第6話 キリタ

「皆んな!集まってくれ!」

 

 翌朝、真っ先に異変に気付いたのはアレックスだった。朝食に誘おうとアキラの部屋を訪れた時には、既にもぬけの殻だったのだ。

 

「そんな…!」

 

 アキラの身に何かあったのでは無いかと、アビーは真っ青な顔をしていた。

 

「アビー落ち着くんだ。オズ、魔力鑑定を。」

 

「分かった。」

 

 オズも内心穏やかで無いようで、いつものおっとりとした雰囲気はなく、慌ただしくスクロールを取り出すと、バッと音がする程勢いよく広げた。

 

 スクロールに描かれた魔法陣にオズが手を置くと、ポッと音を立ててその模様から炎が上がり、一瞬で魔法陣は消え去る。

 

 オズは魔法の宿った目を凝らし、部屋の隅々まで念入りに観察した。その間、他のメンバーは部屋の外から、鑑定の様子を心配そうに伺っていた。

 

 オズは丁寧な手つきで布団をめくったり、床に顔を近付けたりして、昨夜の魔力の痕跡を探る。

 

 やがてゆっくりと立ち上がると、ふーむ、と大きな溜息を漏らした。

 

「アレックス、やはり侵入者がいたようじゃ。」

 

「なに?」

 

 オズの鑑定が終わるのを待って、一同は部屋の中に踏み入れた。昨日までアキラが居たはずの部屋には、まるで初めから誰も使用者が無かったかの様に、きちんと整えられていた。

 

 オズが天井の片隅を指差す。

 

「ここに足跡が。」

 

「やはりヴァンパイアか……!」

 

 アレックスは聖剣の柄をギリギリと握り締める。

 

「アレックス、不味いんじゃねぇか?あいつはアキラを生贄にしようとしていたんだぜ。」

 

「そうじゃな。口止め…かもしれん。」

 

「そっ!そんなっ!急いで探しに行かないと…!」

 

「落ち着け!」

 

 冷静な判断を出来ない面々を、一喝して黙らせる。彼がパーティーのリーダーであるのは、ただ勇者であるからという理由では無いのだ。其々に冷静な判断力が戻るのを見届けて、アレックスはオズに向かって顎をしゃくり、報告を続行させる。

 

「ふぅ。ともかく、あの夜のヴァンパイアが侵入した事は間違いないの。」

 

 一同に暗い雰囲気が漂う。

 

「争った形跡は?」

 

「無い。血痕も見当たらなんだ。そこの窓から外へ連れ出したようじゃな。」

 

 全ての視線が、小さく開けられた窓へと向いた。

 

 アレックスはしばらく考えをまとめ、険しい顔のまま自分の判断を告げた。

 

「恐らく、アキラは無事だ。」

 

 リーダーからアキラの無事を聞き、一同揃って安堵の表情を浮かべる。たがアレックスの表情は変わらない。

 

「口を封じるなら、ここでやっているだろう。」

 

 アレックスはその場にしゃがみ、床を一撫ですると、指先に付いた埃をふっと吹いた。

 

「じゃあ、またアキラを生贄にするつもりなのか?」

 

 可能性はある。あるが…アレックスの直感が違うと告げる。何か不自然だ。

 

「相手の目的は分からんが、アキラは自らの意思で付いて行ったんじゃないだろうか。」

 

「とすれば、チャーム(魅了)の魔術か、吸血による眷属化かのぅ。」

 

 それも考えられる。しかし、昨日報告に憲兵詰所を訪れた際、大司教はアキラを厳重に保護するよう言っていた。ヴァンパイアも、アキラを殺さずに連れ去っている。何れにせよ、双方にとって重要な人物、という事では無いだろうか。その様な人物を吸血するなど、考え難い。

 

 そして、昨晩アレックスが部屋を訪れた時、部屋の中にはヴァンパイアは居たのかもしれない。もしそうだとすると、アキラはヴァンパイアを庇った。なぜだ?

 

「こんな事なら、アビーの部屋で一緒に寝てもらった方が良かったんじゃねぇか?」

 

「そうですね。私が付いていれば、こんな事には…。」

 

「おい、冗談だぜ。」

 

「わ、私だって冗談ですよっ!」

 

 相変わらず騒ぐ二人を尻目に、アレックスは静かにベッドへと近付くと、優しく布団に手を置く。当然そこには既に、アキラの体温は残されていなかった。

 

 いずれにせよ、魔族が人間を連れ去って、何も問題が無いとは考え難い。

 

「俺は憲兵詰所へ行く。報告を兼ねて、憲兵達を動かせないか、働きかけようと思う。」

 

 騒ぐのをピタリと止め、アレックスに注目する。

 

「お、俺たちは?」

 

 アレックスはゆっくりと手を離して皆に振り向くと、いつもの爽やかな笑顔を見せた。

 

「お前らにじっとしてろって言っても無理だろ。目撃情報が無いか当たってくれ。情報屋はもちろん、宿や酒場の主人など、深夜まで起きていそうな人物もな。」

 

「「了解!」」

 

 全員に活気が戻った。

 

 

 

 アレックスは走った。

 

 思い浮かべるのはアキラの姿、そしてパーティーの面々だ。特にアビーは顔面蒼白で取り乱していた。落ち着いて捜索に当たってくれれば良いのだが。

 

「全く。お前はつくづくトラブルメーカーだな!」

 

 そんな愚痴をこぼしながら、報告室の扉を勢い良く開ける。手早く傍聴対策を行い、乱暴にクリスタルへと手を乗せた。

 

 急いでいる時に限って、なかなか応答が無い。アレックスはクリスタルの上の人差し指をカタカタと鳴らし、聞こえる筈もない相手を急かした。

 

《ダミアンだ。待たせたな。》

 

 ようやく応答したダミアンの声がゆっくりと聞こえる。それがアレックスの苛立ちを増幅させるが、腹の底にぐいっと押し込み、自身も敢えて落ち着いた口調で報告した。

 

「昨日報告致しました人物アキラが、昨夜未明、ヴァンパイアと思われる人物に拉致されました。」

 

《なにっ!!》

 

 当然、大きな声を上げるダミアン。この後続くであろう激しい叱責に心構えをするアレックスだったが、その予想は大きく外れる。

 

《ふむ…そうか。やはりな。》

 

 まるでアキラの拉致が予め分かっていたかの様な口ぶりだった。やはり何かしらの心当たりと思惑がある様だな、とアレックスは確信する。

 

「つきましては、捜索の手を広げる為、憲兵の協力を要請致します。」

 

《その必要は無い。》

 

 即答だった。またしても不可解な返答。クリスタルに置かれた右手に力が入る。

 

 一刻を争う事態になるかもしれないのに!

 

「人が一人拐われたのです! せめて理由を! 理由をお聞かせ下さい!」

 

《ダミアン、私が話そう。》

 

 クリスタルの向こうから、聞き覚えのある声が頭に響いた。このクリスタルで会話が出来るのは、直上の上官ダミアン大司教、もしくはその上官である…

 

《フリッツだ。》

 

 レオニス王国、国王フリッツ=ネメア!

 

 勇者であるアレックスでさえ、これまでに何度かしか謁見した事がない。アキラを巡る事態が、アレックスの想像の及ばない大きさで動いていた。

 

「こ、これは陛下!」

 

《うむ、アレックスか。ダミアンの言う通り、この件に関して、お前は引け。》

 

「し、しかし、アキラの状態が分からぬままで…。」

 

《元は貴様の失態から始まった事であろう!》

 

「は、はっ!」

 

 国王の言葉に、思わず後退りするアレックス。冷や汗が全身から吹き出し、頭をクリスタルよりも低く下げた。

 

《今後事態がどう動くか分からんのだ。最悪、人が一人この世から消えるだけの事。》

 

 勇者は人類の盾であり、守護者である筈。その立場にある者に、目の前の命を見捨てろと言うのか。出会ってまだ二日ではあったが、アキラは善良で気概のある男だった。そんな男が窮地にあるかもしれないと言うのに。

 

《これは国家に取って重要な案件。勇者如きが口を出す事ではない。》

 

「…畏まり…ました…!」

 

 

 

「馬鹿にしやがって…!」

 

 どんっと置かれたグラスの音に、主人はびくっと身を強張らせた。

 

 宿に戻ってもアレックスの怒りは収まらなかった。詰所へ報告に行く度にストレスが溜まっていく。まだ日も高いが、飲まずにはいられなかった。他のメンバーがまだ戻っていない事は幸いだったと言えよう。

 

 人が一人居なくなるだけと言い切りやがった!自分の娘が同じ状況でも同じ事が言えるのか!その為の勇者、その為の憲兵だろうが!

 

 アレックスの愚痴の数だけ、グラスから酒が消えていく。

 

 俺の動きが気に入らないなら、勇者など徴用しなければ良いじゃないか!そもそも勇者「如き」が魔王復活を阻止したのが問題だって?じゃあ誰がそれをやってくれるんだ。まるで魔王に復活してもらわなければいけないみたいな言い方じゃないか……!

 

 と、そこまで心の中で愚痴った所で、はたとアレックスは気付く。

 

 魔王に復活してもらわなければならない?

 

 もしかしてそう言う事なのか?しかし、魔王とは世界を滅ぼそうと企む悪の権化。そんな奴に復活してもらいたいとは、一体どういう事なんだ?そして、アキラはその重要な人物。まさか…。

 

 あまりの熱に溶けた氷が、カランと手の中で鳴った。

 

「昼間から愚痴を肴にお酒とは、あまり良い傾向じゃありませんね。」

 

 突然、隣の席から声を掛けられる。

 

 アレックスの呼吸が一瞬止まり、全身に鳥肌がゾゾゾと立つ。

 

 いつの間に。

 全く気付けなかった。

 

 アレックスはゆっくりと剣の柄に手を伸ばしつつ、視線を左へと送る。

 

 深々とフードを被った女。口元しか見えないが、それが誰であるかはアレックスにははっきりと解った。

 

「こんな所で大立ち回りなんて、勘弁して下さいませ。」

 

 女の牽制に、アレックスは伸ばしかけた手を止める。

 

「それは貴女次第だろ?エマ殿。」

 

 うふふふ、とエマは笑いながら、顔を隠していたフードを下ろした。そしてアレックスはそこに現れたヴァンパイアの風貌に釘付けになる。

 

 美しい。

 

 まるで蝋の様に真っ白な肌に、血の様に真っ赤な唇が艶めかしく笑っている。すっと切れ長な目は、まるで全ての男を誘っている様に見えた。

 

 はっと我に返ったアレックスは、慌ててグラスへと目線をやった。

 

「くす。かく言う私も他人事ではありませんね。マスター、私にもグラスを頂けるかしら?」

 

 ただならぬ雰囲気の二人に、主人はビクビクしながらグラスを一つ用意する。中の氷がカタカタと鳴っていた。

 

「アレックス様、私にも頂けて?」

 

 そう言ってエマはグラスの口に人差し指を乗せる。その真意を探りつつ、アレックスは動揺を悟られぬ様、キリタを丁寧に注いだ。

 

 ドンと酒瓶をカウンターに置くと同時に、アレックスがエマへと鋭い視線を向ける。

 

「どういうつもりだ。」

 

「あら、せっかちなのね。氷が溶けるまではまだありますわ。」

 

 エマはキリタが光るグラスを眺め、カランカランとグラスを回して見せて、アレックスに差し出した。

 

 エマは優し気な目を、アレックスは刺さる様な目を、互いに視線を交差させたまま、グラスを合わせる。

 

 チン。

 

 エマはキリタに一口付け、少し驚きの表情を見せた。

 

「まあ、芳醇で香ばしい。」

 

 それを見たアレックスは悪い気はしなかった。ふふん、と得意気な鼻を鳴らして、自らも一口含む。

 

「魔族に人間の酒が分かるのか?」

 

 口を付けた部分に一雫、キリタが美しい玉を作っている。アレックスがチラリと視線を向けると、エマも相変わらず美しい微笑みを浮かべていた。

 

「美味しいお酒に人間も魔族もないでしょう?」

 

「ふふふ。そうだな。」

 

 アレックスは更に一口付け、改めてキリタの出来に満足する。

 

「アキラ様はご無事です。」

 

 グラスの手をピクリと揺らすアレックス。

 

「アキラ「様」ね。」

 

 突然の事で驚いたが、宰相であるエマが「様」などと敬拝する相手はただ一人。自分の推測など、外れていて欲しかったのだが。

 

「俺には人間に見えたがな。」

 

 今度はエマがピクリとグラスを揺らした。

 

「そそ、それはまあ、色々と…ありますのよ。」

 

 何やら挙動不審な態度を見せるエマだったが、「コホン」と可愛らしい咳払いを一つして、取り繕っていた。

 

「ともかくアレックス様、アキラ様を、そして我らが魔族の者達をお守り頂き、ありがとう御座いました。」

 

 グラスを置き、両手を膝に乗せて、エマは深々と頭を下げた。

 

 アレックスは慌てた。まさか魔王国の宰相ともあろう立場の者が、自分にこれ程までに深く頭を下げるなど。

 

 ふと、ダミアンとフリッツの顔が頭をよぎる。ギョッとして、頭を振って振り払うアレックス。

 

「エマ殿、あれはアキラの行動あってのもの。俺が礼を言われる筋合いは無い。」

 

 それを聞いたエマは、一瞬だけきょとんとした表情を見せたが、直ぐに屈託のない笑顔を作り、朗らかに笑った。

 

「くすくす…貴方もアキラ様と同じ事を言うのね。」

 

 口に運ぼうとした酒を、思わずカウンターに戻す。どう言う事だ?

 

「アキラ様は、あの魔族を救ったのは、私ではなくアレックス様だと。」

 

 少し間を開けて、ふふっと笑いをこぼし、アレックスは改めて酒を口へと運んだ。

 

 あいつらしい。

 

 アキラは何も変わっていない、そう感じて、アレックスはホッとした。同時に、知らずのうちにエマともこうして酒を飲み、笑っている自分に気が付いた。

 

 アキラを中心に、人間の勇者と、魔族の宰相が酒を飲んでいる。種族も立場も関係が無いように。

 

「もしかして、それを言いに?」

 

「ええ。」

 

 しばらく視線を交わした後、エマはクイッと一口にグラスを空けて、そっとカウンターに戻した。

 

「貴方はアキラ様を守って下さった。そして私はあなた方の心配を取り去った。これでおあいこ。」

 

 そう言い残してエマは席を立とうとする。

 

「も、もう行くのか?」

 

 そんな言葉を投げ掛けたアレックスに、エマは驚いた風だったが、ほんの少し笑ってからフードを被って、その美しい微笑みを隠してしまった。

 

「美味しいお酒も、氷が溶けてしまっては水臭くなってしまいますわ。またお会いする事もあるでしょう。」

 

 そう言うと、マントを翻してバアルの大通りに消えていった。

 

 残されたアレックスは名残惜しそうにその背中を見送っていたが、やがてカウンターに向き直り、エマと同じくグラスを空けた。

 

 その表情は、いつもの爽やかなアレックスのものだった。

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