【第四十二走】いつも通り
どんなに気まずくなった相手でも、共に生活しているならば嫌でも顔を合わせなければならない時がある。例えば母親と親子喧嘩をしてしまった翌朝のように。こんな時、相手に対してどんな顔をすればいいのか判らないと誰しもが思うことだろう。俺はまさに、今がその時だった。
子供神からユキの『救済』のタイムリミットを告げられた翌朝、大学へ出発しようとした時。身支度を済ませ、あとは目の前のドアを開くだけ――という段階で、俺はこのような感覚に
いったい、どんな顔をしてユキと会えばいいのだろう?
そう思ったら途端に身体が硬直してしまい、こうして玄関で小一時間ほど突っ立っているのだった。
唐突に告白するが、俺はおしとやかで自己主張が控えめの、心優しく包容力のある大人の女性がタイプだ。しかし身近な女性を見渡してみると、まず七香さんは大人だが自己主張が激しい。おしとやかなのは身体の一部だけで、性格は「位置について」の段階でスタートを切って走り出すような、とんでもない目立ちたがり屋である。ゆえにまったく適合しない。
また、最近知り合った救済者第一号である信号機の美桜さんは、性格がかなり好みに近しいが――彼女にはどうしても『異性』としての目線よりも、『妹』のような庇護意識が働いてしまう。救済対象として出会ったのが先だったからだろうか。
他方、暫定的とはいえ一応は彼女のポジションを務めるユキはというと――年下のうえ意地っ張りで出しゃばり、そのうえ口が悪いお転婆ときたものだ。まったく俺の好みの要件を満たしてはいない――どころか、図ったかのように真逆とすら言える。
そんなヤツなので、これまでは「彼女」と言いつつも、実際にはその後ろに(笑)がついているような、口先だけの冗談でしかなかった。というか、そもそも子供神の呪いによってできた彼女なので、「彼女(
そしてまた、そんな気の置けない関係であることが、俺にとってはとても心地よくもあった。先日までは。
だがしかし。
昨日の大学からの帰り道。
ヤツは唐突に、らしくもないことを言い出した。
それまでは俺のことを散々「バカ」だの「キモイ」だの「バカたけ」だの「サイテー」だのと呼んでいたアイツが、急に「
そのことを思い出すと、これまでの態度など水に流して相手をひとりの異性として意識しだしてしまう。そしてこうなると人間――特に思春期の青年男子――の精神などたやすく揺らぐもので、そのギャップが頭から離れなくなるのである。
とはいえ。
俺の場合は、別に
となれば、相手のためを思うならば、向こうが無駄な気を
そう思い至ったところでようやく、身体の硬直が解け、俺はドアノブをひねって外に出ることができた。そしてそのまま非常階段を
「よ、よぉ」
いつも通りを心掛けたはずが、少しだけ声が震えてしまった。しまった、不自然さが出てしまったか――などと少し不安を覚えた俺に、彼女は言った。
「――ああ、おはよ。今朝も相変わらずさえない顔してるわね。もう夏だってのに、まったく陰気くさいヤツだわ。ほら、さっさと行くわよこのグズ」
いつも通りの
その代わり映えの無さに安心しつつも、こともなげなユキの態度に拍子抜けし、思わず「俺の葛藤を返せ」と言いたくなったところで気がついた。
いつも通りではない。
断じて、いつも通りなどではない。
こんなのは、いつもの俺たちじゃない。
俺は以前、確かに言った。
それはまだ、ユキが俺との煽り合いに慣れていないころ。大学の駐輪場で、きっちゃんが横にいる状態で言った言葉だ。
「煽り合いってのはな、戦争までいっちゃ駄目なんだよ。喧嘩じゃねぇんだから」――と。
それを受けて、では煽り合いとはなんなのだと問うた彼女に対し俺は、「
だがしかし。
今の彼女は、明らかにこちらを攻撃してきている。
罵るような口汚い言葉で、俺にかみつこうとしている。
それは「意思疎通」ではなく、ただの「喧嘩」。
つまり、これは。
彼女からの、拒絶に他ならなかった。
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