第3話

 依頼人の少女が去った事務所で、探偵は紫煙しえんくゆらせながら紙の新聞を広げていた。


 呪われていると指摘された少女はひど狼狽ろうばいしていた。そんなはずはない、呪いを受けているのは友人の三國だと全力で否定した。


 そして、依頼を承諾しょうだくさせると足早に去っていった。受けた限りは調べなくてはなるまい。


「さて、どうしたものかな」


 その時、室内に据え付けられたARの通話装置が起動する。通知画面には白澤映室しらさわえむという名前が表示される。


 ARによって事務所内に描き出されたのは長い金髪をした華奢きゃしゃな少年の姿だ。中性的な容貌の少年は事務所を見回して首を傾げる。


「あれ、探偵くん。依頼人はもう帰っちゃったの?」


 鋼探偵は露骨ろこつに嫌そうな顔をする。


「帰った。探偵も留守だ」


「何その堂々とした居留守」


 白澤はたしなめるように人差し指を突き出す。


 鋼は紙の新聞から目は離さない。


「社長様は忙しいんだろう?」


「多忙なのにわざわざ出向いてあげてるんだから感謝してよ。ほら、感謝を態度で現わせ」


 白澤がARの手を近くでブンブンと振ると、手が新聞紙をすり抜ける。探偵が迷惑そうな顔をする。


「さっきの魔女、どうせ調べるんでしょう」


「盗み聞きはやめろ」


「業務の一環として監視カメラ網のチェックをしていたらたまたま目に入っただけです~」


 金髪の少年は探偵が座る椅子の背に体をもたれかける。ARで描き出される少年の体がわずかにブレて椅子の背に透ける。


「で、あの子が言っていたイイズナ様って?」


飯綱権現いづなごんげんのことだろうな」


「イズナゴンゲン?」


「山岳信仰をルーツとする神で、狐に乗った烏天狗の姿をしているとされる。その飯綱権現を信仰する修験者しゅげんじゃは様々な呪術を使いこなすという。その術の一つとして、狐を使役しえきして相手に取り憑かせ、病気や怪我をさせたりすることができる」


「へえ、すごい。狐ってそんなこともできるんだ」


「できるらしいな。その狐のこともまたイズナと呼ぶ」


「イズナねぇ」


 金髪の少年はしばらく考える素振そぶりをしてから口を開いた。


「じゃあ、それでいいや」


「何?」


 探偵は怪訝な顔をする。


「魔女は風見優だ。彼女が飯綱権現いずなごんげんの呪法で、他の生徒に狐を取り憑かせて災いをもたらしている」


「ただの女子高生が儀式の手順を整え、何遍も真言を唱えて他の生徒に呪いをかけたって? 本気で言ってるのか?」


 鋼は読んでいた紙の新聞を手の甲で叩く。


「この新聞だって手に入れるのに大変苦労したんだぞ。小娘が人間の死体やら動物の生き血やらを集められるものか」


「苦労するなら、諦めて電子新聞にしなよ。……風見優って子はさるIT企業の社長の御令嬢なんだ。会社のツテやら何やら使ったんじゃないかな」


 金髪の少年は冷たい目で鋼探偵を見る。


「それが真実だよ」


 鋼探偵は嫌そうな顔で睨み返す。


「何かあるな」


「さあ、何も。真実は僕が言った通りだよ。君にできることは魔女にこれ以上の凶行をやめさせることだけ。化け物退治は得意でしょ?」


「言われなくともそうするさ」


 鋼は追い払うように手を振る。


 愛嬌のある笑顔を作った白澤が優雅に手を振り返すと、ARで描き出されていた彼の姿が消えた。AR通話が切れる。


 探偵は煙草を揉み消した。

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