汚れた子どもは棘を持たない
この世界は、平等と自由を謳う。けれど結局それは、弱者には願っても手に入れられないものだった。小さな町の、貧しい暮らしのすぐ隣には、いつも。犯罪や不平等が、まるで空気に溶けているように染みついていた。
だから、薄暗い真昼の路地裏で、傷だらけの魅色が泣いてるのも、いつものことだった。
「…いたんだ。」
うなだれたまま魅色は言った。
この光景は子供の時から変わらなくて、それでも俺は慣れることなんかできなかった。なのに、いつも、俺はこいつを見殺しにする。
「あーあ、最悪だよ。ここ最近は見つからないで済んだのに。アイツ等、よっぽっど溜まってたんだろうね。」
魅色の話し方は、不自然なくらいに流暢で。
「ごめん。」
無意識に呟いていた。それからすぐ、迂闊だった、と思った。
「…謝るなよ、君は何も悪くないじゃないか!」
迂闊だったと思った瞬間に、汚れた子供はそう言った。その言葉は半ば、八つ当たりみたいなもので、沸々煮立った怒りの唯一の発散方法だった。
「クソ…!」
魅色は、赤く滲んだ拳を地面に叩きつけた。
それでやっと、安心した。安心したなんて、なんて身勝手だろうと思う。でも、こうやって感情をぶつけてくれないと、まるで世界に負けたみたいで、恐ろしくなる。
ごめん。最初から救えるはずもないのに、勝手に傷ついて。なんてちゃちな言葉だろう。被害者の精いっぱいの虚勢を、簡単に潰してしまう言葉だ。憐みの言葉が、同情の言葉が、この期に及んで欲しいわけがないじゃないか。
いつだって、弱いから醜いからと、蔑まれるのが大嫌いだった。
「早く大人になりたいよ。」
魅色の掠れた声が鼓膜に響いた。言葉は片方の耳から体内に入り込み、どこにも引っかかることのないまま、反対側の耳から出ていった。
途端、ガラスの雨が降る。割れたガラスがぼろぼろと降ってくる。それらは赤、青…鮮やかすぎるほどの色彩をたたえていた。
その美しさに触れようと手を伸ばす、掌に乗ったそれを握ろうと、拳で包んだ時。グシャ、と不快な音を立てた。背筋に嫌な汗が落ちた。「開かない方がいい」と本能的に理解していても、脳は命令を無視して綻ぶように指を解いた。
掌の上には、赤、青、黄…グシャグシャのそれは、よく見慣れたものだった。
『これがお前の末路だ』
頭の中に響く声は、亡霊の声。鳥たちに殺されていった、美しき同胞の、名もなき声。どこからともなくそれは聞こえ、パピヨンの子供たちを悪夢の中に引きずり込む。デジタルサイネージに映された黒い蝶たちは、とうの昔に死んでしまった。
大人になるって、そういうことだった。
魅色の儚げで、無邪気な微笑は俺を殺す。
魅色は、大人になりたいと言う。でも、知っている。この翅に未来はない。大人になれば否応なく消費され、殺される。それでもお前はそれを望むの?
疑い始めたその日から、相棒の顔をまっすぐ見ることができなくなった。
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