第2話 松尾女史

私たちが乗った飛行機が降り立ったのは、関西国際空港であった。


入国審査や税関の審査を終え、到着ゲートを出るとすぐに、「Mr. Shinmu Takeda」、「Mr. Lukas Bale」と100メートル先からでも読めそうな巨大な字で書かれたプラカードが目に入った。プラカードを掲げていたのはグレーのスーツ姿の華奢な女性のようだ。


ルーカスもプラカードに気づき、二人でプラカードを持つ女性に近づいていった。


女性は冷泉堂大学の職員で、英語で「松尾です」と名乗った。メガネをかけた頭のきれそうな美しい女性であった。年齢は30代半ばだろう。


私とルーカスはその凛とした雰囲気から松尾女史と呼ぶことにした。


松尾女史は視線の高さが近い私にまず「よろしくね」と言い、続いて、隣にいるルーカスを見上げた。その瞬間小さな声で「でかっ」と言ったのを私は聞き逃さなかった。


無理もない。160センチあるかないかの松尾女史とルーカスの身長差は30センチを超えている。しかも、毎日アメフトの練習と剣道の稽古で鍛えているため、筋骨隆々の肉体だ。ヒグマ並みと言っても過言ではない。普段から外国人留学生と接する機会が多いはずの松尾女史にとっても、ルーカスの体格は規格外だったようだ。


そして、松尾女史をさらに驚かせたのは、私たちの日本語力であった。


「こんにちは、松尾さん。ルーカス・ベイルです。宜しくお願いします」

「初めまして、武田真夢です。お世話になります」

と二人そろって流暢且つ丁寧な日本語で話しかけると、松尾女史は無遠慮に、

「うますぎるやん!日本語勉強する必要ある?」

と言った。


その後、うますぎる日本語の理由を話すと、少し納得してくれたものの、もう一度

「日本語勉強する必要ある?」

と先程の疑問を繰り返した。


その時、私が恐れていたことをルーカスが自信満々の顔で言い放った。

「日本語も勉強しますけど、僕はね、松尾さん、本物のサムライになるためにここに来たんですよ。信夢も同じです」

松尾女史はルーカスが精いっぱいの冗談を言ったと思ったらしい。

「日本に着いて早々、アメリカンジョークかい!」

と言って笑った。


もちろんルーカスは本気だ。だから真顔で同じことを言った。

「ジョークじゃないですよ。日本はサムライの国です。私は小さい時から信夢と一緒にサムライになることを夢見て日々精進してきたのです...」


『いちいち俺を巻き込むな』と言おうとした私を腕で制し、ルーカスは再び熱弁をふるう。


「いいですか、松尾さん。僕だって1867年の大政奉還で事実上、サムライの時代が終わったことは知っています。しかしですね、私は信じているんです。今も、日本人の心の中には武士道が残っていると。実際に、私が、師匠、いや、神と仰ぐ信夢の父は根っからのサムライです。私も神のような立派なサムライになりたい。だから、信夢と二人で武士道の本場で武士道を極めるためにやって来たんですよ!」


アメリカ人らしく情熱的なスピーチを展開するルーカスに圧倒された松尾女史は、明らかに困惑していた。そこで、私は助け船を出すことにした。

「まぁ、まずは落ち着こう、ルーカス。実際に日本に来て、日本の文化に触れることで、武士道を少しでも感じたいって言うことだよね」

と私が興奮するルーカスを諭すと、松尾女史は早々と私の助け船に飛び乗った。

「な、なるほどねぇ。それなら確かにいろいろと学べるかもね」


しかし、明らかに私の説明に納得していないルーカスが、

「いや、実際に剣と剣を交わさなければ...」

と物騒なことを言い始めたので、私は慌ててルーカスの広い背中を押して、

「まぁ、そういうことは後で話そう。まずは京都に行こう」

と言い、無理やり会話をシャットダウンした。


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