【第三十一走】拳のゆくえ
「それであんた、なんて名前なんだ?」
「名前――?」
哀れなレンガタイル転生男には同情するが、しかしこのままレンガタイル転生男と呼び続けるわけにもいくまい。そもそも「レンガタイル転生男」なんて、いちいち呼びにくくて仕方がない。
「なんだよ、名無しか? そうすると必然的に、あんたのことは『超絶踏まれたがり変態ドМ
「いいんじゃない?」
「うむ」
「総意は得たな。じゃあ――」
「待て待て待て待て――なにが『じゃあ』だ! いいわけあるかよ!」
「しかしこの国は民主主義でな。人民の総意はすべからく尊重されるものなのだ。それともあんたは、この素晴らしき民主主義国家日本において、民意を無視するってのか?」
「民意の前に個人の人権を尊重しろ!」
「変態レンガタイル野郎に人権があるわけないでしょ」
「
「我は
「無駄に
「やるな、あんた。なかなかのツッコミスキルだ。実は最近、周りにボケが多くて困っててな。あんたならいい
「そんな流れで語れるか馬鹿たれ!」
(あるのかどうか知らないが)肩で息をしながら最後までツッコミを続けるレンガタイル野郎。見上げた心意気だ。
「悪かったって。とにかく――名前があるなら教えてくれよ。このままじゃ、呼びにくくてたまらん」
「――
「え?」
「翔多だよ。飛翔の翔に多い少ないの多で『しょうた』」
「へぇ――」
「なんだよ、文句でもあるのかよ」
「いや、いい名前だと思ってな。
そう口にしたのは、俺の噓偽りない本心である。
しかし、同時に飲み込んだ言葉もあった。
(そんな名前とは裏腹に――本人は踏まれたがっているというのは、何か意味があるのか?)
そんな俺の疑問には気付かずに、翔多は得意げに言った。
「だろう? 俺も気に入ってるんだ、実は」
「だったらなんで、すぐに教えなかったんだよ」
「お前らが悪ノリして遊んでたからだろうが」
「それは謝るが――本当にそれだけか?」
「――カンのいいやつだな。好きじゃねぇ」
「そりゃどうも。俺も変態野郎に好かれたくはない。さっさと答えろ」
問い詰める俺に向かって小さく舌を鳴らし、ふてくされたような声で翔多は回答した。
「――名前を知りたがるってことは、俺の存在を認めてるってことだろ? でも俺は、ずいぶんしばらくの間、俺がここにいるって誰にも気付かれなかったからな。だからちょっと――意外で、戸惑った。それだけだ」
あくまでも何でもないことのようなトーンで翔多は語った。だがしかし、俺はその言外に別のニュアンスを感じ取っていた。
きっと、彼は口に出さないだけで――孤独を感じていたに違いない。
(美桜さんと一緒だ)
思い出される、彼女の悲鳴。
己に気付かず、目の前を通り過ぎる人々の群れ。
呼べど叫べど誰にも気付いてもらえない無情。
想像するだけでぞっとする。
それは自分の声が届かないという、途方もない、孤独――。
「――ついでに答えろ。翔多、お前はいったい
突如自分の腹の中に沸き起こった、マグマのような感情を抑えつつ、俺は足元の翔多に声をかけた。
「――は? なんでそんな」
「ちょっと、アンタ――」
「いいから答えろ!」
つい、声を荒げてしまった。
静かな夜の繁華街に突然大声が響き渡り、口を挟みかけたユキも
音源である俺自身ですら、その声に思わず周囲を見渡したが――それでも
「いきなり何をキレてんだよ、うるせーな」
「答えろって言ってんだよ!」
様々な感情が入り混じり、すんでのところで保っていた理性は今にも崩壊しそうだった。
「――十四だよ。なんか文句あんのかよ」
忌々しげにつぶやく翔多の声で、俺は完全に我を失った。
「てめぇ――!」
激情に身を任せ、目の前でふわふわ浮いている子供神に向かい、俺は殴りかかった。
――が、しかし。
子供神はその読んで字のごとき身軽さで、木の葉のようにひらりと身をかわし、逆にこちらを糾弾してきた。
「なんのつもりだ、貴様」
「それはこっちのセリフだこの野郎!」
「ちょ、ちょっと――何をそんなに怒ってるのよ?」
「『何を』だと? お前も転生してるから気付かねぇってのか!?」
「気付かない? 何に?」
「
「こんな目――?」
「どれだけ訴えても、振り向いてすらもらえない。気に掛けられることもない。そんな孤独を――遊び半分で、子供にばっかり押し付けやがって、この野郎――!」
再び殴りかかるも、やはりひらりとかわされる。
あまりの憎たらしさに、拳を振り回しながら俺は叫んだ。
「てめぇ――願い事だクソガキ! てめぇを一発殴らせろ!」
「愚かな。叶えるわけがなかろうが、そのようなもの」
「だったら――!」
叫びながら暴れまわったせいで、すぐに息が上がり呼吸もままならなくなる。まともにしゃべれなくなった俺は、その場に座り込んでなおも子供神に向かって
「だったら、今すぐこいつらを、元の身体に戻してやれよ!」
「残念だがそれも叶わぬ」
「なんでだよ!? 神だろうが、てめぇは――だったらなんでも叶えて見せろよ!」
そう言って見上げた俺に、上空から声が降ってくる。
「――我にも叶えられる範囲がある。現在の我の力では――それが物質であれ、時間であれ――失われたものを元に戻すことは能わぬのだ」
その声の主は、いつものような小憎たらしい笑みを浮かべておらず、至極真面目な表情だった。
「だから我とて、借りたくもない貴様の手を借りて『救済』などを行っているのだ。こやつらの蘇生などが行えるなら、初めからこのような回りくどい真似はせん。覚えておけ」
真顔のままで告げる子供神。
もしかしたらこいつはこいつなりに、己の過ちを悟りながら、己の無力さに打ちのめされていたりするのだろうか――などと、そう思わせるだけの厳粛さが、その声と表情からは伝わってくる。
そんな子供神の内心を感じ取った俺は、もはや先ほどまでのように声を荒げ拳を上げる気にはなれなくなってしまった。
振り上げる先を無くした拳を力なく降ろすと、座り込んだレンガタイルが手に触れる。その荒い肌触りが痛かった。
「この――役立たずが」
それでもこのままでは腹の虫が収まらず、なんとかひねり出した悪態は――なんとも幼稚なその一言だけだった。
「約束しろ、
「ふん――」
俺の言葉を否定も肯定もせず、子供神はつまらなさそうに鼻を鳴らしただけだった。
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