第十七話:激突(3)

「――あり得た未来の話をしましょう」


 夕日が世界を紅く照らし、戦いの終わりを告げる。

 既に勝敗は決し、奇跡は起こることなく、当然の結末が聖騎士ローニアスの元に訪れていた。


「貴方がそこで無様に死んでいる聖騎士ヴェルデルの言葉を聞いた場合の話です」


 アトゥは全身刃傷で覆われた聖騎士ローニアスを触手で吊し、彼に向かって言葉を贈っている。

 既に彼に抵抗する力は無い。聖騎士ヴェルデルの剣技によって思う存分痛めつけられ、彼はその戦意と抵抗力を根本からへし折られあらゆる気力を失っていた。

 アトゥは語る。静かに語る。

 すぐさま殺すのが彼女の責務にもかかわらず、そうせねばならぬ、そうせざるを得ないとばかりにアトゥは滔々とうとうと語った。


「その決断に納得がいかないまでも了承した場合。貴方は無事故郷へと帰ることが叶います。

 通常通り報告を行い――まぁ査定は多少悪くなるかもしれませんが、それでも無事任務を終え家路につくことが出来るのです。

 出迎えてくれるのは愛する妻と娘。温かい家の温もりと、かぐわしいスープの香り。二人を抱きしめ、親愛の言葉をささやきながら、貴方は無事に任務を終えた感謝と、この平和を守る誓いを神に捧げます。

 ……一方の私にも安寧あんねいが訪れたことでしょう。あなた方が存外話のわかる人間であったことに安堵し、この平穏がいつまでも続けばと願いながら眠りにつくのです」


 静かに語られる言葉ではあったが、そこにはハッキリとした憎悪が込められていた。

 なぜそうしなかったのかと、なぜ忠告を無視して短慮に走ったのかと。

 確かな怒りがそこにはあった。


「貴方が選択した未来の話をします」


 ローニアスは既に瀕死だ。

 裂傷による出血で既に意識ももうろうとしているのか、だが口からはひゅーひゅーと小さな呼吸が漏れ、瞳は僅かながら開かれている。

 まだ魂が消え去っていない証拠だ。


「貴方はこの後死にます。無残に苦しめられ、なんの成果もなすことなく死んでいくのです。

 貴方の家族の名前を知った私が次にすべきは家族を殺すことです。マーシャ、そしてミーナを考える限りに苦しめてから殺します。――ああ、娘はまだ赤子でしたね。折角ですので化物らしく喰らってやりましょう。

 私はそもそも人肉はあまり好みではありませんが、それでも焼くか煮るかして香辛料をたらふくかければなんとか食えないことはないでしょうからご心配は無用ですよ」


 滔々と語りながら、アトゥはローニアスの顔を見つめる。

 その表情に浮かぶ苦悶と後悔と絶望と、その全てを余すことなく堪能するかのように、彼女の言葉は次第につやを帯び、喜悦きえつを含んでくる。

 アトゥはこの状況を楽しんでいた。


「それだけではありません。北大陸と南大陸が接続する場所にはあなた方が移動の際宿泊したクオリアの村々がありますね?

 意味も理由もありませんが、見つけ次第住民を皆殺しにして焼き払うことにしましょう。あっ、万が一貴方の妻や娘と同じ名前の方がいれば念入りに苦しめてから殺しますのでお喜びください」


 ローニアスは小さく首を振った。

 彼に残された命の炎、その最後の全てを振り絞って行われる抗議と慈悲請いだ。


「私、なめられたら終わりだからその時は絶対殺せって大切な方から教わっているんです。だから殺しますね。何人でも何百人でも、何千人でも殺します。可哀想ですし、本当はやりたくないですが、それでも殺します。――それが貴方の選択です」


「や、やめろ……おねがいだ、やめてくれ」


 ぜぇぜぇと枯れ出た言葉を彼女はわざと無視した。

 あの時、平穏を求めるアトゥの声をローニアスが無視したように。

 アトゥもまた、ローニアスの願いを聞き届けることはなかった。


「貴方は良い人だったのでしょう。神に祈りを捧げ、国に尽くし、国民となにより家族を愛した。立派ですね、これだから自らを正義と信じる者は嫌いなのです」


 魂に絡みつく呪いの言葉をこれでもかと放ち、アトゥはようやく満足した。

 飽きたと言った方が正しいかもしれない。

 だがどちらにしよ聖騎士ローニアスという名の男が歩んだ人生が、ここで潰えることに変わりは無かった。


「さようなら聖騎士ローニアス。優しく勇敢な貴方は必ずや神の愛に包まれ天の国へと向かうことでしょう。天国の特等席で、どうぞ大切な人たちが惨たらしく死ぬさまを思う存分御覧くださいな、ふふふ、あはは……」


 魔女がわらう。

 全てを憎悪するかのように、全てを呪うかのように。

 ローニアスは自分がとんでもない過ちを犯してしまった後悔と、自らの感が間違いなくこの邪悪を見抜いていた確信と、そして何より……。

 愛する人々がこれから受けるであろう絶望に、心を狂わせた。


「あ゛あ゛あ゛あ゛ああっ!!」


「ははハハッ! アハハハハハハッ!」


 そして、一人の男が持つ正義と視野狭窄によって予期せぬ災厄に晒された調査団は……一人残さずその命を南大陸で散らすこととなった。

 後には静寂が残るばかり。

 一人残されたるは災厄の英雄。

 すぅっと風が吹き、清涼感を伴ってアトゥの髪を撫で上げる。

 彼女は死した聖騎士ヴェルデルの死体を暫く間、まるで弔うかのように静かに眺めていた。


 ………

 ……

 …


「お見事ですアトゥ殿……死体の処理は我々にお任せください」


 背後から人影が現れる。

 その声の主が森で隙を窺っていた戦士長ギアであると判断したアトゥは、振り返らずに言葉を返す。


「時間がかかるのは避けたいですね。私も手伝いますのでさっさと済ませてしまいましょう」


 死体の数は五十名ほどにも及ぶ。

 それら全てを放置していてはこの場所で起こった戦闘が露見する可能性がある。

 もっとも地面が吸った血液までは処理すること叶わないが、それでも腐肉の匂いが辺りに立ちこめて周囲の魔獣や獣を呼ぶ危険性は避けられるだろう。

 隠匿は最重要項目であったし、彼らの武装をそのまま得る事が出来るということは未だ物資に乏しい彼らの国家にとっても重要な意味を持つ。

 故に死体の処理は必須だ。


 アトゥが触手を生み出し、死体を器用に一カ所に集めていく。

 戦士団が死体を森の奥へと運んでいく様子を監督しながら、ギアはアトゥに尋ねる。


「しかし、余りよろしくない結果になりましたなアトゥ殿」


「ええ、彼らはこの森に何らかの異変があるということで調査に来ていた模様。察するに我々のことが感づかれている可能性があります」


「なんと! そ、それは……」


「ヴェルデルと呼ばれた聖騎士は聞き分けが良かったので上手くいくかと思ったのですが……」


「事実として我々は別にかの国とことを構えようとはしておりません。場所も離れておりますので、最上の結果になるかと私も話を聞きつつ内心期待していたのですが……」


「まっ。基本善属性とは分かり合えないってことでしょうね」


 当初アトゥは彼らとの対話について、逃げ延びたダークエルフの娘を装って行っていた。

 それはマイノグーラの存在を露見させない為の作戦であり、相手の目的が分からないが故の行動だ。

 会話を通じて出方を見つつ交渉を行い、去ってくれるのであれば良し、去らないのであれば情報秘匿を優先して皆殺し。

 それがタクトが考えた作戦だった。


 だが蓋を開ければこの有様だ。

 もしかしたらもう少し良い方法があったのかも知れないが、どちらにしろ彼らの目的を考えると皆殺しにせざるを得ないだろう。

 少なくともマイノグーラの存在を知らしめる選択肢はあり得ない。

 故にこの結果は、避けられないものであったのだろう。


 ギアはまだまだ自分たちが危機的状況にいることを理解しながら作業を早めるため部下へと指示を送る。

 同時にアトゥの様子をチラリと窺い、先ほどから疑問に思っていたことを正直にぶつけた。


「アトゥ殿……先ほど言っていた言葉。実際になさるので?」


「言っていたこと? ああ! 彼の妻子の話ですか! するわけないじゃないですか!」


 その言葉に唖然とするギア。

 武装集団への調査及び交渉役としてアトゥが話し合いをしている間、彼らは背後の森に潜み静かにそのやりとりを全て聞いている。

 マイノグーラの王であるタクトの命によってアトゥに危険性が及ばない限り決して姿を見せるなと厳命されていた為、彼らが戦闘に加わることは無かった。

 よってずっと様子を窺っていたのだが、アトゥの言葉は邪悪になったギアの心を持ってして、心胆寒からしめるものだった。

 その言葉が嘘とは……、加えて「何冗談を真に受けているのですか?」とでも言わんばかりのアトゥの態度。呆れを越えて唖然とすることしかできない。


「ただあの聖騎士がどんな表情をするか興味があったので嫌がらせで言ってみただけです。私は平和主義者なのです。そんな恐ろしいことは到底できません……」


 カラカラと笑う少女にギアは薄ら寒いものを感じられずにはいられなかった。

 初遭遇時に恐怖を覚えたものの、今までのやりとりで人間味を感じていたのだ。

 特に少し抜けたところがあり、時たま王に注意を受けて落ち込む様子などまるで本物の童女のようだとすら考えていた。

 ギアはその全てが自らの勘違いであり、やはり目の前の存在は自分たちとは別次元の魔であることを強く認識する。


 もっとも、だからといって殺された聖騎士たちに同情することは無い。

 アトゥが彼らを殺さなければ、逆に殺されていたのはギアたちダークエルフだろう。

 西王国の尋問は苛烈であり、邪悪なる存在に容赦が無いと言われている。

 マイノグーラの存在が露見すれば秩序と正義を信奉する彼らが行う行動など考えるまでもない。

 自分たちが安全な暮らしを得た瞬間に相手を慮る余裕を見せるなど、愚かしいにも等しい。

 ギアは自らの部族が受けた仕打ちを忘れてはいない。

 彼の知る愛する仲間と、見ず知らずの何処かの誰か、どちらを優先すべきかなど天秤にかけるまでもなく判断出来ることだ。


「まぁ雑談はさておき、早く終わらせましょう。王に直接報告すべきことが多くあります」


「む? 何かご懸念でも?」


 さし当たっての危機は去ったにもかかわらず、なにやら急いた様子を見せるアトゥにギアも首を傾げる。

 取り立てて問題があるようには見えなかったが、どうやら彼があずかり知らぬところで事態は思わぬ方向に向かっているようだ。


「ええ、敵を撃破したときにいくつかの情報を奪取できました。――すこし、良くない傾向です」


 聖騎士ヴェルデルを殺したときに彼の遺志がアトゥに流れ込んできていた。

 その殆どが仲間を思う情報として価値の無いものであったが、北方州の騒乱に関する情報はアトゥの興味を誘うに十分なものだ。

 そして何より魔女と呼ばれる存在。

 聖王国クオリアとエル=ナー精霊契約連合が保有する聖女と同程度と予想される大陸災厄。

 未だ幸いにも遭遇はないが、アトゥの予想が正しければそれは英雄クラスの力を持った存在だ。

 国力戦力共に未だ乏しいマイノグーラ。

 唯一のアドバンテージであると思われる英雄の力も、相手が同規模の戦力を保有しているとなれば効果は薄れる。

 早急にその対策と今後の方針を考えねばならぬだろう。


 ギアもアトゥの態度に事態の逼迫した状況を感じ取り無言で頷く。

 彼女の懸念は国家の懸念であり、ひいては国民全ての安寧を脅かす脅威となる。

 サッと手で合図をして戦士団に作業をさらに急がせると、自らも死体の処理に加わる。


 世界は、大きく動こうとしていた。

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