特定労働者隔離保護施設

 元防衛省事務次官、熊谷英雄の起こした事件は、世間に対し一石を投じた。――引きこもりの高年齢化。それは彼らを支える親族の、さらなる高齢化を意味している。そして頻発する彼らの、周囲を巻き込んだ凶悪犯罪。中高年ニートを抱える家族の葛藤は、いよいよ以て、ここで頂点を迎えた。


 子殺し。家族による家族の処理。いつ、どこで、子供と呼ぶには大きくなりすぎた我が子らが、犯罪者と化すか分からない恐怖。自分たちが標的になるぶんにはいい。それは在る種の罰なのだと容認できる。だが、他人に刃が振り下ろされるのは――。


 耐えきれない。そして老人たちは、自らに残された膂力の、ありったけを込めて刃を振る。出来損なった我が子を、育てきれなかった人の形を、ただひたすらに肉に戻すだけの、命がけの作業。熊谷英雄の逮捕から一ヶ月。日本各地では、数えるだけで十四件の子殺しが続いていた。




「最近、多いですね。ニート殺し、先生?」

「そうですね……時勢がら、仕方ないでしょう。誰も彼も恐れている。せめて私たちに出来るのは、その恐怖を取り除くぐらいの事です」


 いつも通りのハイエースを飛ばしながら、村瀬と小糠草は駄弁る。親による子殺しが群発する一方で、中高年ニートを抱える家庭からの、機関への相談も増えた。各家庭の状況を精査しながら、対象の処遇を検討するのも、小糠草らに与えられた職務だった。この日も家族の承認を得、一人のニートを施設まで送る最中である。


「あの人はどうするの? 先生」

「一応施設へは送りますが……まあ安楽死といった所でしょうかね」


 対象となったニートは、トランクで猿ぐつわを噛まされ、睡眠薬で眠らされている。このハイエースは荷物・・を多く乗せる為、後部座席自体を撤去しているのだ。担架二つは入ろうという車内の事、成人男性一人程度なら、余裕で収納できる。


「……そう」

「せめて職歴があれば、刑務作業に回される可能性もあるんですけどね。さすがに40まで何もなしだと、厳しいでしょう」


 ニートの名は斉木直人。親は資産家で、不動産の経営と、株取引で財を築いた。だが米中摩擦による世界恐慌で株価は暴落。また薬機法の改正で営んでいた薬局が軒並み苦境に追い込まれた所で、ダメ押しのように愛人が金を持ち逃げした。両親は離婚を余儀なくされ、慰謝料をふんだくられた父親の元に、ニートの直人だけが取り残された。


 年齢は42歳。度重なる就職活動も奏功せず、親の持ちビルの事務所の二階を、住居として利用していた。しかしてそのビルも転売される運びとなると、もはや彼の居るべき場所は、この日本から消え失せ……そのゆえの、この顛末である。

 

 MISCOによって引き取られた引きこもりは、郊外の施設に運び込まれる。そして労働経験のある者、社会復帰の可能性が高い者については、一定期間の刑務作業を経て、更生したモデルケースとして出所、国の支援を受けつつ就職活動に励む。


 一方で就労経験の無いニートには、投薬による安楽死が待ち受けている。組織、施設の運営人員、予算に限りがある以上、何の役にも立たない人間を生かし続けるのは、いかにも無駄であるとの判断からだ。


 この斉木直人は、残念ながら後者。四十余年の人生の中で、一年以上の継続した就労が見込めなかった彼は、この待遇のまま、しめやかに生涯を終える事になる。


「ねえ先生」

「ん?」


「ボクも、あのまま先生に拾われなかったら、施設に回されたりしちゃったのかな……ボク、いろいろできる訳じゃないし」


「……それはありません。仮に私がいなくても、村瀬くんは大丈夫です」


「そうかな……」


 それきり沈黙した村瀬は、ハンドルを切り高速を降りる。埼玉県、和光北ICを出て、荒川沿いに北上、ゴルフ場や公園を抜けたその先に、収容所――もとい特定労働者隔離保護施設は存在する。そこは浦和西警察署、さいたま赤十字病院からもほど近く、いざとなれば県警本部、拘置支所からの増援も見込める、時として収容者を抹消し得るMISCOにとっては、この上ない立地と言えた。ナンバープレート、顔認証、IDカードの三重認証を経て、二人を乗せた車は収容所内部へと向かう。


 施設そのものの収容人数は公称で500人だが、実際の収容者数は100人いるかどうか。では残りはどうなったのかというと、入所後の病死という形で、投薬による安楽死処理がなされていた。日本全体の矯正収容費が約600億円、これを一日一人辺りの平均で割ると、年間300万円にあたる。社会復帰の見込みがない収容者を一人処分するだけで、予算が300万円浮くというのだから、これを利用しない手はないだろう。


 代わりにMISCOでは、職員の育成や設備の増強、関係各所との連携や、全国のネットワーク拡充に予算を割いていた。犯罪者予備軍、前科者の情報は警察との協力無しにはつかめないし、他にも、揉め事があった際に対応してくれる、優秀な弁護士との契約も必須だった。


「お疲れ様です。本日の収容者は斉木直人、42歳。一名でよろしいですか?」

「ええ。モルグに直接運びましょうか?」


「助かります。運搬後は?」

「休憩所へ向かいます。次の出動まで、少し休もうかと」


「分かりました。カナちゃんも、お疲れ様」

「うん」


 オペレーターとの通話を経て、ハイエースは駐車場に止まる。組織の特質上、MISCOの職員は全員が、犯罪者への憎悪に燃える人間のみで構成されている。もし一人でも情にほだされ、あるいは罪の意識に苛まれ、内情を暴露する人間が現れてしまえば、MISCOは早晩、解体を余儀なくされるだろう。――それは許されない。ゆえに、このオペレーターも、道中に立っていた警備員も、誰もが皆、一つの理念を共有し生きているのだ。弱者の皮を被った、狼を許すまじと。


「先生、開けるよ」

「ええ、頼みます」


 小糠草がトランクを開け、村瀬がカードでモルグを解錠する。――モルグとは、文字通り死体安置所を指すが、それはこれから死体になるものも含まれている。とどのつまり、この斉木直人は、今宵、夢から醒めぬまま42年の生涯を終える。ベッドの上に置かれる斉木、胸元で十字を切り踵を返す小糠草と入れ違いで、白衣を纏う二人組が入室する。互いに会釈を交わし通り過ぎる、彼らの手には注射器が握られている。


 ドアが閉まり、鈍い金属音が辺りに響く。誰からも必要とされなくなった命は、いったい何のために生まれたのか。それとも、生まれた頃くらいは、誰かに祝福されていたのだろうか。どこかに、暖かい思い出があるのだろうか。死んだ時、泣いてくれる人はいるのだろうか。幾つかの想いが、今日も小糠草の脳裏を去来したが、彼は振り切るようにかぶりを振る。――それは考えるべき事ではないのだ。人が人である以上、本当にひとりぼっちの人間は、もはや人ではあり得ないのだと、自らに言い聞かせて。

 

 ――斉木直人。享年42歳。死因、薬物投与による安楽死。

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