(番外編)黒き蝶は煌めく琥珀に翅を降ろす

砂埃と鱗粉がついたままの身体で、スミナガシは石崖が眠るその部屋に帰ってくる。消え入りそうな、微かで、規則的な寝息を立てながら琥珀の蝶は眠る。

疲れ切ったスミナガシは考えることを放棄して、ただひたすらに眠ってしまいたくなって、その薄い茶色の髪を撫でた。

「どうしたの、スミナガシ。」

深夜二時を回った暗い夜の底に、石崖の優しげな声が響く。スミナガシはまるで夢を見ているようなその声に、微睡んで彼の細い首筋に顔を埋めた。

石崖は細く白い指先で、スミナガシの緑にも紫にも見えるような不思議な黒の髪を撫でた。夢の中にいるような声が、夢を見ているような覚束ない仕草が、それでもその幻想の中でスミナガシに手を伸ばす。それが嬉しくて、スミナガシは目の前が霞んでいく。その首筋を強く抱き寄せたくなる。しかしそうすれば、自分はこの蝶を壊してしまうのではないかと思うから、彼はそれをしない。

「鱗粉と血の匂いがする。また蝶を殺したの?」

薄く目を開くと琥珀色の瞳が緑青の瞳を見つめた。白い指先が、スミナガシの薄く汚れた頬を滑る。

「殺した、と言ったら。お前はどうする?」

意地悪にスミナガシは聞いてみせる。不敵な表情と裏腹に、黒い手袋を嵌めた指先が震えていた。本当はこんな自分が怖くて仕方がない。翅を奪う度、身体を射抜く度、石崖の琥珀の瞳が脳をよぎって掠める。スミナガシはわかっているのだ。

自分にはいつか罰が下る。そしてそれは最悪な形で愛した人を貫く。

「そうだね。僕は何もしない。」

石崖は掠れた声でそう返す。「何も?」「そう、何も。」

「僕はただ、お前の傍にいるよ。」

石崖の細く白い指先がスミナガシの黒い背中を包み込んだ。スミナガシはそれだけで、涙が溢れそうだった。


苦しかった。もう終わりにしたかった。


殺すことも、泣き声を聞くことも。しかしスミナガシは銃を下ろせない。彼はこの黒い繭から逃げられない。なぜならこれは、恩返しであり、深山への忠誠であるからだ。

あの時、路地裏で膝を抱えていたスミナガシを、黒い若き蝶が掬いあげた。血を吸い込んだような深紅の唇は今でも彼をあの悪夢の世界へ引きずり込もうとする。

こんなことを続けていたら、俺はいつかこいつに愛想を尽かされるかもしれない。スミナガシはいつもそう思う。しかしこの琥珀色の蝶は、一向にスミナガシを手放す気配がないのだった。

抱き締めれば粉々に壊れてしまいそうなその身体を、子供の時みたいに遮二無二抱き寄せたくてみたくて、しかしこの血に汚れた手じゃ白いその翅を汚して傷つけることしかできない気がして、スミナガシは躊躇う。伸ばした指は石崖の背に触れることのないまま宙に漂う。

「泣いてるのか、スミナガシ。」

「馬鹿、泣いてねえよ。」

「じゃあ顔上げろよ。」「うるせえな。」

石崖は、スミナガシのふわりと流れる癖のある黒髪を優しく撫でる。

「泣いたらいいよ、子どもみたいに。お前は大人じゃないんだから。」

ああ、そうか。

スミナガシは気づいてしまった。どうして自分がこの蝶を好きで仕方がないのか。それは、難しすぎるこの世界で、ひどく単純明快な理由なのだ。

「お前だけは昔から、変わんないな。」

「お前がどんどん変わっていくから、僕はお前の為にこうしてるんだよ。」

生きるために、生き残るために。半ば無理やり大人になったスミナガシが年相応に子どものように縋ることができるのは、この世界に彼ただ一人きりだったのだ。


そのことを、琥珀を纏った蝶は知らない。


「もう眠りたい。」スミナガシは呟く。「眠ればいいよ、」掠れた声で石崖は返す。彼は夢の続きを見たいようで、スミナガシに寄り添いながら目を閉じる。

「殺した蝶の匂いがしても平気か?」ため息を吐いた後、嘲るようにスミナガシは笑った。

「別に構わないけど、僕は。」石崖がそう答えるとスミナガシは微かに笑った。

微かな血の匂いを残したまま、スミナガシは石崖に寄り添う。

触れれば破けてしまいそうな、繊細な脈が走る白い翅を折り畳むと、夜の闇に鮮やかな琥珀が煌めいて、スミナガシはその輝きを頼りに夜に混じっていく。

決して壊さぬように、破かぬように、輝くその翅にそっと指を滑らせて、黒い蝶は目を閉じた。

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アウト・オブ・リリィ 天上ひばり @tenjyou-hibari

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