【第三十三走】神の手の届かぬもの

「なんだ、貴様が呼んだのではなかったのか?」


 俺の視線の高さをふわふわと浮遊しながら、子供神はこちらの問いに答えた。その視線は、歩道の端で駄々っ子のように泣きわめく七香なのかさんを、興味なさそうに見ている。


「そんなわけねぇだろ。そもそも、他人の協力が必要かどうかも判らなかったのに、どうして彼女を呼べるんだよ」


 前回の美桜みおさんの件では、七香さんから助言をもらいはしたものの、直接他人の協力を得る必要はなかった。

 そもそも俺がしていることは、転生者の未練はなしを聞くだけのことだ。それには自分の身一つあれば事足りるので、友人知人に手伝ってもらおうという発想自体が最初から無かった。


「ふむ――それもそうだな」

「それで、なんで七香さんに人払いが効いてないんだ?」


 念のためその存在を確認すると、彼女はレンガ造りの道の上でいまだにじたばたしながらわめいている。その様を眺めながら、「しかし、相も変わらず短いスカートだな」なんて考えがどうしても脳裏をよぎる。あまりの無防備さに、遠目にもその中が覗けそうなのだ。

 先ほど興味なさそうに見ていた子供神とは異なり、俺は正直、興味津々だ。今ならバレる恐れもないし、その好奇心に従おうかと思わないでもないし、それは恐ろしく心惹かれる誘惑ではあった。


 だがしかし――。


 正気を失った人間に手を出すのは俺の主義ではない。というか、そんなことをするのはそもそも人間のすることではない。欲望を抑えることを知らない、猿か悪魔のすることだ。

 童貞のクセになにをスカしたことを――と思われるかもしれないが、女性経験がないからこそ、せめて精神性だけは高潔でいたいと願うのだ。それでおいしい思いを捨ててしまうのは、我ながら損な性格だと思うけれど――欲望に負けない強い理性は、人間の証明でもあるのでしかたがない。

 もっとも、相手が披露してくれるならありがたく拝見させていただくけれど――七香さんに限って、きっとそんなことはないだろう。

 俺がそう言い切れるのには理由がある。

 それは――現金いらずキャッシュレスと噂される彼女が、俺に対してそういったアプローチをしてきたことなど、ただの一度もないからだ。

 結局俺は、七香さんにとっては井戸屋グチるあいてという存在でしかないのだろう。彼女とそんな色めいた関係になることなど――いや、待てよ。


『察してほしいのに――』


 ふいに過去の想い出が蘇る。

 それは俺にとって、苦くて思い出したくはない記憶。

 だがそれを言われた状況あのときは、果たしてどうだった?

 あの時、彼女はもしかして――。


 胸騒ぎがした。

 俺はもしかして、七香さんに関する――なにか重要なことを、自分で無かったことにしてしまっているのではないか?

 不意にわいたその疑問を晴らすべく、かつての記憶を辿ろうとしたところで――子供神が唐突に、核心をついたようなことを言ってきた。


「考えられることとしては――この女子おなごが、なんらかの強い想いを持ってここへ来た、ということだな」

「どういうことだ? 強い想いってなんだよ、いったい」

「我の知ったことか」


 人の葛藤を知ってか知らずか、期待を持たせるようなことを口にされ――思わず顔を近付け食い気味に訊き返してしまう。

 そんな俺の顔を煩わしそうに払いのけながら、子供神は説明を始めた。


「そもそも我の施した術は『貴様ら以外の人間がこのリリィ通りという場所を認識できなくなるようにする』という性質のものだ。すなわち――この術が効果を発揮している間、この周囲に近づく人間にとっては、この場所はのだ。だから、誰も近づいては来ない。いや、来れない。たとえ音が発せられようと、その発生源が存在しない場所では認識できない。それゆえに、誰も気にしないというものなのだ」


 なるほど、その場所がないと思えば誰も通ろうとはしないだろう。通りがひとつ減ったからといって、駅前のように栄えた場所なら、他にいくらでも選べる道はある。まして深夜のこの時間帯なら、人々の生活に混乱をもたらすこともないだろう。

 今回ばかりはさすがの俺も、余計な口や煽りを挟まず、黙ってうなずきながら話を聴いた。その甲斐あってか、本来は神にあるまじき面倒くさがりの子供神は、素直に解説を続けた。


「しかし――ここを訪ねる目的が、場所ではないとなれば話は変わる。たとえば――」


 そこでちら、とこちらを見て子供神は言葉を続けた。


「貴様に会いにきた――とかな」

「七香さんが? 俺に? なんで?」

「だから、我は知らぬと言っている。そもそも――」


 疑問符多めの返答を行う俺に、しかし子供神はどこまでも冷たい。


「『たとえば』の話だと言っただろう。貴様には耳がついているのか?」

「ぐっ――」

「人の話を聞かないのなら、わざわざ質問などするな。貴重な酸素の無駄遣いは、他の罪のない生物に失礼であろう」


 他人を上手に騙す方法が、真実の中に少しだけ嘘を混ぜることであるように、上手なあおり方とは――事実や正論の中に煽り文句を入れることである。その原則にのっとって、子供神は痛いところを突いてきた。

 ――なんだかこいつ、ここ数日で煽りが上手くなってきたような気がする。誰の影響だろうか。


「他にも理由はあるかもしれぬし、断言はできぬ。考えがたいことではあるが――超常現象が効きにくい体質である可能性もある」

「そんな人間いるのかよ?」

「稀にな。すべての人間が、貴様のように都合のいい奇跡を求める単純な思考の持ち主ではない。己の力で生き抜こうという強い意志を持った人間には、神々われわれの奇跡も影響を及ぼしにくいということはある」

「安直で悪かったな――しかし、『強い意志の持ち主』ねぇ。七香さんが」


 その言葉が腑に落ちず、腕組みをして七香さんを見てみると――さすがに騒ぎつかれたのか、石畳の硬さも気にせずぐったりして動かず、だらしなく寝そべっていた。暴れまわったせいで、だいぶ酔いも回ったのだろう。

 この状態のいったいどこに、『己の力で生き抜こうという強い意志』を見て取ればいいのだろうか。現状の彼女は、己の力で生き抜くどころか、他人の力無しに立つことすらままならなさそうである。


「とてもそうとは思えないけどな」


 肩をすくめて俺はそう漏らした。


「いずれにせよ――現状、それを確かめるすべはない」

「なんでだよ? 特に害のない適当な術でもかけてみれば判るだろうが。確かめてみろよ」


 七香さんの体質があいまいなままでは、今後の活動の妨げになるかもしれない。そう思った俺は、子供神にそれを確かめるよう促してみた。

 しかし返されたのは、これ以上ないほどの正論だった。


「ならば訊くが――貴様、これ以上賽銭を出せるのか?」

「あ――」

「現在の我が他人に干渉するには、代償が必要だと言っただろう。それがなければ、確かめようがなかろうが」

「そ、そういえば――」

「もっとも、出すものさえ出すのならば、我は力を貸すことはやぶさかではないが――どのみち、貴様にその余裕はないのだろう?」

「うぅぐ――」


 どんなにいけ好かなくて奇抜な見た目に大仰なしゃべり方をしていようとも、子供神の顔立ちは、幼い少年のそれである。そんなコイツに俺の経済状態を見透かされることは――まるで、幼い少年に自分の懐具合を心配されているようで――それはそれはたいそう情けない有様だった。

 落ち込む俺に、子供神は容赦なく追い打ちをかける。


「とことん考えの浅い男だな、貴様は――」


 上空からため息とともに放たれたその言葉は、まるで落雷のような鋭さで、俺の心を深く撃ち抜いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る