第3話 弾圧
眩しい陽の光。
わっと飛び込んでくる人々の喧騒。
バアルの街は多くの人で溢れていた。行き交う人々は殆どが魔族だ。アレックス一行に付いて歩きながら、アキラは街行く人々に目を輝かせていた。
「本当に人間は少ないんですね。」
宿でビールを飲んだ後、アレックス達はアキラをバアルの街へと連れ出した。大通りには商店が軒を連ね、屋台の様な物まで見受けられる。CGじゃない。これ程のリアリティを創造する事は出来ないだろう。
建物は殆どが木造だ。近隣には大きな森が広がっているらしい。道は当然舗装などされておらず、雨でも降れば直ぐにぬかるんでしまいそうだ。
「魔族をそれだけ珍しがるという事は、アキラはやっぱり大陸から来たのかもしれないな。」
ここは魔王国という、小さな島なのだという。この島から南東にある海峡を超えると、中央大陸という大きな大陸があるのだとか。そこは人間の地で、ここバアルとは反対に、魔族の姿を見かけることは無いらしい。魔族を珍しがるのは、日本出身だからなのだが。
「アキラ、君は昨日の出来事も記憶に無いらしいな。」
物珍しそうにキョロキョロとしていたアキラに、振り向きざまにアレックスが聞いてきた。その視線には何処か疑いの色を感じる。
「ええ。そうなんです。」
そうか、と小さくこぼして、アレックスはまた前を向いた。
「君は何かしらの儀式の生贄にされそうになっていたんだよ。」
「生贄……?」
アキラは違和感を感じた。昨日までは日本に居たのだから、アキラを生贄にする事なんて出来るのか?
「それを俺たちが救ってやったって訳だな。」
リーは得意げな顔で親指を立て、自らを指し示した。
「君の回復を待って、必ず本国に送り返してやるからな。」
「あ、ありがとう。」
アレックスはいつも通りの爽やかなスマイル。何処へ帰れば良いのか。アキラは、自身が帰る場所は既に無いかもしれない、と思い、怖くなった。
「…もしも、僕に記憶が戻らなかったら?」
アキラの問いにアレックスはふと足を止め、うーんと唸り声を上げる。
「なーに弱気な事言ってるんだよ。戻るに決まってんだろ!」
リーにガシッと肩を抱えられる。アキラの太腿ほどもありそうな巨腕が重たい。
「その時は、私がちゃんとサポートしますから!」
大きな杖を胸の前に抱え、アビーが真剣な眼差しを向けている。優しい子だなと、アキラは微笑みを返した。
「おいおい、見せつけるんじゃねぇぜ。」
リーとアビーがギャーギャーと騒いでいると、アレックスが街の北の方を指差した。
「ほら、アキラ。魔王城が見えるぞ。」
遠くにぼんやりと、立派な城の影が浮かんでいた。小春日和の様な爽やかな天候のせいか、それはおどろおどろしい姿では無く、霞の先にある観光名所とも思える光景だ。
「魔王城…ですか。あそこに魔王が居るんですか?」
アレックスは目を細めて、少し険しい表情を作った。それはやはり勇者という立場のせいだろうか。
「いや、この100年、魔王は誕生していない。あの城は今や、主人の居ない形骸。宰相であるヴァンパイアが、この国を治めているそうだ。」
魔王にヴァンパイアか。バアルの魔族達を見た後で、今更驚く事は無いが、とことんファンタジー世界なんだな、とアキラは呆れた。
「そう言えば、昨日の奴もヴァンパイアでしたな。」
「うむ…。」
魔王城へと視線を定めたまま、オズの言葉に考えを巡らせるアレックス。自分を生贄にしようとしていた奴の事だろうか。アレックスは逡巡の後にふっと笑い、自分の考えを否定するかの様に首を振った。
「いや、それは俺が考える事じゃ無いな。」
無理矢理に考えを押しやった風に、アレックスは笑う。そして笑顔を崩さないまま、他の三人に視線を配った。一人一人の状態を確認する様に。
「皆、気付いてるな?」
突然の事だった。
他の三人は、冷静な面持ちで頷きを返す。
「リーとオズは裏手から。俺とアビーはこのまま正面だ。アキラはここを動かないでくれ。…つけられている。一人だな。」
「えっ?」
アキラだけが驚きの表情を浮かべる。
昨日の今日で尾行されるとすれば、狙いは自分じゃないのか?
その本人を置いて行くのか?
いや、尾行が一人だと確信しているからこそ、こちらから詰めて行くのか?
「よし、散開。」
アレックスの静かな号令と共に、其々が人混みに溶け込んで行った。
昨日、アキラを生贄にしようとした犯人だろうか。誰かに狙われている、そう思うと、否応無しに不安が込み上げる。アキラを取り囲むのは人では無い、異形の魔族達。其々の瞳はアキラに向けられている様に感じる。急に周囲の音が大きくなった気がした。
恐る恐る、大通りの端へと身を寄せて、目立たない様にと息を殺す。
その時だった。
目の前の民家の扉が破られ、一人の男が砂煙を上げながら転がり出た。思わず身をすくめるアキラ。
続いて民家の中から出て来たのは、鎧姿の人間だ。剣を男に向けながら、ゆっくりと詰め寄る。
腰を抜かした様に、地面に尻を付いたまま後退りする男は、猫の様な耳と尻尾が付いており、その尻尾は怯えて股に丸められている。
「たたった助けてくれっ…!」
兵士は生々しい剣を、猫の男の鼻先へ向ける。太陽がギラリと反射し、その恐ろしさをまざまざと見せつける。
「魔族が魔術を使用する事は禁止されている!」
「むっ娘が!熱を出して…!それでちょっとだけ…ちょっとだけなんだよ!治してやろうとしただけなんだよぉ!」
血の気の引いた顔で必死に懇願する猫の男。兵士は微塵も顔色を変える事なく剣を構えている。
「だっ誰か…!」
いつのまにか人集りになっている周囲へ向け助けを求めるが、誰も声を出さない。其々の顔には哀れみ、悲しみ、怒りなど、様々な感情がごちゃ混ぜに現れていた。
「お父さん!」
「ローリー!ダメよぉ!」
突如、小さな女の子が男に駆け寄り、兵から庇うように抱きしめた。母親の制止を振り切って出て来てしまったのだろう。父親も母親も、気が気でない様子だ。少女は父親をぎゅっと掴み、離れようとはしない。
「罪人を庇うとは不届きな! どけぇ!」
「ローリーー!」
バシッと力任せに殴り飛ばされて、少女は軽々と吹き飛ばされる。アキラは思わず少女を抱き留めた。口の中を切った様子で、唇には血が溢れている。気を失ってしまったのか、ぐったりとアキラに体重を預けていた。
これは……弾圧だ。
人間が魔族を弾圧しているのだ。
誰も何も言わない。ここには娘想いの父親と母親が居るだけなのに。父親を助けようと、身を呈して飛び出した少女が居るというのに。
アキラの心に沸々と黒い物が立ち込める。そしてつい、その堰を切ってしまった。
「やり過ぎなんじゃないか?」
しまった、と思った時には遅過ぎた。
兵士は思わない所から声が掛かり、驚いた様にこちらを見る。そしてすぐさま、沸点を超えた様に怒りを露わにした。
「な…にぃ…? なんだ貴様ぁ!」
アキラは片膝をつき、少女を守る様にして抱きかかえたまま、兵士の強烈な視線を受け止めた。
腕の中に温もりを感じる。この温もりは昨日までのアキラなのだ。そして抱きとめる自分は昨日までの父と母。何としてでもこれを守り抜かなければならない。そう直感した。
「やり過ぎだと言っている。こんな少女を殴りつけて、それが大人のする事か!」
ギリギリと奥歯を噛む音が聞こえそうな表情で、剣の矛先をアキラへと向ける兵士。
恐怖。
自分の命など一瞬で刈り取れるであろう凶器。しかし、自分の背中には退いてはならない一線がある。ここを越えて逃げてしまえば、二度と戻れない様な気がした。
「見て見ぬ振りする、あなた方も同じだ! どうして何も言わない! あなた方もこの暴力に加担するのか!」
叫びを上げるアキラから視線を泳がせ、自身に言い訳をする民衆。これもまた、暴力なのだ。散々見て来た光景に、アキラは気持ちを抑えられなかった。
「貴様こそ、それでも人間か!」
ついに剣が振り上げられた。
少女を傷付けまいと強く抱きしめ、自らの背中を差し出した。
くそ! 何て無力なんだ…!
「そこまでだ!」
突然の声に、兵士はピタリと動きを止めた。
遂に誰かが声を上げてくれたのだろうか。恐る恐る、声の主を見る。しかし、そこへ現れたのはアキラの知る人物、アレックスだった。
「何事か!」
兵士を恫喝すると、ビクリと身を強張らせ、一歩退がる。
「ゆ、勇者様! い、いえ、罪人を庇う不届きな者がおりましたので…。」
勇者はギロリと兵士を睨みつける。兵士は更に硬くなり、自分は悪くないと、必死に首を横に振っていた。
「私には、罪も無い少女を庇い身を投げ出す、勇敢な人間を斬りつけようとしている様に見えたが?」
「け、決してそのような事は!」
勇者はその場の全員をじっくりと目を行き渡らせた。
「この場は私が預かる。行け。」
「は…はっ!」
兵士は慌てて逃げ出すようにして民衆を掻き分け、消えた。
そしてそれを見計らった様に、アキラの腕から少女は駆け出し、一目散に父親の元へ走って、その胸に飛び込んだ。
「おお!ローリー…!」
しがみ付いてびぃびぃと泣きじゃくる少女を、父親は愛おしそうに抱きしめていた。
「あまり目立ってもらっちゃ困るんだがな。」
呆けたアキラに、アレックスから手が差し伸べられていた。アレックスの顔からは先程の威圧感は消え、代わりに爽やかな笑顔があった。アキラは遠慮なくその手を引き、立ち上がる。
「ありがとう。助かりました。」
ふっと鼻で笑ったアレックスは、アキラの身体に着いた砂をポンポンと叩いて払った。
「全く、無茶するぜ。」
「お見事でした、アキラ殿。」
「か、カッコよかったです!」
「おっと?また惚れ直したのか?」
「そんなんじゃないです!」
皆に迎えられて、ようやくホッとするアキラ。またアレックスに救われた。
「すみません。動くなと言われていたのに、また皆さんに迷惑を掛けてしまいました。」
「構わないさ。こっちも逃げられてしまったしな。」
尾行者は見つけられなかった。その姿を確認する事も出来なかったそうだ。という事は、今後もまた誰かに狙われる可能性があるという事だろうか。
「さっきの事もある。アキラには悪いが、出来るだけ宿を出ないでくれ。」
アキラはコクリと頷いて、了解を示した。
未だ大声を上げて泣く親子をちらりと見て、アキラ達はその場を後にする。
アキラの心は晴れなかった。
結局、暴力から少女とアキラを守ったのは、民衆でも誰かの善意でも無い。その暴力を上回る権力、更に強い暴力に他ならなかったのだから。
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