デジタルサイネージ


 デジタルサイネージの光も届かない給水塔の上。

 トタン屋根の小さな家々が見渡せる。つつましく、密やかな暮らしだ。それなのに、安寧は一向にやってこない。それは果たして、鳥のせいか、あるいは。


「よ、ルリト。こんなところで何してんだ?」

聞きなれた声が下から聞こえる。よりによって、一番めんどくさい奴に見つかった。

「…なんであんたがここにいんの。」

スミナガシは梯子を上ってこちらに来るようだった。

「勝手に来るんじゃねえよ、許可してない。」

「は?なんだよその態度。かわいくねえな。年上には媚び売っといた方が色々得だぜ?」

そう笑いながらスミナガシは寝転ぶ俺を見下ろした。この蝶には何を言っても、まるで意味がない。食えない奴。

「あんたに媚び諂うくらいなら死んだ方がマシだね。」

「ちっ、クソガキが。」

「なんでここが?」

「魅色が教えてくれたんだよ。あいつ、また綺麗になったな。」

その言い方がひどく癇に障ったから、俺は奴を睨みつけた。まるで下卑た大人のような言い草だった。無垢な子供を食い物にする、卑しい大人。スミナガシ相手にそう思うのは、俺がいささか敏感になりすぎているだけかもしれないけれど。

「そんな顔で見るなよ。別に俺はあいつを取って食おうなんざ思ってないよ。他の奴はどうだか知らねえけど。」

「へえ、よく言うよな。大人はみんなそう言うんだぜ。なのに魅色を前にした瞬間目の色変えやがって、気色悪い。」

スミナガシを背にして寝返りを打った。

「そんなに心配なら引っ付き虫やってろよ。なんで一人にさせるわけ。」

「いい加減離れたっていいだろ。何年一緒にいると思ってる。」

「バディなんだから死ぬまで一緒だっていいだろ、どうして避ける?兄さん、心配で見てらんないよ。」

「あんたを兄だなんて思ったことないね。」

「ついでに言うとさあ、お前俺の事避けてるだろ。」

「別に避けてねえよ。」

「いいや、あからさまに避けてるね。俺が成虫になってから。」

その声にはある種の冷淡さが混じっていたように感じた。その温度が、スミナガシはもう自分とは違うのだと、同じ立場ではないのだと、俺を突き放した。

「そんなに大人が嫌いか?」

奴は寝転んだ俺の背に生えた棘に触れた。

「…触るなよ!」

反射的に、叫んでいた。触れられたくない、あんたにも。

きっと、自分以外の誰であっても。

「まあ、少なくとも角が生えてた方が、不細工で見ごたえあったぜ。」

「まあ、いいさ。今日はサボるなよ、クソガキ。」

そう言ってスミナガシは給水塔の下へ降りて行った。次期司令官殿直々に言われちゃあどうしようもない。そう、スミナガシは深山司令の後任だと噂されている。訓練兵時代のスミナガシの成績が並外れてよかったことと、その飛翔スピード。日の光を反射して緑青色に輝く黒い翅。深山司令が一目置くのも無理はない。容姿、性格、飛翔。すべてにおいて、他の蝶とは比べ物にならない。



「諸君。」

午前9時。デジタルサイネージの眩いばかりのネオンは一斉に消灯し、幾度も繰り返す陽気な歌はビリビリと不穏な音を立てながらフェードアウトする。

デジタルサイネージの上には、一頭の蝶が立っている。

彼こそが、コバルト・パピヨンを、この国を、この軍を統べる総司令官、深山司令。

パピヨンの中でも一番大きな体を持つ、誇り高きオオムラサキ。その昔、彼は一頭で数羽のユリカモメを追い詰めたという。ユリカモメ狩りの"烏”。

「美しくなければ、蝶ではない。」

その言葉を、小さい頃から聞き続けてきた。それは、この世界の絶対的なルールだった。

パピヨンの子供はみな醜い。俺たちは生まれながらに、「自分たちに価値がない」と教えられて、育つ。だから、その美しさに、己の武器に、磨きをかける。いつか大人になった時、美しくあれるよう。

「お前たちにどんなに鋭い棘があろうが、毒があろうが、翅がなければ意味はない。」

でも俺は、どうしてもこの言葉に排除されて、自分だけはなぜか、線を引かれた外側にいると思っていた。

そしてその内側に行くことはない、これからも。

「俺たちは、蝶だ。美しくあるために、花のために生まれてきた。」

けれど。どうしてもこの言葉に、振る舞いに、魅せられてしまうのは。

この男が、世界で一番強い蝶だからだ。俺たちにとってカラスは強さと美しさの象徴だ。自由と権力の象徴。誰よりも大きな身体は、重たい翅は、赤い瞳は、畏怖と尊敬の対象だった。悔しいけど、それは今だって、変わらない。

だから、苦しい。自分を包む棘が、身体の中に入り込んでくるみたいに、苦しい。

「権利が欲しければ、自由が欲しければ、ここまで這い上がれ。あの壁の頂を目指せ。花に見初められてこそ、初めてお前たちは大人になれる。蝶になり、永遠の美しさを手に入れる。精々、精進することだ。小童ども。」

演説が終わると、深山は重い翅を翻して歩いて行った。まるで。まるで鳥が飛ぶような鋭い羽音を響かせて。

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