君の声で僕の名前を呼んで欲しい。

拠草 漱

第1話「僕は声(キミ)に夢中」

《ふふ……今日もお疲れ様》


 耳を擽る、やや色気のある純真な声。声が近くに感じられることや息遣いも相まって、まるで彼女が自身の隣に寄り添っているような感覚に囚われる。――――心地いい。


《頑張ったね~。偉い偉い♪》

 

 そう甘い声で彼女が言うと、頭を撫でられながら労ってくれるような感覚に陥り口角が少し緩む。そうしている間にも、彼女の愛おしい声は奏でられていく。それによりだんだんと意識が遠くなっていくが、何としても最後まで聞き逃すものかと奮起する。しかし、


《――――、――――》





 桜舞う通学路。そこにはたくさんの学生たちが歩いている。共通の話題で盛り上がる者、夜更かしによって絶えず欠伸をする者、恋人と仲睦まじく歩く者、そして――――


「……今日も最高の目覚めだったな」


 少年は青空を見上げそう独り言ちる。その顔立ちは整ってはいるものの、どこか格好がついていない。例えるならば、クラスで4番目にかっこいいと呼ばれるような顔立ちだ。幸せを噛みしめているクラスで4番目にイケメンな少年(仮名)に、背後から声が掛かる。


「おっす、怜次。おはよーさん」


 少し軽薄でありながら、どこか爽やかさを感じさせる声。その声に、クラスで4番目にイケメンな少年(仮名)――郷森さともり怜次れいじ――は、声の主に振り返りその顔を見つめる。


「……ああ、ただしか。おはよう」

「そんなじっと見つめて、まだ寝ぼけてんのか?」


 しょうがないやつ、と声の主――汐礼しおふだただし――は苦笑しながら怜次の横を歩き始めた。

 

「いや~、今日から俺たち2年か。進路考えなきゃいけなくなるし憂鬱だな!」

「とても進級を嫌がってるようには聞こえないけどな」

「そりゃそうだろ!先輩と後輩に囲まれる学園生活だぞ?恋多きお年頃には絶好のチャンスだって!」


 嗚呼、我が世の春か!と仰々しく喜ぶ友人の姿に苦笑しつつも、その言葉に少なくとも怜次は首を横には振ることが出来ない。最近、気になる異性がいる自分にとっては。


「ま、程ほどにな。奢らされるだけ奢らされてドロンされないように」

「お、俺は過去うしろを振り返らないから……?も、無問題もーまんたいだしッ⁉」


 過去の失恋ふるきずが疼くのか、喜びから一変して苦々しく呟いた友人に苦笑しながら、怜次は学校へと辿り着く。


 門前で仁王立ちする生徒指導の教師に挨拶をした後、昇降口と廊下・階段を経由して教室に着いた。怜次はクラスメイトに挨拶しつつ、窓際の一番後ろの席に着く。正は机に鞄を放り出し、怜次の元へとやって来た。


「今年もよろしくな!」

「ああ、よろしく」


 そう言うと、正は他のクラスメイトにも同様に声を掛ける。軟派な印象を持たれがちな友人のこういう律儀な所を見ていると、どうして恋愛に失敗するのだろうと怜次は疑問を抱いた。だが、深く思考することはせずに本を開く。



 傍目から見れば、そこそこの男子生徒が読書をしているようにしか見受けられない。しかし、その実情は違った。


(嗚呼……最高だわぁ……)


 表情こそ読書に集中しているように見えるが、彼が楽しんでいるのは顔の見えない作者の紡いだ文章ではない。確かに今読んでいる本は既に30回以上読み込んでいる愛読書ではある。怜次は何も本を冒涜しているわけではない。優先すべきことがあるのだ。


 それは、ほとんどの人々が持つ原石と言う名の芸術品。磨かなくても光り、磨けば全てを惹きつけ夢中にさせる。良薬にもなり劇薬にもなる。鼓膜を震わせ、渦巻き管から脳を経て出力される心地好い波。


 そう……声だ。


 この少年、郷森怜次は――――いわゆる声フェチである。怜次は『声に良し悪しはない、みんな違ってみんな良い』を地で行く男だ。無論、授業中の教師が教鞭を取っているような1人の声を集中して聞く状況も好きだ。しかし、今の状況――クラスでの喧騒――も大好物なのだ。


 つまり、彼にとって学校は最高の環境であると言えよう。様々な声に舌鼓ならぬ耳鼓を打っていると不意に声が聞こえた。それを聞いた瞬間――――怜次は多幸感に包まれていた。


「おはよう、郷森君。また同じクラスだね」


 それほど大きな声ではない。でも、喧騒の中でもはっきりと通る、清純でいてその中に色気を感じさせる声。優し気に柔らかく響くその声は、怜次の鼓膜を心地よく揺らす。それがとても気持ちが良く、怜次は僅かに震えた。


「またその本読んでる。好きなんだね、その本」


 彼女は怜次に近づくと右肩から捲られるページを眺めた。もう少し近づいて囁いてはくれないだろうかと真剣に考えながらも、流石にだんまりを決め込むのは良くないと考えて声の元に少し振り返る。


 少女は振り返った怜次に微笑んだ。


 顔は整っているが超美人というほどではなく、イマドキの女子高生ほどメイクに勤しんでいない飾りのない美しさ。髪も漆を塗ったような艶のある黒髪で、それを肩にかかるかかからない位のセミロングにしている。右目にある泣き黒子が艶やかな印象を与えるとか何とか。


 以上、クラスメイト及び友人である正の総評らしい。そんなことを考えながらも、怜次は少女の声に応える。


「おはよう、有代さん。飽きないんだよね、この本」


 飽きないのは本ではなくキミ含め周りの声なのだが、と怜次は心中で呟く。私も後で読んでみよう、と呟く少女――有代ありしろ三紗希みさき――と談笑をしながら怜次は耳を澄ます。


――――嗚呼。この声の中でも、キミはやはり心地好い。

 

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