第2話「耳、たまる声」
始業式から数日経ち、怜次は学校で人々の声を楽しみ、家に帰っても音声作品を楽しむ生活を送っていた。
授業。一般的に学校などの教育機関で行われるそれは、嫌いであったり嫌いではないが好きではなかったりと「授業が好き」と断言できる人間は多くは無い。
しかし、物事には必ずしも例外が存在する。
「えー、それではこの問題を――――」
教壇に立って授業を進める教師、真面目に授業に取り組む者、教師に指名されて問題に応える者、授業をそっちのけて小さい声で私語に勤しむ者や眠りにつく者。
そんな者たちの中でも、怜次はこの状況を純粋に楽しんでいた。最も、授業を楽しんでいるわけではない。
(嗚呼、最高だ。指名されることは無いだろうと高を括っていた高橋さんの突然の指名に驚いて震え上擦った声、ちょっと色っぽくて官能的だ。それに加えて、今は現代文。担当の古岡先生のウィスパーボイスはヤバい。既に被害者がちらほら寝息を立てているな……昼休み後の現代文は良い感じに睡魔が来るから凄くわかる。睡魔に古岡ボイスの掛け算は最強だよ……それに、眠っている森くんの声。男子なのになぜあんなにも色っぽいのか……「んぅ……」って耳に悪い。春原さんたちのこしょこしょ話す声聞いてると、耳くすぐったくなるな……ん、この音は?……おいおい、鈴木くんたち余裕な顔してスマホやってると……あー、やっぱり捕まるか。授業中は冷静に考えて不味いだろうに)
聞こえてくる喧騒に対する感想を心中で挟みながら、教師の板書を写すためにペンをノートの走らせる。
(あー……あと2時限も授業あるのか。早く終わらないかなあ)
男女問わず人の声を愛好している怜次だが、ここ最近はある女性の声に最も耳を惹かれていた。
同人作品を扱うサイトでそれを見つけ購入し、実際にイヤホンから彼女の声を聞いたとき。それは怜次の耳を容赦なく襲い、脳を甘く蕩けさせた。その清純でありながら艶やかさを滲ませる声を聞き終わるころには、怜次の耳は見事新しい性感帯となった。
そこからの日常は、少なくとも今までよりも充実した生活となった。成績が上がり、身体中から生気が溢れ気分が高揚。おまけに彼女……は出来なかったが、少なくともクラスメイトたちとは以前よりも関係が良くなった。
(彼女……彼女かあ……)
授業が進む中、登校中に正が言ったことを思い出す。
怜次は恋が全てであるとは言わない。しかし、学生にしか出来ない恋があることも理解している。それに、怜次にも気になる女子は存在する。それは――――
「それでは、ここの文章を……有代。読んで貰ってもいいか?」
古岡に指名を受けた三紗希は、はい、と声を発した後教科書を持って立ち上り音読を始めた。
――――有り体に言って、最高だった。
その日の授業をすべて終え、
廊下を歩き、階段を降り、廊下を進む。そうして向かった先は、図書室だ。扉を開けると、本の独特な臭いと、運動部の声に夕日。席に目を向ければ、テスト期間と言うわけでも無いので誰も居なかった。
カウンターの奥で眠っていた司書の先生に邪魔にならぬよう小さい声で一応挨拶をした後、図書委員である怜次の仕事は始まる。返却された本を元に戻すのと同時に、棚に本がしっかりと順番通りに並ぶよう整理していく。そうしていると、図書室の扉が少し勢いよく開いた。
「ごめん、郷森くん。ちょっと話してたら遅くなちゃった」
扉を開けた人物は、怜次がこの学校で最も好きな……声を持っている三紗希だった。彼女が自分と同じ図書委員をしていることは、怜次にとっては最高の一言に尽きる。今も本の整理をしながらその声を聞いて激化した気分の昂りを抑えていた。
「ううん、気にしなくていいよ。俺も今始めたところだから」
「そうなの?じゃあ、手分けしてやろっか」
そう言って微笑んだ三紗希はてきぱきと本棚の整理とチェックを行っていく。怜次もそれにつられて迅速かつ的確に作業を進めていった。図書室がそこまで大きくないことや2人で分担したことと既に何回もやっていて手慣れていたため、10分を少し過ぎたくらいで業務は終了した。
「……ふぅ、今日の作業も終わりか」
「うん。お疲れ様、郷森くん」
「有代さんもお疲れ様」
三紗希の声に耳を蕩かされ、身悶えを何とか自制した怜次は棚から本を1冊手に取ると近くにある空席に腰を下ろす。そして、頁を捲り始めた。三紗希も同じように本を手に取り、席に着いた。
(え?
本を読んでいるポーズこそとっているものの様々な情報が脳内を駆け巡る怜次には、内容など頭に入ってこない。少なからず気になっている異性であり、身近で最も怜次の耳を蕩けさせる相手なだけにその衝撃は計り知れない。そんな風に内心でドギマギしていると……
「……こうやって、静かで落ち着く空間で読む本って、良いよね?」
耳元に近づいた三紗希が、囁いた。
(吐息、吐息が近くに……耳が、耳がぁ溶けるっ跡形もなく……バイノーラルマイクに、私はなりたい)
怜次の脳はその余りの快感に、沸騰しかけた。
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