第二十五話:対話(2)

 ………

 ……

 …


 トヌカポリは困惑していた。

 なんやかんやで宴になったからだ。

 ペペとタクトの間に友情が生まれたことを記念して、との事だ。

 謀れているのだろうかとも思ったが、魔の少女であるアトゥが心底嬉しそうにこの出来事を祝福しているので、本当にただ祝賀の催しを開きたいだけなのかと納得してしまう。

 そうこうしているうちにテーブルにはどんどん料理が運ばれてくる。

 それらは見たことも聞いたこともないものだ。

 ただ香りは特上、普段はさほど食に無頓着であるトヌカポリですら思わずゴクリと唾を飲み込んでしまう。


「どんどん食べてください! 今日はめでたい日です! さぁさぁ、トヌカポリ様も!」


「あ、ああ。ありがとうさね」


 言われるまままずは果物を手に取る。

 肉や穀物はあまり食さないゆえの選択だ。

 丁寧に切り分けられたそれはみずみずしいオレンジ色をしており、甘く漂う果汁はその香りを嗅ぐだけで極上のそれと分かる。

 この世にこれほどまで洗練された果実が存在していることに驚愕を隠せないトヌカポリ。

 配膳を手伝っていたダークエルフの少女――顔面の半分が爛れた奇妙な娘に尋ねてみる。 すると彼女は血色の良い愛らしい顔でニッコリ微笑み「太陽の卵」と呼ばれる特別な食べ物だと教えてくれた。

 なるほど、空に浮かぶ太陽から授かった贈り物を称するとは大胆にて不敵ではあるが、これほどのものであればその名乗りは不遜とは言えぬだろう。

 とは言え、食してみるまで判断は出来ぬ。

 手近にあった銀製のフォークを手に取ったトヌカポリは、まじまじと果汁滴る果肉を見つめ、やがて意を決して口へと放り込む。


(な、なんだいこれは!!)


 瞬間。

 今まで食べてきたありとあらゆる甘味がただの砂利へと成り果てた。

 なんという味わい! なんという至宝!

 広がる甘味は想像外のもの。舌先で軽く転がすだけで崩れてしまうほどの柔らかさと、噛みしめるたびにこみ上げてくる果汁。

 何より口から鼻腔を通して伝わる香りは、それだけで心を溶かしてしまうかの如き魅惑がある。


 歳のせいか食が細くなっていたはずの胃が突如若かりし日を思い出したかのように活動を始め、もっとよこせと主張を始める。

 思わず次の皿へと伸ばしかけた手を、だが意志の力で強引に押し留め……。

 トヌカポリは今まさに体感した現象を静かに分析し、鋭い瞳でマイノグーラの面々を射抜いた。


「これは……失礼を承知で尋ねるよ。堕落の食物かい?」


 バクバクとさっきから遠慮無く食事を口に運んでいるペペを横目に見ながら、トヌカポリはなるべく表情を変化させぬようアトゥへと問いかける。

 魔の存在は人を堕落させるという。

 それは人が営む生活のあらゆる面に静かに入り込み、決して逃れられぬようその精神を絡め取るのだ。

 例えば一生かけても使い切れないほどの眩しいばかりの財宝。

 例えば一目見るだけでもはや他の者が視界に映らぬほどの傾城の美姫。

 ……例えば一口食べただけで、生涯忘れられない体験をしてしまう食物など。

 狂わされるほど耄碌はしていないが、されど彼女ですら品なく貪りついて追加を求めたくなるほどに、その果実は食べるという行為の極地にあった。


 故に問うたのだ。

 何を食わせたのかと。

 この様な食事が、この世に存在して良いはずがないと。


 だが緊張と警戒をもって投げかけられたはずの質問は、少しばかり驚いた表情を見せるアトゥによってすぐさま否定された。


「堕落の食物? ああ! なるほど、あまりの美味しさになにか良くない作用があるのかとお考えになられたのですね。それは大丈夫です」


 パタパタと手を振りながら否定するアトゥ。

 トヌカポリもその態度に「おや?」と内心で首を傾げるが、さりとて追及の手を休めることはしない。

 なにせここに非現実的で悪魔的で、人を誑かす食事があるのだ。

 テーブルに載る料理だけでも場合によっては争いによる殺人が起きてしまいそうな程の価値を持つ食事。

 クオリア辺りの強欲な聖職者にでも放り投げれば、それだけで笑えるほどの諍いを起こしてくれるだろう。

 そう断言できるほどの代物なのだ。

 これらが一体どのような由来のものであるかを説明されるまで、到底納得いかないことは当然とも言えた。


「うーん。どう説明すれば良いでしょうか? これら食物は我が国家でのみ生育が可能な特産と言ったところです。詳細は国家機密ゆえお答えいたしかねますが、人種にとって安全な物であることは保証します」


 アトゥも警戒するトヌカポリを慮ってくれたのか、やや過剰なまでに説明を加えてくれる。

 国家機密と言われてしまえばトヌカポリとてこれ以上は追求もできない。

 ありえない程に美味ではあるが、現にテーブルの上に存在している以上は幻の類とも言えない。


「おいしいよー」

「美味しすぎて食べ過ぎてお腹パンパンになるのです!」


「そうかいそうかい、そりゃあ凄いねぇ」


 給仕をしているダークエルフの少女二人が無邪気な笑顔を浮かべながらトヌカポリに追加の皿を持ってくる。

 それらを受け取りながら、彼女は魔の配下にもかかわらずまるで天使と見紛うばかりの無垢な少女たちに思わず笑みをこぼす。


(うちの馬鹿ペペと取り替えたい子だねぇ……)


 チラリと横目に見たぺぺは、何やら肉をパンで挟み込んだものにかぶり付いている。

 さっきから美味しい美味しいとしか言っていないが、彼はもともと何を食べても美味しいしか言わないので本当にこの食事の異常さを理解しているのかは怪しい。


 ともあれペペが安心して食べているのであれば、そうなのだろう。


 トヌカポリは自分の懸念が杞憂であったことに大きな安堵のため息を吐く。

 その上で、マイノグーラを疑ってしまったことへの謝罪と、愚かな疑いを抱いてしまう程に素晴らしい食事であったとの賛辞を送る。

 その言葉にアトゥらマイノグーラの面々も気を良くしたのか、更に追加の皿をトヌカポリのところへ持ってきた。


 しかしながら驚嘆の一言である。

 これ程の果実、そして食糧を生産できるということはそれだけ国家の技術力が高いことを指し示している。

 加えて国家が豊かであることもだ。

 基本的に食糧という物は食えば良いという認識だ。

 故に食に贅を尽くせるのは生産力に余裕がある証拠。双子の少女にもそれとなく聞いたが彼女達も普段から食べているという。

 王宮の給仕になるだけだ。それなりに重用されているであろうとは思ったが、それにしても普通では考えられない。


 気になったので更に聞いてみると、この食事は特別であるものの全ての国民が食す機会を得ることができるのだという。

 だとすればどれほど幸運で恵まれた国民なのだろうか。

 今まで自分たちが食っていた物がいかに食として位の低い物かを理解させられた。

 同時に、これほどまでの美味を知ってしまってこれからどうやって祖国の飯を食えというのか、とも考えてしまう。

 それほどまでに、先程の一口は衝撃的だったのだ。


「王の威光によるものです。全ての国民に最上の食糧を、食べきれないほどに。どうぞ満足ゆくまでお楽しみください。我らマイノグーラが誇る、この世で一番美味しい料理です」


「ああ、確かに世界一さね。いままで大言壮語はいろんな場所で聞いたことがあるが、事実に言葉が追いついてないのは初めてだよ。ここ最近食が細くなっていたんだが、こりゃあアタシもいよいよ体重を気にしないといけないかもねぇ……」


 気がつけば、相当に胃袋が膨らんでいることにトヌカポリは気づいた。

 果物以外の他の料理もいくつか手を付けたのだが、どれもこれもが初めてでかつ味わったことのないようなものだった。

 そのためあれもこれもと舌鼓を打つうちに相当な量を食べていたらしい。

 いい歳してお呼ばれした国でバカ食いして体重増やした。なんて言えば祖国の杖持ちたちにどんな嫌味とからかいを受けるかわかったものではない。

 少々気恥ずかしい気持ちになりながら、これが最後の一口だからと自分に言い訳を聞かせて紫色の小さな果実を口に放り込む。……が、もう少し欲しくなる。

 これは祖国への報告の際に小言は覚悟せねばならぬだろうとトヌカポリは諦めた。


「お婆ちゃんは別に太ったとしても気にする人なんていないから大丈夫ですよ――あいたぁっ! いつもより痛い!」


「大丈夫?」

「凄い音がなりましたです……」


 もっとも、祖国の杖持ちたちよりも先にぺぺの失言に対して報復せねばならなかったが……。


 普段より二割増しの勢いで小突かれ涙を浮かべているペペを尻目に、トヌカポリはマイノグーラと呼ばれる国家、その王たるイラ=タクトに視線を移す。

 平然と会食の場に存在しているそれは、いくら見ても一向に慣れるはずもない。

 それも当然だろう。

 なにせ邪神と思わしき存在なのだ。この場で平静にいられるほうが奇跡に近いのだ。

 とは言え賽は投げられた。

 ドラゴンの巣穴に潜らねば財宝は得られぬという古い諺がある。

 誑かされる危険性はあるが、彼らと友好を結べるのであれば実に有益なものとなるだろう。


 王がどのような存在かは分からない。

 それは不気味で、邪悪で、おおよそ人に近しい感情を有しているとは思えない。

 現に今も椅子の上に佇み、ユラユラと得体のしれない恐怖だけを無造作に撒き散らしている。


 王は何を考え、何をしようとしているのか?

 だが現状、なんとなくではあるが機嫌を良くしているということだけは理解できた。

 その理由がペペの言葉によるものだという事実だけは、到底理解する事はできなかったが……。

 ともあれお馬鹿なペペはお馬鹿なりにフォーンカヴンに尽くしてくれたらしい。

 孫の成長を喜ぶ気持ちを抱きながら、ようやくトヌカポリも緊張の糸を少しばかり緩め始めた。


「そうだ! この食べ物を売ってもらいましょう! 皆もきっと喜ぶと思います!」


 が、ちょうど良いタイミングで追加の燃料が放り込まれた。

 ペペが何やら瞳をキラキラと輝かせてとんでもないことを言い始めたのだ。

 またぞろ面倒なことを……。

 トヌカポリは頭を抱えたが、もはやどうしようもない。

 会食の後に彼らが最も懸念する件について話を持ちかけようと勘案していたところに、空気を読まない発言。


 これ以上思いつきで発言しないでくれと、このお馬鹿をどうにかしてくれと信仰する大地の霊に祈りながら、トヌカポリはやんわりとペペへと注意する。


「売ってもらうって言ったって、これほどのものだ。おいそれと他所には出してくれないだろうよ。それにまだうちとは交流を持ったばかりだよ。気持ちは分かるが話が早いさねペペ」


 実際この食料は魅力的だ。

 全ての国民が上質な食事を摂ることができるというのなら、食糧生産にある程度の余剰があって然るべきである。

 フォーンカヴンの食料状況は事情があって厳しい。上質でなくともある程度交易で入手することが可能なら国家にとって非常に有益となるだろう。

 とは言えペペに注意したとおりマイノグーラとは交流を持ち始めたばかりなのだ。

 初対面に等しい段階で交渉することではない。


「いいよ」


「い、いいのかいイラ=タクト王!」


「うん」


 しかしながらペペがフォーンカヴンにおける非常識であるのならば、マイノグーラにおける非常識は彼らそのものであったらしい。

 イラ=タクト王は実にあっけなくペペの提案に乗り、まるで良い話を持ちかけられたとばかりに大げさに頷いている。


「流石拓斗さま! 良い案ですね!」


 普通に考えれば異議を唱えそれとなく再考を促す従者すら、妙案とばかりに追従している。

 なぜここまで大胆な手を打てるのか謎は深まるばかりではあるが、さりとて交渉は行わなくてはならない。

 せっかくのチャンスである。できるだけ良い条件で交渉をまとめ上げなければとトヌカポリは自らの国が輸出できそうな品目を思い浮かべる。


「して、とても良い話にアタシも喜びを隠しきれないが、御国は何を求めるのだい? 言っておくが、ウチはこれといった特産も何もないよ。これだけ素晴らしい食料と同等の価値を持つものなんて、到底考えられないんだがね」


「特別なものは必要ないのです。金属備品や日常雑貨。娯楽品や紙に布と言った消耗品。それらを対価として頂きましょう。こちらから出す食料もそれなりにお安くしておきますよ」


 消耗品。

 トヌカポリは思わず眉を顰めた。その必要がどこにあるのだろうか? という疑問が湧いたからだ。

 雑貨や消耗品を輸出するにはなんら問題はない。機密に当たるような代物でもない。

 しかしながらそれらをマイノグーラが必要とする理由が分からなかったのだ。


「ふむ、それならうちにも輸出できる程度には余裕があるね。しかしだ、見たところあまり困っていないように思うがねぇ。特にこの美しい食器の品々。見たこともない上質なものだ。技術の進んだクオリアでもここまでのものはないだろうさ。当然うちに至ってはお察しだよ」


 テーブルの上に並んだ皿、燭台。用意されたスプーンやフォークといった器具を見つめながら、トヌカポリは純粋に己の疑問を口にした。


 だがその問いに対してアトゥは笑みを浮かべ小さく首を傾げ、ただ「他の国の物も需要がありますので」とだけ答える。

 その笑みの奥にどのような意図が隠されているのか、トヌカポリはじぃっと彼女の表情を見つめてみるが何も分からなかった。

 数百年を生きる老獪なる魔術師とて相手は人外の化生。やがてため息を吐いたトヌカポリは諦めたとばかりに両手を挙げる。

 悪い話ではないのだ。フォーンカヴンでは蛮族の襲撃により農地が破壊されている。防衛戦力のため人員を割かないといけない事もあり実のところ食糧の供給に問題が発生していた。

 重要でもなくいくらでも生産が可能な雑貨程度で腹が満たされるのなら願ったり叶ったりだった。


「まぁいいさね、こっちとしても問題ない。双方が納得する良い取り引きさね」


 結局、いくつかの大まかな取り決めがその場においてなされ、トヌカポリとしては望外の収穫を得ることができた。

 正直なところ出会ったばかりの国家から食料を輸入することは毒物混入などの危険性もあるのだが、その辺りは検査などを行いおいおい解決すればよいだろうと判断する。

 兎にも角にも食料が足りていないのだ。些細な労力を負担したところで余りある恩恵があった。


 やがて食事も終わり、料理がテーブルから下げられる。

 食後の飲み物などが供され皆々が一息ついた後に、アトゥはゆっくりと本題を切り出した。


「それで、先程はあまり詳しく話せませんでしたが、今回我らの領地にいらっしゃった理由をお尋ねしたいのです」


「ああ、当然さね。その辺りの話はアタシからさせてもらうよ。なにせペペにはいささか難しすぎるからね。」


 さて、本題だ。

 現在フォーンカヴンを悩ませる現象。その一端でも掴めれば御の字、加えて交渉によって何らかの協力を得られれば最上だろう。

 今までの会話から突発的な蛮族発生に関して彼らの関連性は非常に薄いと考えている。


 マイノグーラ自身も蛮族に対して懸念を抱いているようであったし、こちらを誑かして右往左往する様を眺めて楽しむほど悪趣味であるとも思えない。

 アトゥと呼ばれるこの恐ろしい少女を見る限り、どちらかというと自らの誇りに基づいて契約などを遵守するプライドの高いタイプにも思える。

 ……であれば協力できるはずだ。たとえそれが魔なる存在であったとしても。

 そしてその交渉は自分たちしかできない。

 まさに正念場だ。


 トヌカポリは和やかな場にしてくれたペペと、そしてイラ=タクト王に感謝する。

 余り堅苦しい場でなかったのが幸いだ。

 彼女とて国家の交渉事に関しては素人。

 緊張した状態ではどのようなミスを犯すか分かったものではない。

 とはいえ気が緩みすぎるのも問題。


 これから行う会話に集中するため手元のグラスに入った液体を飲み込む。

 当然のように初めて味わう未知の歓喜が舌の上を滑りながら喉奥へと流れていくが、不思議とこの時ばかりはその味をはっきりと楽しむことはできなかった。

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