【第七走】会話も煽りも意思疎通

「こ、こんにちは。絃やんの友達の、如月忍って言います」


 おそるおそる声をかけるきっちゃんに対し、ユキのほうも戸惑いながら答えた。


「え、ええ。わざわざご丁寧に、どうも。えっと――佐竹このバカの原付やってる、ユキです」

「うわぁ――ふふふ」


 会話が成り立って喜びの声を上げたかと思うと、きっちゃんは嬉しそうに微笑んだ。それも、まるで幼子のままごとを見つめる母親のような、慈愛に満ちた微笑みだ。


「な、なんだよ、きっちゃん。何を笑ってるんだよ」


 きっちゃんの様子にたじろいて、思わず問いかけてしまった。きっちゃん、君――男だよね? なのになんだ、その母性あふれる笑顔は。


「絃やん――本当に原付に名前つけてあげたんだね」


 言われて俺は、急に羞恥しゅうちの念に襲われた。契約上やむを得なかったとはいえ――二十歳にもなって所有物もちものに名前を付けていることを知られるのは、非常に照れ臭いことだと気付いたのだ。


「い、いや、だからそれは、さっき説明しただろ? そうしなきゃいけなかったんだって。別にそれ以上、深い理由なんかないんだって。な?」


 きっちゃんの腕を振りほどきながら、思わず弁明した。しかし、何故か口調がしどろもどろになってしまい――焦って弁解をすればするほど口がもつれて、なんだか逆効果に思えた。


「照れなくていいじゃない、絃やん。いい名前だと思うよ。良かったねえ、ユキさん」


 そんな俺の葛藤を見透かしたように、今度はユキへ語りかけた。


「べ、べべべ別に嬉しくなんかないし喜んでもいないし契約上仕方なくつけられてやったんだし呼び名が無いと不便だからもらってやったってだけなんだけど!」


 こっちはしどろもどろどころか無駄に饒舌じょうぜつになっている。オーバーヒートでもしそうな勢いだ。

 なおも何事かをわめき続けるユキの様子に、これはまた満面の笑みできっちゃんにからかわれるな――と、そう思ったのだが――しかし彼は、意外にも不思議そうな顔をこちらに向けてきた。


「――あれ?」

「どうした、きっちゃん?」

「ユキさんの声が、聞こえなくなっちゃった」

「そんな馬鹿な――今もここで、なんか一人でわめいてるぜ、コイツ」


 「誰が喜んでるってのよ」「人聞きの悪いこと言わないでよね」などと、いまだにぶつぶつ言っているユキを指さしてやる。その途端、矛先がこちらに向いた。


「こんなおしとやかなオンナノコを捕まえて、誰がうるさいってのよ。アンタ耳がおかしいんじゃない?」


 先ほどまでの七香なのかさんと違って、表情や身振りが無いせいでいきなり喧嘩を売られたように錯覚する。通常であれば突然のことに口ごもってしまいそうな状況だが――しかし今の俺は、すでに七香さんと一戦を終えている。いわば暖機運転ウォーミングアップは済んでいる状態なのだ。まして俺は、先ほどいいようにやられてしまったばかりなので、そう簡単に負けてやるつもりもない。


 ――いいだろう、やってやろうじゃないか。


 あっという間にあおり精神に火が入り、宣戦布告がわりに言葉を返してやった。


「だとしたら、どっかのオンボロ原チャリのエンジン音のせいだろ。ボロすぎていよいよ消音機マフラーが壊れたのかもな?」

「はーあー!? こちとらあいにく隅から隅まで正常ですぅー!」

「誰もお前だなんて言ってねーよ。やっぱオンボロって自覚あるんじゃねぇか、ボロバイクちゃんよ」

「下心で金欠になるような貧乏人に、ボロだなんだの言われる筋合いないですぅー!」

「ね、ねえ絃やん、ちょっと落ち着いて――」


 突如ヒートアップしだした俺を見て、きっちゃんがうろたえ出した。

 無理もない。

 ユキオンボロの声が聞こえていないらしい彼からすれば、突然俺が一人でわめきだしたことになるのだ。これはビビる。俺なら相手の正気を疑うレベルだ。

 後から思えば――それでも俺を見捨てなかった彼は、菩薩か何かの具現体なんだと思う。あの優しい笑みも、母性ではなく慈愛だったのだろう。

 そんな彼はなんとか俺を落ち着かせようと、肩に手をかけた。

 それはちょうど、俺が相手をさらに煽っていた時だった。


「だったらお前を売って金欠を解消してやろうか? 買い手がつけばだけどな、こんな呪いの原チャリをよ」

「なぁああああんですってぇ!?」

「うわっ!?」


 地獄の底から響くような怨嗟の声をユキが発すると同時に、きっちゃんが驚きの声をあげた。


「び、びっくりしたぁ。すごい声だねぇ」


 目を丸くするきっちゃんを見て、ふと俺は平静を取り戻した。


「――ん? もしかしてきっちゃん、また――?」

「う、うん――聞こえるよ」


 そう言う彼の手は、まだ俺の肩に触れたままだ。


「じゃあ、もしかして――」


 その手を指さして確認する。


「たぶん、そうだね」


 きっちゃんはうなずく。彼も気付いたようだ。


 どうやら他の人間は――俺の身体に触れているあいだだけ、この馬鹿ユキの声が聞こえるらしい。


「男二人がそろってゴチャゴチャうっさいわね! アンタもやろうってぇの? 上等じゃない!」


 ――コイツ、俺たちが一つの発見を果たしたとも知らずに、いまだにヒートアップしてやがる。


「え? え? やるって何を?」


 急に剣先を向けられて、戸惑うきっちゃん。まあ、普通はこうだよな。


「今さらとぼけるんじゃないわよ! 可愛い顔してても遠慮なんかしないからね――さあ、二人まとめてかかってきなさい! 戦争よ!」

「勇ましすぎるだろ、お前。少し落ち着け」


 今にも噛みつきそうな勢いで食ってかかるユキの気を逸らすべく、スピードメーターあたりを軽く小突いてやる。


「きゃっ――」

「いいか、一つだけ教えてやる。煽り合いってのはな、戦争までいっちゃ駄目なんだよ。喧嘩じゃねぇんだから」

「喧嘩じゃないって――じゃあ、なんなのよ」


 不服そうに問うユキに向かって、小さく笑いながら俺は答えた。




意思疎通コミュニケーションだよ」




 口にして、なんてキザな言葉だと思い――同時にこの時間帯で本当に良かったと安堵した。

 日が伸びた六月の夕暮れは、新緑の木々も、隣の友人も、白い車体の原付も――そのすべてを朱色に染めていた。だから間違いなく、俺の顔も同じ色に染まっていただろう。




 おかげで――きっちゃんにも、ユキにも、照れて赤くなる頬を悟られずに済んだ。

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