第3話 サムライ
ルーカスとの会話を避けるように、松尾女史はプラカードを肩にかついだまま、そそくさと私たち二人を先導していく。
しかし、思い出したように突然振り返ると、
「ところで京都へは電車で行きますか?それともバスで行きますか?」
と質問した。
私とルーカスは、
「電車でお願いします!」
と即答した。
松尾女史は、私たちがあまりに早く答えを出すのが不思議だったようで、
「大抵の留学生はバスを選びますが、電車でいいんですか?」
と言った。
そこで私は私たちが電車を選んだ理由を説明した。要するに、私たちが住んでいるテキサス州の片田舎には電車が走っていないため、単純に乗りたかったのだ。100%クルマ社会であり、ルーカスも私も16歳のころから車を運転してきた。そのため、電車はある意味憧れの乗り物であったのだ。
「そうですか。分かりました」
と言うと、松尾女史はスタスタと歩き、電車の改札階に私たちを案内した。
関西空港からはJRと南海電鉄の電車に乗ることが可能だ。京都へは圧倒的にJRの特急「はるか」が便利だが、大阪方面なら南海もありだ。
松尾女史は券売機でチケットを買った。
エレベーターでホーム階に降りた私たちは、隣のホームに丁度入線してきた青い電車の先頭部に衝撃を受けた。
その顔立ちは、ロボットアニメに登場しそうな独特のフォルムであり、今にも立ち上がって空港を破壊しそうであった。
南海ラピートと言われる特急電車だ。
ラピートに見惚れる私たちに向かって、松尾女史は誇らしげな表情で、
「どう?日本の電車は?」
と言った。
感動に浸る私たちには、松尾女史の言葉は全く耳に入ってこなかった。
私は携帯電話で様々な角度から写真を撮り、ルーカスは涙目で見つめていた。
しかし、次の松尾女史の言葉は、私たちを大いに落胆させた。
「私たちはあの電車には乗りません」
ルーカスは頭を抱え、
「そんな殺生な…」
と嘆いた。
私も心底がっかりした。
それでも、アメリカに帰国する際はラピートで空港に行くことをルーカスと約束すると、申し訳なさそうにホームで私たちを待っていたJR特急はるかに乗り込んだ。
はるかに乗ると、松尾女史は携帯電話を取り出し、どこかに電話をかけた。
「もしもし、松尾です。今、空港で二人をピックアップしました。これから「はるか」で戻ります…はい…はい…分かりました…部屋に案内します」
どうやら大学への報告らしい。
松尾女史は、がま口のお洒落なハンドバッグに電話をしまうと、
「1時間20分で京都駅に着くから、休んでおいてね」
と言い、がま口バッグから今度は本を取り出した。
これから本を読むから話しかけないでね、という合図のようだ。
そんな手が私たち二人、特に武士道に憧れているくせに遠慮という概念を持たないルーカスに通じるはずがない。
ルーカスは、通路を隔てて座る、本を読むふりをしている松尾女史に大きな声で話しかけた。
「松尾さん、僕たち留学生も部活やサークルに参加できるんですか?」
割とまともな質問に安堵の表情を見せた松尾女史は、読むつもりのない本を閉じ、
「一部の体育会の運動部は無理だと思うけど、サークルなら入れるわよ」
と答えた。
ルーカスと私は思わずハイファイブをして喜んだ。
そう、正直に言うと、私はどんなにルーカスから日本への留学のお供を頼まれても断るつもりでいた。『勝手に切腹しろ』とまで思った。
そんな私を翻意させたのが、サークルの存在だ。
アメリカにもサークルはある。しかし、誰もがサークルに入るわけではない。むしろサークル活動に励むのは少数派だ。
そのため、ルーカスからサークルのことを言われても全く魅力を感じなかった。むしろ、面倒臭いと思ったほどだ。
そんな冷めた態度の私を見て、ルーカスは怪しげな表情で、
「日本のサークルはとても楽しいらしいぞ。趣味を共有し、毎週のように飲み会を開催し、合宿という名のバカンスを謳歌し、そして、次々とカップルが誕生するらしい」
と私の耳元で囁いた。
まさに悪魔の囁きであった。
「ど、どんなサークルがあるんですか?」
私は少々前のめり気味で松尾女史に尋ねた。
「いろいろあるわよ。それこそ、テニス、旅行、スキー、スノーボード、社交ダンス、英会話、映画...」
『ダブルスで組んだ相手と恋に落ちるのも悪くないな...いや、当然お泊りありの旅行サークルも楽しそうだ...いやいや、社交ダンスでペアを組んだ相手と情熱に任せて...』
私の妄想は膨らむばかりだ。
そんな私の楽しい妄想の時間はルーカスの一言で終了した。
「僕と信夢は剣道をやっているから、剣道部に入りますよ」
もちろん、私は猛烈に抗議した。
「ちょっと待て!剣道なんてゴツゴツした野郎どもしかいないだろ!日本の生活をエンジョイさせろ!」
「何を言ってるんだ!剣道部なら、現代のサムライがいるはずじゃないか!」
そんなやり取りを白けた表情で見ていた松尾女史は、私にとってはありがたいことを言った。
「剣道部はないわよ」
この一言を聞いた時のルーカスの表情は一生忘れることはない。まるで、機能停止したロボットのように無表情になった。
あからさまにショックを受けるルーカスを見て、さすがに松尾女史も不憫だと思ったようだ。
「剣道サークルならあるわよ」
とつけ加えた。
すると、止まっていたルーカスの時間がやっと動き出した。
ルーカスは大きく深呼吸すると、
「よかった」
と言った。
私が『よくないよ!』と心の中で叫んだのは言うまでもないだろう。
安心したルーカスとは対照的に松尾女史の表情は冴えない。
「でもね...」
ルーカスと私はその続きを待ったが、松尾女史は少し考えた後、
「まぁ、おいおいね」
と言って、はぐらかし、
「さぁ、二人ともロングフライトで疲れたでしょ。少し休んだ方がいいわよ」
と言った。そして、目を閉じて寝たふりを始めた。
私とルーカスはもやもやした気分だったが、松尾女史の言う通り、合計16時間というフライトをこなしていたため、少し休むことにした。
京都駅には定刻通りに着いた。
私は到着5分前に起きていたが、ルーカスは電車が駅に着いても目を覚まさなかった。京都が終点であるため、急いで降りる必要はない。しかし、車内清掃が入るため、ルーカスを起こさなければならない。
ルーカスのことをまだよく知らない松尾女史は、肩を優しくゆすって起こそうとしている。
「ルーカス君、京都に着いたわよ」
しかし、こんなお手柔らかなやり方でルーカスが起きるはずがない。私はルーカスの目の前に立ち、大きく深呼吸した。そして、容赦なくルーカスの右頬に強烈なビンタを食らわせた。通路を歩いていた、ヨーロッパからやって来たと思われる観光客のグループが驚いて振り向くほど大きな音が車内に響き渡った。
「う...う...」
ルーカスがうめき声を上げる。
「ちょっ、ちょっと、武田君、なんてことするの!殺されるわよ!」
松尾女史の顔が蒼ざめている。車内全体に緊張が走る。
しかし、私はそんな雰囲気を無視して、さらに強烈なビンタをもう1回食らわせてやった。
バチコン!!
2回目のさらに強力な衝撃に襲われたルーカスは飛び起きると、『何が起きたんだ!?』と言わんばかりに周囲を見渡した。
「京都に着いたぞ、ルーカス。起きろ」
私は右頬をさすって恨めしそうにこっちを見るルーカスを無視して、車両の前方部にあるスーツケース置場に向かって歩き始めた。
京都駅に着いた私たちは地下鉄の乗り場に向かって歩き出した。
フライト中に日本の時間に合わせておいた腕時計を見ると、現地時間は9月12日の午後6時を少し回ったところであった。
駅の改札を出ると、夕焼けの空にそびえる灯台のようなタワーが私とルーカスを出迎えてくれた。
私たちが見入っていると、
「京都タワーよ。131メートルあるみたい」
と松尾女史が親切に教えてくれた。
説明を終えて、そそくさと先に進む松尾女史についていこうとすると、ルーカスに呼び止められた。
「信夢、あれを見てみろ」
ルーカスが指さす方向を見ると、そこには、天まで届くのではないかと思えるぐらい長い階段が続いていた。
京都駅の駅ビルの階段だ。
不敵な笑みを浮かべるルーカスを見て、嫌な予感がした。
そして、嫌な予感は的中することになる。
ルーカスとの付き合いは長い。ルーカスが考えていることは手に取るように分かる。間違いなく、どちらが早くこの異常に長い階段を頂上まで駆けあがることができるのか勝負したいのだ。
ルーカスは勝手にカウントダウンを始めた。
「5...4...3....」
ルーカスがこの無茶苦茶な勝負でビンタのリベンジを果たそうとしているのは明白であった。
しかし、私はこう見えて結構負けず嫌いである。
もちろん、体力ではルーカスに負けることは百も承知だ。
そこで私は裏をかいてやった。
「恥ずかしいから、絶対に昇らないぞ」
とやる気のない素振りを見せながら、ルーカスが「2」と言った瞬間に猛ダッシュで階段へと突き進んだのだ。
案の定、私のスタートダッシュにルーカスは意表を突かれた。しかし、私に輪をかけて負けず嫌いのルーカスが簡単に勝負を諦めるわけがない。
「この、卑怯者がぁぁぁぁ!」
と叫ぶと、巨大な身体からは想像できないほどのスピードで猛追してきた。
私は剣道一筋だったが、ルーカスは剣道の他にアメフトや野球でも活躍するほど身体能力に優れた男である。みるみる差は詰まってきた。私は2段とばしで階段を駆け上がっていたが、ルーカスは4段とばしで登ってくる。
残りの階段があと10段ほどのところでルーカスに並ばれた。しかし、そこで耳をつんざくほどの怒号が京都駅ビルに響いた。
「お前ら、ええ加減にせぇや!!!!!」
そして、信じられない光景を私とルーカスは目にした。
私とルーカスの横をハイヒールを手に持った松尾女史が駆け上がっていったのである。
面食らった私とルーカスが屋上に着くと、腕を組んだ松尾女史が仁王立ちしていた。
そして、再び京都駅ビル全体に怒号が響いた。
「何やっとんじゃ!しばくぞ!」
その後、首根っこをつかまれた猫のように、私たち二人ががおとなしくなったことは言うまでもないだろう。
戦慄を覚えたルーカスが震えながら呟いた。
「あ、あのお方はサムライだ。サムライに違いない」
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