兄弟


鈍く光るジュラルミンの銀翼に触れた時、

「こんなところで何してるんだ、ルリト。十三部隊は待機じゃなかったのか?」

ルリトの目の前には、黒い手袋をはめたスミナガシが立っていた。漆黒の羽に広がった緑青がさめざめと美しい。

「こんなところであんたに会うなんて、ツイてないな俺も。」

「翅さえ持たない醜い身体で、どうしてここまで登ろうなんて思った?」

スミナガシは、腰に携えた銃をルリトに向けた。それは、俺たちが支給されるものとは形状が違っていた……男女川カモメがそれを携帯していたのを見たことがある。対パピヨン用の、サイレンサーがついた小型銃だった。

「大人にならないために。」

ルリトがそう答えると、スミナガシは呆れたように笑った。

「お前を見てるとさ、昔の自分を思い出すよ。」

「は?あんたと一緒にしないでくれないかな。」

「だから俺は、お前を許すことができないんだ。世界は、反逆者を排除する。言いたいことがわかるな?ルリト。」

「同胞殺しのスミナガシが、今度は俺を殺そうってわけ?」

「ビンゴ。」

「スミナガシ。深山の犬に成り下がって、あんたの欲しいものは手に入れられた?」

ルリトは、煽るようにスミナガシを睨んだ。スミナガシのすみれを挿した緑青色の瞳が燃えた。

「お前なんかにわかるわけないだろ……!」

スミナガシは、ルリトの胸倉を引っ掴む。込められた強い力に黒い手袋がギチギチと音をたてた。

「ルリト、お前のやってることはただの八つ当たりだよ。でも、そんなことしたって誰も何も答えちゃくれないだろ?世界は俺たちを排除したがる。なのに、いつも手は下さない。世界はお前を生かしも、殺しもしない。だからお前はこうするしかなかったんだよな、ガキだから。」

「うるさい。」

ルリトは、両の手に力を込めてスミナガシを振りほどいた。狭まったのどを冷たい空気が通過していった。

「大人になることに何の躊躇いもなかったあんたに、わかるわけがない。」

「お前は俺と、似てるからさ。」

スミナガシは冷ややかに微笑した。

「選べよ、ルリト。今ここで死ぬか、それともお前の陳腐な理想を叶えるか。」

「説教宣ってないで、さっさと引き金引けよ、それが深山に使い古されたあんたの役目だろうが!」

「…蝶を殺す意味なんか、もうなくなったのさ。」

スミナガシの頬を一筋の光の粒が通過する。彼の不自然に上がった片方の口角がガタガタと震えていた。スミナガシはまるで電池が切れてしまったように、もう何も言わなかった。

伏せられた瞳の色が消えると、陶器のような白い肌が彼を覆う。その白さは、不気味なほどに青ざめていて、蝶の子供は恐怖で棘が縮こまった。

「そんなことしたって、あいつはもう帰ってこないからな。」

スミナガシは自嘲するように笑った。それだけでルリトはすべてをわかってしまった。

「俺は、今まで何をやってきたんだろうな?たくさん蝶を殺して、何の疑問も持たないように言い訳して、甘えてたんだ。なのにさァ、友達ひとり守れなかったんだ。俺は一体、今まで何をしてきたんだろう。」

スミナガシの瞳から、またひとつ、またひとつ、と光の筋が流れていく。それは寒い夜空に見える一筋の流星の瞬きのようで、ルリトは、彼の黒い翅に点々と挿す白い模様を思い起こした。小さい頃から、どうしてもスミナガシだけは、嫌いになれなかった。

「俺、あんたのこと嫌いだったよ。だって、カッコ良過ぎなんだもの。あんたはいつも、強くて、カッコ良くて。世界に在るべき蝶の姿があんたなんだって思ってた。もう、降参だ。負けを認めるよ。俺はあんたみたいに強くなれない。守るために世界に迎合できない。」

幼い蝶の子供にとって、一番身近で一番憧れた蝶が、スミナガシだったのだ。

「あんたはたくさん蝶を殺してきた。それは許されることじゃないし、とても恐ろしいことだよ。でも……あんたが間違ってたなんて、俺は思えない。たとえ何十頭殺してたって、あんたを間違ってるなんて思えないよ、俺は。間違えてるのはこの国なんだ。あんたが重罪なら、俺だって大罪人だ。」

「お前に慰められるなんて屈辱的だな。」

スミナガシは皮肉っぽく返す。癪だったのだ。

「お前みたいに、子供のままでいられたら、よかったな。無理して背伸びなんか、しなきゃよかった。」

スミナガシの鼻が少しだけ赤くなっていた。穏やかな風が、潤んだスミナガシを乾かしてゆく。思っていたより子供っぽいその横顔に、ルリトは思わず声をかけていた。

「兄貴、一緒に来る気はないか?」

スミナガシは目を丸くしてルリトを見た。緑青に揺れるすみれ色が綺麗だった。

「バーカ、行くわけねえだろ。この世界と心中してやるんだよ、俺は。」

「そう言うと思ったよ。」

「うるせえな、お前だって他人の事言えないだろ?」

「敵わないな、スミナガシには。」

ルリトは初めて、スミナガシと心の底からわかりあえたような温かい気持ちになった。けれど、これがおそらく互いに最初で最後だということも、なんとなくわかっていた。

「やるよ、餞別だ。」

スミナガシは小さな鍵を投げてよこした。第七部隊の機体、コバルト5301のキーだった。

「…いいのか?」

「それなしで飛べるわけないだろ?」

「そうじゃない、」

「…ああ、確かに深山サンにもらったものだ。でも、もうそれも、要らなくなった。やるよ。」

「…ありがとう。」

「へぇ。お前が素直に礼を言うなんて、槍でも降るんじゃねえの?」

「うるさいな、ひとがせっかく、」

スミナガシの温かな掌が、頭の上に置かれていた。

「死ぬんじゃねえぞ。」

低く響いたその声は、呪詛のようでも、祈りのようでもあった。優しく揺れる水晶に、懐かしさがこみ上げて、鼻から抜けていく。もう、あの頃には戻れないんだと思い知る。

「あんたもな。」

振り払うような鋭い眼光で睨むとスミナガシはニヒルに笑ってみせる。

彼はルリトの肩を勢いよく叩くと、歩き出す。ほぼ同時にルリトもまた歩き出した。

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