第四十九話:そして神々の遊戯が始まる(中編)

【エル=ナー精霊契約連合 絶対防衛地点エトロクワル】


 聖王国クオリアで発生した魔女事変。

 神に祝福されし王国が魔女の悪意に為す術もなく翻弄さえ、聖女すら膝を屈していたその時……。

 イドラギィア大陸におけるもう一つの二大善属性国家であるエル=ナー精霊契約連合もまた、かつて経験したことのない脅威にさらされていた。


「報告! 前方に未確認の人影! 複数!」


「よしっ! 総員警戒態勢! 精霊戦士はエトロクワル前方にて迎撃態勢を取れ!」 


 伝令より報告がなされ、司令官らしき男が兵士に向けて発令する。

 清涼さと神秘さが感じられ、どこか荘厳な雰囲気すらあるエルフの森に作り上げられていたのは木材で出来た巨大な要塞であった。

 その高さは城壁にも匹敵し、控えるエルフの戦士は無数の一言。

 随所に彫り込まれたエルフ族秘伝の精霊印が淡く光を放ち要塞の強度を高め、具現化した上位の精霊がまるで蛍の群れの如く辺りを哨戒している。


 深い森の中に忽然と姿を見せる巨大施設。

 この地こそがエルフ達が誇る絶対防衛地点エトロクワルと呼ばれる要塞だ。

 そして要塞というものは必ず敵を想定して作り上げられるものだ。

 これほどの規模ならば戯れに作ったなどいうことはあり得ない。

 その事を証明するかのように、エトロクワルは敵襲を受けようとしている。


「来たぞっ! 淫婦の集団だ!」


 要塞から弓を構え前方を注視していたエルフの戦士が叫ぶ。

 現れたのは、美しい女性の集団であった。

 いや、美しいなどと言う表現は彼女達が持つ美に比べれば生ぬるいにも程があった。

 非現実的なまでの美は容姿に優れたものが多いと言われるエルフ族の男ですら目を見張るもので、その豊満で淫靡な身体から放たれる強烈な雌の香りは敵でありながら思わず見惚れてしまいそうな魅力がある。


 だが彼女達が何よりも恐ろしい存在であることをエルフの戦士達はよく知っていた。

 その事を証明するかのように、彼女達の身体からは人種には決して見られない特徴が存在している。

 山羊の如き角、蝙蝠の如き羽、そしてこの世のあらゆる生命体に属さない特徴的な尻尾。


 彼女達は――サキュバスと呼ばれる存在だった。


「一本、二本、三本……。あはぁん……! なんてことかしら♪ 素敵な殿方がこんなに一杯! 涎が止まらないわ♪」


 先頭に立つ女が楽しそうに喜声を上げた。

 その言葉だけで要塞より出撃し、迎撃の体勢をとっていた歳若いエルフが思わず頬を赤らめ股間を押さえる。

 上位のサキュバスはその声音だけで男を誑かす。

 世迷い事とあざ笑われていた伝承は、現実に現れるとすぐさまその力を証明して見せていた。


「それにしてもこんなに沢山の歓迎初めてね♪ 一体何本いるのかしら? 頭がフットーしちゃいそうね♪」


 その女はひときわ目立っていた。

 身体のラインを強調する特徴的な服装に身を包み、自分の美に微塵も疑いを抱いていないことがその態度からありありと分かる。

 また他とは違って特徴的な装飾を身につけ、どこか豪華さのある装いをしている。

 どうやら彼女がこの集団のリーダーらしい。

 集団から一歩前に出て舐め尽くすかのようにエルフの戦士達を吟味する女――その両サイドから長身と小柄という対照的な体躯の二人が声をかける。


「クイーン、男性を本数で数えるのは流石に品がない」

「クイーン、きちゃないから早く涎ふいてくださいよぅ……ふぇぇ」


 どうやら付き人のサキュバスのようだ。

 彼女達の苦言に「うふふ」と軽く笑った女は、返事の代わりに男好きのしそうな淫靡な笑みを浮かべる。


 クイーンサキュバス、ヴァギア。

 サキュバス一族の中で最も強力とされるこの女こそが、現在エル=ナーを襲う大災厄の原因であり、この絶対防衛地点エトロクワルにて必ず押しとどめるようエルフ氏族の評議会より厳命された対象であった。


「おのれ、忌まわしきサキュバスめ! 徹頭徹尾ふざけおって!」


 時期氏族長として有望されるエルフであり、この防衛拠点エトロクワルの指揮官であるザイス=ティースロイは怒りのまま吐き捨て叫んだ。

 エルフ達の現状は想像以上に危うかった。同胞の状況確認を優先するあまり後手に回り、今日までサキュバスの侵攻を防げずにいる。

 結果彼らは多くの同胞を失った。

 否――同胞はその色香で寝返ったのだ。

 エルフ族という誇り高く神聖なる種族をコケにしたかのようなその下品極まりない事実に、彼の怒りは限界まで膨れ上がっている。

 だが誇り高きエルフがいくら怒ろうとも、相手が同じ土俵で対応するとは限らなかった。


「ふざけているなんて心外だわ♪ 私達は全力で楽しんでいるの♪ そう……生きることをね!」


 なにが誇らしいのか、無駄に不敵な笑みを浮かべたクイーンヴァギアがポーズを取る。

 瞬間、パァンという奇異な効果音と共にその上着が爆ぜ、ふくよかな双丘があらわになった。

 ヴァギアが脱いだのだ。……なお意味は無い。


「クイーン。一々脱がなくていい」

「クイーン。お、おっぱい見えちゃってますよ! ふぇぇ……」


 流石にサキュバスたちの間でもマナー違反だったのか、付き人の二人が苦言を呈す。

 だが本人は一切話を聞いていない。人の話を聞かないサキュバス族の中でも、ヴァギアは特に話を聞かない性格だった。


「はしたないぞ淫婦! 服を着ろ!」


 無論ザイスとしても文句を言わずにはいられない。

 いきなり服を脱がれたことの驚きもあるが、何より目の毒だ。このままではこれから始まるであろう神聖なる戦いに集中できない可能性がある。

 無論ザイスも男である。男であるが故の、悲しい性だった。


「えっ? 服着ろって……もしかしてアタシのおっぱいそんなに魅力無かった? ちょっとショックね、ぴえん♪」


「いや、魅力がないとは言ってないが……そうではなくて!」


「よかったわ♪ じゃあついでにちょっと触ってみる? ほら、ちょっとだけ、先っちょだけだから♪」


「ええい! 黙れ! そういう話をしているのではない!」


 相手に服を着させるだけなのになぜここまで叫ばなければならないのか、思わず辟易としてしまうザイスだったが、ふと我に返る。

 相手のペースに乗せられてはいけない。

 これ以上会話を重ねてしまえば相手に取り込まれる。

 今までの同胞がそうであった。気付けば彼女たちに賛同し、その色香にほだされてしまっているのだ。

 事実ザイス自身もどこか憎めない性格のヴァギアに親近感を覚え始めていた。


「淫婦の女王よ、魔女ヴァギアよ――ここで貴様を止める。テトラルキア評議会が定めし精霊の法にて、このザイス=ティースロイが貴様の魔の手から同胞を救ってみせる!」


 言葉と同時に、ザイスの背後にあるエトロクワルに刻印された精霊印の輝きが増す。

 辺りを漂っていた精霊が巣に帰るかのように建物の内部へと集まり、やがてその輝きは一筋の光となってザイスの身体に降り立った。

 もはや言葉は不要。敵は討ち滅ぼすのみ。

 そう言外に語っているようだ。


「我がエルフに伝わる大規模精霊儀式だ――周辺一帯の精霊と魔力を一手に集めたこの力、いくら貴様が魔女だとしても耐えきれるものではない!」


「ふふ、確かに凄い高まり。そう――身体で語り合うのね♪ そういうの大好きよ♪ さぁ、貴方の雄力をこのサキュバスクイーン、ヴァギアがじっくりねっとりずっぽりはかってあげるわ!」


 ザイスが己が武器である槍を構えた。

 精霊印が施されたそれはエトロクワルから補助の魔力を受け、らせん状のうねりを伴いながら強烈な輝きを放つ。

 同時にザイスの背後に控えていた精霊戦士団が各々の武器を構え、要塞に詰める弓兵たちが弦を引き絞る。


「エルフ。どこからでも来なさい」

「エルフさん。あ、あの……お手柔らかにお願いします」

「ふふふ♪ さぁ、お姉さんといいことしましょ♪」


「精霊よ! 我に勝利を! 征け! 勇敢なる精霊の戦士達よ!」

「「「「おおおおおおっ!!!!」」」」


 言葉と同時に、ザイスは光の一筋となってヴァギアへと全精霊力を込めた一撃を放った。

 衝撃で森が揺れ、木々の合間から鳥たちが慌てて飛び立っていく。

 あふれ出た力は地面を波打たせ、光の鉄槌は確かに魔女へとたたき込まれた。

 全てのエルフが頼もしき時期氏族長の勝利を確信し、サキュバスたちですら驚きに目を見開く。

 だが、ザイスだけは。


「……なっ!」


 ――ザイスだけは。

 ぽよんと、柔らかな感触にその一撃が防がれたことを理解していた。


「喰らえ必殺おっぱいビンタ!」

「ぐぼはぁっ!!」


 衝撃を受け、ぐるぐると大地を転がりながら叫ぶザイス。

 その頬は真っ赤に腫れ上がり、その一撃が言葉とは裏腹に強烈なものであることを物語っている。

 だがそんなことはザイスにとって心底どうでもよかった。

 頬の痛みなどよりも彼を大いに混乱させる事実がそこにはあったからだ。


「な、なにが起こった!? なにが――」


 転がった先で同胞のエルフに支えられながらよろよろと立ち上がるザイス。

 目の前でふんぞり返るヴァギアは先ほどと一切変わりなく、一撃を叩き込んだはずのその美しき胸には傷一つついていなかった。


「知ってたかしら? 男はおっぱいには勝てないの……悲しい事実よね♪」


「ふざけるな! 精霊の加護だぞ! 精霊儀式だぞ! エトロクワルの全精霊力を集めた一撃だぞ! ありえん! そんなことあり得ない!」


 己の常識を覆す事象を前に混乱をきたし叫ぶザイス。

 自らの信念がガラガラと崩れさる音を聞きながら、ならばこの魔女をどうやって滅ぼせば良いのだと絶望にもにた感情に支配される。

 そんなザイスを見て、ヴァギアは静かにその口を開いた。


「えちえちサキュバス公式通信Vol.14」


「……え? なんて?」


 思わず素になって問いかけるザイス。

 明らかにそんな雰囲気ではなかったにも関わらず、まったく突拍子もない事を言われたからだ。

 と同時にその言葉が意味することを自分はなにも理解していないことに気づく。

 一体なにを言おうとしているのか? 時期氏族長と目されるほどの能力を持つ男がただ混乱しか出来ない中、ヴァギアは言葉を続ける。


「サキュバスクイーンのレベルは90オーバー。その攻撃能力は単体で最新の空母打撃艦隊に匹敵し、防御力は戦術核の使用ですら満足なダメージを与える事はできない……56ページより抜粋♪」


「くーぼ? せんじゅ……なんだそれは? なんなんだそれは!?」


 およそ個人が持つには規格外すぎる戦闘能力が明かされる。

 だがザイスにその言葉の意味を理解出来るはずもない。

 こことはまた別の世界。また別の法則が支配する世界で猛威を振るった兵器のことなど知りようがない。

 ドヤ顔で胸をさらけ出しながらふんぞり返るクイーン。ただただ混乱するばかりのザイスを見かねてか、付き人である二人のサキュバスが端的に補足する。


「エルフ。お前達が想像している以上に、我々は強大な存在だ」

「エルフさん。種族として格が違うんですよぉ、ふぇぇ」


 ノーブルサキュバスと呼ばれる貴族階級の二人は、彼我の戦力差を冷静に分析し事実だけをそう述べた。

 地面にはザイスと共に突撃したエルフの精霊戦士たちが転がっている。

 どれもこれも弛まぬ訓練と過酷な儀式を経て精霊の称号を得た者たちだ。

 クオリアの聖騎士と肩を並べるエル=ナーの誇りである彼らが、束でかかっても一蹴される。

 言葉以上にこの事実が、ザイスへと受け入れがたい現実を突きつけている。


「まぁ、そういうこと♪ この設定を見たときエロゲーにそんな設定挿れてるメーカーは馬鹿なんじゃないかなーって思ったんだけど♪ けど意外と役に勃つものね♪」


 ヴァギアは語る。

 己が出自を。己がいかなる存在かを。

 だがその言葉を理解出来るものはエルフたちの中には居ない。

 理解出来ないことを承知で、彼女は語っていたのだ。


「だってこんな危険な世界に召喚されることになっちゃったんですもの♪」


 やがて誰ともなくクスクスと笑い始める。

 サキュバス達の間から漏れる蠱惑的な笑い声はだんだんと勢いを増し、まるでエルフ達を包み混むかのように伝播していく。

 男を誘う淫靡な合唱にエルフの戦士達も敗北の気配を察し、恐慌が広がる。

 だが逃げ出す者は一人もいない。

 なぜなら、すでに彼らはこの非現実的な美しさを持つ集団に心を捕らわれていたのだから。


「とはいえ今の貴方たちには関係ないこと。そして今の私達にも関係ないことっ♪」


 パチンと、クイーンが指を鳴らすと同時に、後ろに控えていたサキュバス達が前に出る。

 全員が全員陶然とした笑みを浮かべ、これから起こる狂祭に待ちきれぬ様子でクイーンの言葉を待っている。

 そして、無慈悲な女王によるこの世の快楽を尽くした宴の始まりが宣言された。


「さぁみんな、ディナーの時間よ! ニッチな企画物AVですらドン引きするようなプレイをエルフ達にみせてヤリなさい!」


「「「「わーいっ!!」」」」


 正気に戻ったエルフ達が慌てて逃げ出す。

 だがサキュバス達が持つ規格外の戦闘能力に一人、また一人と捕まっていく。

 捕まった者がどうなるかはあえて語るまでもないだろう。

 そこらかしこで始まった男女の交わりを視界の端に捉えながら、付き人である二人のノーブルサキュバスはクイーンに向き直った。


「クイーン。これからどうするつもり?」


「どうするって? ナニのこと?」


「クイーン。他のゲームから来ている敵さんたちのことですよぉ……うう、なんでシリアスで暴力的なゲームばっかりなの? お馬鹿でエッチなゲームから来た私達じゃきっと負けちゃいますよぉ」


「負けたら負けたで敗北エッチだからいいんじゃない? あり寄りのありだわ♪」


 クイーンの言葉に小柄なノーブルサキュバスがあわあわと顔を真っ赤にし、やがてぽつりと「いいかも……」と呟き押し黙る。

 サキュバスらしいその態度に相方である長身のノーブルサキュバスは軽く首を振ってため息を吐くと、どうしようもないとばかりに天を仰ぐ。

 そんな愉快な二人の姿を見ながら、酷くご機嫌な様子でヴァギアは笑う。


「憎しみとか殺しあいとか戦争とか……ぜんぶぜ~んぶ、無駄よ無駄♪ 無駄で無意味で無価値で無生産よ。エッチなのよエッチ♪ 全て忘れてエッチすればナニもかも解決するの♪ そのために私たちはここに来たのだから……」


 カラカラと豪快に笑うその声ですら男性を堕とす魔力を秘めている。

 彼女の全ては男を虜にする為に存在していた。

 その為にヴァギアは生まれた。その為に生きている。

 ヴァギアに目的は無い。夢も無ければ叶えたい願いも特にない。

 ただ彼女の神と自分がそうしたいからそうするだけだ。

 究極の欲望は、唯一無二であるが故に限界まで研ぎ澄まされ、鋭利になるのだろう。

 時としてそれは世界を切り裂くほどの力すら持ってしまうのだ。


 クイーンヴァギアは微笑む。全ての生命を堕とすその魅力をたずさえ。


「さぁ、我らが"拡大の神"の望むがままに……この"貞淑の魔女クイーンヴァギア"が、世界征服と逝こうかしら」


 新たなる脅威は、確実に世界に浸透していた。



【マイノグーラ王宮 緊急会議】


 ブレイブクエスタス魔王軍による急襲。そして英雄の損失という決して見過ごすことの出来ない問題。

 それらについて話し合うため、タクトは国家の運営における主要なメンバーを集め会議と今後の方針を話し合っていた。


 だがいつもはどこか和気藹々とした雰囲気の中であったが、その日だけは違った。

 無論イスラを失った衝撃を考えるのならば、会議の空気が重くなるのは避けられぬだろう。

 だが違う。この日ばかりは違った。

 この場に集められた全てのものが震える程の恐怖を感じ、ただウロの中で嵐が過ぎるのを待つ小動物の様に縮こまっている。

 初めての経験に戸惑いと共に怯えを感じる配下を見渡しながらタクトは静かに宣言した。


「…………世界を征服する」


 有無を言わせぬその言葉は、聞く者全てに得体の知れない畏れを感じさせた。

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