないのだ。

 この判断が正解だった。


 礼を失することを承知でアンテリーゼはこの対応を取っている。

 彼女の予想とトヌカポリからもたらされた情報が正しければ、きっとドラゴンタンの市民は王の直視に耐えられないであろう。

 無論先方にもそのことは伝えてある。

 説明としてはまた別の取り繕ったものを用意しているが、相手側からの答えは快い了承であった。

 本来であれば不愉快と断じられてもおかしくない対応にもかかわらず、逆に連絡を行った実務担当者のモルタール老からはこちら側の状況を慮る言葉さえ送られている。

 その思慮と配慮だけを素直に受け取るのであれば、フォーンカヴンとマイノグーラの友好をこれでもかと表す小話となるのだが、その行き届いた気遣いが今では嫌な気持ち悪さとなって胸の奥にへばりつく。


(これ以上黙っている訳にもいかないわね。兵たちも――少しは落ち着いたかしら?)


 時間にしてわずか一分にも満たぬ間の出来事である。

 その短い間に、一生分の恐怖と不安と混乱を味わったアンテリーゼは一度大きく息を吸い、今までで最高とも言える渾身のお辞儀をする。


「マイノグーラの偉大なる指導者、イラ=タクト王。 そしてマイノグーラの皆様。ようこそドラゴンタンの街へお越し頂きました。私はこのドラゴンタンの都市長を任されていますアンテリーゼ=アンティークと申します。我が街一同、皆様のご来訪を心より歓迎いたしますわ」


 穏やかな微笑みは人生の折々で学んだ処世術だ。

 都市長になってからはその激務で使う機会など無いに等しかったが、どうやら腕は錆びついていないらしい。

 ここからが本番、決してしくじることのできない応対が始まる。


「――うん、ありがとう」


 ああ、破滅の誘いとは、このような声音をしているのだな。

 アンテリーゼの胸中を恐怖という名の狂爪がかき混ぜる。


 きっとこれから起こる会談は、自分が想像する何倍も混乱と混沌に満ちたものになるだろう。

 まるで心が存在していない虚無のような存在。

 破滅の王イラ=タクトはこの会談で何を求め、何を対価として出すのであろうか?

 アンテリーゼの胸中を恐怖とまた違った不安と気持ち悪さがよぎる。

 願わくば、誰もが泣くことない結末となりますように。


 そんな彼女のささやかな願いが行く当てなくさまよう中、両国の会談が始まった。

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