第一章 原付彼女

【第一走】ボーイ・ミーツ・バイク(ついでに神様)


 なにはともあれ、俺こと佐竹さたけは恋愛成就の神へ逢いに行くことを決意した。

 思い立ったが吉日ともいうし、午前零時の日付変更と同時に出発することにした。神様だって、年端としばもいかぬ十代の小僧っ子よりかは成人した男性のほうが、まだ真剣に向き合ってくれるような気がしたためだ。

 大学入学と共に入居した安アパートの階段を降り、トタン屋根で作られた駐輪場に停車してある白くて小柄な原付バイクにキーをす。右手のハンドル部分に設置されたスタータースイッチを押すと、小さなボディがいななくように震えエンジンに火が入る。


 ――俺を神のもとまで導くのは、愛機『パッソル号』だ。


 ここでパッソルという機体をご存じない方のために少々説明しておく。

 そもそも原動機付自転車(通称原チャリ)界において、もっとも有名なのはHondaのスーパーカブであることは疑いようもない。郵便配達や新聞配達などの『業務』というハードな現場で、三百六十五日稼働できるだけの強靭さを有するという意味では、スーパーカブは『男性的』な原チャリであるともいえる。


 他方――ヤマハ発動機が開発した『パッソル』という機体は、その小柄なボディとシフトチェンジが必要のない扱いやすさから、発売当初は主婦の買い物の足として活躍した、いわば非常に『女性的』な原チャリなのである。ママチャリならぬママ原チャリといったところか。

 もっともそのような仕様から、現代では「ババ臭い」「時代遅れ」「走るプラモデル」などと揶揄やゆされることも多いのだが――高校卒業と同時に原付の免許を取り、大学での足替わりとして与えられた母親譲りのパッソル号を、俺はいたく気に入っている。


 近所に優しい排気音。

 きびきび走る運転性。

 小柄ゆえの旋回性能。

 思いのほか優秀な燃費。

 そしてなによりも――人力では到達できない距離を運んでくれる推進力。


 それはまるで、見眼麗みめうるわしく才気煥発さいきかんぱつな美女ではないが、純朴ながらこちらに歩幅を合わせてくれる、愛嬌に満ちた女性のようなバイクだ――。


 愛機にまたがり、風を切って走りながらそんなふうに思う。

 梅雨入りを間近に控えた街の空気は、早くも蒸し暑く感じたが――バイクで突っ切ればそれほどでもなかった。深夜であることも手伝って、むしろ少し肌寒くすら感じたがしかし、眠気を紛らわすには逆にそれがちょうど良く感じられた。


 そのまま十分ほど走ったところで、目的地の神社に到着した。

 小さいながらもきちんと設置された鳥居をくぐり、賽銭箱へ昼食二回分に相当する大奮発の五百円玉を投げ込むと、拝礼に従い二礼二拍手一礼を行って参拝の目的を心の中で呟いた。


(素敵な彼女ができますように!)

(素敵な彼女ができますように!)

(素敵な彼女ができますように!)

(素敵な彼女が――)


「夜中にブツブツうっさいわ!」


 突然の怒声に驚いた俺は、頭を上げて声の聞こえたおやしろのほうを見やると――そこには、真っ赤な着物に身を包んだ白髪の少年が賽銭箱の上に腰掛けていた。


「流れ星じゃないんだから、願い事は一回言えば十分だっての! 今何時だと思ってやがんだテメェ!」

「まだ午前一時前だが?」


 スマホで時刻を確認すると、日付変更からまだ一時間も経っていなかった。


「まだじゃねー、だよ! 健全な青少年ならとっくに寝てる時間だろうが! これだから色ボケした大学生は――テメェみたいな野郎は、合コンでもなんでも行って潔く玉砕してろや!」

「はぁあ!? 誰が色欲万年発情期カミカゼ特攻大学生だ! こっちはいたって真剣だっての! そっちこそ、素っ頓狂な恰好しやがって――ママのおっぱいでも吸いながら寝てろクソガキ!」

「そこまで言ってねぇだろ!」


 売り言葉に買い言葉でついつい言い返してしまう。あおり耐性が低いのは、友人から度々指摘されている俺の欠点である。


「そもそもテメェ――神様に向かってなんて口利いてやがる!」

「はぁ!? 神様――ですって?」


 「神」という言葉を聞いて、俺は即座に口調の進路変更を決行した。


「その通りだクソボケ!」

「これはこれは――お会いできて光栄至極でございます、神様」


 過去の失敗にこだわらず身をひるがえすことができるのは、我ながら認める長所である。


「お前、手のひら返すの早すぎじゃね?」

「滅相もない――私は信仰心の塊でございますから。ところで肩はこってませんか?」

「やめろ気持ちワリィ」


 わきわきと差し出した手を振り払った神様は、続けて言った。


「ってかお前、よく信じたな――普通神様とか言われても、もう少し疑うだろ」

「それは御身おんみに纏う神気オーラがございますから」


 ――もちろん真っ赤な嘘である。

 目の前のクソガキからは、神気オーラなどまったく感じられない。

 しかし――本当にただのクソガキなら、俺が胸中で繰り返した言葉を知りえるはずがないのだ。

 現実を認めそれに合わせて即座に対応を変えるのは、令和の時代を生きる人間の必須技能だろう。この際、超常現象だの実現可能性などに拘泥してはいけない。常に柔軟な思考が必要で――スピード感がなければ生き残れないのが令和という時代なのである。


「なんて調子のいい野郎だ」

「お褒めにあずかり光栄です」

「褒めてねーよ。しかし――」


 神と名乗る少年クソガキは、頭をかきながら言葉を繋げた。


「五百円以上の賽銭は、無下にしてはいけないってこないだの総会で決まったんだよなぁ。どーすっかなー。めんどくせーなー」

「それはまさしく渡りに船、き口にぼたもちでございます。つべこべ言わずさっさと叶えやがりくださいませ」


 ここぞとばかりに神様へすり寄ると、相手はいぶかし気に眉根を寄せて応えた。


「神の足元を見るとか不敬にもほどがあるぞお前」

「いえいえ、私としてもこちらで願いが叶えられないのであれば――別の神社を改めて参拝させていただくだけですよ? そう、ここよりもっと神社をね――」

「神を脅迫するんじゃねぇ!」


 赤着物の少年は、観念したかのような表情でため息をつきながら言った。


「わーった、わーったよ。お前の願い、叶えてやろうじゃねぇか」

「ありがたき幸せにございます。仏説般若波羅蜜多心経――」

「神に般若心経唱えてどうすんだよ、まったく――それより、願いは叶えてやるから――その代わり、一つだけ約束しろよ」

「本当に叶えてくださるのなら、一つと言わず十でも百でも――」


 うやうやしく頭を下げて、俺はガキに誓った。

 むろん、本当に約束はする。

 ただし守る保証はないが。


「お前な――さっきから思考がダダ洩れなんだけどよ――まあいいか」


 頭をかきながら神は言った。


を恋人にしてやる。ただし――後から文句は言うなよ? もちろん、他の神社に泣きつくのも無しだぜ」


 嫌味たらしく口の端を歪めるガキに、少し不気味さを感じたが――彼女ができることに比べれば些末なものだと思い、俺はその予感を黙殺して言った。


「それでどうして文句など言うでしょうか。いや、言わない」

「わざわざ反語表現してくれてありがとよ――んじゃ、いくぜ」


 そうして祝詞のりと真言しんごんか判別のつかない言葉を口にすると――目の前の少年は小さく光を発した。


「どれ――これでめでたくお前には彼女ができるぜ。良かったな。末永くお幸せによ。ヒヒヒ――」


 その言葉を受けて周囲を見渡すが――なにかが変わった様子も、誰かが新たに訪れた気配もない。


「――誰もいねぇじゃねーか」

「いいや。ちゃんといるぜぇ? そら」


 そう言いながらガキが俺の背後を指さした。

 振り返った先には――しかし、やはり誰もいなかった。

 ただ俺が停車したパッソル号があるだけだ。


「なんだよ、やっぱりいねぇじゃねーかよ」


 視線を境内に戻すと、クソガキの姿は消えていた。

 誰もいない空間に、声だけが響いた。


『だから、いるっての――がな』


 そのまま『ヒヒヒ――』などと、まるで悪魔のような笑い声を残して、今度こそ気配は消え去った。その後しばらく周囲を探ってみたもののさしたる変化は見当たらず、クソガキに何度も問いかけてはみたが――一切の返答はなかった。

 結局俺は諦めて、アパートへ戻ることにした。

 変なガキに絡まれたが、少しばかりの超常現象を味わうことができたと思うことにしよう――そう思ってパッソル号にキーを挿し、セルスタートボタンを押した。


 ――しかし。


 出発前のように上手くエンジンがかからない。

 とはいえ、こんな時のために、キックエンジンというものがある。

 セルスタートの反応が鈍い時――特に外気温が低いときなどには――足元に備え付けられたレバーを蹴飛ばすことで、エンジンの点火が可能なのだ。

 春を迎えて気温も上がってきたのにな――そう思いつつ、キックレバーを思いっきり蹴飛ばした。

 すると――、




「いったあぁぁぁぁい!」




 という、聞きなれない女の声が頭の中に響いた――。

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