第4話 サークル

松尾女史に一喝された私とルーカスは、何事もなかったかのように、颯爽と前を歩く松尾女史についていった。


京都駅から京都市営地下鉄の烏丸線に乗り、今出川という駅で私たちは降りた。エレベータに乗って地上に上がると、松尾女史は先程の鬼のような表情とは打って変わって、仏さまのような柔和な顔を見せ、石垣に囲まれた広大な公園のような場所を指さした。

「あれが京都御所で・・・」

 続いて、大きな通りをまたいで反対側に立つ洋風の建物を指して、

「こっちが冷泉堂大学です」

 と誇らしげに言った。

「おお」

私とルーカスが通う大学も最近校舎を建て替えたばかりであり、アメリカでは綺麗な部類に入るが、冷泉堂大学も負けず劣らずの美しい校舎であった。


松尾女史に続いて、大学のキャンバスに足を踏み入れてから、私とルーカスの目は可憐な女子学生たちに釘付けであった。そのため、二人とも何度も学生にぶつかってしまった。背の高い学生もいたが、屈強なルーカスの前ではマッチ棒にしか見えない。私たちが百パーセント悪いにもかかわらず、逆に謝罪される。

「痛っ、このヤロ、あ・・・いえ、すいませんでした」

 もちろん、私もルーカスも流暢な日本語で謝罪した。

「いや、悪いのは僕たちです。ごめんなさい」

すると、ほとんどの学生が驚き、そして、許してくれた。


学生課で、交換留学生を担当する部署の部長とおぼしきオールバックの中年の職員に自己紹介をした後、再び、松尾女史に連れられて、大学が留学生のために建てたアパートへと向かった。キャンパスから歩いて三分ほどの閑静な住宅街のなかにアパートはあった。三階建てのきれいなアパートであった。校舎と同じく、レンガ調のデザインが用いられている。昨年建てられたばかりの、ほぼ新築の物件だそうだ。私とルーカスには三階の部屋がそれぞれ割り当てられた。隣どうしであった。


土地が有り余っているテキサス州のアパートと比べると圧倒的に部屋は狭いが、冷蔵庫、電気コンロ、洗濯機、バスタブ、トイレ、収納スペース、寝具等々、生活に必要なものは全て揃っているようであった。松尾女史は私たち二人に鍵を渡すと、

「それでは、明日の朝九時に迎えにきます」

と言い、笑顔で去っていった。


松尾女史がアパートを去った後、私たちはそれぞれの部屋に入り、スーツケースの中身を空けた。その後、外を少し散歩することにした。


空を見上げると、美しい夕日が沈みかけており、京都の街に夜の帳が下りようとしていた。


四時間前に機内食を胃袋に入れて以来、何も食べていない私たちはとりあえず夕ご飯を食べることにした。寿司、ラーメン、うどんなど、食べてみたいものは山ほどあるが、歩き回るのも面倒なので駅前のファーストフード店に入ることにした。キスバーガーという名の奇妙な名前のこのハンバーガー店は、学生と思われる若者たちで賑わっていた。私とルーカスはともに一番大きなハンバーガーとポテトとドリンクのセットを頼み、空いていた席に腰掛けた。隣のテーブルには冷泉堂大学の学生と思われる男子学生の三人組がいたが、ルーカスが大きなハンバーガーの半分を一口で頬張ると、「ありえへん、何者やねん、あの外人、アホみたいな顔して」と小さな声で囁き合っていた。根っからのいたずらっ子の私たちは、この三人組の学生をからかってみたくなった。


そこで、私たちは英語での会話を突然止めて、流暢な日本語で明日の予定を話し始めた。


すると、三人組の顔が急激に青ざめていくのが分かった。三人組は黙り込み、食べるペースを一気に上げた。恐らく、一秒でも早くこの場所から逃げ出したいのだろう。

そんな予感を察知したルーカスは、ここぞとばかりに三人組に話しかけた。

「君たち、冷泉堂大学の学生?」

三人組の動きが止まる。三人は必死にアイコンタクトを交わし、誰が答えるべきかを決めようとした。しかし、視線だけの議論は紛糾し、なかなか結論が出ない。一人は涙目になっている。余りにも不憫に思えた私は、

「別に私たちは怒っていませんよ。アメリカから来た留学生で、大学のことを色々知りたいんです」

と笑顔で救いの手を差し出した。すると、マッシュルームのようなヘアスタイルの男子学生がようやく口を開いた。

「そうです。冷泉堂大学の学生です」

今度は三人組の恐怖の対象であるルーカスが、マッシュルーム君の肩を軽くたたいて、

「そうだと思ったよ。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

と気さくに話しかける。マッシュルーム君は顔を硬直させて、

「は、はい。な、なんでしょうか?」

と恐る恐る答えた。

「あのさ、君たちはサークルに加入してるの?」

「え、ええ、一応」

私が女の子の多いサークルを聞き出そうとする前に、ルーカスが恐れていたことを聞いてしまった。

「僕たち、剣道をやりたいんだけど。」

すると三人組は議論を始めた。

「剣道サークルなんてあった?」

「聞いたことがないな・・・」

「あ、待てよ。確か、剣道サークルあるよ」

「嘘やん。俺、知らんよ」

「剣道部なら知ってるけど、確か廃部になったんだよな」

「いや廃部ではなくて、サークルに格下げされたんだよ」

「なんで格下げされたんだよ?」

「確か、キョーセンインとの試合に負けて、うちの学長が激怒したからだって俺は聞いたけど」

初めて聞く単語が出て来たので、私は遠慮なく尋ねることにした。

「キョーセンインって何?」

すると、マッシュルーム君ではなく、天才っぽい雰囲気を醸し出す黒縁のメガネをかけた学生が丁寧に教えてくれた。

「キョーセンインっていうのは、京仙院大学のことです。ずっと昔から、うちの大学と京仙院はライバル関係にあって、特に運動部は京仙院だけには絶対に負けられないみたいです」

どうやら松尾女史が剣道部について多くを語りたがらなかったのは、そういう理由があったようだ。

「でも、剣道部は負けてしまったんですか?」

「ええ、しかも惨敗したらしいです。五対五の団体戦で全員負けたらしいですよ。副将に至っては留学生に開始五秒で負けたと聞きました」

留学生、というキーワードにルーカスと私は、ただならぬ関心を抱いた。

「留学生・・・」

「はい、確かアメリカから来た留学生ですよ」

『アメリカから来た留学生・・・剣道・・・』

キーワードを反復したルーカスの目がキラリと光った。続いて、天才メガネ君は私を刺激するような発言をした。

「あと、大将の学生はすごいモテるっていう噂ですよ。うちの大学にも隠れファンがいるって噂です」

『大将・・・モテる・・・』

キーワードを反復した私の目がキラリと光った。

「俺はそのアメリカの留学生を倒して、サムライになる」

「私は大将を倒して、モテる」

目的は異なれど、二人の思惑は合致し、私たちはハイタッチを交わした。


その様子を三人組の学生はポカンと見ていたが、私たちが妄想を始めると、ここぞとばかりに、そそくさと店をあとにした。


翌朝、予定通り、午前9時に松尾女史が私とルーカスを迎えに来た。インターホンが鳴った二秒後にドアを開けると、

「はやっ!」

と目を大きく見開いた松尾女史が立っていた。隣にはルーカスがいる。そして、私の顔を見ると、

「武田君も顔にアザがあるじゃない?一体何があったの?」

武田君も、と言ったようにルーカスの顔にも無数のアザがあり、そして、2枚の絆創膏が貼られている。

「ルーカス君は、あなたと一緒に階段で転んだなんて言ってたけど、本当なの?ヤクザにでもからまれたの?」

私は昨日の松尾女史の変貌ぶりを思い出し、真実を話すことに躊躇した。実際にルーカスは嘘をついている。

「いや、ちょっと長旅で疲れていたみたいで、本当に階段で足を踏み外してしまったんですよ」

と、無理やり話しを合わせることにした。


もちろん、本当は階段から落ちてはいない。実は次のようなことがあり、私たちは試合直後のボクサーのような顔になってしまったのだ。


昨夜、キスバーガーで得た情報は、私たちのモチベーションを大いに高めた。すぐにでも体を動かしたかったが、夜の八時を回っていたため、翌朝にトレーニングをすることに決めたのであった。


私たちは朝六時に起きると、二人で観光とトレーニングを兼ねてキャンパス付近をジョギングした。まず、大学のすぐそばにひっそりと佇む京都御所の周りを二周走り、さらに、東に進み、鴨川沿いを三十分ほど走ってきた。そして、最後に鴨川デルタと呼ばれる、鴨川が賀茂川と高野川に分かれる三角州で稽古をすることにした。このとき、ちょっとした事件が起きたのであった。私たちは竹刀を持っていなかったため、素手で格闘の稽古を始めた。最初は一人が攻撃する側に、もう一人が守る側にまわり、寸前のところで止めていた。しかし、物足りなさを感じた私は、寸前のところで止めず、ルーカスのみぞおちにボディーブローを食らわした。息が止まりかけたルーカスは、呼吸を整えると、

「そうか、そうか」

と不敵な笑みを浮かべながら、稽古を再開した。そして、ルーカスが放った前蹴りで、私は後方に五メートルほど吹き飛ばされてしまった。このような稽古と称した殴り合いにより、私たちは来日二日目にして負傷してしまったのであった。


アパートへの帰り道、通り過ぎる人々が私たちを見て、唖然としていた。私たちはその理由がしばらく分からなかった。しかし、朝ごはんを買うために寄ったコンビニのガラスのドアに映った自分たちの顔を見て、やっと、その理由が分かった。鼻血が流れ、瞼は腫れ、唇が切れている。そして、戦慄が体中を駆け抜けたのであった。

『やばい、松尾女史に殺される』

私たちは慌てて対策を練った。そして、嘘をつくしかないという結論に至ったのであった。


しかし、案の定と言えば案の定、松尾女史は私たちの言うことを真に受けていない。

「階段から落ちた?そんなウソが私に通じるとでも思ったの?」

徐々に松尾女史の声は大きくなっていく。

「いや、あの嘘みたいな話なのですが・・・」

反対に私はトーンダウンする一方だ。その時、騒ぎを聞きつけた同じ階の別の部屋のドアが開いた。南アジアからやって来たとみられる小柄な女子留学生がこちらを心配そうに覗いている。松尾女史は、咳払いを一つすると、

「まぁ、今日はいいでしょう。これ以上は追求しません」

と言い、ピンヒールで踊り場を叩くように、エレベーターに向かって歩き始めた。私たち二人は安堵のため息をついた。


松尾女史は、大学のキャンバスに私たちを連れて行くと、学生課に向かった。そこで、若い男性の職員と一言二言話すと、私たちをその職員に引き合わせた。

「こっちの大きい彼がルーカス・ベイル君で、こっちの彼が武田信夢君」

まだ二十代半ばと思える青年の職員は、私たちのアザと絆創膏だらけの顔を見ると、言葉を失った。

「君たち、大丈夫?」

「ええ、大丈夫です。二人とも階段から落ちてしまって・・・」

私とルーカスは松尾女史の視線をビシバシ感じながらも、再び嘘をつき、ぎこちなく笑った。

「そ、そうですか。き、気をつけてね」

そう言うと青年の職員は、私とルーカスにそれぞれカードを渡し、

「学生証です。それでスペルは合っていますか?」

と尋ねた。私とルーカスは渡された学生証カードを見て、スペルを確認したが、間違えてはいなかった。

「間違いありません」

私はそう答えたが、一つ気になったことがあった。カードの左側に正方形の何も書かれていないスペースが存在するのである。通常は顔写真を貼るスペースだ。そして、私の予感は的中した。

「それじゃ、武田君、ルーカス君、ちょっとこちらにに来て下さい。顔写真を撮影します」

そう言うと、青年の職員は一眼レフカメラを手に私たちを一番近くの教室に案内し、木目調の壁をバッグにシャッターを切ったのであった。


以来、私もルーカスもできるだけ学生証ではなく、パスポートを身分証として使うようにした。写真を撮り終えた青年職員は、腕時計に視線を落とし、

「十五分後に留学生向けのオリエンテーションをこの教室で行うので、二人は待機して下さい」

と言うと、松尾女史と一緒に出て行った。しかし、すぐに教室に戻って来ると、

「一時間ほどで、学生証は仕上がるので、オリエンテーションが終わったら、学生課で僕に声をかけて下さい。きっといい写真が撮れていますよ」

と笑いをこらえながら言った。松尾女史がいないことを確認したルーカスが睨みをきかせ、舌打ちをすると、青年職員は慌てて教室を後にした。


青年職員と入れ替わりに、次々と留学生たちが教室に入って来た。私とルーカスは顔を見られないように下を向いていた。私たちの異様な雰囲気に戸惑い、ほとんどの留学生が私たちが座っている場所から遠い場所に座る。20人ほどの留学生が集まったところで、松尾女史が教室に入って来た。松尾女史は指で人数を数えると、若干ぎこちない英語で話し始めた。

「皆さん、こんにちは。私は松尾です。私はこの大学の留学生、主に交換留学生のお世話係です。ですから、何か困ったことや分からないことがあったら、遠慮なくきいて下さいね。それから、大丈夫だとは思いますが、くれぐれもトラブルは起こさないように」

松尾女史の視線が私とルーカスに注がれ、留学生が一斉に私たちの方を向いた。そして、私たちのアザだらけの顔が白日の下に晒されたのであった。教室全体が沈黙し、その後、あちこちで様々な言語によるヒソヒソ話が始まった。


松尾女史は咳払いをすると、気を取り直して、オリエンテーションを続けた。オリエンテーションは、食堂や図書館等の学校の施設の使い方、日本での生活の注意事項、日本人の学生との交流会の説明、履修可能な講義、そして、サークルの紹介等、多岐に渡り、小休憩を挟んで2時間半にわたって行われた。


私とルーカスが俄然興味を示したのは、サークルの紹介だった。冷泉堂大学には、大小四十以上のサークルが存在する。その中でも松尾女史は日本文化に関連するサークルを推奨し、実際にオリエンテーションでは華道、茶道、俳句、着物、和食のサークルの代表者が登壇し、それぞれのサークルの特色を説明した。ルーカスは剣道サークルが紹介されないことに不満を持ち、最後に登場した和食サークルの代表者が紹介を終えると、松尾女史に直訴した。

「松尾さん、剣道サークルの紹介はしてもらえないのですか?」

すると、松尾女史は下を向き、黙ってしまった。留学生たちが再び各国語でヒソヒソ話を始める。そこで私は、昨日キスバーガーで偶然不幸にも私たちの隣で食事をしてしまった学生たちから得た情報の真偽を尋ねることした。

「実は昨夜この大学の学生から、剣道部がライバル校に惨敗して、サークルに格下げされたと聞いたのですが、本当ですか?」

すると、松尾女史は、

「えっ?知ってたの?」

と言い、溜息をつくと私の情報が正しいことを認めた。

「ええ、そのとおり。毎年、剣道部を持つ京都市内の大学が集まる大会の決勝戦で、ライバル校の京仙院大学に負けたのよ。五対五の団体戦で五人全員コテンパにやられて。このことを知った学長が激怒して、剣道部をサークルに格下げしたんだわ」

言い終えた松尾女史は心底悔しそうに、唇を噛んだ。するとルーカスが勢いよく立ち上がり、

「それなら、私たちが京仙院大学の剣道部に勝ったら、また剣道部に格上げしてもらえるのですか?」

と大声で尋ねた。松尾女史は腕を組み、

「うーん。それは分からないわね。そもそも剣道サークル自体が抜け殻みたいな状態だから」

と答えた。今度は私が勢いよく立ち上がり、

「それなら、剣道サークルの代表者に会わせてください!」

と直談判した。松尾女史の答えは意外なものだった。

「もう会ってるわ」

「え?」

「私よ」


オリエンテーションが終わると、留学生のグループは松尾女史とともにレストラン並みに豪華な学食で昼ごはんを食べた。話題はやはりサークル関連が多かった。香港からやって来たというリュウ君は、ジョン・レノンのような丸いメガネをティッシュペーパーで拭きながら、隣に座っていたルーカスに話し掛けた。

「さっきの話だと、ルーカスさんは剣道サークルに入るつもりのようですね」

「ああ、もちろん。それに信夢も剣道サークルに入会するよ」

「本当?」

入念にメガネを拭き終えたリュウ君は、メガネ越しに鋭い視線を送ってきた。

「あ、ああ。そのつもりだけど。今までずっと剣道やってきたし。君はどうするの?」

「僕は茶道だね。私は一日に三度はお茶を飲むほどのお茶好きだからね、是非、日本の茶道を学びたいよ」

「私は華道ね」

イギリス出身のリンダさんが、クルクルの赤毛の天然パーマをいじりながら会話に加わった。

「だって、京都には華道の色々な流派が集まってるでしょう」


その後、それぞれが興味のあるサークルを挙げ、大いに盛り上がったが、結局、剣道サークルに興味を示していたのはルーカスと私だけであった。そこに、松尾女史が水の入ったカップを持って、空いていた私の前の席に座った。水をごくりと飲み干した松尾女史は、鋭い眼光を放ち、

「剣道サークルに入るって本気なの?」

と言った。

「もちろんです」

ルーカスが即答する。

「武田君は?」

私は一瞬躊躇したが、ルーカスの殺気だった視線を感じ、

「私もです」

と答えてしまった。

「そう・・・」

と言うと、松尾女史は少し間を取ってから、

「それなら、入部テストを行いましょう。テストに合格したらサークルへの加入を認めるわ。今日の午後5時に大学の北にあるショーチク寺という小さなお寺に来なさい、ショーチクの漢字は、植物の松と竹よ」

そう言うと松尾女史は、レシートの裏に『松竹寺(しょーちくじ)』と書き、私に渡した。その後、自分の席に座り、携帯電話で誰かに電話をかけ始めた。



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