第五十話:そして神々の遊戯が始まる(後編)
時を少し遡る。
ブレイブクエスタスの魔王が撃破され、ようやく混沌とした一連の出来事に一つの区切りが付いた頃の話だ。
エターナルネイションズ指導者の権能を使いアトゥやエルフール姉妹たちのやりとりを眺めていたタクトは、最悪の中にあって最悪を重ねる愚を犯さなかったことに安堵のため息を吐く。
「はぁ……終わった、か」
大きな、大きなため息だ。
拓斗がいる場所は街の一角にある建設中の住居、その片隅だった。
マイノグーラの民であるダークエルフの非戦闘員が避難する役所の建物とは違い、万が一の都市への敵勢力侵攻にも対応出来るよう移動し隠れていたのだ。
「疲れた」
再度大きなため息。
すでにアトゥらには帰還の命を下している。
特に問題無ければエルフール姉妹と共に程なくして戻ってくるだろう。
モルタール老らドラゴンタンへの派遣部隊も進路を変えこの場所へと帰還中だ。
やるべきこと考えることは数多くあるがいまは少しだけ時間があった。
この時間をどのように有効活用すべきか?
精神的な疲労を感じながら顔を上げると、ふと自分の周りには幾人かの護衛がいることに気づく。
戦士団の一部だ。自らの主を守る為、いざという時にはその命すらなげうってタクトを生かすため、今もこうやって付き従っている。
「少し一人にさせて」
「はっ! いえ……しかし」
どこか不安げな表情が残る彼らに視線を向け、タクトは静かにそう命令した。
護衛の兵士達に動揺が走る。
王の命令は絶対ではあるが、だが確実に危険が去ったとは到底言いがたいこの状況においてただ言葉のまま従って用意のだろうかという当然の反応だ。
無論タクトがその程度の事を理解していないはずがない。
にもかかわらず、彼は再度同じ命令を下した。
「一人にさせて」
「し、失礼いたします!」
慌てた様子でバタバタと兵士達が退室していく。
情けない姿を見られた気恥ずかしさがあったのかもしれない。
思いもよらず強い口調になってしまったとタクトは自己嫌悪に陥る。
王からの強い言葉に血相を変えて退席した護衛の兵士達の気配が遠くなることを確認しながら、やがてタクトはバタッと床に大の字になった。
「かっこ悪いなぁ……」
最高にかっこ悪かった。
舐めて舐めて舐め腐ってこのざまだ。
自分の判断ミスが原因でこのような状況になり、さらにはまた愚行を犯して護衛の兵士を遠ざけた。
指導者としての権能があり領内に侵入した敵がわかるとは言え、万が一それらを突破する能力を持つ敵が近くに潜んでいたならどうするつもりか?
国家の指導者が緊急時に引きこもるなど、兵たちの士気低下を考慮しているのか?
自分の内側からもう一人の自分が責め立ててくるようで、それがまた拓斗の心を暗く沈み込ませる。
一体どれほど甘えればいいのだろうか。
自責の念は尽きることなく溢れ湧いてき、この世界に来た頃のどこか楽観的な希望や、誰もが幸せに過ごせる国家を作りたいという夢がガラガラと音を立てて崩れていく。
「イスラ……」
拓斗はぽつりと呟く。
もっと話をしたかった。アトゥほどではないが、彼女のことも『Eternal Nations』を通じてよく知っていたし、これから実際に交流を重ねて知るつもりだった。
彼女は自分をどう思っているだろうか?
尋ねることも二度とは叶わない。
戦力上のダメージ以上に心を蝕む空虚感に呆然としながら、拓斗はなんとかならないものかと考えを巡らせる。
……英雄の再召喚は事実上不可能。
全く不可能という訳ではないが、それはあくまで救済措置的な手段だ。
撃破された英雄を再度召喚するにはいくつかの条件が存在しており、未召喚の英雄やアトゥがすでに国家にいる状況ではその条件も満たせない。
つまり……『全ての蟲の女王イスラ』という存在は、『Eternal Nations』のどのようなシステムを用いても、二度と会うことが叶わないのだ。
「……メアリア、キャリア」
双子の少女から――永遠に母親を失わせてしまった。
その事実が、重い枷となって拓斗を苛む。
エルフール姉妹がどれだけイスラを慕っていたかはよく知っている。
彼女たちがどのような状況で母を失い心を凍らせて生きてきたかもよく知っている。
自分たちは死ぬべきだったと悲しげな瞳で告げられたあの日の会話が、何度も繰り返されその信頼を裏切ってしまった事実とともに無能の烙印を自分に押しつける。
失われたものは、どう足掻いても戻ってはこない。
イラ=タクトという存在は、この瞬間確かに敗北者だった。
「――くそっ!」
それは自分への怒りか、それとも苦し紛れのごまかしか。
耐えられないとばかりに勢いよく起き上がったタクトは床に拳を打ち付ける。
少しでも痛みを感じられるのなら、心の痛みも紛れるかもしれないと思っての行動だ。
痛い思いは昔から嫌だったが、けれども今は自分を罰する為の何かが欲しかった。
だが……。
「へっ?」
バキリと鈍い音が大きく響く。
硬い感触を想像していた拳がぐっと床に沈む。
一瞬「床が溶けた?」と思ったタクトだったが、程なくしてそれが勘違いだったことに気づく。
切り出したばかりの真新しい木材で作られた住居の床は、タクトが殴りつけた部分からバキリと割れ折れてしまっていたのだ。
「ちょ、まっ!」
床の破壊に声を上げるタクトだったが、驚きはそれだけではなかった。
どうやらタクトの一撃は運悪く床下に組まれた支柱の一本を砕いてしまったようで、木材が爆ぜる鈍い音とともにあれよあれよというまに崩壊が連鎖し建物が崩れていく。
「うわっ! わわ! わぁぁぁぁ!」
ダークエルフが作る住居は彼らの文化様式に則って樹木の高い位置に存在する。
当然崩壊したそれが待ち受けるのは空中から地上への落下劇だ。
高さにしておよそ数十メートル。人の身体はその衝撃に耐えられる程強くはできていない。
一瞬の浮遊感と共に視界が空転し、鈍い感触とともに暗転する。
身体中を衝撃が襲い、タクトは二度目の死を覚悟した。
「ててて……あれ?」
だが目を開いて見えた景色は、依然と変わらぬそれであった。
「痛くない」
住居を構成していた木材の山から頭を出し、キョロキョロと辺りを見回す。
頭上を見上げると確かにダークエルフ達の建物が見える。
……ただ落ちて、無事だった。
現状を考えるとそう判断せざるをえなかった。
「…………」
訝しげな表情を見せながらタクトは静かに立ち上がる。
指導者の権能でダークエルフの護衛たちが慌てた様子でこちらへ向かってくるのを確認しながら、人気を避けるように歩く。
キョロキョロと辺りを見回しながらしばらく歩いていたタクト。
やがて街からも少しばかり離れると適当な大きさの樹木に目を付け何かを確かめるようにポンポンとその幹を叩く。
何の変哲もない巨木だ。強いて言うのならば他のそれより一回りほど巨大で、マイノグーラによる呪われた土地の効果も相まって不気味に見える位だろう。
そんな樹木に向かって……。
拓斗は無造作に手を振った。
ズン……と鈍い地響きと共にそれはあっけなくへし折れた。
「そうか、そうだったんだ。そういうことか」
ベキベキと周辺の樹木を巻き込みながら倒れる樹木を一瞥しながら、タクトは静かにその場であぐらをかき目をつむる。
静かで奇妙な行いは、自らとの対話だ。
瞑想にも似たそれによって自らの奥底に深く入り込み、イラ=タクトという存在が持つ無限の可能性と破滅の王として相応しき力の存在を確認する。
――それは最初からそこに存在していた。
ただ悠然と、己が力を振るわれる時を待っていた。
「はは……なら最初から勝てたじゃないか。最初からいけたじゃないか。最初から……」
瞳を開いたタクトは乾いた笑いを上げながら顔に手を上げる。
なにもかもが滑稽で、自分の愚かさがあまりにもバカバカしかったのだ。
同時にもはや我慢の限界でもあった。
ブチリ――と、タクトの中で何かが切れた。
◇ ◇ ◇
ここではないどこかの話をしよう。
男が一人居た。
ゲーム『Eternal Nations』の運営が主催する大会で常に優勝を誇り、だが公式オンラインランキングでは常に二位に甘んじていた数奇な運命を持つ男だ。
見た目は20代後半。およそゲームをする人間とは思えないほど爽やかで快活な印象のある好青年。
ほどよく鍛えられた筋肉と、ほどよく焼けた肌、そして愛想の良さそうな笑顔が特徴のその男は、現在とある喫茶店で取材を受けていた。
「お忙しい中、ありがとうございます。cLoserさん。わざわざ都心まで出て頂いて、ほんと助かります」
「いえ、今日はたまたま時間がありまして……こちらこそゲーム雑誌の人が来てくれるなんて。なんだか緊張しますね」
「なにをおっしゃってるんですか。『Eternal Nations』で輝かしい実績を持ち、ゲーム配信でも連日大賑わいの有名プレイヤーの一人であるあなたが緊張なんて。謙遜が過ぎますよ」
「ははっ……そう言われるとなにも言い返せませんね」
男の名前はcLoser。もちろんゲーム上のハンドルネームであり、実際の名前ではない。
対する人物は、それなりの歴史があるゲーム雑誌の若手編集者だ。
ネット最盛期の現在では多少売り上げで苦労しているものの、まだまだその見識と情報力の高さにおいて業界内で一目置かれる存在である。
今回は『Eternal Nations』特別企画と言うことで、最近盛り上がりを見せるe-sportsと絡め有名プレイヤーにインタビューを行っていた。
「本当はイラ=タクトさんにも来て頂きたかったんですけどね。あいにく断られて……」
挨拶以降和気あいあいと会話が続き、インタビューの内容が盛り上がってきた時だった。
編集者の言葉にcLoserはピクリと眉を動かし、静かに先を促した。
「cLoserさん。例の噂は本当なのでしょうか? 何かご存じですか?」
「さぁ、わかりません。俺も以前は奴の顔をなんとしてでも拝んでやりたいって思っていたんですけどね! 今の今まで一度も会えずじまいですよ」
「ははは、そうなんですね」
『Eternal Nations』プレイヤー:cLoserは常に二位だった。
世界的に人気タイトルで数々の協賛スポンサーがつく『Eternal Nations』公式大会は、そのゲームの性質上非常に時間がかかる。
観戦者は会場はもちろんネットを通じてその深い戦略と刺激的な戦いをいつでも楽しめるが、プレイヤーは不正防止の観点から会場に用意された場所からプレイをしなければならない。
加えて数日かけて行われる大会中は自由時間ですらホテルに缶詰の上で常に監視が付き、休憩時でも外出が禁止される。
そのためイラ=タクトというプレイヤーは、何らかの事情により公式大会に参加出来ない状況にあるのではないかと憶測されていたのだ。
例えばそう……重い病など。
故にcLoserは『Eternal Nations』公式大会において常に優勝をもぎ取っていた。
数多くのスポンサーにより大金や高級品が出されるこの大会では実力者も数多く参戦し、毎回熱い戦いが繰り広げられる。
だがその結果は小さな変動があれどおおよそ『Eternal Nations』のネットワークランキングに準じたものだ。
イラ=タクトが出れば優勝は間違いないだろう。
奇跡的な確率で優勝を逃したとしても、彼が二位以下に甘んじることはない。
それが『Eternal Nations』ファンの間で囁かれていた噂で、だからこそcLoserは常に忸怩たる思いを抱いていた。
「それで……"王者になれぬ王者"と呼ばれる貴方にこういうことをお尋ねするのは少し失礼かと思いますが……」
「イラ=タクトの強さの秘密、ですか?」
不敵な笑みを浮かべながらcLoserが答える。
ネットの片隅で囁かれる僭称をぶしつけに投げられてなお怒りを表に出さなかったのは、彼が人格者だからという訳ではない。
それ以上にイラ=タクトという存在が彼の中で強烈だったからだ。
イラ=タクトの名前はe-sports関連に身を置く者なら一度は聞いたことがある。
『Eternal Nations』において全く情報の出ない得たいのしれないプレイヤーとして知られると共に、同じ名前でいくつかのゲームにも出現したこともあるのだ。
その全てで驚異的な結果を残しており、その強さの秘密を知りたいと思う人間や、そのミステリアスな来歴に魅了されるファンが後を絶たない。
そんなある種のミーハーな人々に向けて、この編集者も何かサービス的なものが欲しいのだろう。
実際会って取材が出来ないのなら、なんとか近しい人物に聞くしかない。
ダシにされたようで不愉快ではあったが、cLoserとしても余計なトラブルを起こして業界内で疎まれるような危険は犯さなかった。
「そうですね……ある特徴があるんです。悪癖ともいうかな?」
「と、言いますと?」
「彼は毎回遊ぶんですよ。手を抜くというか、舐めてかかるというか、『まぁ、こんな感じで大丈夫だろ』みたいな甘い判断をする。そういう悪癖があるんです」
「はぁ……でも序盤の立ち上げでそんなことをやっていたら一瞬で負けますよね? 『Eternal Nations』がそんな甘いゲームでは無いことは私でもよく知っています」
その通りだ。と頷きcLoseは編集者の男に対する評価を内心でほんの少しだけあげる。
一々説明しなくても事情を把握しているというのはインタビュアーとして必要最低限の素質だ。
その上で、ならばこそ次の言葉も理解出来るだろうとcLoserはイラ=タクトに対する嘘偽りない評価を口にする。
「だからアイツは一番なんだ」
何かを考え込むように静かに目を閉じるcLoser。
彼の脳内で、今までのプレイングがまるで実際にディスプレイが目の前にあるかのように再生される。
驚異的な思考とゲームの反復作業の果てに得られる一種の才能開花のような技能であり、その技術はもはや存在しないプレイをシミュレートする程になっていた。
だがcLoserにとっては何の意味もないものだ。
……映像の中でプレイする彼は、何度シミュレートを繰り返してもイラ=タクトに敗北していたのだから。
cLoserは断言する。自らが彼を除いて世界で最も『Eternal Nations』をよく知り、最も強い人間である事を確信しながら。
人という存在が持つある種の頂きの一つに到達した男が、天を見上げ諦めの中で断言する。
「――本気を出したイラ=タクトは誰も超えられない」
真剣さを帯びたその言葉に、編集の男は思わずゴクリと息を呑み押し黙った。
……まるで全てが停止したかのように無言の時間が流れ、溶けた氷がグラスの中でカランと鳴る音色で動き出す。
「いいですか編集さん。俺はね、アイツがどっかの企業が開発したAIなんじゃないかと疑ったことがあるんです。何かは分からないが、何らかの不正を用いてあの強さを維持してるんじゃないかとね」
cLoserは思い起こす。
自らの敗北とイラ=タクトの強さを認めるに至った経緯を。
狂ったようにイラ=タクトの影を追いかけていたかつての日、一度だけボイスチャットで話した事がある。
やけに弱々しい声で、本当にこれがあのイラ=タクトか? と思わせる程に現実感がなかった。
だからcLoserの中に、疑いと共に相手を見定めたいという思いが浮かんだのも仕方のないことだったのだろう。
「忠告します。イラ=タクトに興味があるのは分かりますが、くれぐれもアイツを怒らせない方がいいですよ」
そんな事は絶対ないと編集者の男は答えようと思ったが、有無を言わせぬcLoserの表情でまるでヘビに睨まれたカエルのように縮こまってしまう。
記事の為には時として少しばかり過激な手段が必要になる場合もある。そう考えていた事を見透かされたように思ったからだ。
「特にアイツをブチ切れさせた時は最悪です。もうありとあらゆる手段を使って報復され心からへし折られる。俺は、もう二度とアイツに関わらないって誓いました」
イラ=タクトとcLoserの間に過去なにがあったか、編集者の男も気にはなった。
ここで無理矢理聞き出して記事にすればさぞかし売り上げもあがり、編集部内での立場もあがるのだろう。
だがそんなことが机上の空論であることはcLoserの怯えた表情を見ればよく分かる。
「未だにアイツの名前を聞くと、緊張するんです」
編集の男は静かに頷き、これ以上は詮索しまいと心に誓う。
cLoserの手は、確かに震えていた。
◇ ◇ ◇
【マイノグーラ王宮 緊急会議】
王宮に作られた会議場には一種の異様な雰囲気が流れていた。
集まるのは英雄アトゥ、エルフール姉妹、モルタール老ら国家運営を担う重鎮達だ。
加えて今回は幾人かの文官や戦士団において隊長的な役割を持つ者たちも集まっている。
そして……議場の最も奥で静かに座るのはマイノグーラの指導者であり破滅の王であるイラ=タクトであった。
「ではタクトさま。エルフール姉妹の命令違反について審判をお願いいたします。偉大なる王の言葉に背いた罪。相応の罰が必要だと進言いたします」
アトゥが静かに議題を述べ、拓斗に意見を伺う。
話題に上がったエルフール姉妹は壁際で静かに立っており、その沈痛な態度はまるで斬首を待つ死刑囚のようでもあった。
姉妹たちとて自らが犯した罪の大きさはよく理解してる。
感情のままあの場で突き進んだが、本来ならマイノグーラの街へと戻り防衛体制を整えるのが正しかった。
力を持つ者は大切な仲間を守らなくてはならない。他ならぬ母に教えられたはずなのに、それを裏切ってしまった。
だから、二人の姉妹はどのような罰であっても甘んじて受ける覚悟でいた。
たとえそれが死であっても。
「うーん。なにも無し。罪には問わないよ」
だがあっけらかんとした物言いは、彼女達が予想したどれとも違った。
否――この場にいるアトゥたち全員の予想を覆す決断だった。
「しかし拓斗様! それでは国家の規律を保てません。特に今回の様な緊急事態においていたずらに配下を許しては今後どのような勘違いをする者がでることか……」
アトゥが慌てて物言いを行う。
国家に置いて罪に対する刑罰は必須。無論温情や情状酌量などの判断によって罪が軽減されることもある。
だが無罪放免というのは聞いたこともない。どの様な形であれ、最低限の罰は形式上必要であった。
皆が驚きの目でタクトを見つめる中、少し驚いたように肩をすくめたタクトはサッと手を上げるとまるで先ほどの件はもう終わりとばかりに話題を変えた。
「緊急事態――か。その事について、僕はみんなに謝らなくちゃいけない」
アトゥを含め、一部の者がギョッと目を見開く。
そしてその先は絶対に言わせまいと席を立とうとするその直前……。
「本当にすまなかった。僕の油断と慢心が招いた事態だ」
王は、自らの過ちを認め配下に謝罪した。
「お、おやめください! 王が謝るなど、あってはなりませぬ!」
「そうです! 我らが不甲斐ないばかりに! 全て我らが怠慢が招いたことです!」
ダークエルフ達が慌てて叫ぶ。
それだけはあってはならなかった。それだけはしてはならなかった。
王とは絶対の存在である。その絶対の存在を信じ、配下は己の命を投げ出すのだ。
故に王は間違ってはいけない。
間違いを認めてはいけない。
過ちを行うのは人の領分であり、決して王の領分ではない。
人に落ちた王に民は付いてこない。民を率いる重責は、人にとっては重すぎるからだ。
だから、なんとしてでも先の言葉は無かったことにしなければいけなかった。
立ち上がっていたはずのアトゥが、魂が抜けたように椅子へと座る。
もはや混乱は彼女の処理能力を超えており、この状況をどうにかする術などいくら考えても浮かんでこなかった。
そして、彼女たちを襲う混乱がこれで終わりなど誰も宣言はしていない。
「そして約束する。イスラを生き返らせると」
「ほ、本当ですか?」
「……生き返るの?」
姉妹の瞳に光が宿る。
王が謝罪することの意味を理解していなかった二人はそのやりとりを不思議そうに見つめていたが、母の事とあっては話が違った。
先ほどから何か虫の知らせめいた不思議な感覚に包まれていた二人だが、そのことも忘れてタクトへと確認する。
その言葉に、タクトは確かに頷いた。
「タ、タクトさまお待ちください! どのような方法によってですか!? 現状では……決して英雄を復活させることは叶いません!」
アトゥは混乱する。
タクトを信頼してはいるが、今の彼女ではまったく彼の考えを推測することが出来なかったからだ。
アトゥが以前姉妹に伝えたとおり、英雄イスラを復活させる方法は存在しない。
出来ぬ約束をすることをタクトは許す性格ではなかった。
まさか乱心したのか? アトゥの心に認めたくない予想がよぎる。
だとしたら最悪という言葉では生ぬるい程の状況だ。
だが、真実は彼女らのあらゆる予想を凌駕していた。
「天上に招待された国民たちは、やがて絶頂の幸福と無限に平穏のもと永遠に暮らすであろう」
タクトは饒舌に語った。
その言葉の意味を知るアトゥが驚きで顔をあげる。
「そこには苦しみもなく、痛みもなく、死者すら甦り、愛しい人とまた巡り会い、その幸福を分かち合う――
――勝利を讃えよ。新たなる次元へ到達した喜びを祝福せよ。ここに神の国の門は開かれ、汝らは神の愛のなか永遠の存在へと至った」
タクトは静かに立ち上がり。大きく手を広げた。
「
それはとある勝利を達成した際に流れるセリフだった。
次元上昇勝利と呼ばれるそれは、『Eternal Nations』においても一風変わった特殊な勝利で、複数の条件を達成した後に得られるものだ。
問題は……その勝利条件の達成が非常に困難であることだった。
次元上昇勝利はあまりにも難易度が高く、『Eternal Nations』でも積極的に採用するプレイヤーは存在しない。
一部縛りプレイや動画配信の見栄えなどを気にして挑戦する者が現れる程度だ。
事実タクトも何回か挑戦したことがあるものの、すぐに興味を無くして和平勝利や制覇勝利を選んでいたはずだ。
「じ、次元上昇勝利は条件が厳しすぎます。前提となるレガリアの作成ですら他国の介入を招く恐れが……」
唯一その事を理解しているアトゥが震える声で尋ねる。
確かにこの勝利条件ならばイスラの復活も叶うだろう。天上の世界がどのようなものかは分からないが、確かにその世界ではあらゆる死者が生き返るのだから……。
「他国の介入……まぁ確かにあるだろうね」
「はい、善勢力どころか、全世界が敵に回ります。それこそフォーンカヴンですら……」
問答は続く。
ダークエルフ達はその言葉の意味を理解出来ない。
王が時として自分たちの理解の外にある言葉を語ることは知っていたが、この言葉もいわゆる神の国のそれなのだろうと判断する。
だが、その言葉に含まれる何か底知れぬ圧力のようなものはひしひしと感じられた。
同時に自分たちの王が語る未来がどれほど困難な道かもを……。
英雄を持ってすら困難だと判断する選択だと。
一体どのような理屈でその選択をするのだろうか? 全員が不安にかられる中、タクトはまたしてもあっさりと宣言した。
「大丈夫だよ」
「なぜ!? なぜ大丈夫だと判断されるのですかタクト様!」
「だって邪魔する奴は全員殺すからね」
刹那、アトゥは恐怖で固まった。
ダークエルフ達は、魂の奥底まで脅かされる恐怖に生きたまま死を経験した。
彼女たちはここに至って理解した。
タクトはなにも混乱していたのではないのだ。
度重なる問題に心を押しつぶされ、躁状態でありえもしない未来を語っていた訳ではないのだ。
ただその代わり――。
イラ=タクトはブチ切れていた。
それはあまりにも怒りが深く、表面上は躁状態で饒舌に何かを語っているように見えただけだ。
その怒りの源泉がどこにあるかは分からない。
だが今まで破滅の王と言えどどこか親しみが感じられ、おおよそ誰かに怒りを向けるという行いをしなかったタクトが初めて見せる怒りは、その場にいる全ての存在の精神をわしづかみにした。
どろりとした圧力がまるで質量があるかのように重しとなって彼女たちに襲いかかる。
冷や汗がドンドンとあふれだし、言葉を発しようとも乾いた息切れしか漏れない。
最も邪悪な存在であるアトゥですら底冷えの恐怖を感じさせるナニカが、すぐそこに鎮座していた。
「よく聞いてね。手段は簡単だよ」
アトゥらが言葉を出せないことをどう捉えたのかは知らないが、タクトが饒舌に語り始める。
次元上昇は世界そのものを変えてしまう。
無論敵対する全ての存在は勝者である国家の意図する通りに改変され、時には消滅すらしてしまう。
故に次元上昇勝利を狙う国家は全ての国家に対して敵対宣言をすることと同じなのだ。
たとえ同盟関係であっても敵対に回る。回避する方法は併合や属国化しか存在しない。
今まで築き上げてきたものを全て打ち壊す覚悟があってなお、その選択をするのか?
怒りがキーとなり、本来の力を取り戻した『Eternal Nations』トッププレイヤーの判断は至ってシンプルだった。
「…………世界を征服する」
有無を言わせぬその言葉は、聞く者全てに得体の知れない畏れを感じさせた。
「次元上昇勝利は条件の達成や維持が大変だからね。だから最初に邪魔する全部に消えて貰うんだ」
空を堕とし、地上を全て耕し、海を飲み干し、生きとし生けるあらゆる全てを滅ぼし尽くし、悠々と次元上昇に取りかかる。
タクトが言っていることはまさしくそれだった。
そこには、当初存在していた平和主義の指導者は存在していない。
否――はじめからそんなものは存在していなかったのかもしれない。
「できること、やれることが沢山浮かんでくるんだ。これほど冴えたことは今まで一度も無いかもしれない」
ガシャン――と、突然大きな音がなり、アトゥらはビクリと身を震わせた。
そしてこの緊迫した状況に無粋な横やりをいれた馬鹿は誰だと、視線だけで辺りを窺う。
その音は、タクトのちょうど背後から鳴っていた。
「…………?」
――ガシャガシャと数多くの音が重なる。
タクトの緊急生産だ。マイノグーラの国家運営要員であれば全員一度は目にしたことがある現象である。
だが生み出された物が一切分からなかった。
音からして何か固さのある物であることは確かだったが、彼女たちが知るあらゆる知識を総動員してもその答えは分からない。
唯一の例外、アトゥを除いて。
足下に転がってきた銅色の小さなそれが弾丸であると気づいたとき、アトゥは思わず驚きの声をあげる。
拳銃、マシンガン、ライフル、爆薬――タクトが死ぬ前に過ごした世界における武器が次々とタクトの背後から生み出される。
かつての世界において、地域によっては人の命とはとても安価な物だった。
更に付け加えれば、それら人命を奪う為だけに作られて道具もまた、驚くほど安価に手に入った。
それこそ、少し高級なブドウと変わらぬ程に。
ガシャガシャと山のように積み上げられた兵器の中から手頃な拳銃を一つ手に取り、観察するように眺めるタクト。
緊急生産は魔力さえあればあらゆる物を生み出せる。
その基準はあくまでコストであり、物品としての価値を考慮しない。
神の国――生前の世界の物品を生み出せるという裏技じみた行為において、そのルールは凶悪に作用していた。
「これから皆には今まで以上に手伝って貰わないと駄目かもしれないね」
いつの間にか生産した見たこともない紙の資料と拳銃を比べ、ウンと頷く。
彼が予想したとおり、遙かに安い魔力コストで兵器の生産が可能だった。
そして失われた魔力のあても、また彼の中に存在している。
ありとあらゆる状況が、辛酸を舐めさせられたこの世界に復讐しろとタクトに囁いていた。
「正直大変だと思う。けど……。皆ならできるよ! もちろん今までもしっかり働いてくれてたけど、これからも僕の言うことをちゃんと聞いてね!」
どこから子供のように無邪気な言葉で宣言するタクト。
王から放たれる悍ましい圧力を持った言葉の前に、彼の配下はただ震えながら頭を垂れるしかできない。
「さぁ、世界を征服するよ」
後に歴史書を記したとして、世界が滅びに向かう決定的な瞬間が存在したのだとしたならまさしくこの時がそうなのかもしれない。
終末の訪れは刻一刻と迫っている。
どこかで、"名も無き神"が大きく笑っていた。
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