第三十話:異変
タクトが新たなる英雄イスラによってその生活態度を改善させられていたその頃、アトゥらドラゴンターン派遣軍もまた彼女らの全身全霊をもって忠実に任務をこなしていた。
だがその日ドラゴンターンで行われていた戦闘行動は、もはや防衛というよりも狩りであった。
「あ、アトゥ殿! ゴブリンの集団約5! 南西より来ました!」
「はいはい。わかりました」
ドラゴンターンの街の外、臨時に張られた日よけの幌の中で、アトゥはフォーンカヴンの斥候より報告を受けていた。
もうかれこれこのやり取りを何度繰り返しただろうか?
せっかくドラゴンターンで見つけた珍しい茶を飲もうとしていた時の横槍に少々辟易としながらも、アトゥはその内心を決して表情に出さず促されるまま幌の外から地平線の先を見据える。
刹那。
彼女の背後から巨大な触手が生まれ、地面へと突き刺さる。
ボコボコと土を這う不気味な音が鳴り響き、やがて遠くより骨と肉が引きちぎられた音と絶叫が風にのって微かに流れてきた。
「グッドハンティング――はい、終わりましたよ」
「あ、ああ、ありがとうございます!」
敬礼を見せながら畏怖とともに下がる斥候。
少々怯えられているようではあったが、忌避されている訳ではないことにアトゥは安堵する。
魔の者をそれ以外の種族が受け入れることは難しい。本来ならマイノグーラ軍の受け入れについてドラゴンターンではもっと混乱があってしかるべきだが……。
それには一つのからくりがあった。
実のところ、アトゥについても彼らはとある誤解をしているがゆえに畏怖はされど嫌悪まではされないといった状況になっているのだ。
もっともそれがアトゥにとって少々不本意な理由であることが問題ではあったが……。
「もはやゴブリン程度ではなんの足しにもなりませぬかな?」
「モルタール老ですか……」
いつの間にか、彼女が座る簡易椅子の横にモルタール老が立っていた。
視線を向けずに返事をしたアトゥは、少々冷めてしまった茶を飲みながらぼんやりと地平線の向こうへと視線を向ける。
「しかしタコの亜人とはドラゴンターンの人々もなんといいますか……」
そう、これこそがフォーンカヴンの人間がアトゥを受け入れている理由にあった。
彼女たちの案内をした杖持ち隷下の部隊はともかく、ドラゴンターンの防衛軍や都市機構の責任者たち、住人に至るまで彼女のことをタコの亜人だと思っているのだ。
最初に彼女の触腕を見て驚いたペペの「タコみたいですね!」との言葉によって電撃的に広まったタコ亜人設定ではあったが、憎々しい反面その有用性が理解できるがゆえに、アトゥはどうにも気持ちに整理がつかなかった。
「業腹ではありますが……変に忌避されるより良いでしょう。もちろん貴方が同じことを言った日には触手の洗礼を受けるでしょう。タコの」
「ほっほっほ! そんな恐れ多いことを!」
自らの目の前でニョロニョロ動く触腕を見て大いに笑いながら、モルタール老はどこからともなく持ってきた椅子に座った。
周りは相変わらずフォーンカヴンの斥候が慌ただしく動いている。
アトゥらが連れてきた配下の一部も、そんなドラゴンターン防衛隊とよく連携をとっているように思える。
実戦を踏まえた調練としてはなかなか優秀だなどとアトゥがぼんやり感想を抱いていると、両手で杖をついたモルタール老が静かに尋ねてきた。
「そういえばアトゥ殿。今まで収奪された能力は?」
「ゴブリンが持つ《野外活動》。オークが持つ《体力増強》、ヒルジャイアントが持つ《怪力》《再生》ってところですね。先日ストーンゴーレムを見かけたのでぜひとも《石の皮膚》が欲しいところです」
今回の防衛協力。その成果は現状ですでに最高と言えるものになっていた。
蛮族は戦闘能力も低く、それなりの力を持つユニットであれば容易に対処できる存在である。
本来なら雑兵に等しい扱いではあるが、だからといって持っている能力が有効ではないとは言い切れない。
むしろ彼らにしては分不相応な能力を有しており、それらを収奪することによってアトゥは予想以上の強化を終えていた。
モルタール老も能力名を聞くだけでその特性の詳細を思い出し、同時にそれらを有したアトゥが複合的により凶悪な存在へと昇華したことに歓喜を覚える。
「いやはや、予想以上に大漁ですな。これは我らが王もお喜びになっているのでは?」
「ええ! ええ! 拓人様にとっても褒めていただきました! 帰ったらもっともっと褒めてもらうんですよ」
「幸先良いですなぁ――おや?」
顎ひげを撫でながら、鋭い視線を正面に見える丘へと向けるモルタール老。
彼につられてアトゥがやや気だるげに視線を向けると、丘の上に突如小さな影が現れているのを発見した。
「ヒルジャイアントですね。ふむ、今日は襲撃が多い」
やはり何度みてもそのカラクリは不明だった。
蛮族は突如現れる。
通常の法則とは違った仕組みで発生しているそれは、現在も彼らの頭を悩ませる難問であった。
当初は転移魔法などの線も考えた。だがモルタール老が行った調査ではその兆候は一切なし。
術は愚か魔力のかけらすら感じられないとのことだった。
魔術に関してはマイノグーラでも随一の知識と経験を誇る彼にして否と言わせるのであれば、転移の線は非常に薄くなる。
となれば本当に瞬時に出現しているのだが……その説を採用するのなら極論物理法則を無視していることとなり、やはり到底考えにくい現象となる。
もっとも魔術なんてものが存在している以上、物理法則など名ばかりの代物と言われればそれまでなのだが。
ドラゴンターンの防衛を目的とした蛮族の駆除、並びにアトゥ強化の為の能力収奪に関して言うのであれば順調であったが、こと蛮族出現現象の原因究明については停滞の一言だ。
そしてこの状況が続くことはタクトの元へ帰参することの遅れを意味し、アトゥにとってそれは耐え難い苦しみとも言えた。
「しかし困りましたね。この調子じゃあ拓人様の元にもいつ戻れるやら……」
「あ、アトゥ殿! 申し訳ありません! 丘巨人が! 急ぎ弓兵の準備を進めております!」
先程アトゥに蛮族の襲撃を伝えにきたドラゴンターンの斥候がまたやってきた、今度はより険しい表情だ。
それも当然、彼らが丘巨人と称するヒルジャイアント。その戦闘能力値は4。
加えて《怪力》や《体力増強》などの強化能力も持つ非常に強力なユニットだ。
通常の軍隊であれば苦戦は必須、損害は免れないだろう。
それどころか気を抜けば壊滅さえ容易にありえる。
一都市の防衛隊程度では荷が過ぎる相手だ。
「ええ、把握しております。弓兵は邪魔ですので下げてください。私が行きます」
「しかし、それでは! あっ! お待ちを!」
ゆらりと立ち上がった彼女は、斥候の獣人が止めるまでもなく駆け出す。
その速度は早馬と見間違うばかりで、すでにヒルジャイアントの表情を視認できる距離にまで達していた。
――そして戦闘という名の駆除が始まる。
「グァァァ!?」
「こんにちは。死ね」
会敵一番、アトゥは超人的な跳躍を持って巨人の眼の前に飛び上がると自らの手にもつ聖騎士剣でその顔面に斬りかかる。
突然の襲撃に巨人が自らの急所を守るべく両手を交差するが、強化されたアトゥの細腕から繰り出される剛剣は強靭なヒルジャイアントの肉体をゆうに切り裂いた。
「グギャアアアァ!?」
片腕を骨まで切り裂かれ、激痛と怒りで巨大な棍棒を振り回すヒルジャイアント。
地面を打ち付けるたびにガァンと強烈な破壊音とともに地面を砕くそれを曲芸の様に躱わしながら、アトゥはくるくると聖剣技独特の剣さばきを見せる。
アトゥが今まで切り伏せたヒルジャイアントの数はすでに片手を超えている。
オークやゴブリンと言った中型小型の蛮族であればその数知れずといったところだ。
もはや訓練にすらならず、得るものはない。
クオリアの聖騎士から収奪した《聖剣技》を手になじませるつもりで遊んでみたが、その必要もなさそうだ。
さっさと触腕で撃破するか?
タンッ、タンッと軽やかに飛びながらヒルジャイアントの攻撃を躱すアトゥがその様な作戦を考えていると、不意に自分の周辺に破滅の空気が満ちた。
「おや?」
「グギッ? ゴォォォオ……」
空気が淀み、辺りに瘴気が増す。
地面は変色し、荒野にたくましく生えていた幾ばくかの植物が急速な勢いで枯れ果てていく。
中立属性のヒルジャイアントの動きが明らかに鈍り、苦悶の表情を浮かべる。
反面邪悪属性のアトゥは身体から力がみなぎるのを感じた。
「モルタール老ですか。味な真似をしてくれますね」
チラリと背後を見ると、遠くドラゴンターンにいるモルタール老が魔術を発動しているのが見て取れた。
おそらく破滅の軍事魔法である『破滅の大地』を使用したのであろう。
一定範囲の土地を呪われた土地へと変化させるこの魔法は、邪悪勢力御用達の非常に便利な魔法だ。
邪悪属性外の敵国家との戦闘中に使用すれば、自軍の強化と敵軍の弱体化を同時に行える。
更に平時では自国の国境付近で使用することによって国境拡張の効果も得られる。
加えてコストが安いという非常に使い勝手が良い魔法だった。
マイノグーラの王宮から供給される破滅のマナによって使用が可能になった魔法ではあったが、今まで戦闘面において使う機会はなかった。
おそらく今のうちに具合を確認しておいてくれとのモルタール老の計らいだろう。
アトゥは地にまで落ちていたやる気を回復させると、早速とばかりに強化された自らの身体能力を確認する。
「ギ、グギャアア!」
もはや社交の場で魅せるダンスの如し仕草で攻撃を回避するアトゥだったが、不意に彼女はゆるりと動きを止める。
それをどう捉えたのかは分からぬが、ヒルジャイアントは好機とばかりに巨大な棍棒を振り下ろした。
ガァンと強烈な破壊音がなり、巨人の瞳が喜悦に歪むが……。
「ふふふ、軽い軽い」
「ギッ!?」
アトゥは、その細腕一本でヒルジャイアントの攻撃をやすやすと受け止めた。
呪われた土地による補正によって、もはやその実力差は天と地ほどの開きがあった。
巨人の表情が驚愕と絶望に歪む。
最初から遊ばれていたのだ。そこには絶望的なまでの現実が存在していた。
「――良い表情ですね。ではさようなら」
自らの全力がちっぽけな生物に受け止められたことの衝撃から抜け出せぬヒルジャイアント。
その顔面にアトゥは全力の剣戟を放つ。
縦一文字、胸元まで断ち切られたヒルジャイアントはそのままゆっくりと背後から崩れ落ち、やがてゴゴゴォンと巨大な地響きを鳴らしながら地面に横たわった。
ふぅとため息を吐きながら、アトゥは膨大な質量を持つヒルジャイアントの死体を見る。
数日もすれば野生動物が食い散らかすが、見た目によろしくないのは明らかだ。
街からもそれなりに近いし、適当に土でも盛ったほうがよいだろう。
蛮族の討伐と共に毎度発生するこの作業は、場合によっては蛮族撃破よりも骨が折れる仕事とも言える。
そんなことを考えていたのだが、不意に死体の存在が薄くなっていく。
アトゥの瞳が驚きに見開かれ、思わず数歩距離を取る。
「……え? 消え、た?」
その不可思議な出来事は終わること無く、ヒルジャイアントの死体はまるで手品を使ったかのようにその場から消失してしまっていた。
今まででは確認されなかった現象だ。
なにか新たなる脅威が迫っているのかと警戒したアトゥは、自らの触腕全てを展開し辺りを注意する。
……何も変化はない。
いや、消失したヒルジャイアントの死体があった辺りに、なにか陽光を反射して輝く小さな石の様なものが見える。
アトゥは触腕の一つを動かし、慎重にその物体を拾い上げる。
「……金貨?」
それは彼女が見たことの無い種類の、金でできた貨幣であった。
………
……
…
「もはやヒルジャイアント程度では手も足もでませんな。――いや、最初からアトゥ殿の敵ではございませんでしたが」
戦闘を終えて戻ってきたアトゥをモルタール老は上機嫌で迎えた。
崇拝するアトゥの戦闘能力が目にみえて上昇しているということもさることながら、自らの魔法が無事実戦で成功したという喜びもあるのだろう。
「この程度で後れを取っているようでは英雄とは名乗れませんからね。まぁ能力の収奪が順調である証拠でもありますし……してモルタール老、そちらの塩梅はいかがですか?」
アトゥはそんな彼の世辞にひらひらと手を振り答えながら椅子に座り、彼が本来受け持つべき仕事について進捗を問う。
モルタール老にくだされた命令は竜脈穴の調査とその開発。
だが彼の様子を見る限り問題はなさそうではあったが。
「幸いなことに、こちらも順調に進んでおりますぞ。いやはや、あの様な神秘的な土地、本当にあるのですな。年甲斐もなくはしゃいでおりますじゃ」
竜脈穴はその名の通り土地にポッカリとあいた巨大な穴だ。
そこに長年吹き出した濃密なマナによって固形化した魔力が水晶の様な塊となって林立している。もちろんドラゴンターンの竜脈穴も調査の為にいくらか魔力結晶が削られているものの同様の状態だ。
アトゥも実物を目にした時はその幻想的な光景に一瞬心を奪われた程だ。
モルタール老が興奮するのもわけはない。無論、その真価は芸術的価値のある見た目には無いのだが。
「ふふふ、それは僥倖。竜脈穴の純粋マナを利用できれば大規模な土地の改善が可能になります。荒れた土地を一瞬で豊穣な大地に変化させる魔法があれば、マイノグーラはさらなる発展を遂げるでしょう」
「《軍事魔術》の技術によって使用可能となる魔法はどれもこれも恐ろしいほどの効力を有しております。土地改善に特化した魔法となると、いやはや今から楽しみですわい」
話題に花が咲き、これからの未来に想いを馳せる。
現状マイノグーラは非常に強力なカードを手に入れたと言っても過言ではない。
未だ開発中のそれではあるが、将来芽吹いた時にどれほどの反映をマイノグーラにもたらすのか。
今から楽しみでなかった。
「きっと度肝を抜かしますよ、ヴィジュアルだけは無駄に凝ってますからねあれ――っと、そういえばモルタール老、少し聞きたいのですが」
「おや? 何事ですかな?」
会話の途中で近くにいたフォーンカヴンの衛兵が離れた事を察したアトゥは、先程の異変についてモルタール老の知恵を借りることにする。
判断に困る現象ではあったが、さりとて無視する理由もない。加えて現段階で大ぴらに公表することも。
懸念を放置することは愚か者の行いだ。後ほどタクトにも報告が必要ではあろうが、まずはこちらである程度調査するのがよいだろう。
故に、適当な相談の相手としてモルタール老が選ばれた。
「これに見覚えは?」
そう、先程ヒルジャイアントから手に入れた金貨だった。
「ふむ? 少々拝見して――これは、貨幣ですな? しかも金貨……これをどこで?」
「ヒルジャイアントからドロップしました」
「へ? どろ……むむ? ヒルジャイアントがこの様なものを?」
「ええ、貴方が知っている国家のものですか?」
通常敵からアイテムがドロップする様なことは無い。
元々そのキャラが持っていたというのであれば必然的に撃破した時に入手できるが、それでも死体が消えるという現象は不可解だ。
エターナルネイションズでも実のところアイテムを落とすという現象は存在するのだが、それはゲームに大きな影響を与える伝説級の武具やアイテムのみ。
この金貨がそれらに類するような代物とは思えなかった。
アトゥは金貨をジィと見つめるモルタール老を観察する。
どうやらあまり感触は良くないようだ。
「ふむ? うーぬ。いえ、見たことも聞いたこともないですな。しかもこの貨幣に使われてる技術……おそらくですが、この大陸のものではございませぬ。差し支え無ければ後ほどドラゴンターンの知恵者などにも聞いてみますが、答えは同じでしょう」
「本当に? であれば他所から来たものとなるのですが……それに懸念もあります。先程のヒルジャイアント、その死体が突然消失したのです。以前とは違う兆候です」
「突如現れる蛮族に大陸外の貨幣。そして突然消える蛮族の死体――少々気味が悪いですな」
アトゥの表情が険しくなる。
当初はヒルジャイアントがどこかの哀れな犠牲者から入手した貨幣かと思っていたが、どうやら違ったようだ。
であれば事態は楽観できるものではなくなってくる。
何らかの糸が見え隠れするからだ。そこに未知の存在が介在しているのであれば、警戒レベルを最大限に引き上げなければいけない。
それに消失したヒルジャイアントの死体だ。
何もなかったのに、突如現れる。
そしてそれは撃破すると突如消え去る。
残るのは金貨のみ。
ふとその現象が、どこかで聞いたなにかに似ていることを思い出した。
「ええ。これではまるで、アールピー――」
刹那、アトゥの表情が驚愕に見開かれる。
「アトゥ殿?」
「まさか。そんなはずは……」
アトゥは座っていた椅子から立ち上がり、慌てたように自らの手を耳に当て目を閉じる。
それが彼女が自らの主であるタクトに対して連絡を行う際によくとる仕草だとモルタール老が思い至ったその時、慌てたように防衛隊の斥候が天幕へと転がり込んでくる。
「緊急事態発生! 蛮族の大群が出現です! な、なんてことだ! 大地を埋め尽くすほどだ!」
モルタール老がその老齢に見合わぬ俊敏さで天幕より飛び出し地平線の向こうへと視線をやる。
「むぅ……これは!」
そこには些か落ちた彼の視力ですらゆうに確認できるほどの大群が、地を埋め尽くさんばかりにひしめいていた。
=Message=============
汚泥のアトゥがユニット撃破により次の能力を取得しました。
《野外活動》
・野外における行軍ペナルティを受けない。
《体力増強》
・ユニットの移動力1.5倍
《怪力》
・ユニットの戦闘力1.1倍
《再生》
・ユニットが毎ターン5%HP回復
・ユニット休憩時10%HP回復
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