第四十一話:罪と罰

 形容しがたい空気が漂っていた。

 この世のあらゆる有機物をないまぜにして腐敗させたような、表現することも憚られる異様な気配だ。

 ――気配はあらゆるところから漂ってきている。

 なにかよくないことが起きる。そんな致命的な予感がひしひしと己の内側から絶えず沸き起こってき、だがしかし確信めいたものを抱きつつも何を行うことができない。


(何が……起こっているのですか?)


 辺りは静寂に包まれている。

 何もおかしなことは存在しない。

 だが先ほどから忙しなく鳴らされる警鐘と、自らの主への連絡が途絶したことがイスラを今までにない焦燥の海へと突き落としていた。


「……あれぇ?」

「えっと、ここはどこなのです?」


 この場に似つかない、そして決してあってはならない可憐な声がした。


「――っ!? 貴方たち! なぜここに来たのですか!」


「わからないー」

「王様と一緒にいたはずなのですが……ど、どうして?」


 その場にいたのはエルフール姉妹だった。

 タクトの身の回りの世話を行っているダークエルフの侍女で、イスラが最も目をかけている、悲しい過去を持つ二人の少女だ。

 彼女たちは現在マイノグーラの都市で他の非戦闘員とともに避難しているはず。

 本来ならこの場所にいるはずがない。

 幻術や偽物かとも一瞬疑ったが、イスラの超生物的五感から受け取った情報が、二人が本物であることを語っている。

 突如――なんらかの法則によってこの場に強制的に呼び出されたのだ。


 危機的な異常事態が現在進行系で発生しているのは間違いなかった。

 そのように判断したイスラの次の行動は早かった。


「我が子らよ! すぐにこの場に参集せよ! 今すぐその双子を守りなさい!」


 周辺にいるであろう子蟲や、予備の足長蟲を呼び寄せる。激戦の余波を免れ、未だ孵化していない卵へも強制的に覚醒を命じる。

 だがしかし、何も起こらなかった。


「ギア! そしてダークエルフの戦士よ! 偵察の者はおりますか! すぐにここへ!」


 空に向けて首をあげ、轟かんばかりの大声でダークエルフの戦士団――先程の戦闘を観察していたであろう者や声が届く場所に退避している者へと連絡を行う。

 だがしかし、何も起こらなかった。


「偉大なる王よ! 我らが指導者イラ=タクトよ! お答えください! 我が声にお答えください!」


 最も信頼し、この場において唯一打開策を示してくれるであろう自らの王へと念話を送る。

 ――だがしかし、何も起こらなかった。


「なっ……なぜ! なぜ連絡がとれないのですか!?」


「大丈夫?」

「あっ、キャリアたちはどうすれば……?」


「こちらに来なさい。決して離れてはいけませんよ」


 まるでこの場所が空間ごと切り取られてしまったかのように、全ての行動が無為に終わる。

 双子を抱き寄せ、この場を脱出しようと考えたが、腕を動かした瞬間に不可視の力によってそれらの行動がはじめから無かったようにかき消される。


 焦燥感がどんどんと増していく。

 何が起こっているのかは分からず、だがこのまま状況の進行を許せば間違いなく後悔するであろうことだけは確信できる。

 いわば行動不可能。強制的な待機状態。

 双子の少女が不安そうに自らを見上げる。

 彼女たちを安心させようと、イスラがその副腕で頭を撫でたその時。


「くひっ! くははは! ギャハハハハ!」


 八方塞がりの中、停滞していた時間を動かしたのは耳障りな笑い声だった。


 声の主は前方。その声色はつい先ほどまで聞かされていた覚えのあるもの。

 瞬時に事態を判断したイスラは、その巨体に似つかわしくない動き……カマキリが獲物を狩るときの様な俊敏さで笑い声の主――フレマインを突き刺した。


「はい、残念。死なねぇんだなこれが」


 死したはずの男が答える。

 事実、その男の胴体はすでに半分に切り裂かれ、次いで放たれた攻撃によってその頭蓋は完全に破壊されている。

 だがそれでも、それでもなお、フレマインは平然と言葉を発していた。

 その異常な現象にイスラは思わず距離を取る。


「なぜ……確かに、殺したはずです!」


 驚愕のあまり、思わず冷静さを欠く。

 タクトの指示が得られぬ状況。明確な行動指針がつかず、ただ時間を浪費し狼狽えてしまう。

 ある種孤立無援となったエターナルネイションズ由来ユニットの脆さが、ここに来て顕著となっていた。


「ああ、死んだ。そうさ死んだ。一切の余地なく、俺は死んださバケモノ」


 フレマインの死体は語りだす。

 その頭蓋は割れ、脳髄がこぼれ落ち、眼球がはみ出て虚空を見つめている。

 どの様な生物であっても死は免れない。

 たとえアンデッドであっても、活動の停止を余儀なくされるだろう。

 だがそれでも、その男は平然と言葉を口にしていた。


「いやぁ……アレの言ったとおりだったわ。この世は糞だ。糞の塊が自分たちが生きてるって信じて糞みたいな人生歩んでる糞みたいな世界だ」


 独白を無視し、イスラが再度俊敏なる動きをもってフレマインの死体を突き刺す。

 だが今度は不可思議な力場が発生し、まるでこれ以上の死体損壊は予定外とばかりにその攻撃を防いだ。


「ははっ! 殺せねぇよ……いやまぁ、死んでるんだがな! ハハハ!」


 フレマインが笑う。死体が笑う。

 この世界に来て初めての、……いや、エターナルネイションズですら経験したことのない出来事にイスラはその正体が掴めずにいる。

 もしかしたら、タクトならその洞察力で現在起こっている現象の理由を推測することが出来たのかもしれないが、自らの王へ指示を仰ぐという手段が封殺されている今、彼女に出来る事はそう多くは無かった。


「お母さん……」

「ど、どうすれば。その、お手伝いできることがあったら……」


 ダークエルフの双子が不安げにイスラに縋る。

 この二人は非戦闘員だ。

 イスラのように驚異的な防御力を有しているわけでも、法外な回復能力を有しているわけでもない。

 ちょっとしたことで傷つき、あっさりと死ぬ。そんな脆弱な生命体だ。

 その事実が今まで感じたことが無いほどイスラを不安にさせる。

 だが母たる彼女はその不安全てを押し殺し、二人に優しく語りかける。


「あらあら、心配性な二人ですね。大丈夫ですよ。ここにいれば安心です。この私が二人には手出しなんてさせませんもの……」


 だが現実はいつだって残酷だ。

 否――物語は常に悲劇を求め、叙事詩は凄惨さをアクセントとする……と表現した方が正しいかもしれない。

 事態は確実に逼迫していた。


「いやぁ! 泣けるね! 麗しいね! 愛だね! よし決めた! やっぱりその二人にしよう! それが一番だろう? なぁバケモノ」


 最初、その言葉の意味が分からなかった。

 だが次いで起きた現象に、初めて言葉の意味を理解する。

 二人の少女が、なぜかイスラの胸元から離れてフラフラとフレマインの死体へと近づいていったのだ。

 その動作はさも当たり前のように自然で、全神経を警戒に張り巡らせていたイスラをもってしても、一瞬の思考の空白を強いられてしまった。


「何をしているのです! 隠れていなさい! なぜ前に出たのです!?」


「あっ、あれー? ちがうよー」

「なっ! な、なんで!? 足が勝手に!」


 イスラが叫び、手をのばす。

 双子が慌てて足に力を入れ、後退りをする。


 その全てが、徒労に終わる。

 近づく双子の姿を、中身を失った眼孔で捉えながら、フレマインが砕けた顎を歪めて嘲笑った。


「抗えねぇだろ? 逆らえねぇだろ? いいか、今からいいこと教えてやる。――テメェの大切な者が死ぬ。間違いなく死ぬ。どれだけ強かろうが、どれだけ偉大だろうが、どれだけ大切だろうが必ず死ぬ。ああそうさ、死ぬのさ。分かったか? 分かったらハイ分かりましたって言えよ笑顔でな」


 この時点でイスラはこれが何らかのゲームシステムに由来するものだと確信を得ていた。

 マイノグーラのキャラクターはエターナエルネイションズのシステムの影響を受ける。

 それはダークエルフたちを自らの陣営に加え、邪悪な属性に霊を書き換えることができたように、ゲーム以外の存在にも影響を及ぼすことができた。

 であるのなら、その逆もまた然り。

 フレマインの由来であるブレイブクエスタスのシステムが、何らかの法則をもってこの場を支配してることは明らかだった。

 とは言え――。


「馬鹿な! なぜこんなことが起きるのです! ありえない! そんなこと――ありえない!」


 この様な無法。イスラは到底受け入れることができなかった。

 彼女たちの世界では力が全てである。

 それは単純な武力や戦闘力もそうであるし、また知力や財力と言った直接的な形を持たない力もその範疇に含まれる。

 唯一の法則は、力を持つものが全てを手に入れ己の意志を通すことができ、力を持たぬものはただ奪われるだけという無常なもの。シンプルであるが故に絶対的な法則だ。


 だからこそ、いま起きている現象が許せなかった。

 フレマインの死がこの現象を引き起こしていることは容易に推測できる。

 だが戦闘で勝利を得たのはイスラだ。力を示したはずの彼女がこのような危機的状況に陥らねばならぬとしたのなら、果たして力とはどんな意味を持つのだろうか?

 運命が最初から決められているのだとしたら、勝利とは一体なんなのだろうか?


「いやぁ、まぁ俺もおんなじ気持ちだわ。どれだけ足掻こうともどうにもならないってことは確かにあるんだよなぁ。だがテメェのそのいけすかねぇ顔を歪めることができるのなら、これもありかなって、そう思うんだわ」


 砕けた顔面から放たれる嬉々とした煽り文句もイスラは意に介さない。

 今はそれどころではなかった。

 王であり指導者であるタクトとのコンタクトが取れぬ今、まさに死の淵にいる二人の少女を救えるのは他ならぬイスラだけだったからだ。

 彼女は己を縛る不可視の力に対抗すべく、自らの筋力を限界まで酷使し暴れる。

 だが不可能だ。


「グッ! ガッ! ガァァァァァ!! こんなもので、このイスラを縛れると思うなアァァァァ!!」


「いいかバケモノ、最後にいいことを教えてやる。よく聞けよ、オレはねぇ……このくそったれな仕組みを――」


 世の中には、どのようにあがいても決して覆せない道理が存在している。

 それこそが……。


「『強制イベント』って呼んでいるんだわ」


 現在、着々と進んでいる絶望的な状況の正体だった。


「……テメェがどんな世界から来たかは知らねぇ。ただ、俺より自由な世界だったことは分かる」


 男の声は、どこか達観がこもっていた。

 激しい焦りと、激情の中であってもなお耳元までよく響くその声は不思議と同情が込められているようで、思わずイスラはその言葉に耳を傾けてしまう。


「だがな、知ってるか? 世界には、どうあがいたって絶対に避けられない出来事が設定されているんだ。俺たち人形は、その運命からは決して逃れることはできないんだわ。できることは一つ――ただ諦めることだ」


 彼が今まで何を見てきたのかは分からない。

 そしてどうあがいて、やがて諦めてきたのかも分からない。

 だがそれを押しつけられて、受け入れる事などイスラには到底出来なかった。

 運命だと頷くことなど、到底できるはずがなかった。


「お母さん……ど、どうしよ?」

「イスラお母さん! た、助けてなのです……」


 二人を前にして、諦めることなどできるはずがない。

 彼女は母であり、そして助けを求めるのは愛しい我が娘なのだから。


「アアアアアアァァァァァァ!!!」


 ミシミシと筋肉がきしみを上げる。

 行き場の無くなった力が体内で暴れ、鋼鉄を超える強度の外皮が割れ緑色の血が溢れる。

 だがそれでもイスラがその力を緩めることはしない。


「ああ! そうだよなぁ! 大切だよなぁ! 守りたいよなぁ! 見逃せねぇよな! がんばれ! がんばれ! もしかしたら奇跡が起きるかもよ! まぁ今までそんなの一度も見たことねぇがな!」


 フレマインの死体、そして双子。

 その間に広がった距離が死刑宣告の砂時計に思え、少女たちが一歩進むごとに刻限を告げるかのように危機感を煽ってくる。


「無理だよ。無理なんだよ……。ここに来てドカン、それで終わりだ。本来ならオレが勇者の隙をついてって感じなんだが、まぁ細かいところは適当にやるらしい」


 二人の少女がイスラの方へと顔を向け、その瞳が交差する。

 それは果たしてイベントとして設定されていた動作なのか、それとも上半身だけは動くと気づいた二人が見せた最後の抵抗だったのか……。

 だがイスラは二人の怯える少女に向け、とびっきりの優しい微笑みを浮かべる。


「大丈夫です……必ず、必ず助けますわ」


 動かぬ身体に必死で力を入れ、己が持つあらゆる能力を試す。

 何か打開策はないかと必死で思考を回転させ、だが一向に出て来ぬ答えに苛立ちを増す。


「ああ、どいつもこいつも! 馬鹿ばっかりだ! 自分に意志があって、信念があって、そうやって自らの思うままに動いていると勘違いしてやがる!」


 一歩。


「勇者も! 魔王も! 何もかもだ! 自分が騙されてるって思いもよらねぇ! 所詮は遊技場のコマで、誰かの思い通りにならないとたやすく捨てられることを理解していねぇ!」


 一歩。


「もういいだろ? もう楽になっても、もういいじゃねぇか、俺は十分頑張ったよ。自分の役割を全うしたよ!」


 また一歩。


「クソがっ! 何だよ中ボスって! なんだよプレイヤーって! 馬鹿にするのも大概にしろ! じゃあ何か? 俺は勇者の物語の為に死ぬのか? ふざけんじゃねぇぞ!」


 終局へと歩みは近づいていく。

 もはやフレマインの独白を聞くものはいない。

 イスラも、エルフール姉妹も、そしてこの場の異常を察知したイラ=タクトすらも、この後訪れるであろう確定された悲劇を回避するために全力を尽くしていた。

 聞くものがいないと理解していいるのか、それとももはや怒りでまともな思考ができないのか、フレマインの罵声はこの場にいないナニカに向けて放たれていた。


「テメェもそうさ! 聞いているんだろ! どうせ見ているんだろ! 何が『全てのゲームを殺し尽くせば、君たちは自由になれる』だ! 最初からそんなつもりはねぇくせによぉ!」


 むろん、その言葉を聞く余裕がある者はこの場にいなかった。

 いや……もしかしたら一人だけ聞いている者がいたのかもしれない。

 だがそれを確認する術はどこにもない。

 少なくとも、この舞台に登場している参加者達には不可能な話だった。


「というわけで最終章だ! テメェらをこのくそったれな地獄に道連れだ。お前の大切なガキどもも道連れだ! 聞いてるんだろ拓斗さまー! お前もプレイヤーなんだろ? アイツと一緒で、どこかで俺たちの物語を読んでいたのか? 俺が必死こいて勇者と戦っている様を見ながら、『このボス倒したら装備新調しなきゃ』とでも考えていたのか?」


 答える者はいない。


「ふざけんな! オレはここにいる! オレはここで生きている! だからよぉ! オレからの精一杯の嫌がらせだ! お前のお気に入りをここで殺してやる! これはそういうイベントだからなぁ!!」


 フレマインは笑っていた。ただ狂ったように笑い転げていた。

 そこにはかつて狡猾で残忍と言われた男の面影はなく、ただただ己の運命を呪い、人生に絶望した哀れな男の悲哀しか存在しない。

 もはやこの行動すら彼の本心から出たものかすら分からない。

 唯一分かることは、彼の望む通りに事が進んでいるという事実だけだった。


 やがて、二人の少女が死体の前へと到着する。

 その顔は死への恐怖で歪み、瞳からはボロボロと涙がこぼれ落ちている。

 気丈なキャリアはもちろん、普段から感情をあまり顕にしないメアリアですらその様な有様だった。

 自分たちの運命を呪い、ずっと死にたかったはずの少女達がいざ死を前にして怯え立ちすくむ。

 否……新たな家族のぬくもりと、新たな母の優しさを知ってしまったからこそ。

 死ぬことが恐ろしくなったのだ。


 それは、同じく己の運命を呪い、終ぞ理解者が現れなかった目の前の男とあまりにも対照的だった。


 カチリ。と、何かのフラグが入った音が鳴った。

 それは誰にも聞かれることもなく、誰にも理解されることなく、ただ終局が訪れ運命が確定しきった事を告げる。


 死はあらゆる存在に等しく訪れる。

 絶望はあらゆる存在に等しく訪れる。

 それらはたとえ相手が想像の範疇から外れたバケモノであっても分け隔て無く扱う。

 決して逃れる事はできない。


「待つのです――待ちなさい! 待って!」


 イスラは、一縷の望みをかけて悲鳴にも似た叫びを上げる。


「嫌だね! 絶対イヤだ! テメェだけは! 俺はテメェが嫌いなんだ! テメェらが大嫌いなんだ! だから最後のプレゼントだ、ありがたく受け取ってくれよなギャハハハハッハハ!!!」


 だが、現実は無情だ。


「「お母さ――」」


 フレマインが一瞬光り輝き、程なくして筆舌に尽くしがたいほどの熱量と破壊力を持つ爆炎が全てを包み込んだ。

 辺り一帯が灰燼と化し、熱気をもった風が嵐となって何もかもを吹き飛ばす。

 すでに耕し尽くされた大地は再度掘り返され、舞い上がった土埃が太陽を覆い隠し真夜中の様な暗闇をもたらす。

 バラバラと木片が大地に雨の如く降り注ぎ、焼けた空気がゆらゆらと静かに揺らめく。


 やがて真の静寂が訪れ、誰も勝者になれぬまま……。

 定められた運命は、定められたとおりに寸分違いなくその物語を紡ぎ終わった。

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