【第二十九走】茶の湯の影

 子供神はふわふわと浮きながら、にやにやとしたツラで言う。


「まったく――ひとがせっかく恋人を作ってやったというのに、他の女を部屋に寄せているとは。節操のない男だ、貴様は――罰当たりな」

「疫病神がどの口で言いやがる。余計な口を利いてないで、さっさと詳細を教えやがれ」

「フン、仕事熱心で感心なことだな」

「うるせーよ。とにかく詳しい話は居間で聞くから、お前も来い」


 そう言って、俺は居間へ向かおうとした。

 その際、もしも話が長くなった時のためにコーヒーを入れ直そうかと思い――せっかくだからと尋ねてみた。


「なあお前――お茶でも飲むか?」

「突然どうしたというのだ、気色悪い。あの女に頭でも殴られたのか?」


 別に礼を期待したわけではないが、返ってきたのは思った通りの無礼な反応だった。

 だから俺も、相応に無愛想な言葉で返してやる。


「別に――自分の分を入れるついでってだけだ。いらんなら茶化さずそう言え」

「ふむ。せっかくだ、いただこうではないか」

「そうかい。じゃあ少し待ってろよ」


 あれだけ無礼な反応をしておいて、まさか申し出を受け入れられるとは思わず、俺は多少面食らったが――自分から言い出した手前、入れないわけにもいくまい。そう思い、台所で準備を始めた。

 さすがにお湯は冷めていたため、再度沸かしなおす。お茶と言ってもこの部屋に急須や湯飲みなどはないので、マグカップにティーパックで緑茶を入れてやった。


「そういやお前、どうやって飲むんだ?」

「実際に口を付けたりはせん。そこの机へ供えるがいい。香りを味わえればそれでいいのだ、神々われわれは」

「そういうもんかい――ほらよ」


 先ほどまで置いてあった七香さんのマグカップをどかし、代わりにそこへ新しいマグカップを置いてやる。香りを嗅ごうとして、子供神が顔を近づけると――ヤツはあっという間にその表情を曇らせた。


「どれ――む?」

「どうした?」

「貴様――これは出涸らしか?」

「は? いや、ちゃんと新品だが?」

「一番茶か?」

「知らねーよ。ティーパックに一番も二番もあるか」

「なんということだ――これほどまでに香りの立たない茶の湯など、味わったことがないぞ。玉露はないのか?」

「馬鹿言うな。貧乏大学生の一人暮らしに、そんなモンあってたまるか」


 そもそもここ最近、俺の懐が寒い理由のすべてはコイツにあるというのに――と、そう思ったら、気まぐれでお茶を入れてやったことすらが腹立たしくなってしまい――責めるような口ぶりで言ってやった。


「ごちゃごちゃ言わずに、とっとと味わいやがれ。じゃなきゃ下げちまうぞ」

「やれやれ――味も香りもないものを、どうやって味わえと言うのだ」


 その後も子供神はぶつぶつと文句は言うものの、熱心に香りを確かめるようにカップへ顔を近付けていた。コイツらの間には、「お供え物は無下にしてはならない」なんて規則でもあるのだろうか――などと、どうでもいいことを考えながら、俺は入れなおした自分のコーヒーを飲みつつ、肝心の本題へ移る。


「――で、今度はどこの何なんだ?」

人間どもきさまらが『リリィ通り』と呼ぶ場所だな」

「おい、マジかよそれ――」


 駅前中心地歩行者天国――通称『リリィ通り』と呼ばれる場所は、駅前の繁華街の中心地に位置し、南北に縦断するレンガ造りの通りである。

 この道を境として、西側が飲み屋街、東側が商店街となっている。ちなみにこの道を南下すると、信号機の美桜みおさんがいる交差点へとたどり着き、北上するとのお店やのホテルが居並ぶ、風俗オトナの街に出るのだが――子供の俺はもちろん、オトナ側へは行ったことはない。本当だ。


 それはともかく。


 リリィ通りという場所は、かように駅前の繁華街において、すべての分岐点となる場所なのである。つまりそれは、昼夜を問わず人が集まる場所であり――。


「――めちゃくちゃ目立つ場所じゃねーか。だったらお前、最初から同行してすぐに人払いしろよな」

「よかろう。だが我も、そうは何度も足を運べぬ身だ。ゆえに、一度で済ませる気概で挑めよ」

「そいつは相手次第だろうが」

「だが時間を掛ければ、どうなるかは知っておろう――その身をもってな」

「ちっ――」


 返事の代わりに舌打ちで答えた。


 ――苦い記憶が蘇る。


 呑気のんきに構えて、危うく美桜さんを暴走させかけた、あの時の記憶が。

 その時の悲痛な叫び声を、俺は今でも忘れられないでいる。

 俺はもう、あんな声を聴くのは、二度とごめんだ――。

 そう思い、窓の外に目をやると、すでに日が沈みかけ、部屋には闇が迫っていた。

 薄暗闇うすくらやみの中で、子供神が語る。


「その表情を見るに、重々理解してはいるようだな。では今晩二時に、リリィ通りまで来い。待っているぞ」

「こ、今晩だと!?」

「そうだ。先にも言ったが、我もそうは自由に行動できぬ身でな。ゆえに我の力を当て込むなら、時間はこちらに合わせてもらうぞ」

「俺、明日も朝イチで講義があるんだが――」

「知らぬな」


 俺の抗議を一言で断ち切ると、子供神の姿は闇へと同化し始めた。


「ゆめゆめ忘れるなよ。遅れたら次はないと思え――」


 そう言い残したきり、子供神は完全に闇の中へ消え――その気配はまったく感じられなくなった。あとに残されたのは、真っ暗な夜の闇と、静けさだけだった。

 あまりの静寂に、まるで最初からこの部屋には誰もいなかったかのようにも感じられたが――テーブルの上に残る二つのマグカップが、二人の来客を確かに証明していた。


「どいつもこいつも――言いたいことばっか言いやがって」


 暗闇の中で独りごちる。

 そのまま部屋の明かりをつけようとし、俺は思い直した。

 どうせ今晩は、眠れる保証はないのだ。

 ならば――。


「――とりあえず、今のうちに寝ておくか」


 誰に言うでもない言葉を口にし、俺はそのまま暗闇に身を任せた。

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