第五十八話:二国会談

 フォーンカヴンの都市、ドラゴンタン。

 都市内に竜脈穴という重要戦略資源が存在し、様々な思惑と危機に翻弄されるこの特殊な街は……現在かつて無い程の緊張と混乱に包まれていた。


 マイノグーラの指導者イラ=タクトとフォーンカヴンの指導者ぺぺの会談。


 朧気ながら市井の民に流布するその噂は、フォーンカヴンの民を困惑と同時に不安に陥れ、さながら死者の都とでも言わんばかりの静けさを街にもたらしている。

 フォーンカヴンに襲いかかる蛮族の大群、そしてそれらの排除が同盟国であるマイノグーラの助力によって成された事を街の住民達はよく理解していた。

 だがそれでもなお、彼らの胸中に占める根源的な恐怖と不安は拭いされるものではなかった。


 すなわち「私達はいったいナニと取り引きをしてしまったのだろうか?」という困惑だ。

 それらは街の住民はおろか、先の戦争にてマイノグーラと共同戦線をはったはずの兵士達にも同様に伝播していた。


「なぁ……知ってるか? 今度の会談の相手」


 街の外壁に沿うように立てられた見張り台の上から、視力が自慢の狼の獣人が何か謀りごとでも企てるかのように同僚へと声をかける。

 その言葉を聞いた人族の兵士もまた、同様に眉をこれでもかとしかめながら獣人の問いに答えた。


「破滅の王イラ=タクト……だっけか?」


「ああ、そうらしい。なんでこんな場所にまでわざわざ足を運んでくるんだか……」


「そりゃあまぁぺぺ様やトヌカポリ様が向こうに挨拶しにいったからだろ。今度は向こうが挨拶しに来てくれるって寸法さ。それに、前の戦の件もある。お偉方にはいろいろと相談事が山積みなんだろう」


 二人の兵士が話題にするのは、近々行われるであろう二国会談についてだ。

 杖持ちであるトヌカポリと同じく杖持ちであるぺぺがマイノグーラの王と直接会談を行ったことは耳ざとい者の間ではすでに周知の事実だ。


 同盟国は歓迎すべきものだ。

 特に相手側の王がこちらに出向くとは、すなわちそれだけフォーンカヴンのことを重要視しかつ信頼している現れであり、両国の強固な関係性を端的に示す物でもある。

 それはかの蛮族大進行においてマイノグーラが自ら血を流してまでその防衛に尽力してくれたことからも明らかだ。

 ……問題は、相手が想像を絶する程の戦力を有する存在で、邪悪なる勢力であるという一点のみであった。


「それにしても、大丈夫なのか? 俺たちは間違った奴らと手を組んでるんじゃないだろうな?」


「いや、それは……」


 狼族の男の問いに、人族の男は言いよどんだ。

 否と言える根拠などどこにも持ち合わせていなかったからだ。マイノグーラという国家に関する情報はフォーンカヴンにおいても最重要事項として秘匿されている。

 そもそも同盟関係を結んだのがついこの前ということもあって、なんの役職も持たない一兵士如きではなかなか情報が降りてこないのだ。

 ただ、恐ろしい相手だということだけは、朧気ながら耳に入ってくる。


「フォーンカヴンとマイノグーラは一応同盟国だ。大丈夫……だと思いたいな」


「ほんと、大丈夫だと思いたいわよねー」


 そんな願望にも似た言葉に対して、突如割って入る者が現れる。

 凛と響く若々しい女性のものだ。彼らはどこか聞いた覚えのあるその声にはたと首を傾げ、次いで慌てたように振り返りながら敬礼する。


「あ、アンテリーゼ都市長!」


「ど、どうしてこちらに?」


 現れたのは一人の美しいエルフの女性だった。


「サボ……じゃなくて巡回よ、巡回。皆の仕事ぶりを見ておこうと思ってね」


 アンテリーゼ=アンティーク。

 スラリとした体躯にいささか豊満にすぎる胸、そして何より特徴的な長耳と金髪のその女は、ひらひらと手を振り敬礼をやめるよう伝えると少々疲れた様子で笑う。

 アンテリーゼ都市長は保守的なエル=ナー精霊契約連合からフォーンカヴンにやってきたという珍しい経歴の女性だ。

 無論珍しさは出自だけではなく、その能力についても類いまれないものを持ち、それ故いつの間にかドラゴンタンの都市長に就任しているという逸材でもある。


 そんなアンテリーゼの場違いなまでの出現に彼らは思わずたじろぐ。

 エルフ族特有の非人間的な美、そしてその二つの瞳から放たれる視線がじぃっと見張り番の二人を射貫く。

 普段ではめったに言葉を交わすこともない、ある意味で高嶺の花でもあるアンテリーゼの視線を受け思わず顔を赤らめる二人。

 だが先ほどまで任務をさぼって余計な雑談に興じていた事実を思い出し思わず居住まいを正す。

 先の蛮族大進行からそう日にちは経っていない。

 いくらマイノグーラの協力や防衛隊の尽力によって被害が最小限に抑えられたとは言え、決してやって良い行動ではなかったことを思い出したからだ。


「い、いや……これは失礼しました都市長」

「気が抜けておりました……罰はいくらでも」


「いいのよいいのよ。まぁ最近仕事続きだしね、私も気持ちは分かるわ。私だって平穏な日々が懐かしいなぁって最近強く思うもの……、あれ? 平穏な時なんて都市長になってからあったかしら?」


 そうおどけて肩をすくめる都市長。

 どうやら見逃してくれるらしいと判断した二人は、ポリポリと後頭部をかきながら誤魔化し気味に彼女の来訪についてその真意を探る。


「はは、いやぁ都市長には頭があがりませんよ。今だって我々の気持ちを引き締める為にこうやってわざわざ巡回してくださっている」


 現在フォーンカヴンの都市では市民の流出が相次いでいる。

 それは先の戦争においてドラゴンタンの防衛隊が殆ど役立たなかった事と、本国からの応援が皆無だったことによる弊害だ。

 市民は平穏を望む。それは人として当然の感情であり、理性で抑えきれるものではない。

 また同じような出来事が起こったら。今度は同盟国が参戦してくれなかったら。

 そのように考えれば、自ずと彼らがこの地から離れることも咎められないだろう。


 見張りの兵士達もその事はよく知っていた。

 彼らの士気も正直のところ高いとは言えず、過去には確かにあった国の民を守る決意が屋台骨からぐらぐらと揺らいでいる最中だ。

 こうやってアンテリーゼのご機嫌を伺う間にも、眼下に見える大通りではこれでもかと家財道具を積んだ荷車が列をなして門へと向かっていく最中なのだ。

 彼らが何処を目指しているのか分からないが、少なくともこの都市が見限られたことは確かなのだろう。


 そんな光景を毎日見続けていれば士気も最低限まで落ち込む。

 都市長が治安の悪化を憂慮して監視と激励をわざわざ自らの足で行うのもむべなるかなといったところである。

 だが彼らの考えとは裏腹に、アンテリーゼは小さく笑うと「それもあるけど、本当はちょっと違うのよ」と答えた。


「ここだと街が見渡せるから。一応、見納めになるかもしれないからねー。ほら、自分が切り盛りしてた街を覚えておきたいじゃない? これから先、どうなるか分からないんだしね」


 あまりにも物騒であまりにも非現実的な未来であった。

 本人は冗談じみた態度で軽く言った様子であったが、その表情が若干引きつっていることを二人とも見逃していない。

 それはどのような意味を持っているのか? 少なくとも彼らには推測出来るだけの情報を持っていない。ただ、何らかの事情があることだけはアンテリーゼの態度を見ていればよく分かった。


 二人の男は、何とも言えない表情で互いの顔を見合わす。

 この街がどうにかなるだなんて想像もできない。

 もしマイノグーラの助力がなかったらその妄想じみた話がとうの昔に現実となっていた事を忘れ、獣人の衛兵は恐る恐る都市長へ言葉を返す。


「え、縁起でも無いこと言わないでくださいよ都市長……」

「そうですよ。そうやって脅かそうだなんて、趣味が悪いなぁ。ははは」


「そういえば、貴方たちは逃げないの?」


 見張り台の縁にもたれかかり街並みに視線を向けながら、アンテリーゼはまた別の質問を投げかけた。

 市民の流出もさることながら、兵士達の流出も少なくはない。

 ドラゴンタンに見切りをつけた者や脱出する市民達の護衛など、理由は様々であったが現在ではなんとか街の警備に人員を割ける程度となっている。

 無論休む暇など無いし、労働時間は悪化の一途を辿り続けている。

 男二人も正直ここ数日はまともな睡眠を取っていないし、家に帰ったのも相当昔だ。

 見張りの仕事以外にもやることは山積みで、先ほどの雑談は激務の中でのほんの一時の休憩といったところだったのだ。

 逃げれば楽なのだろう。少なくとも、流出する市民達の護衛という心理的逃げ道は用意されている。

 だが二人はアンテリーゼの問いに、少しだけ声を張って答えた。


「はは、逃げませんよ」

「なんだかんだで俺たちもこの街が好きみたいで」


 二人は小さい頃からこの街で育っている。

 多くのものをこの街から受け取ったし、様々な喜びや悲しみをこの街で味わった。

 他の市民たちの考えはさておき、彼らは最後までこの街に付き合うつもりだった。

 彼らのような人々のおかげで、いまだドラゴンタンは致命的な崩壊を迎えずに立ち止まっている。


「そう? なら私から少しお願いしてもいいかしら?」


 その言葉にアンテリーゼは少しだけ嬉しそうに微笑むと、今度は逆に今まで見たこともないような真剣な表情をみせる。

 次いで、彼らが予想もしていなかったお願いを告げた。


「……今度の会談でマイノグーラの王を見ても、心を強く持って欲しいの。そして何が起きても、決して動揺した態度を見せないで。これは私達の立場とか国の事を考えてのことじゃないの。正直ちょっとはそれもあるけど――この街を好きと言ってくれた貴方たち自身の為よ」


 ゴクリ……と、兵士たちは息を呑んだ。

 つまるところ彼女はこう言いたいのだ、自分たちが起こした行動如何によっては、マイノグーラ王の機嫌を損ねて非常に不味い事態になり得ると。

 確かに兵の命は安い。

 特にフォーンカヴンの状況を考えるのであれば、一兵士が起こした無礼などフォーンカヴンとドラゴンタンが配慮する道理は何処にもないだろう。

 適当に首を切ってしまえばそれで丸く収まる。それが外交というものだ。

 だがそれほど危険で予想が付かない存在なのか、それほどまでに恐ろしい存在なのかと。

 二人の兵士は腹の奥底から湧き出てくるかのような薄ら寒い不安を初めて感じた。


「トヌカポリ様から聞いたのよね。かの国の王はこの世の理から二歩も三歩も外れた存在だと。あれは異常だと」


 フォーンカヴンの国民で実際に破滅の王であるイラ=タクトに会ったことがあるのはマイノグーラの都市で会談を行ったトヌカポリとぺぺのみである。

 ぺぺは常人とはまた違った感性を持っているためあまりその証言はあてにならないが、ことトヌカポリにあってはその言葉は絶大な信憑性と信頼性を持つ。

 彼女たちフォーンカヴン杖持ちの実力は彼ら国民の中で大いに知られるところである。

 自然霊への交信を始めとした様々な魔術や呪術を扱う彼らは、その実力と実績からくる尊敬もさることながら、一種の妖怪じみた伝説的な存在として扱われることもある。

 その存在が、一兵士からすればまるで雲の上の存在とも取れるような人物を持ってして、異常と表するのか。

 どこか他人事の様に考えていた二人に危機感がじわりと這い寄ってくる。

 お偉い方同士の話し合いだと高をくくっていたものが、決してそうではないとようやく理解出来た為だ。


「そ、そんなにヤバいんですか? その、杖持ちさまの誇張のしすぎでは……」


「貴方達――アトゥさんを見かけた事は?」


 縋るような問いに是とも否とも答えず、アンテリーゼは逆に問いを投げかけた。

 それだけで男達は目の前の都市長が何を言わんとしているのか理解出来てしまった。


 ――ドラゴンタンの防衛に協力したアトゥという少女は、人が推し量れる存在ではない。


 兵士達が見かけたのは彼女が戦う姿。

 街より遠くの場所であり見張り台から目をこらしてようやく見える程度だったが、その戦闘行動は鮮烈に写った。

 キラキラと光り輝く氷雪。縦横無尽に振るわれる触手状のなにか。

 断末魔の叫びと、遠くからでも簡単に分かる程に空高く放り投げられるバラバラになった蛮族どもの身体。轟音にも似た衝突音。

 ……あまりにも鮮烈過ぎたのだ。


 当初彼らはアトゥについてタコの亜人だなどといった説明を上司より受けていたが、今となってはそれがなんの意味もないごまかしに思えてならない。

 彼女のがそのような凡百の存在であるはずがない。


 アトゥという名の少女は、決して彼らが推し量ることのできるような存在ではなかった。


 イラ=タクトは、そんな少女の主であり王なのだ。

 あのバケモノを御することができる存在が、普通であってよいわけがなかった。


「と、都市長の言いたいことが分かりました。その……自信はありませんが当日は絶対に余計な事はしないよう心を強く持ちます」


「頑張ってね。まぁ私の方がポカやるかもしれないけどねー」


 最後にそうやっておどけてみせながら、都市長はそろそろ時間とばかりに街並みへと向けていた視線を戻す。

 話はこれで終わりだ。だが狼族の男はふとあることが気になってアンテリーゼへと声をかける。


「そういえば、都市長は精霊術を扱えるのでしょう。精霊達の動きはどうでしょうか?」


 エルフ族は精霊との親和性が非常に高い。

 彼ら精霊の声に従って、様々な術や占いを行うのだ。

 非物質的存在であるがゆえに、より魔に対する感度が高い精霊が今回の事にどのような反応をしているのか好奇心が湧いてしまったがための質問だった。


「えっ、みんな逃げたわよ」


 あっけらかんと答えたその瞳は笑っていなかった。

 精霊とは世界に遍く存在するエネルギーの一種だ。その存在は非常に希薄で実際のところ生命体に特有の本能や意思というものが非常に薄い。

 その精霊が全て逃げ出している。この事実をなんと表現すべきか。

 言葉に窮していると、先にアンテリーゼが動く。


「貴方たちはもちろん逃げないわよね! この街が好きなんだもんねっ! ねっ!」


 ガシッと肩を掴みながらそう語るドラゴンタン都市長アンテリーゼ=アンティーク。

 逃がさないぞとでも言わんばかりの晴れやかな笑顔に冷や汗をかきながら、兵士の二人はもしかしたら自分たちは判断を間違ってしまったのではないかと内心でビクビク震えるのであった。


 ………

 ……

 …


 焦がれる時ほどその日を迎えるには多くの時間を費やしたかのように感じる。

 では決して来ないでくれと祈り続けたその日は、一体どれほどの早さでやってくるのだろうか?


 こうして、会談の日はやけにあっけなく訪れた。

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