第四十七話:落月

 この光景を劇作家が見ていたら、間違いなく駄作の称号を与えるだろう。

 男の闖入はそれほどまでに唐突で、それほどまでに意味不明で、それほどまでに異質だった。


「お前、なんなんです?」


 妹のキャリアが静かに尋ねる。

 怒りを押し殺した声だ。今にも飛びかからんとしている様子がひしひしとうかがえる。

 そうしないのは相手がまがりなりにも魔王を一撃で倒したことに由来する。

 まるでそこらの雑魚を強者が一刀両断するかの如き所業だった。妙技と言って差し支えないだろう。

 だが魔王を相手に披露して良い技では無かった。相手の底が知れない。

 故に、姉妹はまず相手の出方の確認と誰何を行うことにしたのだ。


「いや……えっと、君たちが襲われていたから助けようと思って?」


 その男は、危機感の一切ない様子でそう答えた。

 まるで昼下がりの公園で、近所に住む顔見知りにでも偶然出くわしたかの様な態度だ。

 この地は文明圏から遙か南方に位置する荒廃した大地である。

 その場に男がいる理由も、その場でこのように気楽な態度を取れる理由も、どこにも存在していないはずだ。


 エルフール姉妹は互いに目配せをする。

 この男は自分たちの敵か味方か、どちらなのだろうか? という疑問が、狂気の中に幾分残っていた理性によって湧き出てきたのだ。

 とはいえ万が一味方だとしても、今まさに敵を討たんとしていた彼女たちにとってそれは大いなる侮辱となった。


「助ける? 助けが必要に見えましたですか? ずいぶんと優秀な目をお持ちなのです」

「あははっ、おかしいね。別に助けなんて呼んでないのに。どうして助けが必要だと思ったの?」


 魔女の感が、その男の行動に違和感を覚えさせる。

 指摘をさせるに十分なほど、男の行動は奇妙だった。


「もしかして……」


 だからこそ。


「何か目的があって邪魔したの?」


 その指摘に男は押し黙った。

 メアリアの瞳が限界まで見開かれ、狂った視線が男に突き刺さる。

 この時点でようやく男はエルフール姉妹が孕む狂気を理解したらしく、何やらギョッとした表情を浮かべるとジリとたじろいだ。

 男には、確かに二人に隠していることがあったからだ。

 むろん魔女はその変化を見逃さない。


「あ、あはは! そんなぁ。やだなぁ! 偶然、偶然だよマジで! 信じて! ほらっ、そんな怒った顔は可愛い君たちには似合わないなー! な、なんて……」


 二人の少女が無言で武器を構えた。

 魔王から奪取し、主が死んでからも消える事を忘れてその場に残る武器だ。

 こことは別の世界からやってきた人の悪業と戦争を具現化したハルバードと双剣は、月の光を鈍く反射し次の獲物を今か今かと待ち受けている。


「ま、待て待てって! そんなつもりじゃなかったんだよ! 本当に助けようと思ったんだ!」


 男が両手を前に出し、エルフール姉妹を落ち着かせようと必死で説得する。

 だがこの狂った二人を止める事が出来る者などこの世界のどこにも存在しない。

 否……過去存在していたが、それはもう失われてしまった。

 二人が放つ異様な気配を察したのか、それとも何らかの勘が男に働いたのか……。

 説得が不可能と判断した彼はやれやれとばかりに大げさに肩をすくめると、先ほどまでのどこか軽薄な表情を消し去り静かに腰に差した剣の柄へと手をかけた。


「やめろ、今の君たちじゃ、――俺には勝てない」


 姉妹の殺気に呼応して、剣を抜き放とうとしているのだ。

 だが不思議な事にその言い草にはどこか芝居めいたものがあった。

 まるで台本があって、その通りに自分を演じているかのような。

 今までとは違った役柄を強いられているかのような。

 その様な違和感溢れる態度だった。


 ……だからどうしたと言うのだ。


 抱いた違和感に双子の姉妹は内心で唾を吐き捨てる。

 そんな事どうでもよい。心底どうでもよい。

 重要なのは目の前の男が自分たちの過去を穢したという事実だ。

 過去への贖罪が、崇高なる祈りが、この男によって台無しになってしまった。


 母へ捧げる戦いの結果が無粋なる横やりの結果奪われ、自分たちは永遠に敵を討つことが叶わなくなってしまった。

 これがどれほどの屈辱か、これがどれほどの怒りか。

 もはや双子の姉妹本人たちですら把握出来ないほどに肥大化した憎悪は、そのまま濃密な魔の気配となって彼女達の周りに漏れ出る。


 世界に静寂が訪れる。

 嵐の前の静けさだ。


 声が届く程の距離、すでに互いの間合いの範疇。

 あとは何かのきっかけがあればそのまま次なる戦いの始まりが告げられるだろう。

 男が腰を深く落とし、迎撃の体勢を取る。

 姉妹が腰を深く落とし、跳躍の体勢を取る。

 そうして互いが互いを知らぬまま、


 不毛な殺しあいが始まった――。

「そこまでです」


「「――――ッ!?」」


 今日はやけに横やりが多い。

 そして奇妙な出来事もまた多い。

 静かな声によって、始まってしまったはずの戦いは強制的に中断させられ巻き戻された。

 何が起こったのか一瞬の混乱。その後に双子の少女達は自らの足が突如出現した氷によって縫い止められている事に気がつく。


「凄いですね。すでに開始された行動にすら強引に停止事象をねじ込むのですか……。いまこれ時間歪んでませんでしたか?」


 ただの氷ではない。

 イスラの英雄としての素質を継承し、勇者としても目覚めた少女たちをただの氷で止めることはできない。

 それどころか、すでに攻撃に移っていたにもかかわらず行動が止められたのだ。

 何らかの不思議な法則が働いたとしか考えられなかった。


 その事実を瞬時に理解しながら、少女たちは声の方向へと視線を向ける。

 そこに居たのは……汚泥のアトゥと呼ばれる彼女たちの英雄だった。


 完全に発動した事象を切り返す。

 先に使用した技はアトゥが四天王の一人、アイスロックから奪取した《氷河撃破斬》という必殺技である。

 対峙した時は必中の能力を持つ技かと思われたそれは、どうやら相手の行動を強制的に阻害し自分の行動を差し込むという能力だったらしい。

 ……必中など目にならないほどに凶悪な能力だ。

 RPGの強制力とはこれほどまでに理不尽なものなのかと思案しながら、アトゥは一瞬思考を切り替え念話でタクトにいくつかの状況報告を行うと静かに双子の近くへと歩みを進めた。


「うわっ、また女の子っ!?」


 アトゥを見て男が叫ぶ。


「…………」


 チラリと視線を男へ向けるアトゥ。

 その表情が一瞬驚愕のものへと変わり、次いで苦渋に満ちたものとなる。

 小さく何度も頷いていることからどうやらタクトからの連絡を受けているらしい。


 双子とは違い、彼女たちは男について何らかの情報を持っていると思われた。


「貴方は何者ですか? なぜここに?」


「いや、それは……えーっと、企業秘密ってやつ? あっ、企業って言ってもわからないか……ハハ」


 男の言葉に内心で「分かりますよ企業くらい」と答えたアトゥは、そのまま男の言葉を無視してタクトへと相談を行う。

 その間も視線は男に固定されており、警戒は緩めていない。


「ええ、承知しておりますタ――我が王よ」


 ほんの数秒。何らかの指示を受けたアトゥはじぃっと男に観察してから、不意に視線を外す。

 そうして男が動揺している間に姉妹へと声をかけた。


「王よりすでに事情は聞いております。貴方たちには帰還命令が出ています。目的も――達したのでしょう? なら帰りますよ」


 そう、イレギュラーがあったがアトゥが受けた命令は双子の回収だ。

 姉妹を無事マイノグーラの街へと帰還させる事が彼女に求められることだ。

 幸い姉妹たちの目的である魔王も撃破されたようだし、帰還だけであれば問題はないかと思われた。

 だが……。


「その人は邪魔をした」


「逃すわけにはいかないのです」


 エルフール姉妹にはまだやり残した事があった。

 彼女たちは、その憎悪と後悔を解消するはけ口を強く求めていた。


「は? 我らの王がそう言ったのですよ? 何で聞かないのですか? 貴方たち――何か勘違いしていませんか?」


 この言葉に苛立ちを見せるのはアトゥだ。

 彼女にとってタクトは最優先すべき存在である。そして同時に同じ価値観をその国民であるダークエルフ達も持つべきだと考えている。

 王の慈悲によってたまたまその国民となる栄誉を賜ったみすぼらしい闇精霊ごときが、その言葉に異を唱えるなどあってはならないことなのだ。


「邪魔をしないで欲しいのです」

「邪魔をすれば、アトゥさんも許さないよ?」


「小娘の分際で――力を得て驕ったか?」


 ブチリ、と何かが切れる音が聞こえた気がした。

 アトゥの背後から無数の触手が湧き出る。

 ゆらゆらと揺れるそれは、一つ一つが明確な意志を持っており、タクトの命令を拒否する愚か者に対して今にも襲いかからんばかりに殺気を放っている。


 アトゥの現在の戦闘力がどの程度のものかは不明だ。

 だが汚泥のアトゥの真価は単純な戦闘能力にあらず。敵より無限に奪取出来るその能力にある。

 そして彼女は――先の魔王軍との戦いでたらふくその能力を獲得する事に成功している。

 確かに双子の少女の能力は厄介極まりない。

 本人達の戦闘能力も決して軽視できないものだ。

 だが何も問題無い。

 先と同じように《氷河撃破斬》で行動阻害をおこない、触手を用いた遠距離攻撃で回避不可能な先制攻撃をお見舞いしてやればよい。

 相手は少女の身とは言え英雄の素質を継承したものだ。死にはしないだろう。

 ダメージよる行動不能なら重畳。気絶なら最上。再起不能でも……まぁ必要な損害だ。


 冷静に判断し、高速で頭の中で戦闘予測を組み立てる。

 生まれながらの英雄。

 マイノグーラが誇る希代の戦人が持つ圧倒的戦闘センスは、今の双子が有する力を持ってしてもすでに撃破困難なものとなっていた。


 互いに折れる事はできない。

 姉妹は過去の為に、英雄は王の為に。


 仲裁を考えているのか、先ほどから手を差しのばしては引っ込める動作を繰り返している男を差し置いて、一触即発の空気が三人の間に流れる。

 その時だった……。



 月の光が……陰った。



 何のことはない。夜明けが来たのだ。

 気がつけばすでに月は大きく大地に沈み、その輝きは失われつつある。

 同時に反対の方角からは強い光が差し込み、太陽が代わりとばかりに顔を覗かせていた。


「…………キャリア。もう、やめよ」


「お姉ちゃんさん……」


「…………?」


 沈む月を見ながらそうぽつりと呟いたのは姉のメアリアだった。

 どうやら姉の名前を呼ぶ妹も同じ意見らしく、二人で気が抜けたように月を見つめている。

 やがて二人は悲しげな表情で月から視線を離すと、アトゥの方を向き直って大きく頭を下げた。


「……アトゥさん。ごめんなさい」


「失礼なこと言って、ごめんなさいなのです」


 同時に謝罪の言葉を述べる彼女達は、アトゥが知る以前の二人と寸分違わぬ様子だった。

 これなら話も満足にできるだろうし、帰還の命令も聞くだろう。

 アトゥはチラリと月へと視線を向けると何やら納得したとばかりに頷き、比較的好ましいと思っていたかつての二人が戻ってきたことに少しだけ表情を崩した。


「……なるほど。まぁ状況が状況ですし、命令を聞いてくれるのであれば先ほどの暴言は聞かなかったことにしましょう。ただ、王にはちゃんと謝罪するように」


「うん、あやまるー」

「はいなのです」


 そうしてとててとアトゥの側にやってきた二人。

 何やらペコペコしているところを見ると早速念話を使って王に謝罪しているらしい。

 やけに日本人じみてるな……などと考えながら、アトゥはこの場で最も警戒すべき相手に向き直った。


「それで……貴方はいつまでそこに?」


 視線の先には一人の男。軽薄そうな印象で年齢は16~18歳程度。

 服装も武装も初めて見るものだが、知識として存在している。

 視界を共有することによって王にも確認済みだが、もし彼がそうだとすると非常に不味い事態ともいえた。

 アトゥは先の双子とのやりとり以上に緊張感を抱きながら、静かに男の出方を待つ。


「いや、ああ、ハハハ。なんか込み入った話をしているみたいだったし、変に会話に入るのも空気読めないかと思ってさ」


 実際男は終始蚊帳の外だった。

 戦闘に横やりを入れたことも余計であったし、アトゥが双子を説得する際にも余計だった。

 まるではじめから存在していた物語に無理矢理異物を入れたかのような場違い極まりない空気がその男だけには存在している。


 さてどうしたものか、戦闘を避けることはタクトから厳命されている。

 そもそも双子が大人しくなったので戦う理由も存在していない。ある程度いきさつは王より聞いていたが、魔王を倒したところを見るとある意味姉妹を助けようとしてくれたとも言える。


 だがその身から滲み出る表現に苦慮する胡散臭さが、アトゥにこれ以上彼と会話を重ねることを拒ませていた。

 そんな態度が出たからだろうか? 男もいよいよバツの悪さが限界に達したのだろうか?

 彼はシャキッと片手を上げると、何やら一方的にまくし立てはじめる。


「じゃ! 俺はここらで! なんかほら……君ら大丈夫そうだし、お邪魔かなって!」


 そうしてきびすを返す。

 首だけこちらを振り返り様子を窺う男に、アトゥは小さく頷いて返答とした。

 ここで迂闊に接触を持つことは危険すぎる。

 もしアトゥやタクトが想像するとおりの相手だとすると、何が起こるか分からない。


「余計なことしてごめんな! そこの二人も――じゃ!」


 そうして男は脱兎のごとく駆け出し、やがて恐ろしい速度で地平線の彼方へと消えていった。

 その後ろ姿を眺めていたアトゥは、ふぅ……と小さいため息を吐く。

 これでよかったのだ。

 タクトからも早く戻ってくるよう通達が来ている。

 これ以上のトラブルはすでにマイノグーラ全体の処理能力を超えており、なんとか体勢を立て直す時間が欲しいところだ。


 故に、男の動向については気になるが……現状は放置するしか他無かった。


 なぜこれほどまでアトゥとタクトが男を警戒したのか?

 彼らが見逃したその男には一つの特徴があった。

 ――彼が身につけている衣服はタクトが過ごした以前の世界で学生服と呼ばれるものであり、彼が使っていたその武器は刀と呼ばれていた。

 どちらも、この世界には決して存在していないはずの物だった。


 何か、非常に面倒な事が起きている。

 当初この世界に来た時はその立地の悲惨さに難易度が酷いと暴言を吐いていたアトゥとタクトだったが、もしかしたらその程度では済まされないかもしれない。

 そう考えると、いよいよもってアトゥのため息も深くなってくる。


 ともあれまずは帰還しなければ始まらない。

 アトゥは大人しくなってくれた聞き分けの良い二人に向き直ると、いつもの調子で声をかける。


「さぁ……帰りますよ。これから少し忙しくなります。貴方がたにも手伝って貰わなくてはいけませんからね」


 気がつけば、双子の姉妹はアトゥから少し離れた場所にいた。

 そこは魔王が倒れ伏した場所で、その死体の代わりに大量の金貨が山となっている。


「……どうかしましたか?」


「あの、これは……なんなのです?」


 先ほどまで迷惑をかけた手前少し気後れしているのか、キャリアが控えめに尋ねてくる。


「ブレイブクエスタスの金貨ですね。かの地の魔物は、死ぬと同じだけの価値を持つ金貨になります。――魔王ともなればその量は異常の一言ですね」


 金貨の山を見上げながら説明してやるアトゥ。

 呆れた量だ。

 加えて道中で彼女が倒した敵たちも金貨をバラバラ落としていた。

 今頃この地一帯はゴールドラッシュ顔負けの金埋蔵量となっているだろう。

 むろん市場に出すと経済が崩壊することは目に見えているのでおいそれ使うこともできない。

 放置するにも誰かに見つかっては面倒毎になりそうだし、一体どうするんだ? と疑問に思う。


「イスラお母さんは……復活するでしょうか?」


 そんな事を考えていると、静かに問われた。

 アトゥは……少しばかり考え、何か方法はないかと自分が持つ知識を探り。


「残念ながら、イスラは死にました」


 ただ静かに答えた。


「ひっく……うくぅ、ひっ、ひっく……!」

「うぐぅ……うっ、ううっ!」


 二人の少女が瞳に涙を浮かべる。

 メアリアは立ったまま嗚咽を漏らし、キャリアは膝から崩れ落ちる。

 後悔の果てに得たものが、これほどむなしいとは思わなかった。

 自分たちの願いがここまで軽んじられるとは思わなかった。

 戻らぬ過去を思い、二人はただただ涙をこぼす。

 美しく輝く金貨が、まるで何かの褒美のようにも思え……。

 それがたまらなく悲しかった。


「うわぁぁん! あああああああ!!」

「ひっくっ、うぐっ! ああああっ!」


 ただ大声で泣き叫ぶ。

 今はそれしかできない、それしか術が残されていないとばかりに。

 そんな二人を目にしながらアトゥは自らの王へと少し帰還が遅れる旨を念話にて告げる。


 月の輝きはどこか遠くへ消え去り、もはや彼女達を照らしてはいなかった。

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