第二十四話:対話(1)
数分前の緊張とは別に、今の彼らは言葉での表現に困る空気を感じていた。
先ほどまで互いに睨み合い
すなわちマイノグーラの精鋭と、フォーンカヴンの杖持ちたち。
彼らはいま大呪界の道なき道を共に歩んでいる。もちろん向かうはマイノグーラの首都。
タクトに面会をしたいと望むフォーンカヴンの指導者たちを案内するため先導するアトゥたちであったが、国家の未来を左右する重要な任務とは裏腹に、彼らは酷く微妙な表情を見せていた。
「それで僕は言ってやったんですよ! フォーンカヴンを荒らす不届き者め! 僕の魔術を喰らえ! ってね。聞いてますかアトゥさん!」
「はい、聞いています」
「いやぁ、それにしてもほんとあの亜人たちには苦労させられます! 僕がいなかったら今頃フォーンカヴンは滅んでいたと思います! 間違いない!!」
耳を塞がなかっただけ幸いだったが、聞いてもいないにもかかわらず先ほどから繰り返される武勇伝にさしものアトゥも辟易とした面持ちだ。
「そ、そうですか……それは大変でしたね。文明を持たぬ野蛮人は時として平和に暮らす人々を襲います。害あれど益になることは決して無い厄介者です」
「そうなんです! そうなんですよアトゥさん! うわぁ! 分かって貰えてくれて僕嬉しいです! なんだか初めて会った気がしません!」
わっはっは! と盛大に笑うペペ。
この奇特で奇抜な少年の挨拶によって劇的な進展を見せた両者は、遂に平和の内にその邂逅を果たした。
危機的状況にあった両者にあって、その間を取り持つという多大なる功績を果たした彼であったが、この場におけるペペの評価は微妙なものだ。
むしろ若干の呆れが両者にあったと言っても過言ではない。
彼は初めての挨拶を交わしてから終始この態度だった。
聞かれてもいないのに、この調子だったのだ。
「あの、トヌカポリさま? 彼は凄い距離感近いのですが……」
「すまないねアトゥ殿。馬鹿なんだよこの子は」
「はぁ、なるほど……」
アトゥは、彼女にしては珍しく気の抜けた返事をする。
それほどまでにペペという人物を図りかねている部分があった。
どうにも自分のペースを崩される。
未だ交渉の前段階という慎重さが求められる状況ではあるが、何か平時の昼下がりの様な朗らかで気の抜けた雰囲気が漂っている。
原因は分かっている。この空気が読めずどこかトリッキーな雰囲気を持つ少年のせいだ。
何か特異な能力を持って場の空気を和ませているのかとすら錯覚してしまう。
さりとてこの状況が不味いものであるという訳でもない。
奇異なる経緯ではあるがひとまず戦闘の危機は過ぎ去った。その後どのような状況になるかは未知数ではあるが、現状は上手く行っているのだ。
ゆえに、世の中いろいろな人間がいるものだとアトゥは若干強引に自らを納得させた。
「しかし、
「こればかりはどうしようもないのですトヌカポリさま。国家の性質ですので、……辛かったら遠慮なくおっしゃってください。日を改めて――別の場所での会合でも問題ありませんが」
アトゥとしてはもう少し互いの状況を確かめてから両指導者の会合としたかったのだが、向こうが拓斗との面会を急いてきたのだ。
何か企みがあるのかと一瞬警戒したアトゥだったが、その考えも精神的に繋がっている拓斗からの説明によって考えを改める。
恐らく、街を襲う蛮族について何らかの援助を早急に求めたいのだろう……と。
であれば得心がいく。
街の状況が逼迫しているものであるという情報は確かなものとして彼女たちマイノグーラ首脳陣の耳に届いている。
何らかの物資の援助か、それとも別の物か……。フォーンカヴンが何を求めているのかは不明ではあるが、少なくともマイノグーラと事を構えるほど余裕があるという訳でもなかろう。
そしてアトゥが信頼する拓斗の予想通り、トヌカポリの態度には隠しきれぬ焦りが見え隠れしていた。
「いいや、何事も早いほうがいいってことさね。流石に随伴の兵達は厳しいから置いてきたが。なぁに無理を聞いて貰ったんだ、このくらい我慢してちゃんと挨拶に伺うのが道理さね」
「多大なるご配慮感謝いたします。我が王も皆様のご来訪を心より歓迎しております」
焦りを隠せぬのは逼迫した事態ゆえか、それとも単純に謀りごとに慣れていないのか。
いずれだとしても詮無きこと。指導者である彼らがこの地に来た時点ですでにこちら側に有利な状況となっている。
すでにアトゥの戦闘力に関しても、決戦兵力と呼べるほどまでには上昇している。
万が一彼らが何らかの企みを持っていたとしても、真正面から粉砕してみせるだけの自信が今の彼女には存在していた。
「なんだかお腹が空いてきましたね! 気のせいか足取りも重くなっちゃいます!」
「彼はその、なんともないのでしょうか?」
「馬鹿だから鈍いんだよ」
とはいえ、その予想も彼を見る限り当たりそうにはなかったが……。
るんるんとご機嫌に道なき道を歩むペペ。
何処かで拾った木の枝を振り回しながら、ヤケに上機嫌な態度で目につくダークエルフたちに片っ端から話しかけている。
余計な話は控えたく――されど正式な
困惑したダークエルフたちの表情に同情しながら、もう暫くお馬鹿のお守を頼むとトヌカポリはアトゥへと向き直った。
「そうだ、アトゥ殿。マイノグーラの王について、どうのような御仁かもう少し話を聞かせておくれないかい? 文化の違いで失礼があったらたまったもんじゃないからね」
「ええ! もちろん! では早速王の偉大さと格好良さと優しさと素晴らしさについてご説明しましょう!」
小難しげな表情を時折見せていたアトゥは、その言葉でぱぁっと態度を変えた。
その様子から少女がどれほど自らの王を敬愛しているのかを自ずと理解するトヌカポリ。
楽しそうに王の素晴らしさを語る少女――アトゥはトヌカポリが判断する限り特級の化物だ。
見た目の愛らしさとは裏腹に、内に秘めたる力は比類なきものだろう。
伝承や神話に残っていても不思議ではない化物。
そんな少女が慕い仕える王。
瘴気が濃くなるにつれ、底冷えのするような不安がトヌカポリを襲う。
(さて、ナニが待ち受けているのやら……)
ふと大呪界に封印されていると呼ばれる破滅の王についての伝承を思い出したトヌカポリ。
自分たちの選択は正しいのだろうか? ペペの勢いに流されるようにここまで来てしまったが、とんでもないやらかしをしていないだろうか?
内に沸く不安を拭い去るように、牛頭の老婆は頭を振った。
◇ ◇ ◇
その存在を前に、トヌカポリという名の老婆はいかに自分という存在が矮小で、吹けば飛んで消えてしまうかの如き儚いものであるかを思い知らされていた。
謁見の間、玉座に座るそれはこの世のありとあらゆる生命とかけ離れた気配をその身に纏っており、ただただ深く吸い込まれそうな暗き闇を彼女の魂に刻みつけている。
(こりゃあとんでもないのが近所に引っ越してきたもんだい……)
容姿は一見すると人のそれ。だがまるで子供が戯れに世界に落書きを施したように塗りつぶされた黒は、触れただけで精神をズタズタに引き裂かれそうな恐怖を感じさせる。
アトゥと呼ばれた少女が崇める王。
化物が崇め奉る本物の化物。
自らの知識、想像、予想を優に超えた存在にトヌカポリは息をするのも忘れ、ただ叫びそうになる己の心を叱咤し平静を保つことに己の全力を傾ける。
(闇の気配が宮殿中に満ちているね。逃げられないわこりゃ。上級悪魔……もしくは軍勢を率いる魔王。ああ、違う認めろさ、どうみてもありゃあ邪神の類いじゃないかい)
静かに視線が交差する。
相手は本来神話の世界に住まうはずの存在。さりとて不用意に頭を下げるような真似はしない。
悍ましい邪神とはいえ、これから交渉を持とうとする国の長なのだ。
そして自分はフォーンカヴンの代表者として来ている。
立場は対等。故にトヌカポリは静かに相手を見つめ、恐怖を押し殺し相手の紹介が行われるのを待つ。
「偉大なる我らが王、イラ=タクトさまです。タクトさま、彼らがお伝えしたフォーンカヴンの指導者、杖持ちのトヌカポリさまに、ペペさまです」
「うん」
心臓を鷲掴みにされ、無造作に潰された。
否――幻覚にすぎない。
言葉は太古から伝わる呪の技法だ。
古き人々は言葉が持つ力を理解していたため、真に必要な時以外一切口を開かなかったと伝え聞く。
何を世迷い言をと若き日のトヌカポリはその言い伝えを笑ったが、今なら言葉の力強さを教えた先代杖持ちの話を真剣に聞けるだろう。
王の言葉は、経った一言にもかかわらずそれほどまでに危険な物だった。
このまま逃げ帰り、何も見なかった振りをして全てを忘れ去りたい。
弱い心が鎌首をもたげ、トヌカポリの鍛え抜かれた精神に揺さぶりをかける。
されど彼女とてフォーンカヴンを統べる十二の杖持ちが一人。
国の誇りと、自然の神々の名において決して臆すこと無く啖呵を切ってみせる。
「偉大なる王よ。お初にお目にかかる。先程紹介いただいたフォーンカヴンが十二杖。巻き角のトヌカポリだ。この度は――」
……が。
「初めまして! 僕の名前はペペです! フォーンカヴンからやってきました! お友達になりましょう!」
「のぉぉぉぉ! ペペぇぇぇ!?」
このタイミングで予想しなかった横やり。
空気が読めないとはまさにこのこと。
思わず叫び、慌ててしまったとばかりに口元を抑える。
数百年という時を経た自分ですら臆したマイノグーラの王に気軽に挨拶する度胸はトヌカポリとて驚嘆するものだ。
だが出来ればそんな気安い挨拶は止めて欲しかった。
流石のペペも同じく怯え震えているだろうと考えたトヌカポリの、一世一代の失態であった。
「お友達……?」
「い、いや失礼したイラ=タクト王! ペペは緊張ゆえ少々言葉を間違えただけなのさ。若輩の無作法と笑って許していただければありがたいさね」
タクトの言葉を待たずに取り繕うトヌカポリ。
流石にこれで激怒するほど狭量ではないとは思っているが、されど舐められる可能性は十分にある。
国家の指導者同士が対面してお友達になろうなどとは笑止千万、指導者としての品格を問われ、ひいては国家が軽んじられる。
これから行われるのは国家と国家が己の主張をぶつけ合う机上の戦争。
剣や矢を交えることは無いが、それでも結果如何では国民の生死にかかわる。
その様な重要な場で何を世迷い言を。
真っ暗になりそうな視界と意識を保ち、自らの教育が疎かであったためペペがこのような奇行に走ってしまったと後悔するトヌカポリ。
なんとかこの失態を払拭しようと言葉を選らんだはずだったが……。
「友達……いいよ」
「やったぁ!」
「ええっ!?」
どうやらトヌカポリの予想とは裏腹に、その答えは実に予想外で、そして実に奇想天外であった。
国家の指導者が友達同士? 馬鹿を言うにも程がある。
何を企んでいる? 何が目的だ?
答えの出ない疑問を反芻しながら、トヌカポリはチラリと視線を逸らす。
向かうは王の腹心であるアトゥだ。
ここに来るまでの間でこの少女の性格はおおよそ判断がついている。
性質こそ邪悪な部分があるものの、その考えや作法などは至って一般的な範疇に存在しているものだとトヌカポリは判断していたのだ。
であればこの状況になんらかの疑念を持っていてもおかしくはない。むしろ自分と同じく驚いているだろうと共感を求めたのだったが……。
だが彼女は彼女で様子がおかしかった。
感極まった様子で口元に手を当てながら、ウルウルと瞳を潤ませているのだ。
「おお! 何ということでしょう!」
「あ、あの、アトゥ殿?」
「初めての友達おめでとうございますタクトさま!! ほら、何をしているのです、拍手!!」
王の側に仕えていた警備のダークエルフたちが一斉に手を打ち鳴らした。
次いでアトゥも感極まった表情でパチパチと拍手する。
祝福される王は何やら照れくさそうに頭を掻いている。
意味がわからない。
なのでトヌカポリも拍手した。
すでにペペが盛大に拍手をしているので、自分だけが取り残される状況だったからだ。
謁見の間に朗らかな空気が流れる。
緊張は一気に霧散し、なんだこれ? と言った困惑がトヌカポリの全身を包んで離さない。
(と、とんでもないことになってしまったねこれは……)
敢えてペペの失態に乗って緊張をほぐそうとしているのか、それともこちらをからかっているのか。
もしかしたら本気で友達になろうとしているのかもしれない。
だがイラ=タクト王の表情は感じ取れることが出来ず、ただただ漆黒の闇が人の真似をして恥ずかしげに照れている様にしか見えない。
自分たちは、ただなにもない虚空に向かって拍手し祝福しているのではないか?
そんな底冷えのする考えがトヌカポリを襲う。
マイノグーラの王イラ=タクトという存在は、とうてい彼女如きでは計り知ることが出来る存在ではない。
そのことだけが、今の彼女に唯一分かることであった。
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