【第三走】命名

「どうするって――とりあえず、帰る」


 このうえなくうんざりした声を出して、俺は答えた。


「ちょちょちょちょっと! ちょっと待って、アタシの名前は?」


 俺の回答に焦った声を出す彼女バイク。人間のような表情はないが、声色は変化に富んでいるところから察するに――どうにもコイツは感情が豊かなほうと見える。

 ――正直、かなりうっとおしい。


「帰りの道すがらにでも考えるよ」


 一刻も早く帰りたい俺はまともに取り合わず、バイクにまたがった。

 そのままアクセルをひねって発進しようとするも、何故か原付は前に進まなかった。そういえば、さっきもセルスタートがうまくかからなかったことを思い出し、嫌な予感がした。

 もしかして――原付バイクが動くかどうかは原付コイツの機嫌次第なのか?


「頼むからちゃんと名付けてよね! 子供神アイツも言ってたけど、ちゃんと付けないとダメなのよ? 解ってんの!?」


 なおも命名にこだわる様を不思議に思い、俺は自分の尻の下に向かって問いかけた。


消音機マフラーもいじってないのに、ギャーギャーやかましいバイクだな――そもそもなんで、名前なんか付けなきゃなんねーんだよ? 『パッソル』でじゅうぶんだろうが」

「それは『車種名』じゃない。人間でいえば『ホモサピエンス』みたいなモンでしょ」


 ――転生者のくせに、何故人類の学名を知っているんだ、コイツ。

 ふとそんな疑問も頭をよぎったが、それについて問いかけるよりも先に、原付は当初の質問に回答した。


「名前が必要なのは、転生完了のためよ」

「なんだお前、まだ完全に転生が終わってないのか?」

「そうよ。子供神こどもから聞いた話じゃ、アタシの転生がこの世界で無事に終了するためには、アタシという固有の存在が第三者に認められる必要があるらしいのよね。そのために必要なのが、アタシだけの存在証明、つまり――」


 やけに哲学的な話をする無機物の言葉を先取りし、俺は言った。


「名前ってわけか」

「そうよ。しかも、適当な命名じゃダメらしくてね。ちゃんとこの世界での誕生を祝福するものでなきゃダメなんだって。だから心をこめて名付けなさいよ、アンタ」


 仮にも女の子のおねだりのはずなのに、何故かこれっぽっちも可愛げがない。むしろ脅迫するような緊迫感すら漂っている。


「もしも適当に命名したらどうなる?」

「『祝い』がなければ反転して『呪い』になるって言ってたわ」

「――具体的には?」

「アタシは爆発四散して、そのエネルギーでアンタは永遠に孤独にさいなまれるってさ」

「ちょっと待て」


 さっきあのガキは言ったはずだ。


 『って言ってるんだよ。神に祈るってのはそーゆーことだぜ』


 ――と。


 その原付が存在する限りお前には人間の彼女はできねぇ。

 その原付が存在する限りお前には人間の彼女はできねぇ。

 その原付が――。


 頭の中を巡る言葉を整理するように、思ったことを口にした。


「お前がいる限りは人間の彼女はできなくて、お前がいなくなったら一生孤独になるってことは――」


 つまり――俺にはもう二度と、人間の彼女はできないってことか?

 暖かくて柔らかくていい匂いのする人間の恋人は諦めて、

 冷たくて硬くてガソリンの匂いがする原付を恋人にしろってことか?

 絶望的な状況を認識して、本日何度目かのめまいを覚えたところへ、追い打ちの言葉が響く。


「一生大事にしてね、ダーリン」

「ふざけんな!」


 認めたくない現実を振り払うかのように、俺は力いっぱい叫んだ。

 その声は反響することもなく、静かに闇の中へと消えて行った。


「――気は済んだ?」

「ああ――なんかもう、どうでもよくなってきた」


 俺は涙をこらえて、絞り出すように言った。


「なら悪いんだけど、いい加減に名前を付けてくれる?」

「そうだな、じゃあ――」

 原付バイク。

 女の子。

 そこから導き出された答えを口にする。




「『原付バイ子』とかはどうだ?」




「却下に決まってるでしょ!」


 即座に否定された。


「でも、原付にちなんでるし――」

「無理にちなまなくてもいいのよ! ほら次!」


 俺の言い分を聞き入れることなく次の候補をせかしてくる。


「んじゃ――『Passol』の頭文字から『P』を取るってのはどうだ?」

「うんうん。それなら可愛くなりそうね。『ピーチ』とか『プリティ』とか?」

 どうやらP始まりはなかなか好感触のようである。

「だったら――」

 とっておきの名前を付けてやろう。




〇〇ピー子」




「音を取るな! 放送禁止用語になってるじゃないの!」

「心はこもってるぞ?」

「悪意がこもってるわ!」

「本当にいちいちやかましい奴だな、お前は」

「やましい奴が何を言うのよ! いいから次! 真面目にやんなさいよ!」

「真面目にって言われても――」

「つべこべ言うな!」


 その迫力に気おされて、その後もいくつかの候補を挙げるものの――彼女は満足しなかった。


「あああ――どうやらアンタ、致命的にネーミングセンスが無いのね――もうヤだ」


 度重なるボツの末、人間であればがっくりと肩でも落としていそうなテンションで――彼女は嘆いた。


「しょうがねぇな――とっておきの名前を出してやるよ」

「いい加減、ひとつくらいまともなのを――」


 辟易したように語る彼女を遮って、俺はある一つの名前を提示した。


「『ユキ』」

「――え?」

「『ユキ』でどうだ?」


 それまでの候補とは打って変わってシンプルな名前の登場に、コイツは相当驚いたらしい。


「な、なによ急に。まともな名前なんか出しちゃって――さっきまでの『公道鈍足伝説 頭文字イニシャルP』とかつけてたアンタはどこにいったのよ。考えすぎて知恵熱でも出たわけ?」


 なんとも失礼な言葉を早口でまくし立てる。


「うるせーな。『ユキ』が嫌なら『頭文字イニシャルP』でもいいんだぞ、俺は」

「いや――うん。いいね、いいわよ、気に入ったわ。『ユキ』にしましょ」

「そうかい」


 かみしめるように確かめながら、その言葉を反芻する相手の様子にまんざらでもなくなった俺は――照れ隠しに短く答えた。

 そして改めて宣告する。


「そんじゃ、今日からお前は『ユキ』だ――よろしくな」

「うん、よろしく!」


 その小さな車体が喜びを表すかのように元気に震える。

 アクセルをひねると今度はきちんと前進したので、そのまま家路に向かって発進した。

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