第35話 あなたの名前はヴィヴィアン

 『--名前を付けて欲しいの?--』

 『--ハイ……--』

 『--今じゃ無きゃ駄目?--』

 『--……ハイ--』


 「うわっ!」


 妖精ジニーとの会話に気を取られていたら、背後の空間から伸びて来た手にタッチされそうに成って慌てた。

 シェスティンさんは、とても雑談しながら勝てる様な相手じゃない。


 『--もうっ、いきなり妙な話してくるからタッチされそうになったじゃん! その話はまた後で、ね。--』

 『--マッテ……カツタメ…ノ…テイアン--』

 『--えっ? そうなの?--』

 『--ハイ--』


 妖精ジニーの話によると、私がかろうじてシェスティンさんのチート攻撃を避けられているのは、単純に勘が働くせいではなく、彼(彼女?)の空間サーチ能力をフィードバックしてくれているからなのだそうだ。

 名前を付けてあげると同化率が深まって、より精度がアップするらしい。


 「なんだ、私のスパイダーセンスが鋭いのかと思っていたよ。」


 まあ、何時までも妖精ジニーと呼ぶのもなんなので、ひとつ可愛らしい名前を付けてやろうじゃないの。

 ここで、私達が訓練中に妙な内緒話をしている事に気が付いたシェスティンさんが大声で止めに入って来た。


 「ちょっと待て! お前ら何をしておる!!」


 「じゃあ、あなたの名前はヴィヴィアンね。」

 『--ワタシノ…ナハ……ヴィヴィアン!--』


 タッチの差で私の名付けの方が早かった。


 「馬鹿な! とんでもない事を!」


 シェスティンさん、何をそんなに慌てているんだろう?

 私何かおかしな事した?

 動揺しているシェスティンさんとは対象的に、少女の様な笑い声が突如聞こえた。

 声の方向を振り向くと、ヴィヴィアンの体から光が溢れ出している。


 「あはははは! やった! やったわ! 私の名前はヴィヴィアンよ!」


 ヴィヴィアンの体は、内側からの発光によって最早人の形をしている事しか分からないまでになった。

 そして、背丈が私と同じ程にまで大きく成ると、笑い声と共に私と重なり、私の中へ消えて行ってしまった。

 私は、そのまま意識を失った。


 ………………

 …………

 ……



 次に目を覚ました時に目に入った景色は、何処かの部屋の見知らぬ天井だった。

 白い天井に白い壁、心電図や脳波計みたいな医療機器がベッドの回りに並んでいる。

 私の体には、電線やら点滴やらのチューブが何本も繋がれている。

 何処かの部屋でモニターされていたのだろう、私が目を覚まして程無くして、医者らしき数人の男とシェスティンさんが入って来た。

 その後ろにDDとピートも一緒に入って来た。

 シェスティンお婆さんは、沈痛な面持ちで私の横たわるベッドの傍らまで来ると、私が何かを言うよりも早く頭を下げ、謝罪の言葉を口にした。


 私は慌てた。何か謝られる様な事があったっけ?

 やらかしたとしたら、それはシェスティンさんでは無く、私の方の可能性の方が高いと言うのに。

 というか、私は何でベッドで寝てるのだ?

 シェスティンさんと鬼ごっこみたいな訓練をしていて、そこから記憶が曖昧だ。


 シェスティンさんの話によると、止める間も無く私は妖精ジニーの1匹に名前を付けてしまい、その妖精ジニーは私の中へ入って分離が不可能になってしまったのだそうだ。

 妖精ジニー達の最上位権限者であるシェスティンさんの命令も受け付けないのだという。


 「時間的空間的にちょっと複雑な状態になっているのじゃが…… 私の記憶の中の時系列で言うと、今からおよそ3万数千年程も昔にな、似た様な事件が有ったのじゃよ。」

 「似た様な事件? 何それ?」


 遠い記憶過ぎてうっかりしていたというのも有るのだけど、妖精ジニーでも同じ事が起こるとは思っていなかったと、その事件を話してくれた。

 シェスティンお婆さんが未だ15歳の頃、大親友のある少女が精霊イフリートにうっかりと名前を付けてしまった事件があったのだそうだ。

 名付け行為は、日本語では『命名』と書く様に、命を与える行為なのだという。

 イフリートの様な上位精霊に名前を与えると、世界のことわりから分離して『個』としての存在が確立するのだという。


 「イワシの群れの中から1匹捕まえて名前を付けたらクジラに成っちゃった、みたいな感じ?」

 「その例え、分かり難くないか?」

 「ネットワーク上に存在したアプリケーションの一つに過ぎなかった物が、スタンドアローンのコンピューターとして独立したみたいな?」

 「DDは賢いのう。」

 「私にはその方が分かり難いんだけど……」

 「まあ良い、その際にある重大な問題が発生するのじゃ。」

 「重大な問題?」

 「そう、命名者の魂が半分食われる。」

 「えっ!?」

 「正確に言うと、魂のエネルギーを半分持っていかれてしまう。」

 「ええっ!?」


 そう、命を与え、一つの生命体として独立するための『自我』を生成する為に必要なエネルギーを、命名者の魂魄から奪って行くのだという。

 魂魄のエネルギーを半分失った人間は、良くて廃人、多くの場合は命を落とすそうだ。


 「えっ!!? ヤバいじゃん私! どうしよう! どうしよう! 私死んじゃう! 助けて!」

 「落ち着いて、ドリー! あなた生きているわよ!」

 「えっ? あ、あれ…… 私生きてるよ! 良かったーピート、私生きてるよー!」


 ヴィヴィアンは私を食っちゃう様な悪い子じゃなかったって事かな?


 「いや、精霊の意思とかは関係無いんじゃが…… 下位の妖精だと事情が違うのじゃろうか…… 私にもよく分かっておらなくてのう…… しかし、妖精ジンの方から名付けを唆したというではないか、これは大問題じゃぞ。」


 確かに、名付けを要求して来たのはヴィヴィアンの方からなんだけどさ、そんな悪意が有った様には見えなかったんだよ。

 何で名前が欲しいなんて言って来たんだったっけ?

 たしか、シェスティンさんと鬼ごっこをしていて、どう考えても私には勝ち目が無い様に思えて来た所で、ヴィヴィアンの方から何かアイデアが有るみたいな事を言われたんだった。

 その為には、名前が必要だとかなんとか……


 「ううむ、その話が本当だとすると、相当悪知恵が回るな。他心通テレパシーでドリーの意識と繋がっている内に知恵を手に入れたのじゃろうか?」

 「でもその可能性はシェスティンさんも分かっていたんでしょう? だから1匹肩の上に乗せてたんだし。」

 「いや、そんな高度な事を考えられる程に知能が発達するとは思いもしよらんかった。こりゃ、ヴィヴィアンよ、ドリーの体の中から出て来なさい。」

 「い、嫌です。外に出たらシェスティン様は、きっと私を消滅させてしまうに違いないわ。」


 驚いた事に、ヴィヴィアンは私の体を使って、私の口でそう答えた。


 「そんな手荒な事はしないから、大人しく出て来なさい。さもないと、無理矢理引っ張り出すぞ?」

 「嫌です嫌です。折角名前を貰ったのに、消えたくない!」

 「シェスティンさん、この子怯えてしまっているの。私が説得するから、少し時間をくれない?」

 「駄目じゃ、こいつは既に嘘を吐く事を覚えている。何か嫌な予感がするのじゃ。」


 シェスティンさんは、魔力の籠もった右腕を伸ばすと、私の胸の中へその手を突っ込んだ。

 比喩では無く、本当に突っ込んだんだ。

 私の着ている服と体を突き抜けて、手首程までが体の中へ入ってしまっている。


 「ギャアア! 痛い、痛いよぅ!」

 「シェ、シェスティンさん、あまり乱暴な事はしないで下さい!」


 私は全く痛みは感じていないのだが、アストラル体って言うのかな、幽霊みたいな存在を掴む事が出来る魔法みたいだ。

 シェスティンさんが腕を引くと、胸ぐらを掴まれたヴィヴィアンが私の体から徐々に出て来た。




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