第四十二話:けして戻らぬもの

「別に……ついてこなくても良いのですよ?」


 無骨な岩石が見え隠れする荒野を駆けながら、アトゥは背後から追従してくるモルタール老ら、マイノグーラの兵へと不機嫌そうに告げる。

 アトゥの脚力は人のそれではない。

 その細足から繰り出される力は大地を割るほどで、足のひと踏みで膨大な距離を駆け抜ける。

 マイノグーラの祝福を受け邪悪なる存在となったダークエルフたちとはいえ、あくまでそのベースは人のそれである。

 にもかかわらず彼らがまがりなりにもアトゥとともに行軍できていたのは、彼女がゆく先々でブレイブクエスタスの魔物達を鏖殺していたからだ。

 彼女が持つ触腕はその見た目以上に攻撃範囲が広い。

 加えて同時に捉えることのできる目標の数もだ……。

 一振りで数多の魔物が上下に分かれ、一突きで数多の魔物が脳天より突き抜かれる。


 まるで苛立ちをぶつけるかのように蹴散らされていく魔物たちに、モルタール老は敵でありながらほんの僅かな憐憫の情さえ抱いてしまう。


「――まだいたのですか?」


 苛立ちがこちらに向かってきた。

 くるりと振り返ったその瞳はまるで射殺さんばかりのもので、少しでも言葉を間違えれば彼女の背中で揺れ動く触手によって突き殺されてしまいそうな威圧感がある。

 人外の――それも英雄と呼ばれる存在が放つ重圧。

 心の内で冷や汗をかきながら、モルタール老は決して相手の不興を買わぬよう静かにその言葉に答える。


「王よりともに進軍せよとの命を受けております。なんらお力になれずとも、王の命令に背くわけにはいきませぬ」


「ふーん、では遅れない程度についてきなさい」


「ははぁ!」


 やがてアトゥの興味が失われたのか、それとも新たな獲物が見つかったのか、彼女はぷいっと顔をそむけるとまた受けた指示の通り道を歩き始めた。

 その先々で魔物の絶叫が微かに流れてくる辺り、どうやらまだまだ彼女の怒りをぶつける相手には事欠かないようだ。


「も、モルタール様……」


「言うな。わかっておる」


 モルタール配下の魔術師見習いが小声で名前を呼ぶ。

 彼が何を言わんとしているのかは分かりきっていたが、その先の言葉を口にしてはならぬとばかりに遮る。

 いくら小声で話そうとも相手には聞こえているのだ。

 いらぬ怒りをかっていたずらに命を落とす趣味はない。


(しかし……何という怒り。そばにいるだけで焼き尽くされてしまいそうじゃ……)


 モルタール老は内心で独りごちた。

 彼女の態度の変化は先の戦いで敵の四天王アイスロックを倒してからとなる。

 正確にはその報告を自分たちの主であるイラ=タクトにおこなってからだ。


 マイノグーラ首都への敵の強襲。


 それはその場にいた全員を十分に驚愕させるものであり、同時に強い危機感を抱かせるものであった。

 未だ戦力が十分とは言えないマイノグーラ。そこに加えて今回のドラゴンタンへの派兵は戦力を割いているという状況がある。

 首都の防衛は同じく英雄であるイスラがあたっているとは言え、万が一が起こらないとの保証はどこにもない。

 加えてかの地には非戦闘員も多数いるのだ。

 もし数で押されて防衛が突破でもされようものなら力を持たない市民に被害が及ぶことだけではなく、最悪の場合王であるイラ=タクトさえ危ぶまれる。


 彼女達の慢心をあざ笑うかのように起こったその出来事が、アトゥが持つ狂信的とまで言えるタクトへの忠誠と心配を怒りへと転じさせていたのだ。


「早くタクト様の元へと向かわなければいけないのに……このっ、ゴミどもがぁっ!!」


 逃げられないと悟ったのか、悲壮の表情でこちらへと向かって来たヒルジャイアントを無造作に切り伏せる。

 すでに彼女の戦闘力はヒルジャイアント程度では歯牙にもかけぬ程のものとなっており、現在も進行形で処理される魔物たちが経験値という形でその力を彼女へと明け渡している。


 彼女がこれほどまでに怒り狂う原因が、この眼の前で処理される魔物たちだった。


 アトゥがタクトへと連絡を取り、マイノグーラ本拠地への敵襲の報を聞いて動揺した際のことだ。

 すぐさまマイノグーラへの帰還を申し出、イスラに加わる形で都市の防衛と敵の撃破を提案した彼女だったが、タクトの判断は否だった。

 変わって彼女に伝えられた指令は、このまま追撃を行いドランゴンタンより南下、撤退する敵の軍勢を蹂躙する形で魔王軍の発生場所へと思われる地区への進撃と魔王の撃破だった。

 ブレイブクエスタスをプレイしたことのあるタクトが、四天王とアトゥの戦力差から魔王軍の完全な撃破が可能であると考えたためだ。

 つまりこのまま時間を浪費して事態に不慮の問題を発生させるよりも早期の収束を図ったのだ。

 マイノグーラ都市と自分の防衛はイスラに任せる。

 そのように伝えられた時の彼女の思いは果たしてどのようなものだったか……。


 無論、アトゥに反論する権利など存在していない。

 説明を受け、英雄としてのセンスも戦力的に問題ないと判断している。

 だがその意図は理解できれども、納得がいくかはまた別の話である。

 そもそもアトゥという英雄は国家はもとよりイラ=タクトという存在に強く従属している。

 彼女にとって何よりも大切な者がタクトであるが故に、自らの主が危機に瀕している状況で別行動をよしとするには強い拒絶反応があった。

 たとえそれがタクトが決め、命じたことだとしても……だ。


 今すぐ敬愛する王の元へ戻り、その御身を自らの手によって守り下劣な敵勢力を粉砕したい。

 仲間であるイスラとともに、英雄としての役割を十全に果たしたい。

 その葛藤ともどかしさは純粋なる怒りとして発露し、哀れな魔物たちは憤怒のはけ口として無残にもその生命を散らされていく。

 だが現実は違った。選ばれた作戦は別のものだった。



 ――歴史にIFは存在しない。

 ゲームならやり直しができるが、現実にその様な機能は存在しない。


 だから、こんなことを言っても無意味なのだろう。

 あの瞬間。タクトがアトゥをマイノグーラに戻す判断をしていたのなら、この結果は起こり得なかったなどと断じるのは……。



「う、うそだ……」



 突然、本当に突然のことだった。

 先程まで怒り狂っていたアトゥがピタリとその歩みを止め、わなわなと震えだしたのだ。


「……むっ? アトゥどの。いかがなされたか?」


 その異変を最初に感じ取ったのはやはりモルタール老であった。

 アトゥの怒りを買わぬようある程度距離を取っていたため何が起こったのかは分からぬが、異変が発生したことだけはよく分かった。

 すでに日が落ち始め、時間は夕暮れに差し掛かっている。

 オレンジ色の陽の光が背後からアトゥの身体を赤く照らし、その色がまるで血でも浴びたかのように人外の少女の身体を濡らしている。


 一歩、モルタール老がアトゥへと近づいた。

 そうして再度彼女に声をかけようとして……。


「いかんっ! 皆のもの、伏せよ! 岩陰に隠れるのじゃ!」


 すんでのところでその異変に気づいた。


「嘘だっ! 嘘だ嘘だ嘘だ! ありえない! そんなことがあるはずがない!」


 地面が爆発した。

 アトゥの持つ触腕が彼女の怒りを表すかのように縦横無尽に振るわれる。

 まるで幼児が縄跳びを振り回して遊ぶかのように扱われるそれは、周囲の形あるありとあらゆるものを砕きながら、ビュンビュンと空気を切り裂く耳障りな音を奏でている。


「英雄だぞ!? マイノグーラの英雄が! それが、なぜ!? こんなところで!?」


 慌てて近くの岩場の陰に隠れることができた者は幸運だろう。

 そして幸いなことに、まるで神に祝福でもされているかのようにその場にいたダークエルフ達の近くには身を隠す岩場が存在した。

 薙ぎ払われた石が弾丸のように降り注ぐ中、モルタール老は自らの幸運を噛み締めながら、大声でアトゥの怒りを諌める。

 そうせねば、いずれ目の前で自分たちを守る岩さえ削り尽くされ、その暴力が襲ってくるであろうことは明らかだったからだ。


「我らが英雄アトゥよ。! どうかその怒りをお鎮めくだされ! その力はむやみに振るわれるものではなく、マイノグーラとイラ=タクト王の為にこそ使われるべきもの!」


 アトゥの激昂はその場にいる全てを破壊し尽くさんほどに膨れ上がっていた。

 もし言葉を間違えていていれば、モルタール老はおろか、その場にいるダークエルフ全員この場から消え去っていただろう。

 怒りに狂う英雄を止めたのは一つの言葉だ。

 イラ=タクト。

 彼女が全てを捧げる、絶対無二たる主の名前が、暴れる意識を繋ぎ止め、冷静の縁へと帰還させた。


「…………取り乱しました」


 ポツリと呟き、先程の怒気が嘘であったかのように力を抜く。

 暴れ狂っていた触腕がだらりと力なく垂れ下がり、やがてシュルシュルとその背へと収納される。

 茫然自失としているアトゥを慎重に観察したモルタールはようやく修羅場を越えたことを確認すると、ほぅと大きな大きなため息を吐いて部下に合図し呼び寄せる。

 すでに彼女の瞳には冷静さが戻っている。

 であるならマイノグーラの英雄たるアトゥがその力を無闇矢鱈に仲間に振るうことはないだろう。

 とは言え、先程の光景はすぐに忘れることのできるようなものではなかったが……。


 何やら異様な空気が流れ、集まったダークエルフたちが心配そうにアトゥを見つめる中、モルタール老が意を決して尋ねる。


「一体……何が起こったのですかな?」


 空気が張り詰める。

 今までこれほどまで取り乱したアトゥを見たのは初めてだったし、これほどまでに意気消沈しているアトゥを見たのも初めてだった。

 危機的状況が発生したのは明らかだった。先にアトゥが発した言葉から、その内容の推測もある程度は可能だ。

 だが理性が納得しても、心は決して納得していなかった。

 だからこそ、アトゥからその言葉を聞かねばならなかった。


「イスラが……」


 ポツリと、その場にいる全員が知る英雄の名が出た。

 そして同時に、次に語られる言葉の内容も推測できてしまった。


「イスラが死にました」


 苦渋の表情とともに、その言葉はようやく絞り出された。

 マイノグーラの英雄たるイスラの死。

 国家の剣であり、破滅の王たるイラ=タクトの力の象徴でもある英雄の敗北。

 その場にいる誰しもが、その事実を受け入れることができなかった。


 ◇   ◇   ◇


「…………え?」


 その瞬間、タクトはやけに馬鹿みたいな声を漏らした。

 彼がいる場所はマイノグーラの街、行政機能をゆうする役所のような建物の一角である。

 普段の住まいである宮殿ではいざというときに防衛が困難という理由で市民たちの避難場所と近いこの建物に来ていた彼であったが、その言葉を聞いている者がいなかったのは幸いだろう。


「そんな、まさか」


 事態の急変は一瞬だった。

 双子の姉妹と一緒に事の成り行きを見守っていたタクト。

 SRPGプレイヤーとしての力量を存分に発揮すべく、逐一戦況を確認し、兵への配置や指示を行い、イスラへ相手の特徴や技を伝え攻略方法を伝授していた。

 戦闘の変遷は彼の脳内の予想通りで、まるで詰め将棋のように行われた行動の数々は、最終的にイスラの勝利という形でパズルを組み立てていく。

 やがて予想通りの、なんの問題もない無難かつ当然の勝利が彼とイスラにもたらされ、その後の反省会でも行おうと思っていた時のことだった。


 イスラとの連絡が途絶し、自らの側にいた双子の少女が消失し……。

 予想外の出来事が起こったと理解したときには全てが終わっていた。


「イスラ。返事を……」


 通信は途絶している。

 普段なら問題なく行える視界の共有も行えない。

 最後の光景では双子があの場所に召喚されている。不穏な会話がなされていたこともよく理解している。

 マイノグーラの指導者であるイラ=タクトは自らの民すべてと視界の共有が行える。

 無論彼の侍女たる双子の少女ともだ……。

 慌てて視界を双子の姉へとつなげる。

 反応は返ってこない。

 次いで、妹へとつなげる。

 反応は、返ってこなかった。


「ね、ねぇ……すぐに衛生兵を緊急生産で生み出して送り出すからさ。みんな、ちょっと待っててよ。まっ、まさか、こんなことになるとは思ってなかったんだ」


 声が震える。間違いだと、そうであってくれと信じながら。

 再度イスラへの念話を試みる。

 双子の少女へと念話を試みる。

 きっと大丈夫だと。あんな理不尽な死に方をするはずがないと。

 まずは無事を確認し、謝らなきゃと。そうして自分の油断と不甲斐なさが彼女たちを傷つけてしまったことを許してもらわなければと。

 そしてすぐにでも救援隊を編成し、傷ついた彼女たちを助けなければと。


=Message=============

〈!〉通信エラー

ユニットが存在していません。

―――――――――――――――――


「そ、そんな……」


 だが過去は決して戻らない。

 下した決断の結果は、正しく自らに返ってきた。


「イスラ、キャリア、メアリア……」


 情けなく、ただそれだけをつぶやく。

 この世界はゲームではない。エターナルネイションズの世界ではない。

 リセットも、ロードも存在しない。

 死んだら、死んだままだ。


 だから、これはタクトが受け止めるべき現実であった。

 変えようのない、現実だった。


 ――この日、タクトが愛する存在は世界から失われた。



=Message=============

《全ての蟲の女王イスラ》が破壊されました。


~世界から一つ、脅威が取り除かれました~

―――――――――――――――――

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