【閑話】杖持ちたちの決断
フォーンカヴンの首都クレセントムーンへと帰参したトヌカポリは、早速杖持ち――フォーンカヴンの指導者層である長老集に緊急の招集をかけると、事のあらましを漏らすこと無く伝えていた。
当初は驚きの声も上がった杖持ちたちであったが、話の内容がイラ=タクトに至ると全員が恐ろしいほどの沈黙を守り、トヌカポリの言葉だけが集会場に流れるという一種異様な光景が広がる。
ただ全員が苦虫を噛み潰したかのような表情を見せている。
困惑と苦渋がそこにはありありと見て取れた。
やがてトヌカポリの話はマイノグーラとの共同作戦についての内容へと至り、ペペをドラゴンターン管理への任に就かせ自分は長老集への説明に向かったところで終わりを迎えた。
嫌な沈黙がその場を支配した。
長老集は身動ぎせず黙考している。
批判や糾弾、場合によっては弾劾も覚悟しているトヌカポリではあったが、彼女にしてもこの沈黙は居心地が悪い。
永遠に続くとも思われた沈黙もやがて終わりを迎える。長老集でまとめ役である人族の杖持ちが静かに言葉を発した。
「こりゃあ参ったわい」
その言葉を発端に、他の杖持ちたちも口々に困惑の言葉を放つ。
それらの言葉の殆どが「困った」や「どうしたものか」と言った中身のないものである辺り、おそらく長い年月と膨大な研鑽を重ねて今の地位についた杖持ちたちですら、この状況について即座に判断を下すことができていないのだろう。
「ペペのお馬鹿かげんには最初から期待してはなかったがぁ、まさかぁ貴様までその様な短慮に走るとはねぇ」
「はんっ! なにが短慮さ! うちの状況は理解してるだろ? 選択なんてほとんどないよ。逆に言うがね、彼らに協力を依頼しなきゃ数日のうちにドラゴンターンは落ちてたよ」
「ぬぅ……」
若さをなくした故か、それとも守るものが多くなりすぎたが故か、どちらにしろ指導者としてはいささか判断と決断に鈍い杖持ちたちの状況を察したトヌカポリは、この場で一気に自分の立場をあげておこうと画策する。
今回の行動は完全に自分たちに非があることはトヌカポリも理解していた。
だが彼女とて祖国の存続を願ってあの決断をしたのだし、間違っているとも思っていない。
少なくとも決断は下り、ことは動き出したのだ。
今さら責任問題といった細事に気を取られ国の状況を更に危ぶませる愚挙は犯したくはない。
「誑かされてねぇのか? 魔に属すものの狡猾さは死んだ爺様たちから嫌というほど聞いてるしな」
古狼の杖持ちが些か乱暴な口調で尋ねる。
肉食獣らしい気性の荒さを持つ者ではあるが、杖持ちに選ばれるだけあってその指定は鋭い。
トヌカポリはしめたと内心で笑みを浮かべる。
「アタシ自身はそうは思ってないし、会談も誠実なものだった。アンタたちから見てどうだい?」
「少しじっとしてロ」
トカゲの杖持ちが静かに杖を掲げる。
すると彼がもつ杖の先端が淡く光り、同時にトヌカポリの全身をピリッとした感覚が包み微かな獣臭が辺りに流れる。
嗅覚に優れ外敵を察知することに長けていると言われる、とある小型の雑食獣。その祖霊に力を借りた探知魔術だ。
「…………」
杖持ち全員の視線がトカゲの杖持ちに向かった。
トヌカポリですら万が一の可能性を危惧し、彼の返答をまっている。
トカゲの杖持ちは慎重を期すように時間をかけてトヌカポリを精査する。
大地と自然の霊を信奉するフォーンカヴン。そのトップである杖持ちが霊的歴史を持つ集会場で使う魔術である。
現在彼らが使える最高峰の探知魔術と表して過言はない。
「何も感じられんナ。あるいは我らにも気づかせぬ程の巧妙な術カ……」
ほっと一息。全員がため息を吐いた。
この場でトヌカポリが誑かされていた事が判明した場合、ドラゴンターンとそこに置いてきたペペの状況は絶望的となる。
最悪の結果だけは免れているであろうことにその場にいた全員が安堵するが、とはいえ彼らが置かれた状況は難解の一言であり、誑かされていないという事実がさらなる難題を持ちかけていた。
「いっそ誑かされていた方がわかりやすくてよかったさね。破滅の王が仲良くしましょうなんて言ってくるんだ。どう対応していいか頭が痛いよ」
「破滅の王……ねぇ、事実であれば恐ろしいわい」
まとめ役の長老が天上をみやりながら腕を組む。
この世界には様々な超常の存在が跋扈している。
それらは通常人の活動範囲に現れることはめったにないが、時たまこのように出現しては人の世界に混乱をもたらしていく。
故にその存在自体を疑うことは決してなかったが、とは言え破滅の王と言われてもピンと来ないのがトヌカポリを除く杖持ちたちの感想であった。
「実際目にすると腰を抜かすよ。年老いたアンタラじゃあそのままぽっくりいくかもね!」
「それはごめんこうむりたいナ」
「しかし実際問題どうするんだ? どっかの杖持ちの暴走でここまで話が一気に進んじまったんだ。今更ひっくり返せはしねぇぞ?」
会話の流れが脇道に逸れそうになったのを狼の杖持ちが強引に戻す。
トヌカポリの責任を問うものはこの場にいない。思うところがないと言えば嘘になるが、自分が同じ状況になればどの様な判断を下すか分からないと同情もあった。
なにより今はその様なことに時間を割いている余裕などない。
老いても指導者。感情を排す術など持ち合わせていて当然であった。
「マイノグーラが信じられないってんなら、クオリアに全てを打ち明けて協力を願うって手もあるよ」
「おいおい、マイノグーラの次はクオリアか? オメェ一体どれだけ誑かされたら気が済むんだ」
笑いながら冗談めかして提案するトヌカポリに思わず吹き出しながら獣の杖持ちが答えた。
「亜人の集団は神の法に従うことによって初めて人としての生活を営むことができる――カ」
「蛮族とまで言わなかったのは傲慢ちきなクオリアのなまぐざ坊主にしちゃあ配慮が効いてるが、それを言うならオレがあの人を舐め腐った宣教師の喉元を食い破るのを我慢したことも褒めて欲しいぜ」
「我らが止めなかったラ、食い殺してたロ? そんなことだから野蛮と言われるんダ」
「けっ! こっちぁ祖先が肉食なんだよ! あんだけコケにされて我慢できるわけねぇ!」
やいのやいのと騒ぎ出す二人を見て、まとめ役の杖持ちは大きなため息を吐いた。
クオリアが人間とエルフ以外の人種に対して差別感情をもっているのは有名な話だ。
そも彼らは差別とすら思ってはいない。
心の底から亜人に対して哀れで救うべき愚かな種族であると信じているのだ。
土台対等ではない中で、どうやって友好関係を築くと言うのか。
むしろお断りというのがフォーンカヴンの杖持ち――否、ほとんどの国民が持つ感情であった。
「ほらみたことかね、どっちにしろ選べる道なんてないんだよ。クオリアと手を組んでウチラの明るい未来が見えるかい? 家畜扱いされて使い潰されるのがオチだよ」
「まぁそりゃあ違いねぇな」
「しかり、しかり、ダ」
結局のところ、他に取れる手はないに等しかった。
合理的な判断を下せばこそ、マイノグーラの協力を受け入れることの利が見えてくる。
加えてぺぺが良しと判断したのだ。
感情的な部分はさておき、此度の選択がその内容を加味しなければ一番穏当であったことは否めない。
「とりあえずだぁ。話をクオリアのボケどもから戻すよぉ。今はマイノグーラの話だねぇ。まず持って彼らの協力を仰げるのは良いことと考えよう」
こうして会議の方向性はまとまっていく。
気がつけば全員が全員、マイノグーラと協力することを自然と受け入れていた。
本来ならばもう少し紛糾してもおかしくはないはずだ。それだけの衝撃がトヌカポリがもたらした話にはある。
だがなぜか彼らの中には不思議な納得があり、すでに決断されたものであるという確信めいたものがあった。
――彼らは自らの身におこった奇跡的な現象に、最後まで気づくことはなかった。
………
……
…
「話をまとめるよぉ」
まとめ役がパンと手を打ち鳴らす。
結局長い時間を持って決められた会議であったが、おおよその方針は当初からマイノグーラとフォーンカヴンが交わした取り決めを追認する形で終了した。
今後は他の杖持ちもマイノグーラとの交渉にあたることも考えられるが、都市の防衛に精一杯な現状はるか未来の話になるだろう。
だが光明は見えた。ドラゴンターンの防衛をマイノグーラに担って貰えるのであればフォーンカヴン本国での防衛と反攻作戦に注力することができる。
加えて竜脈穴だ。
口惜しい話ではあるが、メリットも十分にある。
すでにマイノグーラは龍脈穴から吹き出す強大なマナの利用法を確立しているらしい。
であれば準備が整えば両国にとって強力な切り札となるだろう。
蛮族の発生理由が不明であるが、対処法の確率や原因究明が可能となるかもしれない。
唯一の懸念は、マイノグーラという国がその内にいかなる考えを抱えているかだが……。
「結局、なるようにしかならないカ」
「ぺぺが心配だナ。ちゃんとやってるだろうカ?」
「オレはそれよりもあのガキが他所様に迷惑かけてないかの方が心配だぜ……」
「けどまぁ、ぺぺなら上手くやってくれるだろうねぇ」
気がつけば杖持ちたちはぺぺの話題に持ちきりだった。
彼らが誇る最高の後継者。偉大なる指導者、その卵。
ぺぺならば、いつもどおりのお馬鹿で空気を読まないその性格で、この難局を乗り切ってくれるのではないかと、その場にいた全員が漠然と考えていた……。
………
……
…
「そういえばよぉトヌカポリ」
「ん? なにさね」
「貴様、すこーしばかり血色が良くなっておるがぁ、向こうで何か美味いもんでもだされたんかいの?」
「うっ……」
なお、トヌカポリに関してはこの後マイノグーラで出された食事について盛大な追求を受けることとなる。
集会中には終始真面目な顔で誤魔化していた彼女であったが、歴戦の古強者の洞察力から逃れることは決して叶わなかった。
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