第三十二話:侵略

 ドラゴンターンの街より確認された蛮族の大群。

 フォーンカヴンがその驚異を確認できたのと同様に、蛮族の側でも遠くに見える獲物の様子を舌なめずりしながら伺っている者達がいた。


「フレマインよ。魔王様からの指令は出タカ?」


 ヒルジャイアント、ゴブリン、オーク。加えて雑多なモンスター。

 通常蛮族と呼称されるざまざまな魔物の中で、突如一つの氷塊が声を発した。

 否――それは生物だった。

 全身を氷に包まれたその異形の男は、成人男性の優に二倍はあろうかという巨体を持っており、その体躯にふさわしい大きさの戦斧を背負っている。

 その姿は人と評するには歪で、氷塊が意思を持っていると判断したほうがいくらか適当だ。

 蛮族の集団にあって飽きらかに他とは隔絶した力量を持っていると推測されるその男は、ドラゴンターンの街を眺めながら隣にいた男へと向かって問いを投げかけていた。


「キヒヒッ! でたさアイスロック。いつもの通り、お変わりなく。だ」


 返答した男もまた、異形であった。

 氷塊の男とは違って、こちらはそこらの人間やオークと変わらぬ程の背丈。

 だが病的にも思える身体の細さと、何より全身を絶え間なく包み込む炎がその異質さを際立たせている。


 氷塊の男は氷将軍アイスロック。

 火炎の男は炎魔人フレマイン。


 共に魔王軍四天王と呼ばれる存在で、タクトが知っているRPGゲームに置いてキーとなっているボスキャラクターと呼ばれる者たちだった。

 架空の存在であるはずのキャラクターが出現している。

 決してあり得ぬはずの現象は、確かにそのに現実として佇んでいた。


 氷塊の四天王アイスロックがギシリと身体を揺らしながら口とも思えぬ口を開く。


「我が魔王軍が突如召喚されたこの地。どの様な世界か情報は仕入れているカ?」


「ん? ああ、前の世界とそう変わらねぇよ! キヒヒッ。魔物がいて、魔法があって、人間どもがウジャウジャと繁殖している世界さ」


 炎熱の四天王フレマインは、アイスロックを見ずに残虐な笑みを浮かべ答える。

 すでに配下の者を調査と偵察に向かわせていたフレマインは、彼ら魔王軍において誰よりもこの世界を熟知していた。


 ……彼らの意識が覚醒したのはつい先日のことだ。

 彼らが元いた世界において勇者と呼ばれる不倶戴天の敵。

 単身で魔王軍すべてと渡り合えるほどに強力な力を有したその勇者との決戦を迎えようとしていた魔王。

 一度は勇者によって滅ぼされたものの魔王によって復活させられた二人は、自らの主の喉元まで喰らいつかんと迫る勇者を今度こそ討ち滅し、自らが信奉する魔王に勝利を捧げんと最終拠点である魔王城の広間で迎撃体勢をとっていたのだ。


 やがて始まる最後の戦い。繰り返される剣戟の応酬と縦横無尽に駆け巡る魔法。

 怒号、悲鳴、雄叫び。

 数多くの仲間が人が持つにしては過ぎた圧倒的な力によって斬り伏せられ、再度滅ぼされていく。

 だがはたしてその時何が起こったのか、紙切れのように蹂躙される仲間の魔物達を見ながら、それでも一糸報わんと残された魔物が叫びを上げた瞬間――。


 気がつけば彼らは何も無い大地に佇んでいた。

 彼らの主である魔王と、特別な名前を与えられた幾人かの幹部級魔物。

 そして見渡す限りの荒れ地。


 彼らに残されたものは世界を暗黒に導くための栄光ある勝利でもなく、屈辱に満ちた光への敗北でもなく。

 たったそれだけだった。


 ……それが数日前のことだ。

 混乱する魔物たちは魔王によってすぐさま律され、その後の行動は迅速に行われる。

 この地の調査。召喚魔法による配下の呼び出し、拠点である魔王城の建築。

 そして軍の整備。

 彼らの目的は変わらなかった。世界が変わろうとも、理が変わろうとも。

 全ての準備を迅速に行い、一つの目的を達する為に用意する。

 そして異常とも言える速度で全ての舞台を整え――。


 かつての世界でそうしたように、

 この時を持って世界を蹂躙せんと行動を開始したのだった。


 ………

 ……

 …


「美しい世界ダ」


 誰に言うでもなく呟き、四天王アイスロックはゆっくりと空を見上げた。

 雲は晴れ渡り、気持ちよさそうに空を泳ぐ鳥の姿が見える。

 大地はどこまでも続いているかの様に広大で、荒れた大地ですら芳醇な生命の息吹が感じられる。


 アイスロックはなぜ自分がこの様な状況に陥っているのか理解できなかった。

 そしてこの世界で何をすべきなのかも。

 彼ら魔物はそのすべてが魔王によって与えられた命令によって突き動かされている。

 濁流のように自らの内で荒れ狂う本能のままに、彼らは今までその力を存分に振るってきた。

 全ては偉大なる魔王の御心のままに、人類を滅ぼし魔の世界を築き上げる。

 それが彼ら全てに許された思考であり、存在理由でもある。


「我々の使命は世界を征服するコト。人間を滅ぼし、我らの楽園を築き上げるのダ」


 魔王の命令は『征服しろ』。

 元の世界でそうであったように、この世界でもそうあれ。

 偉大なる主が望むがままにアイスロックは自らを猟犬と化す。

 かつて数々の街を滅ぼし、人間達の営みを破壊し尽くしたように。

 たとえ世界が変わろうとも彼が行うことは変わりなかった。

 故に、アイスロックは自らの役割を十全に果たすべく、この世界における最初の獲物であろう街へと視線を向ける。


「……あれが最初の贄カ? 我らの覇道の礎となる人間どもの街」


「ヒヒッ! フォーンカヴンという国らしいぜ。偵察に出ていた獣人の斥候がやけに素直に喋ってくれた!」


「フンッ。悪趣味な事ダ」


 同じ四天王であり同僚であるフレマインと違ってアイスロックは武人としての性質を多分に有している。

 その性質がフレマインの邪悪なる行為を嫌い、自然と嫌味となって口から出る。

 人間の街であるはずなのに獣人の斥候が存在する。

 本来であれば獣人とは魔に近い存在だ。争いを好まない種族もいるが基本的に人間とは相容れないはず。

 にもかかわらず斥候をしているとはどうしたことであろうか?

 疑問がアイスロックの脳裏に湧き上がるがそれもすぐに氷解した。

 彼に考えるという機能はおおよそ存在しない。全て魔王の命令のまま行動するという信念が故。

 それが、四天王という存在だ。

 否――魔王隷下の魔物全てがそうであった。


 だがアイスロックは何か得体のしれぬ違和感を覚えていた。

 もっとも、それを細やかに分析し確認する時間などどこにも存在しない。

 魔王が彼に下した命令は『世界征服』であり、まずは何を持ってしても行動を起こさねばならない。

 言いようのない焦燥感を覚えながら、軽く首をふって懸念を振り払うアイスロック。

 やがて意を決したようにその無機質な氷の瞳を輝かせると、己が使命を思い出すかのようにフレマインへと問う。


「……マぁいい。 魔王様は街の攻略についてなにかおっしゃっていたカ?」


「好きにしろとのことだ! 魔物も戦略も! 俺たちの自由だ!」


「だいこんぼうと緑小鬼が我ら魔王軍に参じたのは好都合だっタ。これで世界征服もよりたやすく行えるだロウ」


 彼らの軍勢がこれほどまでの大規模になっているのは、理由があった。

 当初配下の召喚では心もとなかった軍備ではあったが、思わぬ幸運が舞い降りたのだ。

 それがこの地に住まう土着の魔物たちが魔王軍への恭順を願い出たことだった。

 さほど強力ではないとは言え、戦力としてはじゅうぶん喜ぶべき事態だ。

 もっともそれらもすでに威力偵察で大半が消費されたようだが……。


 ともあれ人間達の情報が手に入ったのなら安い代償だろう。元々存在しなかった戦力なのだ。

 ある程度人間達の情報が判明したので、フォーンカヴンの戦力調査を行っていたフレマインは上々の結果であると判断していた。


「キヒヒ! 思い出すなぁ! かつての世界で繰り広げた戦いを! 我ら魔族が人間どもの国へと侵攻し、今では名も思い出せぬ王国を一夜で壊滅させたあの始まりの日を!」


 薄気味悪い喜色の声を上げるフレマイン。

 アイスロックもまた、在りし日の事を思い出す。

 全てが始まった日。人間達――そして勇者との世界をかけた戦い。

 魔王に全てを捧げるべく戦斧を振るったあの日々。

 そして勇者との決戦。

 走馬灯の様に駆け抜ける記憶とともに、雪崩の様な情報の奔流がアイスロックを襲う。


「フレマイン――つかぬことを聞くが……」


「あぁ? なんだ?」


「……我々の野望は、どうなったのだったカ?」


「はぁ? なんでそんなこと……」


 アイスロックは拭い去ったはずの懸念を忘れきることができず、たまらず問うた。

 最後の瞬間。世界の覇者を決める為の戦いに参じた自分をアイスロックはよく覚えていた。

 渾身の一撃とばかりに放った必殺の技を難なく防御され、返す刃で心の臓を撃ち抜かれたことを。

 そのまま倒れ伏し、朦朧とする意識の中で魔王と勇者が対峙する姿を眺めていたことを。

 だがその後が曖昧だった。

 自らがそのまま滅びたのかとも思ったが、おぼろげな記憶を手繰り寄せた限りではその答えにも少々納得がいかない。

 では勇者との決着が付く前にこの世界に召喚されたのだろうか?


 ……それもまた、違うと感じられる。

 なぜなら彼は自らが滅び意識が消失する最中、確かに魔王の身体に勇者の剣が突き刺さった光景を目にしたのだから……。


 故にアイスロックは恥を忍んでフレマインへと尋ねたのだ。

 フレマインが狡猾でずる賢く、他の四天王を出し抜いて魔王の側近になろうと画策していることを理解しながら、その悪知恵を借りることを選んだ。

 自らの心の内に湧く、焦燥感にも似た疑問がとける事を望んで。


 だが……。


「けっ! どうでもいいことだよ! 今は目の前の獲物を頂くのが先決だろう!? そうだろアイスロックよぅ!」


「……そうだナ」


 フレマインからの返答は彼の期待しているものではなかった。

 いや、フレマインは少しだけ考える素振りを見せていた。

 おそらく自分と同じ状況なのだろう。

 辺りがにわかに騒がしくなる。

 魔物たちの殺気と興奮が抑えきれぬところまで来ている。およそ理性の感じられぬ唸り声や奇声が辺りを満たし、もはや悠長に会話をしている余裕などどこにもなかった。

 湧き上がる問いの答えを得ぬまま、アイスロックは時間が来たことを察する。


「魔物を動かセ。まずはドラゴンターンの街とやらを滅ぼし、人間どもの絶望と苦しみを魔王様に捧げるのダ」


 彼の側で控えていた副官――ローブに身を包み杖を持った魔物が仰々しく頷く。

 その魔物が何らかの魔法で空中に文字を描く。

 およそ知性の感じられない魔物たちがゆっくりと前進を始めたのは、同時だった。


「オ前はどうするフレマイン?」


「ああ、俺は遠慮しとくぜ。先陣はテメェに譲ってやる。ありがたく思うんだなアイスロック!!」


「そうか。感謝スル」


 背中より巨大な戦斧を取り出し両手で構える。

 ズシリと重量感のあるそれは彼と共に多くの敵を屠り去った自慢の武器だ。

 この戦斧と自分を前に生き残った者はいない。唯一の例外勇者を除いて。

 アイスロックは一歩、足を踏み出す。

 ズシリと大地が揺れ、その巨体から来る体重に耐えきれずたまらず地面が沈む。


 彼は背後に視線を感じながら、ドラゴンターンの街へと進軍する。

 フレマインは信用ならない。何を考えているのか自分にも理解できない。

 だが詮無きことだ。

 最終的に世界が魔王の手に入ればよいのだ。

 そして自分にはそれを実現する力がある。

 自分たち以外は全て滅ぼせば良い。

 魔王軍四天王らしい傲慢さと短絡さで、アイスロックはそう判断した。


 ………

 ……

 …


 土煙を上げながら街へと進軍するアイスロックと魔物たちを見送りながら、フレマインはひどくつまらなさそうにツバを吐いた。

 だがその表情もすぐさま変わる。

 それは炎に包まれた鳥らしい魔物が、彼の側に降り立ち何やら報告を行った瞬間からだった。

 ニヤリと喜悦に歪んだ表情で視線を北西へと向けるフレマイン。

 独断専行、命令無視、残虐非道。

 アイスロックの性格が武人であるのなら、フレマインの性格はまさしく毒蛇と言い表せよう。

 報告を行ってきた魔物に何かを伝えるフレマイン。主の命を受けた鳥型の魔物はその任を忠実に実行すべくすぐさま飛びたつ。

 変わらずある一点に視線を向けたまま炎の四天王は薄く笑う。

 嗜虐的な笑みは、自らが絶対者であることを疑わぬもので、これから生ある営みを蹂躙する破壊者のものだ。


「ヒヒヒッ! じゃあオレ様はもう一つの街とやらを頂きにいくかな!」


 視線は、確かに大呪界の方角へと向けられていた。

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