【第九走】アメとムチと願いと力

 アパートの駐輪場にユキを停め、キーを抜く。


「じゃあな」


 部屋へ戻る前に、なんとなく一声かけてやる。しかしあろうことか、その様を同じアパートの住人――しかも女性――に見られてしまい、ひどく恥ずかしい思いをした。相手はおそろしく怪訝な表情をしていたが、モノに愛着を持つ心優しい人だと思ってくれることを願うしかない。


「はいはい、おやすみ。ふあぁ――」


 俺の羞恥など知りもせず、眠そうな声でユキは答えた。

 会話はできるものの、キーが無いままでは意識がはっきりせず、言うなれば今は「まどろみ」の状態であるらしい。どうして原付に眠る必要があるのか、理解には苦しむが――心底どうでもいいことだと思った。そもそも喋る原付なんてキワモノ相手に、理論を求めても意味がないだろう。

 ユキの声を背に受けて、アパート裏手の非常階段を上る。わざわざ正面入り口から入らなくてもいいという時代錯誤なセキュリティ意識の低さと、家賃の安さがこのアパートのいいところだ。それ以外に褒めるところは何ひとつ無いが。

 二階の一番西側の207号室が、現在俺の借りている部屋だ。角部屋なのに家賃が安いのは、ここが夕方になると強烈な西日が差し込む部屋だからだろう。昨今の地球温暖化の影響もあってか、その日当たりのよさは、もしも仮に吸血鬼がこの部屋を借りたとすれば、五秒で灰になれるほどの強力さである。

 そんな灼熱しゃくねつの室内へ、ドアにカギを挿して中へ入る。どうせ誰もいないのでいちいち「ただいま」などとも言わない。玄関で靴を脱ぎ、すぐそばにある流し台で手を洗いながら、晩飯について考える。

 昼間に七香さんへ宣言したとおり、鶏むね肉を料理するか、じゃあ味付けは――と考えたところで。


「家に帰ったなら『ただいま』くらい言え、愚か者」


 と、どこかで聞いた声が――突き当りの茶の間兼寝室から響いた。

 俺の部屋は標準的な1Kのワンルームなので、玄関から見渡せる場所に誰もいなければ、必然的に一番奥の部屋にいることになる。


 ――空き巣か?


 そんな考えが頭をよぎる。

 先ほども言ったとおり、このアパートは非常に素晴らしいセキュリティ機能を有しているので、部外者も裏手からならば素通りできてしまう。おかげで新聞の勧誘などが頻繁に襲来し、邪魔くさいことこの上ない。


 ――まったく、家賃以外に取り柄のない物件だな。


 心の中でそう毒づきながら、慎重に奥の部屋へ近付こうとしたところ――。


「何を警戒しているか――お前の家だろう。さっさと来い、愚か者」


 という声とともに、扉を開けて向こうから迎えに来た。

 その姿を見た瞬間、俺は思わず叫んだ。


「テメーは――昨日の神社の子供神クソガキじゃねーか!」




 *




「相も変わらず、無礼な口の利き方をする奴だな」


 ベッドの上に座りながら、おごそかな口調で神を名乗るガキは言った。

 その恰好は、昨日と同じく奇天烈キテレツな赤い着物に白髪の少年というものだったが――昨晩とは異なる点が一か所だけあった。


「あいにくこちとら――どこかの神サマのおかげで、札も硬貨も無くしちまったモンでな。礼くらいなくても我慢しやがれ」


 フンと鼻を鳴らしながら、遠まわしに昨日の件について苦情を言う。そのついでに、昨日と変化した部分について指摘してやった。


「それより――なんだその、は」


 そう。

 なぜかその頭頂部には、漫画のように巨大なができていたのである。


うるさい、黙れ。神罰を下すぞ」

「へっ――大方、神の仕事を適当にやってんのが近くの大社にでもバレて、お仕置き喰らったんだろ。いいザマだな」

「貴様、なぜそれを――」


 「知っている」と言いかけたところで、子供神は口をつぐんだ。


「『なんで知っているか』って? 俺の洞察力をナメるなよ。こう見えても人間観察は得意なんだぜ。お前の様子を見れば一目瞭然だ」


 もちろん本当は、ただの当てずっぽうである。

 俺が本当に得意なのは、人間観察などではなく、口先だけの単なる「あおり」である。とても褒められた特技ではない。

 だが――そのおかげで、どんな相手にもこうしてひるまず立ち向かえるというのは、なかなかに便利ではある。


「それで、俺に何の用だよ?」


 こちらは純粋な疑問だった。

 昨夜はあざ笑うかのようにして俺の前から姿を消し、その後はなんの音沙汰もなかった奴が、今日になって俺の家にいるなど――なにか裏があってしかるべきだ。「心を入れ替えました」「昨夜の件について謝罪と賠償をしにきました」などと言い出そうものなら、速攻で神社庁へ電話してやる――。

 そう思い、ぬかりなくスマホで最寄りの神社庁の電話番号を調べながら、子供神クソガキに問いかける。


「単刀直入に言おう。貴様の力を貸せ」

「それが人にものを頼む態度かよ?」

「口を慎め。神罰を下すぞ」

「――お前、さっきからそう言うわりには口だけだな。さては――『神の力』とやらを取り上げられたんだろ?」

「ぐっ――」

「図星か――どおりで今日は、昨日に比べて威圧感も無いと思ったんだよな」

「ぐぐ――」

「それで、その力を取り返すために、恥をしのんで俺に逢いに来たってわけか」

「ぐぐぐ――」

「さあて、どうしよっかなー。俺も色々と、大学生活とかが忙しいんだけどなー。誰かのおかげで彼女もできたしなー」

「ぐぐぐぐ――」


 あえて答えをはぐらかして遊ぶ。

 そうして、悔しそうに歯嚙はがみする子供神クソガキを見て愉悦に浸るうち――これはチャンスだと閃いた。


「本来なら、力のない今のお前なんか怖くもなんともないから、お前を助ける理由なんかないが――俺は心優しい男だから、特別に協力してやってもいいぜ」

「ほ、本当か?」


 焦ったように食い付く子供神クソガキ

 なんて扱いやすい奴だ。


「ああ――もしもその『神の力』を取り戻せたら――もう一度、俺の願いを叶えるって約束するならな」

「そ、それは――」


 今度は困った表情になる。

 なんて判りやすい奴だ。


「どうしたよ? 力を取り戻したくねーのかよ? 『神が人間に屈するわけには』とか考えてる場合じゃねーぞ」

「ぐぐぐ――」


 腕を組みながら頭を下げ、背中を丸める子供神クソガキ

 本気で苦悩しているようだ。

 どれ、ここらへんで助け舟を出してやるか。


「そんなに悩むなよ――お前は力を取り戻す。俺は願いを叶えなおす。お互いが協力し合う、両者両得ウィン・ウィンの提案なんだからよ」


 さきほどまでとは打って変わって、優しい声で語りかけてやる。我ながら絶妙なさじ加減のアメとムチだと思う。


「うぐぐぐ――」


 これ以上はないほどに体を折り曲げ、苦しみに苦しみぬいた末――ついに相手は転んだ。


「わ、解った――お前の言う通りに、しよう――」

「よぉし、契約成立だな!」

「その代わり――必ず最後まで協力してもらうぞ。途中で投げ出すことは許さん」

「もちろんだぜ――」


 苦渋の表情でこちらを見つめる子供神に向かって、俺は満面の笑みで返してやった。


「それで、俺は何を手伝えばいいんだよ?」

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