第2話

 極限まで整理の行き届いていないオフィスをどうにか潜り抜ける。柳崎祀莉りゅざきまつりと名乗った少女は辛うじてソファにたどり着いて腰を下ろした。


 応接用のテーブルにも山のような書類が積まれていた。データではなく、わざわざ紙で保存しているのは何かこだわりがあるのだろうか。少し憧れる。


 ソファの横の壁に貼られているのは「事務員募集中じむいんぼしゅうちゅう」と書かれた手書きの紙だ。


 事務所の格調高さを損ねているだけでなく、これも拡張現実AR全盛期の今の時代に凄まじく逆行している。


 もしやAR端末がおかしいのかと、思わず左耳に付けたARフォンの不具合を疑ったほどだ。だが、小型のイヤホンくらいの形状のそれはエラーも起こさずに動作していた。


 その証拠に、指先で視界の端に触れると、先ほどまでこの事務所に来るために使っていた周辺の地図が目の前に広がる。少女は訝しみながらも貼り紙に手を伸ばした。指先にさらさらとした紙の質感が伝わる。


 ――本当に、拡張現実じゃない紙だ。


 この事務所の主はよほどアナログな人物なのだろう。ちょっと感心した。


 指先を曲げ、もう一度だけ「事務員募集中」と書かれた紙の質感を味わう。古びてはいるが、うっとりするような甘い感触だ。


 背の高い青年は細長い煙草を灰皿で揉み消し、コート掛けに灰色のコートを引っ掛けてから少女の真向かいに座った。


御用向ごようむきをおうかがいしましょう」


 少女は少し躊躇ためらってから口を開いた。


「私の学校には魔女がいます」


「へえ、魔女!」


 鋼は驚いたような嬉しそうな顔をした。


「風見優という女子生徒。人を呪うことができるんだそうです。学校でも女王様みたいに振る舞っているんですけど、自分に逆らおうとする生徒がいると呪いをかけて学校に来られないようにするんだって」


「呪いねえ。今時の女子高生は随分と迷信深いんですね」


 探偵はからかうように言った。


「本当です。現に、私の友達の三國さんがもうずっと学校に来ていなくて」


「それが魔女の仕業だというんだな」


「三國さん、あまりクラスの派閥とか気にしないタイプだったから風見さんの気に障ったんだと思います」


「その呪いは何か具体的な名前は言っていたか?」


 少女は少し試案してから答えた。


「確か、イイズナ様、とか。儀式をして、その神様に相手を呪ってもらうんだとか。儀式には人の血とか犬の生首とかそういうものを使うって聞きました」


飯綱様いずなさま、ね。魔女というよりは巫女みこだな」


「こんな話、警察にもエムズコープにもできなくて」


「まあ、確かに。相手にはされないだろうな」


「もし呪いで人が死んだり、怪我をしたら呪った魔女は罪になるんですか?」


「今の日本の法律では、殺人やら傷害やらの罪にはならない。呪いという行為との因果関係を立証できないからな」


「だったら、ますます警察は頼れないってことですよね」


「まあ、呪いならそうなるな」


「お願いです、探偵さん。三國さんを助けたいんです」


 少女は頭を下げる。


「魔女の呪いを解いてください」


「呪いを解く、ね。それはいいが――」

 

 煙草の灰が落ちる。


「呪いというのは、破られれば呪った本人に返ってくるものなんだそうだよ」


 探偵は少女の背後を睨むように目を細める。


「君、呪われているぞ」

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