洛陽アニメーション放火事件

戌亥龍一

 収容所の休憩室は、中庭に面した二階にある。出来上がったばかりの施設はまっさらな白色で、耐荷重のUVコーティングがなされた床面のせいで、いかにも病院といった風に見える。なお見た目が清潔に保たれているのは、外部からの査察に備えたもので、そんな時は優良な収容者が更生に勤しむ姿と、この綺麗な所内を見せれば、だいたいは片がついた。


 モルグを出た小糠草は、休憩所前の自動販売機でコーヒーを買う。次いでコーヒー牛乳を買うと、それを村瀬に渡す。小糠草は自身の飲み物に頓着がなかったが、村瀬は小岩井のコーヒー牛乳が好きだった。だからこの自販機で扱っているコーヒー牛乳は、ほぼ村瀬の為だけに仕入れられている。


 休憩所のドアを開けると、先客がいた。真っ白なデスクの上にノートPCを開き、厳しい顔つきでキーボードを叩く青年。鋭いつり目の周りには、口に咥えた電子スティックの、白い煙が漂っている。一見するぶんには立派なアウトローだが、吸っているのはニコチンレス・タールレスの、ヘルシーなビタミンCだ。


 ――戌亥龍一。

 名前もこれまた厳しいが、前歴はれっきとしたアニメーター。しかして高身長で筋骨隆々。咥えてタトゥーの刻まれた腕を見るに、もともと彼が、机に向かってペンを走らせていた人種だとは、誰も思わないだろう。


「お疲れ様です、戌亥君」

「おっつーイッヌー」

「あー、お疲れ、糠味噌のダンナ。あとちび」


 声で気づいたのか、電子スティックを置いて顔を上げる戌亥。ボサボサの髪、伸ばしたままの無精髭、よれたままのタンクトップに、カーキ色のカーゴパンツ。常に装いを正している小糠草とは、対照的にだらしがない。元来が色白で塩系の顔立ちだけに、身なりを整えればそれなりの風貌にはなるのだろうが、本人にその意識はまるでないらしい。


「ボク、ちびじゃないんだけど!」

「じゃあ俺もイヌじゃねえよ、ちび」


 ぷんすかと怒る村瀬をよそに、興味もなさげにPCに目を落とす戌亥。この青年、クールやドライというより、他人にそれほど興味がない。以前がどうだったかは知らないが、MISCOに入ってからはずっとこの調子で、周囲との軋轢は日常茶飯事だった。


「うちのカナがすみませんね。調子はどうですか?」

「これが終わったらあと二件ですね。今日中に回れればいいですが」

 

 とはいえ一度話せば、礼節をわきまえない訳ではない。東京の美大を出ている彼は、経歴そのものは極めてクリーンなのだ。職務への態度も真面目に過ぎるほどで、過労で倒れかけたことも一度や二度ではない。見た目と態度のせいで最初こそ衝突するが、長い付き合いの中で徐々に評価が変わっていくタイプの典型と言えるだろう。


「あまり無理はしないで下さいね。人間、働き盛りが一番危ないですから」

「分かってますよ。先生こそ気をつけて下さいよ。万が一のことがあったら、ちびが路頭に迷っちまう」

「先生はボクが守るから大丈夫ですー!! あとちびじゃないし!」


 あいかわらず、ぶう垂れる村瀬の頭を、それこそイヌをあやすようにぼふぼふと撫で、戌亥は手で合図を出す。そこで雑話の終わりを把握した小糠草は、もう一本のコーヒーを買うと、戌亥の横に置いて、奥の仮眠室へと消えていった。





「むぎゅー、ボクあいつ嫌い、イッヌのくせに!!!」

「はいはい村瀬くん、騒ぐ力が余ってるなら、さっさと寝ますよ」


 仮眠室は休憩室の奥にある。ひと目につかないよう、夜間の職務も多いMISCO職員は、収容者を送ったあと、ここで一眠りする者も多い。小部屋は五つに分かれていて、うち四つは使用中だった。


「おおおー、先生、これ二人で寝るしかないね!!!」

「何をそんなに嬉しそうなんですか……どの部屋にも二つずつベッドは付いていますからね。はい、入りますよ」


 基本的に二人組で行動するMISCO職員の事、仮眠室も当然ながら二つのベッドが備え付けられている。片方は高反発、もう片方は低反発と、存外に睡眠の質にも配慮してある。職員によっては、職場の仮眠室のほうがよく眠れると豪語する者もいる程だ。


「ちぇっ……でもベッドは近いでしょ。今日は久しぶりにお話を読んでほしいなあ」

「ではそうしましょう。なにがいいかな……」


「ボク、ひぐらしがなく頃にがいいー」

「はいはい、分かりましたよ」


 村瀬は村瀬が生まれた頃に流行ったライトノベルをリクエストすると、それに小糠草も頷く。休みの日、あるいは村瀬の寝付きが悪い時に、子守唄代わりに物語を語り聞かせるのも、小糠草の仕事だった。


「わーい、やったー! じゃあ……編の」

「……編ですね」


 二人の声が仮眠室の中に消えていく。残された休憩室には、空調の回る音と、戌亥がキーボードを叩く音だけが響いていた。

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