第五話 拳一と矢助

  ったく…あんなのブラックじゃないか


 司令の部屋をを後にした刃は、彼の命令に腹を立てていた。1ヶ月間の任務を終えたばかりの刃に与えられた休息はゼロ。普通の会社なら訴えられてる状況だ。


     (考えても仕方ねぇや)


 現状が変わるはずもない状況、諦めるのが最も有効だ。

 刃が次に訪れた場所は、2階の食堂だ。STMUの者ならば誰でも利用することができる。ここの料理は評判で、お昼は満員電車のような混雑が多々起こる。だが今は夕方の為、食堂には数人にしかいない。

 刃はその中からある人物を探していた。


 (たぶんここにいると思うんだが…あっ)


 周りを見渡すと、その人物はいた。


「ねぇねぇ、いいでしょう?僕と行こうよ」


 小柄で茶髪の少年、名は剣崎矢助つるざき やすけ。刃の弟で三男坊である。

 彼は隣に座っている女の子を、ナンパしている最中だった。


「君の瞳を見て分かったんだ」


 矢助は彼女の手を優しく包み、笑みを浮かべる。


「僕と君は相思相愛だ。君とデートに行くことは運命で決まっていたんだ」


 恥ずかしい台詞せりふをどんどん口にする弟を見て、刃は額に手をやりながら首を振る。彼女の方を見れば、眉間にシワを寄せて明らかに迷惑そうだった。

 だが、矢助はそんな事には気づかず、話を続ける。


「で、何時に行く?僕はいつでもOKだよ」


 彼は茶髪をサラッと上げる。弟の奇行を止めるべく、刃は口を開いた。


「矢助」


「今はちょうど夕方の5時。支度も考えると6時くらいがいいかな」


 話に夢中なのか、矢助は聞こえていなかった。


「…矢助」


「どこ行きたい。僕はクロスタワーとかがいいかな。夜景を見ながら二人でディナー。はぁ〜なんて最高だろう」


「おい」


「そしたら、服装はタキシードとかの方がいいね。そっちの方が大人っぽく見えるし、なによりかっこいい」


「や・す・け!!」


 大声で呼ぶと、矢助の背筋が強張るのが分かった。少年はゆっくりと振り向いた。


「…兄貴?」


 相手が刃である事を確認すると、彼の表情は柔らかくなり、椅子から飛び上がった。


「兄貴じゃん!帰って来てたんだね。いきなり大声出すからびっくりしたじゃん」


「お前が反応しなかったからだ。さっきからずっと声かけてたわ」


「えぇ!?じゃあ前からここにいたってこと……影薄いから分からなかった」


「影薄いっておま…久しぶりに再会した兄貴にかける言葉じゃないだろう。てか、俺は影薄くねぇよ」


 刃は弟を軽く睨みつける。だが、矢助はそれを無視しながら話を続ける。


「またまたぁ〜本当のこと言われて怒るなって」


「なんだとっ…いや、もういいから。行くぞ」


 どこへ、と矢助が訊くと、刃は親指で後ろのエレベーターを指す。


「地下1階だ。たぶん拳一がいるだろう。お祝いしてくれるんだろう?」


 だが、矢助は首を横に振った。


「いいよ。あそこを汗臭いし、男ばっかりだし、嫌だよ。それに聞いたと思うけどこれからデートだから」


 しかし、刃は鼻の横を掻きながら「見てみ」と矢助に伝える。彼が振り返ると口説いていた女の子はいなかった。


「えっ、えっ、なんでぇ」


 辺りを見回すも彼女の姿はない。矢助の顔は絶望に満ちていた。


「俺と話している間にいなくなったよ。あの子」


「なんで言ってくんなかったのさっ」


 バン、と机に手を叩きつけ、矢助が怒鳴る。

 しかし、刃は平然と話を続けた。


「いつものことだろ。お前は何回女の子に振られれば気が済むんだ?」


「一言多いよ」


「とにかく行くぞ」


 刃は弟を強引に引きずりながら、エレベーターに向かった。



 地下1階に到着すると、部屋の熱気がエレベータ内に入ってきた。

 地下一階はトレーニングルームになっており、ランニングマシンはもちろん、バーベルやベンチプレスなどを完備。

 さらに、別室にはプールや試合場、コートなどもある。


「なんか騒がしいな」


 奥に進むと、大勢の男たちが盛り上がっていた。彼らの目線はリング上にいる2人の男に注がれていた。


「いたね」


「ああ」


 刃と矢助もそこに目線を送る。

 その直後、リングから1人の男が落下した。男の顎は赤く腫れている。恐らく相手が顎にクリーンヒットさせたのだろう。そして、その相手が誰なのか、2人は知っていた。


「どうしたっ!それでもSTMUの一員か?テメェ」


 リング上で雄叫びを上げる上半身裸の闘士ファイター剣崎拳一つるざきけんいち、次男坊だ。


「相変わらず血の気が多いな」


 戦いが決すると、男たちの高揚の叫びで支配された。


「おーい、拳一!」


 刃が大声で叫ぶと彼がこちらに気づいた。


「おお!兄貴じゃねぇか」


 拳一はリングから飛び、二人の前に着地する。その衝動で少し地面が揺らいだ。


「拳一、前にも増して筋肉付いてるじゃねえか。全く17歳の肉体とは思えないぜ」


 そう言って刃は弟の胸筋を叩く。その触感はまさしく鉄板だ。


「おうよ!日々鍛えてるからな!」


「それよりさ…早く拭いてよ。汗臭いから」


 矢助は鼻をつまみながら言った。すると拳一は鋭い目つきを矢助に向けた。


「なんだ?矢助も来てたのか」


「僕だってこんなところ来たくなかったよ」


「ふん、相変わらずヒョロヒョロだな。体も性格も」


 それを聴いた矢助の表情も変化する。


(こりゃあ、いつもの流れか)


 まずい状況になる、刃のその予感は、見事に的中する事となる。


「兄貴は逆にムキムキだね。もしかしたらあたまの方も筋肉になって、単純なことしか考えられなくなったのかな?」


「あ"?」


 拳一の声が低くなる。額には青筋が立っている--怒っている証拠だ。

 彼は基本的に短気である。この段階で既にやばい状況なのだが、そんな事は気にせず、矢助はさらに口撃こうげきを続けた。


「僕は女の子を口説くのにかなり脳を使う。

 でも、兄貴は?ただ体を動かせばいいだけだもんね。それなら赤ん坊でもできるよねー」


「15のガキが…」


「はいぃ。僕は16ですよぉ。あれれぇ?記憶力も衰えてるのかなぁ?」


 おちょくるように放った言葉。拳一の動きがピタリと止まる。


「…矢助。おめぇにも2つ才能があるんだな」


 うん?、と矢助は首を傾げる。


「1つは人を煽る才能。そして、もう1つは」


 語尾を強調しながら、拳一は右拳を後ろに引く。


「俺を怒られせる才能だっ」


 真っ赤に染まったその顔はまさに鬼だ。真っ直ぐに飛んでくる右ストレート。しかし、矢助の表情は崩れない。むしろ、余裕の表情だ。


「こんな時の為の技がある」


 矢助は両手を広げ、何かの態勢を取る。拳がすぐそこまで来た瞬間、即座に横にいた刃と入れ替わった。


「兄貴ガード」


「ちょおま…」


 いきなりのことで刃は、反応できず、見事に拳一のストレートを食らった。怒りも相まって刃は数メートル後方に吹っ飛んだ。


「てめぇ待ちやがれ!!ぶっ殺してやる」


「やれるもんならやってみなぁ〜」


(なんで……俺が)


 一番関わっていない刃が一番ダメージを受けるという結末。理不尽といっていいだろう。

 目の前では血眼になって追いかける拳一と笑いながら逃げる矢助の姿があった。

 そんな姿を見て、なぜだか刃は嬉しかった。

 これが刃の弟たち。大切な家族だ。


 おまけ

「俺が殴った状況でって…兄貴ってドMじゃん」


「違うわ」



 現在の時刻は19時20分。

 レナードは、長い廊下を歩きながら夜景を眺めていた。彼がいるのは50階。

 本部の30階から50階は寮となっており、STMUの者であれば借りることができる。

 レナードは一番奥にある扉の前にたどり着く。扉の近くには『剣崎家』と書かれた古風漂う札が掛けてあった。

 彼が玄関をノックすると、すぐに親友の刃が出てきた。


「よっ、待ってたぜ」


「少し遅れたかな?」


「いや、バッチリだ。入ってくれ」


 すると近くでワンワン、と高い鳴き声が聞こえてきた。彼が視線を下に向けると、そこには茶色の小型犬、チャコがいたのだ。


「やあチャコ。こんばんは」


 レナードは屈みチャコの頭を撫でると、巻貝のように丸めた尻尾を激しく振った。とても嬉しそうだ。レナードは靴脱ぎ場で靴を脱ぎ、家に上がる。


 刃たちの部屋は他の部屋とは異なり、彼らの祖国にある『和室』をモチーフに作られている。そのためレナードにとっては畳や障子はいつ見ても新鮮そのものだ。

 刃が目の前の襖を開けると、そこには拳一と矢助の姿があった。拳一は骨付き肉を頬張り、矢助はスマホで文字を打ち込んでいる様子だ。チャコは拳一のところへ歩み寄り、胡座の中へ蹲った。


「まあ、座ってくれ」


 刃に促され、レナードは腰を下ろした。

 居間の広さは六畳ほどで長方形テーブルとテレビ、収納棚、観葉植物がバランス良く配置されている。

 居間の他に3人の各個室がある。


「さあ、じゃんじゃん食ってくれ」


 刃はレナードの隣に座りながら言った。


「じゃあお言葉に甘えて」


 いただきます、レナードは箸を持つ。

 テーブルにはお寿司やステーキにケーキ、プリンなどで埋め尽くされている。


「で、3ヶ月の任務はどうだった?」


 料理を食べながらレナードが聞いた。


「正直、水の泡だったぜ。見張っていたターゲットは捕まえたんだが、情報はガセだった」


 刃はマグロ寿司を口に放り込みながら、任務の結果を話した。


「そりゃあ大変だったね」


「まぁ、いつものことだしな」


「にしては、3ヶ月は長すぎだな」


 言ったのは拳一だ。彼は胡座の中にいるチャコを撫でていた。


「そういう拳一は、どうだったんだ?」


「俺か?俺はよ、護衛系が多かったぜ」


「まあ、お前の肉体ならうってつけだな。矢助はどうだった?」


「……うん」


 矢助はスマホに夢中で、それしか言わなかった。


「こいつは、ずっと地方を飛び回ってたぜ」


 代わりに拳一が答えてくれた。地方という事は危険度はあまりない仕事だ。


 その後は、お互いの出来事を話し合った。

 仲間や兄弟とのこうした時間は、刃にとっては楽しく安らぐ、心が豊かになる時間。気づけば日付が変わりかけていた。


「そういや、今日、司令に言われたことがあってよ」


 刃は明日、任務があることを弟たちに伝える。それを聞いた2人は、同時に立ち上がり、「聞いてない!」と口を揃えて言った。


「クソォ…あの黒豆ボウズがぁ」


「兄貴。黒豆ボウズは言い過ぎだよ」


 拳を作る拳一に、矢助が注意する。


「じゃあ、なんだったらいいんだ?」


「そこはやっぱり、黒豆ハゲ司令でしょ?」


 途端に拳一は笑い出した。「どっちも一緒じゃねぇか」と言いながら、腹を抱えて悶絶している。


「お前ら、司令を弄るのもほどほどにしとけ。万が一に聞かれてたら、えらい事になるぞ」


「うな事はねぇよ。大丈夫だろ」


「そうそう、聞かれてたってへっちゃらだもん」


「まあ、いいけどよ。そういう訳だから準備しとけよ」


 へーい、と2人は返事をした。


「じゃあ、そろそろお開きにするか。レナードは今日、泊まるだろう?」


「大丈夫かい?明日任務なんだろう?」


「大丈夫だ。明日と言っても任務開始は17時だからな」


「じゃあ、泊めてもらおうかな」


「そうこなくちゃな」


 机に残った食事を冷蔵庫に戻し、食器を洗い終えると彼らは就寝した。


 畳の上で寝るのは久しぶりだ。

 やっぱり最高だ、刃は目を瞑るとすぐに意識を手放した。




















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る