第十六話:激突(2)

 不意の遭遇から決裂――そして戦闘への移行。

 何もかもが予定外で不本意な結果だ。

 まるで運命の天使に嫌われているようだと内心毒づきながら、ヴェルデルはゆっくりと迫る少女――魔女を見据える。


「くそがっ! 上手くいっていたのによぅ! 最悪だぜ!」


「完全に同意ですね。私も本来はこの様なことをした――」


「矢を放て!」


 魔女の言葉を待たずして、ヴェルデルの号令によって傭兵団から矢が放たれた。

 全力で引き絞られた弓から解き放たれた矢が都合十数本少女に襲いかかる。

 だが彼女の背後から伸びた触手がその全てを弾く。

 人の身では不可能な反応速度を当たり前のように見せた彼女は、何故か嬉しそうに笑みを浮かべた。


「……へぇ、容赦がない。そういうの好きですよ。大好きです」


「ちぃっ! 余裕でいなすかよ!」


「ヴェ、ヴェルデルさま……魔女とは?」


 矢による攻撃は無意味。ダメージどころか牽制けんせいにすらならない。

 相手が一筋縄ではいかないことを嫌というほどに感じながら、ヴェルデルは狼狽えるローニアスへ視線を向ける。

 もしかしたら彼は少女のことを邪教徒の神官かなにかと勘違いしていたのかもしれない。 あくまで人の範疇はんちゅうとしてソレを認識していたのかもしれない。

 自らが抱いていた懸念をもう少し共有しておくべきだったと反省しながら、ヴェルデルは遅きに失した魔女についての情報を簡潔に共有する。


「聖女さまが神託を下し、お偉方が認定した災厄指定の化物だ。現在二人だけ確認されている。恐らくコイツはその三人目だ! 北方州騒乱の原因って言えばお前も分かるだろ!?」


「そ、そんなまさか……」


「…………」


 魔女。

 ヴェルデルが語った言葉は少女の危険度をこれでもかと表している。

 いまだ鎮圧の兆しを見せない北部州の騒乱。そしてその原因とされる災厄。

 聖王国が必死に隠す世界の危機が、まさかこのような形で目の前に現れるとはローニアスも思いもよらなかっただろう。


 少女は変わらずゆらゆらと触手を揺らし不気味な瞳でこちらを見つめている。

 遊んでやるから来いとでも言わんばかりの態度だ。

 逃げることは叶わない。

 上級騎士のヴェルデルでさえようやく対応できるほどの攻撃速度で、かの魔女はローニアスにその凶牙を向けた。

 背を向ける余裕などどこにもないのは明らかだ。


「一気に行くぞ! 傭兵団、お前らじゃ荷が重い! 補助に回れ!」


 ヴェルデルが吠え、ローニアスが剣を構える。

 ふたりとも魔獣討伐の経験はある。

 人ならざる脅威に対する技術は確かにその身に宿している。

 聖騎士だけが使える戦闘祝福によって恐怖は感じない。後は全身全霊をかけて相手を打ち砕くだけだ。


「あわせろローニアス! おおおおおおっ!!」


 バンッと強烈な破裂音を鳴らしヴェルデルの足元が爆ぜる、次いで雷鳴の如き疾駆。

 追うようにローニアスが疾走する。

 災厄の魔女との戦いが、今ここに始まりを迎えた。


 ……傭兵団はその瞬間を視認することはできなかった。

 それは彼らの動体視力を優に超える攻防だった。

 唯一ローニアスが少女に飛びかかる瞬間は見えたが、それですら常識を逸した速度だ。

 上級騎士ともなれば化物じみた戦闘能力を誇るとは吟遊詩人より語られる有名な話ではあったが、その事実を目の当たりにし驚愕に表情を変える。

 されど彼らの力量すら及ばぬ異常がそこにはあった。


「遅いですね。そして無力」


 聖騎士が誇る全力の攻撃を受け止めなお余裕の表情。

 二人の剣は交差するように防御姿勢をとられた少女の触手によって防がれている。

 上級聖騎士の攻撃速度を上回る防御。

 それは二人の力量がかの魔女に及ばないことを示していたかに思われた。だが、


「いや、意外となんとかなるかもしれねぇぜ!」


「――むっ?」


 バシャアっと紫色の血しぶきを上げ、一本の触手が地面に転がった。

 二人の聖騎士は一跳躍で飛び退き、降り落ちる血しぶきを浴びぬように後退する。

 ビチビチとまるで命があるかのように跳ねる触手を眺め、次いでその切断面を眼前まで持ち上げ眺め。

 魔女と呼ばれた少女は少々困った様子で眉根を顰める。


「神の加護による神罰術式……と言ったところですか。邪悪属性に対する特攻及び防御力増加。これだから善文明のユニットはずるいと言うのです」


「言ってる意味が分からねぇが! この隙は見逃さねぇぜ!」


 再度の疾駆。そして斬撃。

 動く影は同時に二つ。あわせるタイミングは完璧の一言。

 先ほどの繰り返しのように、またしても血しぶきがあがる。


「ふむ。切られますか」


 二本目の触手が切り落とされた。

 だがヴェルデルたちによる攻撃の手は休まることを知らない。

 血しぶきを掻い潜るように獣性を帯びた動きで下段から潜り込んだヴェルデル。魔女は彼に向けて残る触手四本の内二本を向かわせて貫かんとする。

 だが必殺のはずの貫きは、円を描くような独特の剣撃によって難なくいなされる。

 接近戦を強いられたことで触手の加速が落ちたのだ。

 有利をものにせんと回転する独特の剣技、一振り毎に神聖を帯びるその御業に少女は苛立ちを覚え始める。


「これはどうです? ――ちっ!」


 少女の視界に影が落ちた。

 上空から狙われていることを瞬時に察した彼女は確認せずに上方へと触手を振るう。

 遅れて来る衝撃と破裂音。

 触手は残り三本。

 今度は少女が飛び退き距離をとる番であった。


「いまだ! 矢を放て!」


「聖騎士を少し舐めていました。これは手強い」


 本数が減った為か先程よりもせわしなくその触腕を動かし矢を弾き飛ばす少女。

 連携は完璧であった。

 戦闘能力に優れるヴェルデルが苛烈に責め、ローニアスがその隙をつく。

 傭兵団は下手に動かず遠距離攻撃に頼る。

 このまま残る触手を全て撃破すれば彼らの勝利は確実に思われた。

 だが相手は災厄をもたらすもの。

 うちに秘めたる悪意は底知れず。


「では、こういう趣向はどうでしょうか?」


「なっ!?」


 形勢不利とみた魔女は戦法を変え左右に触手を伸ばす。

 ヴェルデルが慌てて警告の言葉を発しようとした時にはすでに遅い。

 うわっ! と小さな叫び声が二つ聞こえたかと思うと、その触手に絡み取られた二名の団員が魔女の目の前に掲げられた。


「私、人間って好きです。弱いし脆いし、同族意識が高く盾にもってこい」


「だ、だず、げて……」


「ふふ、お静かに」


「げべぇっ!」


 喉に触手の先端が突き刺さる。

 囚われた団員はビクリと大きく震えるが、それでもまだ死んではいないようだ。

 典型的ではあるが、効果は大きい。

 彼ら聖騎士には到底考えも及ばない戦法だ。

 下劣な行いにヴェルデルの顔にも思わず怒りが滲む。だが激情に囚われるなとヴェルデルは己を律する。

 これは挑発だ。目を曇らせては勝機を逃す。

 邪悪に人の倫理を期待してはいけない。彼らは理解の範疇から大きく外れた存在なのだ。

 事実彼女は心底楽しそうに苦しむ団員を揺らし見せつけている。


「この外道がっ!」


「ローニアス! 迂闊に動くな、怒りを抑えろ! 相手は人質を取らなきゃならねぇほど疲弊している! 同時にいくぞっ!」


「おお! 来ますか! 盾はどうしますか? 殺しますか? そうですよね、たかが傭兵、さして価値はないですよね」


 盾になった傭兵団の団員二名は程なくして血しぶきを上げながら絶命する。

 だがこの場で躊躇しなかったヴェルデルの胆力こそ褒め立てるべきだろう。

 事実彼らの死を無駄にしないとでも言わんばかりに行われた攻撃によって、魔女の触手は愚か、その身体にも一筋の傷を与えることに成功していた。


「あと二本だ……あと二本奴の気持ち悪ぃ一物をぶった切れば俺たちの勝ちだ」


「はい、ヴェルデルさま」


 すでに魔女の戦法は見破った。

 もはや決着は眼前まで迫り、彼らの秩序が悪を打ち滅ぼす時が来ようとしている。

 魔のものに似つかわしくない白く美しい頬についた一筋の傷。

 災厄の魔女は確かに殺せる。

 それが彼らに勝利という名の希望を与えていた。


「行くぞ! 気を抜くな――」


 最後の時が訪れようとしている。

 全てが終わる最後の時が。


「言い忘れていたんですが」


 不思議なことに、

 今しがた思い出したかのように魔女がポンと手を叩いた。

 そしてニッコリと本物の童女を思わせる屈託のない笑みを浮かべ、放たれた一撃が自らの頭蓋を割る寸前、



 無数の触手をもってヴェルデルを串刺しにした。



「……私の強さは分かりやすく言って軍団規模です。一般の武装兵士で換算すると大体五千は集めないと話になりません。あとこれおかわり自由です」


 彼女の背後から無数の触手が生えてくる。

 最初から遊ばれていたのだ。勝てると思った自分の見立てがどれだけ甘かったかヴェルデルは苦悶の表情で後悔する。

 腹に刺さった複数の触手、もはや自分の命が尽きようとしていることを理解した彼は、最後の足掻きとばかりに触手を掴み、ごぷりと血を吐く。


「に、逃げろローニアス……」


「ヴェ、ヴェルデル……さま」


「早く逃げろぉぉぉ!!」


 小首を傾げ、少女はヴェルデルの頭蓋を突き刺した。

 ビクリと大きな痙攣を一つ起こして沈黙する聖騎士。

 ドサリと地面に落ちた身体はすでに抜け殻で、彼の命が永遠に失われてしまったことを示唆している。


「さて、次は貴方の番ですね聖騎士ローニアス。彼はすぐ殺して差し上げましたが、残念ながら貴方はそうはいきません」


 無数の触手が彼女の周りでゆらゆら揺れる。

 今からお前を殺すと宣言するかのように、絶望を見せつけるかのように。

 もはや彼に勝てる道理はどこにもない。

 ヴェルデルが失われた以上、ローニアスではその触手を切断することすらままならないのだ。


 傭兵団にも絶望が漂い始める。

 ローニアスが討たれたら次は間違いなく自分たちの番だ。

 そのことを理解した傭兵の一人が叫びをあげる。


「ひっ! ひぃ!! ――あべぇ!」


 恐怖に駆られた団員は弓矢を放り出し逃走を図り――地面から突き出た触手によってあっけなく殺された。

 少女はちらりとそちらを伺い、視線をローニアスへと戻す。

 逃走は無意味。全員に絶望が走る。

 だがローニアスだけはその仕草に違和感を覚えていた。

 なぜ少女はことさら逃亡者を気にするような仕草を見せたのだ?

 そう言えば最初も馬と伝令を狙っていた。

 小さな疑問がいくつも組み上げられる。

 凝縮された時間の中、その答えに至った瞬間ローニアスは大声で叫んだ。


「全員バラバラに散れ! 一人でも生き残りこのことを伝えるんだ!」


「これは参りましたね……。仕方ない」


 明らかに焦りの表情が魔女に浮かんだ。

 同時にローニアスは己の推論が当たっていたことを察する。

 彼が予想していた通り、少女は無数の触手を逃亡者の迎撃へと向けた。

 ドン、ドン、と鈍い音をたてながら鉄の槍を思わせる鋭さで地面に突き立てられる触手。

 周囲から逃げる団員が口刺しにされる絶叫が響く。

 そしてローニアスはこの一瞬にかけた。


「神よ! 我に邪悪を打ち倒す力を!」


 神の力を再度降ろし、全身全霊をかけて魔女へと駆ける。

 傭兵団の始末に気を取られていた為、少女の守りは手薄。

 慌てるように迎撃に来た残された触手をなんとか打ち払い、少女の懐へ入り込む。

 刹那の攻防。そして勝利の女神は彼に微笑む。

 残る触手の迎撃ももはや間に合わない。

 この一撃で全てを決する覚悟を持って、亡きヴェルデルの敵をとらんとして、ローニアスは剣を振り下ろした。


 ――キィン。

 硬い金属音、そして目の前に広がる光景。

 ローニアスは、わなわなと震えながら零れ落ちそうになる剣を握り締める。


「な、なぜ……!?」


「今のは驚きました。褒めて差し上げます」


「なぜ貴様が!?」


「――神の祝福儀礼が施された聖騎士剣を、どうして使えるか? でしょうか?」


 全ての触手を封じられ、懐に入り込まれた災厄の魔女。

 だが彼女は地面に落ちていたヴェルデルの剣を拾い上げ、ローニアスの攻撃を凌いだのだ。

 邪悪なるものは祝福が施された聖騎士の武器を使うことができない。

 これが聖王国で一般的に信じられている常識であり、不変の事実でもある。

 だがその様な常識など無意味とばかりに少女の手に収まるヴェルデルの聖騎士剣。


 何が楽しいのか、コロコロと笑う少女はくるりと円を描くよう剣を振り、構える。

 その動きがこの戦いで目の当たりにした聖騎士ヴェルデルの動きに重なる。


「奪ったのですよ。そこで倒れる聖騎士の技を。積み重ねられた研鑽を、鍛え上げられた技能を、殺したときに」


 馬鹿な! という思いがローニアスを支配する。

 相手の能力を奪うというだけでも異常の一言に尽きるのに、加えて聖なる御業までも奪ったと言うのだ。

 邪悪なるものに模倣もほうされ、収奪されてしまう。

 絶対無二の神の威光がいとも簡単に穢されてしまうのであれば、果たして正義とはなんなのか?

 ローニアスはただ震えることしかできない。

 自分たちが殺されれば殺されるほど、この魔女は力をつけるということを悟ってしまったからだ。


「どうやら聖騎士ヴェルデルは一ユニットに値する猛者だったようです。もしかしたら偉大な何かを成し遂げる星の下に生まれていたのかもしれませんね。貴方の短慮でさっき死にましたが」


 逃げ遅れた傭兵達の絶叫が聞こえる。

 ただ呆然と立ち尽くすローニアスを放って傭兵の処理を行う意味は明白だ。

 その誇りを穢しているのだ。

 聖騎士としての、全ての誇りを。


「彼の《聖剣技》とともにその想いが伝わってきます。自分がここで死んだらローニアスはどうなるのか? 彼の家族、妻のマーシャと娘のミーナはどうなってしまうのか? 傭兵団にも家族がいる。彼らはどうなるのか? 死ぬわけにはいかない。決して死ぬわけにはいかない。――とても勇敢で、とても気高い男ですね彼は」


「馬鹿な! そんな馬鹿な!」


 ローニアスはなりふり構わず叫んだ。

 それは確かに彼が愛する妻子の名前だった。

 愛しい妻と娘。一度だけ、ヴェルデルに語ったことがある。

 内心粗暴で聖騎士として不適だと見下していたヴェルデルが、どれほど自分たちの身を案じてくれていたのか、どれほど気高き魂を持つ人間であったのか。

 ローニアスは半ば泣きながら、情けなく叫んだ。

 偉大なる男の魂と記憶が、かの男が抱いた気高き誇りが、目の前の邪悪に奪われ今まさにもてあそばれているという絶望に。


「貴方はいま何を考えていますか? 上級騎士に相応しき度量と力量、なによりも気高さを持ち合わせる彼に対して、ちっぽけな貴方は何を考えていますか?」


「に、逃げ延びた傭兵が、必ずや我が国にこの事を伝え、お前を討ち滅ぼす聖なる軍勢をよこすだろう……。彼の意思は決して消えることは無い!」


 彼の作戦は半ば成功していた。

 逃げ出した傭兵の迎撃に回っていた魔女の触手だったが、四方八方に駆ける数十名の人間を全て殺害するには至らなかった。

 何名になるかは分からないがその狂牙から逃げおおせた者がいる。

 その者がきっとこの窮地を知らせるだろうと……。ローニアスは確信していた。


「ああ、あれですか。――これで大丈夫です」


 ドシュ! と鈍い音がなり、再度触手が地面に突き立てられる。

 同時に遠くから絶叫らしきものが聞こえた。

 慌てて周囲を見渡すが逃げている傭兵の姿は見えない。

 だが彼女の口ぶりとその行動から、今しがた行われたことの答えにたどり着き顔面を蒼白にさせる。


「……は? ま、まさか」


「あれ? 私、あの距離届かないって言いましたっけ? 言ってませんよね?」


 視界を越えてなお、攻撃を飛ばせることができる。

 全ての希望が潰えたことを理解したローニアスは震える手で剣を握る。


「さっ、どうぞ? 貴方が不適切と解任した聖騎士ヴェルデルの剣でお相手致します」


 くるりと円を描くように回され構えられた動きは、確かにヴェルデルの技そのものだった。



=Message=============

汚泥のアトゥがユニット撃破により次の能力を取得しました。


《聖剣技》

・祝福済み刀剣の装備が可能になる

・刀剣装備時に以下の能力を得る。

 邪悪属性ユニットに対する攻撃力ラ1.2倍

 邪悪属性ユニットに対する防御力ラ1.2倍

―――――――――――――――――

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