第三十四話:決して混じらぬ悪性2

 ――魔物があらわれた。


「オオオオオォォオォォ!!」


 戦斧が地面に叩きつけられ、割れた石礫が弾丸となってアトゥに襲いかかる。

 ふわりとした曲芸にも似た動きでそれらを避けたアトゥは、ゆらゆらと聖騎士剣を揺らしながら笑みを浮かべアイスロックを見据える。


(なるほど、パワータイプの四天王ですか)


 触手を振るい牽制しつつ距離をとり、冷静に相手を分析するアトゥ。

 強さとしての評価はどの程度だろうか?

 相手の由来はRPGだ。であればこちらとは全く違った法則とパワーバランスのもとに存在している。

 判断を見誤れば手痛い傷を負うことは明らかだ。

 だが相手は所詮個人の戦闘に主軸をおいたゲームのキャラクター。

 軍規模の戦闘を常とするアトゥとでは、そもそも戦闘力の規模が違う判断できる。


 事実、戦闘前にアトゥがタクトより受けたその説明は時間が経つにつれて正しかったことが証明されていく。


 くるりと回した聖騎士剣が頭蓋を叩く勢いで振るわれる戦斧をゆうにいなしてみせる。

 そのまま舞い踊るように猛撃を躱し、逸れた戦斧が地面を割り砕いていく。

 一見すればアイスロックの攻撃に防戦一方のアトゥとも見て取れる。

 だがアイスロックの瞳に映る現実はそのような甘いものではなかった。


「ぎゃあ!」

「ぐえっ!」

「ピギャっ!」


 舞い踊るアトゥをアイスロックが捉えようとその斧を振るう最中、彼女の背後から幾本もの触手が伸び出てくる。

 手数を増やすことによってこちらに攻撃を通してくるつもりかとアイスロックが身構えるが、なんとソレは目にも留まらぬ速度を持って周囲で見守る彼の配下へと襲いかかった。

 舌打ちをしながら触手を切り落とし配下への攻撃を止めようとするアイスロックだったが、その隙を縫うようにアトゥの聖騎士剣が突き出され、慌てて戦斧で防御する。


(ぐぅ! オレを釘付けにするつもりカ!)


 アイスロックは内心で唸る。

 相手の考えることが手に取るようにわかったからだ。

 今回のフォーンカヴン攻略軍において、最も突出した戦闘力を有するのはアイスロックただ一人である。

 逆に言えばアイスロックとその配下の魔族を除けば、後は有象無象の魔物でしかないのだ。

 よってここを抑えられると一気に不利になる。


 本能で動く魔物は軍事的な行動が不得手だ。自分たちで判断して最適な行動を取る知恵すらない。指揮官のいない魔物の軍勢は、獣の群れにすら劣る。


 故に抑えるのであればまずは頭脳。

 だがしかし、言葉では易くても実際にそれを為せるほど簡単なことではないとアイスロックは自らの力量に自負を持っていた。

 だからこそ、一人でそれをなしてしまうアトゥを驚異として感じ取ったのだ。


「おのれ卑怯者メ! 正々堂々と勝負をシロ!」

「ふふっ、魔王の下僕である貴方がそれをいいますか? あまり笑わせないでください、剣筋が鈍ります」


 アイスロックの挑発もアトゥは意に介さない。力量もそうであったが、相性としてもアイスロックにとっては良くない相手だった。

 ……配下の魔族は少ない。これ以上減らされるのはなんとしてでも防がねばならぬ。氷塊の表情に焦りが浮かび始めた。


 一方のアトゥも魔王軍の性質を理解し、優先的に知性ある魔族の排除を考えていた。

 大規模魔術によって現在戦場は呪われた大地となっている。

 魔族さえ排除できれば後は弱った中立属性の魔物を排除するだけで、それは強化された足長蟲やモルタール達魔術部隊であってもさほど苦労しないだろう。


 唯一の懸念として呪われた土地によって強化される敵魔族であったが、それもタクトによる指示の通りアトゥが動いたことで上手く釘付けにできていた。

 アトゥは準備が満足にできぬ中、最大の効果を持って決まったタクトの作戦に敬意を表しつつ、内心でほくそ笑む。

 このまま行けば確実に作戦を遂行できる。だがアイスロックとて四天王の名を冠す上位魔族。

 このまま終わらせるつもりはなかった。


「氷獣兵よ! 来イ!」


 アイスロックが仲間を呼ぶと同時に、どこからともなく氷と白銀の体毛を持つ人狼が現れる。

 血の様に赤い口腔からはべろりとやけに長い舌が伸び、鋭い乱杭歯と鋼鉄の如き爪は他の魔物とは一線を画している。


(なるほど。スキルによる無限召喚ですか。RPGらしいですが厄介ですね)


 召喚された氷獣兵が一斉にアトゥに襲いかかる。

 先程まで周辺の魔族を蹴散らしていたアトゥは、動揺することなく触手をその迎撃へと向けた。

 かつて聖騎士達と戦った時からすでに相当な時間が経過している。

 エターナルネイションズの英雄は時間経過によってレベルがあがることに加え、アトゥ自身様々なスキルを敵から奪取している。

 神罰術式によって強化されてようやく切り落とすことができたアトゥの触手だ。

 いくら四天王が召喚したとは言え、しょせん雑魚モンスターでしかない氷獣兵には荷が重かった。


「ガァァァァ! ――ギャ!」


 鋼鉄を超える強度をもつ触手が、一突きで氷獣兵が持つ強靭な体毛と皮膚を突き破りその生命を奪い去る。

 バラバラと金貨になり消えていく魔物を見ながら、アトゥはふと違和感を覚える。


(……? 一度に二体しか戦闘に参加しない?)


 アイスロックが召喚した氷獣兵は都合五体だ。先程一体突き殺したので残り四体。

 だが不思議なことにアトゥに襲いかかる氷獣兵は常に二体。

 一体が撃破されると、補充されるように一体が戦闘に加わっていた。


(ゲームの設定どおりというわけですね)


 アトゥらがシミュレーションゲームであるエターナルネイションズの法則に支配されているのと同様に、目の前の敵もロールプレイグゲームの法則に支配されているようだった。

 ゲームのキャラクターが転移する。それもまったく別のゲーム同士が……。

 一体何が起こっているのかと疑問に思いつつも、先にやるべきことがあるとばかりにアトゥは目の前の敵に集中した。


「何故邪魔をスル!? 貴様も魔のものだろウ。我らが魔王様にひれ伏し、頭をたれ、ともに世界に覇を唱えようではないカ!」


 戦斧を振り回しながら、アイスロックはアトゥへと言葉をかける。

 これほどの力を持ちながら自分たちに敵対するアトゥの真意が理解できなかったのだ。

 それはどこか懇願にも似ており、つまるところアイスロックは自らが敗北することを予期し始めていたがゆえの行動だ。

 だが世界を征服どころか何度も破滅に導いた汚泥の英雄は意に介さない。

 まるで理解できない未知の言語で話しかけられたとばかりにキョトンとした表情を見せる。


「あー、世界征服って奴ですか?」


「そのとおりダ。我らが魔族の世界を作るのだ。人間どもを根絶やしにして、この地に遍く我らの名を轟かせん。栄光と繁栄の闇の時代が訪れヨウ!」


 まるでなにかの演説をするかのように語ってみせるアイスロック。

 隙だらけで、今攻撃すれば悠々とその氷の頭蓋に触手を突き刺せそうだ。

 そんな感想を抱くアトゥだったが、(そう言えば変身中とかイベント中の攻撃はご法度でしたっけ?)ばかりに親切にも言葉を返してやる。


「気持ちはわからなくもないですが、それ世界征服してどうするんですか?」

「ム?」


 思いもよらなかった質問にアイスロックは思考を停止させた。

 その態度にため息をついたアトゥは、小馬鹿にしたように言葉を紡ぐ。


「私、今でも仕事が山のようにたまっていて大変なんですよ? 我が王と語らう時間すらも捧げて必死で仕事をこなしているんです。普通の一国家でこれ。……で世界? 何? そんなに事務仕事がお好きなんですか?」


 アトゥは尋ねる。

 世界征服などと大言壮語ではあるが、手段としては一定の理解を示すことができる。

 ありとあらゆる外敵を駆逐した後に、自ら理想とする世界を築き上げることは何らおかしくはなく、過去に置いてあらゆる指導者が夢見た理想郷でもあるからだ。

 だがあくまで世界征服とは手段であって目的ではない。

 世界征服を達した後に行うことこそが重要なのだ。

 だがアイスロックは答えに窮した。世界征服の後のことなど戯曲めいた抽象的な言葉しか浮かばず、具体的な話など考えたこともなかったからだ。何かを言わねばと必死に頭を回転させ、結局そこに何もないことに気づく。

 故にアトゥは侮蔑の面持ちで吐き捨てる。


「うーん? もしかしてあれですか? キャラ設定が浅いので行動や思考が単一になりやすいのでしょうか? ああ、確かにRPGの中ボスって倒して終わりって感じのが多いですもんね」


 RPGゲーム『ブレイブクエスタス』は比較的古いタイプのゲームだ。

 その歴史は長く、RPGの元祖とも言われるそれはゲーム機器が一新されるごとにリメイクを何度も繰り返している。

 その度にいくらか設定は加わるものの、基本的には昔の設定を忠実になぞり物語は進行する。

 古き良き時代の名残とも言おうか、物語は実にシンプルであり膨大な設定量で世界観に厚みをもたせるエターナルネイションズとは真逆の情報量となっていた。


 故に、氷塊の四天王アイスロックは――。

『武人気質のパワータイプの敵』という設定しかなされていなかった。


「何をわけの分からぬことを言ってイル!? 何が言いたイ!?」


 アイスロックは叫んだ。

 叫ばずにはいられなかった。

 目の前の少女が放った言葉はその半分も理解できる内容ではなかったが、だがその言葉が自分にとって致命的な何かを孕んでいることだけはよく理解できた。

 身を焼くような焦燥感がアイスロックの全身を包む。

 その焦りを知らせるかのように氷の心臓が鼓動を早め、全身からは汗の代わりに白い冷気がじわりと溢れ出てくる。

 アイスロックの混乱を見たアトゥは、再度大きな大きなため息を吐いた。


「お前……想像以上に馬鹿だな」

「何だト!?」


 巨大な戦斧が叩きつけられる。暴風の様なその一撃をしっかりと両の眼で視認したアトゥは、剣を一回転させると下段から切り上げ、その攻撃に真っ向から対抗した。

 ギィン――と鈍い金属音が火花とともに散る。

 アイスロックの瞳が驚愕に見開かれ、アトゥが凄惨な笑みを浮かべる。

 歴戦の聖騎士が持つ観察眼をそのまま剣技とともに奪取したアトゥは、一合刃を合わせるだけで相手が持つ技量と力量をおおよそ把握する。

 もっとも、これは最終確認だ。

 先程からの戦闘ですでに相手の底は知れていた。

 つまり――この程度であれば御すにやすし。


 以前戦った聖騎士よりは強いが、さりとて今の自分では苦戦するほどの相手ではないというのが、アトゥが下した判断だった。


「《聖剣技》。お前の様な邪悪な存在を消し去る為にクオリアが生み出した神の御業です。どうです、見るだけで恐ろしいでしょう?」


「グゥ! 何故魔族である貴様がその様な技を有してイル! 神にしっぽを振るとはどういうことダ!?」


「いえ、別に技術に神も何もないでしょう。こんなもの数あるスキルの一つですよ」


 アトゥの考えはとてもドライだ。

 元々がタクト至上主義の彼女である。それ以外あらゆる事象に関してそもそもが興味を持っていない。

 故に神であろうが魔であろうが、それが使える技術であれば臆面もなく利用する。

 よってダークエルフたちとも反目無く接する事ができるし、聖剣技も最大限に利用できる。

 全てはタクトの為なのだ。

 しかしその金剛石の如き信念と、他者への無関心がアイスロックの癇に障った。


 氷の魔獣たる氷獣兵の口腔から鋭い吹雪が吐き出される。

 アトゥはそれらをゆうゆうと躱すと、触手の一つで開かれた口から氷獣兵を貫く。

 ふわりと金貨がこぼれ落ち、悲しげな金属音が戦場に響いた。


(とは言え足長蟲と防衛隊に長期戦は荷が重い。あまり悠長にしていられませんね)


 呪われた大地とイスラの効果によって足長蟲は大幅なボーナスを受けている。

 有象無象の魔物では相手にならないとは言え所詮は斥候ユニットだ。あまり戦闘が長引くとダメージを負って撃破される危険性も増してくる。

 ドラゴンターンの防衛隊は更に厳しい。

 遠距離からの攻撃が主とは言え、都市に張り付かれてしまえば打って出る必要が出てくる。

 そうなると種族としての潜在能力に差がある人種と魔物では苦戦は免れない。


 アトゥはいよいよもってアイスロックの撃破へと移ることを決意する。

 相手の全てを見抜いたとあれば不測の事態によって自分たちが不利になることもないだろう。

 聖騎士剣を構える。今までとは放つ雰囲気が明らかに違っていた。


「魔王がいると言いましたね」


 すでに氷獣兵は全滅していた。

 アイスロックが悠長にアトゥと言葉を交わしている間に全て処理されたのだ。

 配下の召喚にはある程度の冷却時間が必要であり、次の召喚が可能になるまでには戦場において決して短くはない時間を必要とされる。

 このままでは完全に押し切られてしまう。氷獣兵を囮に使って逃げることももはや叶わない。

 見た目に騙され相手の力量を見誤ったアイスロックは己の迂闊さを後悔する。

 四天王全員で――否、場合によっては魔王の助力を求めることすら必要だった。


 かつて彼ら魔王軍を完膚なきまでに壊滅し尽くし、ついには魔王の胸元に刃を突き立てた憎き勇者。

 襲いかかる邪悪なる少女アトゥ。

 何故か見た目も性質も全く異なるその二人が……アイスロックの目には重なって見えた。


「なぜあなた方は世界を征服しようとするのですか? それは本能ですか? それとも自らの意思? なぜ貴方がたの前に勇者が常に立ちはだかるのか考えたことはありませんか?」


 蠱惑的な声音が、まるで心を切り刻むかのようにアイスロックを蝕む。

 本能が嫌というほど警告を発し、だが鉛のように身体は動かない。


「何度も勇者が現れて、そして何度も滅ぼされる。同じことの、繰り返し――」

「黙レ! 黙レ! 黙レ!」


 アイスロックは叫んだ。

 情けなく叫んだ。

 その姿はおおよそ魔王直属の四天王に相応しくないうろたえようであったが、不幸か幸いか、彼の周りにすでに知性のある配下は存在していなかった。


「気づいているんでしょう? 気づかないわけがないですからね。貴方も我々と同じなら、その記憶があるはず。ああ、その表情! 素敵です! 人類と勇者に襲いかかる凶悪な魔物って、そんな表情で絶望するんですね!」


 苦し紛れに戦斧が振るわれ、一回りも二回りも小さな少女に難なく弾かれる。

 アトゥは嗤っていた。目の前の敵を嘲笑っていた。

 目の前に存在する者の矮小さが、自分と――ひいては自らの王の偉大さを証明しているように思えたから……。


「何が言いたい! 何が言いたいのだ貴様!!」


「お前は、所詮物語に出てくるボスキャラの一人でしかないのですよ」


 アイスロックは全てを思い出した。

 自らがコマでしかないことを。他の四天王と同時に勇者に挑むべきだと考えたことを。

 未だ力を蓄えていない勇者を、はじまりの街で迎え撃つべきだと考えたことを。

 だが気がつけば何故かいつもの場所で勇者に立ち向かっていることを。

 ありとあらゆる手を考えたにもかかわらず、その全てが実行に移されることなく終わることを。


 何度繰り返しても。

 何度、何度繰り返しても……。

 決して勇者には届かず、最後には滅びを迎えることを。


 自分が『ブレイブクエスタス』という物語の、道中に存在する障害の一つでしかないことを。


 アイスロックはこの瞬間に全て思い出した。


「怯えがみえますよ――魔王ご自慢の四天王さん?」


「オオオオオオオォォォォ!!」


 その光景を眺め、実に、実に楽しそうに……。

 汚泥のアトゥはただ嘲笑っていた。

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