作戦会議


「作戦は、こうだ。」

モルタルの壁を境に広がる二つの国の地図を並べ、ルリトは小さなガラス玉を指で動かした。

「混乱に乗じてコバルトの戦闘機を奪う。」

「混乱?」

「ユリカモメとコバルト・パピヨンに戦争させるんだ。」

戦争、という言葉に驚いて顔をあげると、ルリトは不敵に笑って目を伏せた。

「戦争、は言い過ぎかもしれない。けど、誤報を流して硬直状態にさせる。」

ルリトは指先でガラス玉を弾いた。

「パピヨンのネットワークシステムをハッキングして誤報を流す。ついでに、司令官側からも一時的に、信号を送れなくさせるんだ。」

「できるの、そんなこと。」

「ああ。パピヨンのシステムなんて所詮脆いんだ。ろくすぽ金もないんだから、大仰で複雑なものなんか維持できない。よく今まで持ったもんだよね。」

自嘲するように笑う。彼はよくこんなふうな笑い方をする。

「あんたは?」

「え?」

「あんたはどうするわけ。どうやってユリカモメにフェイクをかける?」

きょとん、降りかかる言葉に目を丸くすると、ルリトもまた目を丸くした。

「なにその顔、考えてなかったのか?」

彼はニヤリと生意気そうに笑って私を煽る。咄嗟に頭によぎったのは、

「監視カメラ、監視カメラがある。」

それだけ?と、言いたげに、ルリトは足を組んで私を眺めた。

「前にあなたが映った時、ユリカモメは厳戒態勢で警備に当たった。」

「大袈裟だな。」

「大袈裟なのよ。たったそれだけのことに躍起になる。きっと暇なのね、他にやることないのよ。でも、使える。」

「で?」

「あなたが映ればいいのよ、カメラに。」

「は?」

「それで時間を稼げるでしょう?ユリカモメは慎重だもの。」

「ちっ、結局他人任せかよ。」

「あなたの国と違って、セキュリティーもネットワークとやらもちゃんとしてんのよ。こんな子供の手に負えない。」

ルリトは、鋭い瞳で私を睨んだ。自分で馬鹿にするくせに、誰かに馬鹿にされたら嫌だなんて、厄介ね。

「でも、ここなら。この祭壇なら、ユリカモメも思うようには動けない。あなたならできるでしょ?」

「都合いい奴。」

「お互い様よ、」

「どこがだよ。」

「喧嘩はおやめさない。」

二人の間に仲裁に入るように、忠誠の蜜蜂が現れる。

「別に喧嘩なんか…」

そう呟いた少年の瞳は、偶然…いや、必然的に目に映ったドレスのスリット部分、大胆なその開口部から見える柔らかで真白の肌に見惚れた。半ば不可抗力みたいなものである。

じっとりとした鳥の視線が、その一部始終を観測していた。

「へえ、ああいうえげつないのが好きなんだ?ガキね。」

「…は?」

図星である。

「話はまとまったんでしょう?」

「ええ。」

私の返事を聞くと、忠誠の蜜蜂は一度コホン、と咳をして、私の胸に手をかざす。

「あなたがこれから行く道は、暗雲立ち込める茨の道。あなたたちはこの世界にあってはならないもの。この世界から排除されゆくもの。革命家になることは、同時に、大罪人になることよ。」

蜜蜂は閉じていた瞳を開き、鋭い眼光で私を見やる。

「男女川カモメ、花はあなたに問いかけます。この温かい卵の中であなたは、『何も知らぬ愚鈍で無垢な子供』として生きられます。それはとても、優しくって楽なこと。それを捨てるということは、もう子供ではいられないってこと。それでもあなたは海を、目指しますか?」

「はい。私は海を、目指します。」

「盾翅ルリト、花はあなたに問いかけます。この冷たい繭の中であなたは、誰も傷つけることなく、気づかされることなく生きてゆけます。『大人にならない』ってことは醜いあなたのまま、愚かな子供のまま標本になるってことよ。それでもあなたは、世界を壊しますか?」

「…後になるか、先になるかの違いだよ。それでも俺は、この世界を破壊します。」

「愚かなあなたたちに花の加護がありますよう。たった今、扉は開かれました。さあ、お行きなさい。」

蜜蜂が指を指す先に、白い階段が現れる。それは、壁の頂へ続く唯一の階段であった。

「俺は明日、コバルト・パピヨンの戦闘機を奪う。カモメには、俺の相棒と行動して欲しい。」

「わかったわ。」

カモメには一つ、気がかりなことがあった。

「ねぇ、ルリト。ひとつ約束して。」

ルリトは振り返ってあたしを見る。

「絶対に、誰も殺さない。そう約束して。」

青い瞳を見据えて言った。けれどその瞳は私を捕えず、自嘲するように濁っている。

「鳥は散々蝶を殺してきたくせに?」

その言葉に確かに込められた怒り。胸がどくどくと脈打って血が遡るみたい。苦しい。そうだ、その通りだ。散々鳥は蝶を殺してきたのに、私は、どの面下げてこんなこと言ってるんだろう。馬鹿で、頓珍漢で、恥ずかしい。青くなる私の顔を見て、ルリトは追い打ちをかけるように続ける。

「あんた、俺を初めて見た時、『気持ち悪い』って思っただろ?」

「そんなこと、」

「そんなことない、って?『触らないで』そう言ったの、確かに、覚えてるぜ?」


「口では何とだって言えるよな。でも…抗えないんだよ、どうしたって。それが『当然』と思って生きてきたんだから。」

蝶の叫びは悲痛で、私はもう顔を上げることができなかった。悔しさで滲んだ瞳を見られたら、また馬鹿にされる。

「虫も殺せぬ偽善者ぶって、気持ちよかった?カモメ。」

でも、その声はもう優しくて。私は驚いて顔を上げた。馬鹿にされたくないとか、恥ずかしいとか全部忘れて、見上げたルリトは悲しそうに笑っていた。もうそこに、先程までの怒りはなかった。

そこにはただ、深い悲しみと蝶の諦観だけが残っていた。

「この国は、狂ってるんだ。狂ってることが当たり前になるくらい、回りすぎてしまった。」


「知ってる?カモメ、この国はさ、俺たちの国は。」


「鳥による捕食を前提として、国のシステムが動いてる。」

「少ない資源でやりくりするために、増えすぎた蝶たちは殺される。それで人口を維持して、資源をギリギリのところで食い繋いでるんだ。」

弾丸のように、ルリトは言葉を続けた。

「でも、それで利益が上がるのは、コバルトだけだ。コバルトの薄汚い大人が肥え太っていくだけ。俺たちは相変わらず、ひもじいまんま。何のために生きてるのか、生かされてるのかもわからない。」

ルリトの青い瞳が揺らめく。締め付けられるように、私の胸が痛む。

「滑稽な話だよなぁ、笑ってくれよ、カモメ。」

私は到底、笑えなかった。

「明日、午後八時。計画を実行する。」

ルリトの後ろ姿が、遠くなった。


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